« きょうの説教は | トップページ | ネコヤナギ/雪やなぎ »

ありがとう!!OEK&盛岡バッハ・カンタータ・フェライン、仙台宗教音楽合唱団

  たったいま窓を開放し、暖まりすぎた緊張感の失せた空気を、夕刻からのマンネリズムとともに夜の大気中に追い立て、冷涼な澄みきった夜風を迎え入れたばかりだ。

 日曜日は主の聖日。このブログの〝上座〟を他の事項に渡すことはできない。そこで昨日15時からのコンサートも、主なところは今日書こうと決め、簡略に記したのだった。

 ベートーヴェンが「Bachはドイツ語で小川だが、音楽の世界では大海だ!」といったその大海を、31日のOEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)&盛岡バッハ・カンタータ・フェライン・仙台宗教音楽合唱団の公演に聴いた。
 きちんとしたプログラムも出された。私は私製の見やすく作成したものを持参し、両方を参考にしながら聴いた。今回は最後まで意識を集中させて聴いた。某DVDでの予習がとても役立った。演奏時間2時間がじっくりと、しかしもう終わりかと無念に思うほど、速やかに確実に過ぎた。
 管の響きにわくわくし、オケと合唱の溶け合いに癒され、今回は合唱に比重を置いて聴きとおした。

 キリエの冒頭の迫力には息をのんだ。冒頭に出鼻をくじかれることがままあるが、信念巌をも貫くとも聞こえた。個個によって感じ方もあるだろうが、ここばかりは、感想の表現は様々だとしても、ホールのみなが「凄い!」と思ったはずだ。
 4(主よ憐れみたまえ) はオケとの渾然一体、神妙な響きに打たれた。
 5.(いと高きところには神に栄光あらんことを)
  13.(聖霊とともに、父なる神に栄光あれ。アーメン)  
 この5と13はなかなか難しいところではないかと思った。歌いこんでも歌いこんでも、また今一つの新たな有り様が立ち現れる。際限のない奥深さとでもいおうか。ただ、これはわたしの思いこみであるかもしれない。
 11アルトのアリア。今回で、ソプラノびいきからアルトにもはまった。音符は、音域はどうなっているか分らないが、なかなかに厳しいところではないのか。特に興味深く聴いた。
 何れ、10(世の罪を除きたもう者よ、われらを憐れみたまえ)14(われは信ず、唯一なる神を)の説得力ある迫力。17(聖霊によりて、処女マリアより…)の最後まで、言葉でいうなら語尾を濁さず、澄明さがたもたれたまま余韻を残して声が消えてゆくといったあたり、不思議さが残った。18(われらのためにポンティオ・ピラトのもとに十字架につけられ)は信仰を持って聴いた。そして19(…3日目によみがえり…) の確信と喜びにに満ちた迫力。20からは、もう終演となるのが惜しいという思いとなった。
 23(感謝の賛歌)ホザンナ、アニュス・ディ、ドナ・ノービス・パーチェムはいまも私の中で鳴り止んではいない。

 今回終演とともに涙しきりとなるだろう予感は外れた。これで終わりという感じがしなかった。現にいまも鳴り続けている。それゆえ涙する必要がない。どこかが、なにかが不思議なのだ。これも神からの賜なのではないか。或いは、永遠に繋がるものを与えうるが故に落胆させることがないバッハの凄さなのかもしれない。

 既にマスコミなどで指揮者ヘルムート・リリング先生、指導者佐々木正利先生、OEKのことは回を重ねて紹介されている。私ごときがくだくだしく言う筋ではないだろう。

 ただ、合唱団のこういった運営上の潤滑油となり支える存在があることを今回知らされた。盛岡バッハ・カンタータ・フェライン代表の茂木容子さんだ。団員の一人としてのお話も聞くことができた。

 フェラインは「心から歌うことができるところが誇れる点」と茂木さん。リリング先生は岩手日報の取材には、「フェラインはベリーエクセレント(とても優秀)。国際的にも非常に高いレベル。美しい声がよくブレンドされている」と言っていますから、茂木さんは1ポイント語られたようなのですが。
 「最後のドナ・ノービス・パーチェムは祈りながら歌いました」と仰っていました。

 宗教曲はいまや私にとっても大切な音楽です。仙台、金沢、岡山まで駆け付けなくとも、この盛岡で聴くことができました。有難うございました!!

 

|

« きょうの説教は | トップページ | ネコヤナギ/雪やなぎ »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ありがとう!!OEK&盛岡バッハ・カンタータ・フェライン、仙台宗教音楽合唱団:

« きょうの説教は | トップページ | ネコヤナギ/雪やなぎ »