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2010年2月

生ける水の川

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                            イスラエルの聖なる方は、
               あなたの中におられる、
                 大いなる方。
                 イザヤ12:6

 日々くらしていて順調なときには、機嫌もよく、ひとにたいしても愛想よくできる。しかし逆境のときにはどうだろう。聖書には、クリスチャンだからといって現実の問題、課題、労苦をすべて免除されるとは書いていない。逆境にあるときに乗り切るためのコツ。これは誰でも知りたいはずで、きょうは、メッセンジャーによって、そこのところが語られた。
 ヨハネ7:37 「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
 要は、このお言葉だった。何かに心をとられたり奪われ、或いは、問題をあまりに巨視的に捉えすぎるとき、水源であるイエスが見えなくなり、或いは霞んでしまって、水を汲み、水に浴することができなくなる。そこで命が萎えてしまう。
 イザヤ12:6にあるように、自らのうちにおられ力を与えてくれる大いなる神、イエス・キリストをしっかりと捉え信じることが、躓かない秘訣であるという内容でした。
 
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 今日で2月も終わり。随分と長い一ヶ月でした。また要所要所思いがけない対応を求められた何日間かがありましたが、自分が自分の力でそれに対応したというよりも、神様のご要望があり、わたしはそれとは知らずにそこに駆け付けたが、しかし滞ることなく、神様のお力によってそれらの役割を成し得た、いまそんな感じがしています。というのは、一通り果たしたという実感がないからです。自分を然るべきように動かしていただいた、そんな感じなのです。
 このことで、また不思議に遭遇しました。金子みすずの詩ではありませんが、「みえなくたってあるんだよ」というそれです。見えなくても存在する。見えなくてもエネルギー、力の作用を示す実体とでもいいましょうか。
 この2010年2月は一生記憶に留められる月となりました。

 
                              
            
                                  
 

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神なかりせば

◇チリ地震があった。M8.8。まだTVで状況を見ていないが、また多くの被災者が出るのだろう。中国の四川地震も北京オリンピックの直前だった。いま沸き立っているバンクーバーの直前はハイチ。バンクーバーの終盤でチリ。華やかな舞台と苛酷な事態の同時進行だ。鳩山首相はチリの支援を表明したようだ。

◇12月末の米国際保有高は中国が8948億ドルで最大。日本は7657億ドル。かくして日本の行方は…

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◇それでもアメージング・グレイスは永遠。どうして神様がいるのに、こんなことが起きるの。けれども、もしこの世に神がいなかったなら、この世の闇の深さはいかばかりであったろうか。

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◇きょうは久しぶりに主人と県立図書館へ。行きは徒歩。そちこちの街並みにのぞく、北上川から望む岩手山が美しい。もう春、こんなにあたたかい。図書館でゆっくり過ごす人々の姿。わたしもこのように日々を過ごしたいのだが。

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もしもわたしが

 もしも私が、二十歳かそこいらの青年で、呆気なく逝ったとして、友だちが読んでくれる弔辞は…。想像してみた。

  
おまえがこんなに早く
  あの世とやらに行っちまうなんて
  俺はぜったい許さない
  ただ若くて死んだってだけで
  おまえって奴が
  どんどん美化されちまう
  どこまでも美しくなってしまう
  ところが
  この俺はいったいどうだ
  最後まで生きて
  厭きられるほど生きて
  ついには老残をさらす
  それだのにおまえは
  いつまでも
  爽やかに笑って
  若々しく写真に収まってる
  いったい何なんだこれは

  俺は言うよ
  いつかはおまえは車をぶっつけて
  ヘッドライトをぶっ壊して
  支払いに真っ青だった
  カラオケで飲んで
  へべれっけになって
  挙げ句の果てに
  噴水の汚い水にぶっ倒れちまった
  彼女に振られて
  やけになって
  電柱殴ったら
  拳が逸れて柱に顔面ぶつけてさ
  次の日は
  そりゃ見ごたえがあったさ
  どうだい
  まだまだあるんだぜ
  言いたくぁないけど
  何番だっけ
  勿論成績のことさ
  学年だって一年喰ってる
  まだある
  そう、まだまだだ
  やめてくれだって
  お断りさ
  やめるもんか
  おまえだけが美化されるなんぞぁ
  俺はぜったい許せん

  おい
  これ以上言われたかぁないだろ

  だったらぐずぐずせんで
  いますぐ戻ってこい!

  おい
  頼むから生き返ってくれよ!!

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悲しみ、叫び、苦しみもない

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また、神ご自身が彼らとともにおられて、

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彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。

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もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

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なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。   

ヨハネの黙示録21章3~4節
   

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神を讃む

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やまべにむかいてわれ目をあぐ
たすけはいずかたよりきたるか
あめつちのみかみより
たすけぞわれにきたる

みかみはなれのあしをつよくす
みまもりあればなれはうごかじ
みたみをばまもるもの
まどろみねむりまさじ

みかみはあだをふせぐたてなり
ながみをつねにまもるかげなり
よるはつきひるはひも
なれをばそこのうまじ

みかみはわざわいをもさけしめ
つかれしたましいをもやすます
いずるおりいるおりも
たえせずなれをまもらん

    インマヌエル讃美歌24番


日曜日までは、賛美歌或いは聖句などをご紹介いたします。
神様の祝福がございますように!!

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はるかに仰ぎみる

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   はるかに仰ぎみる 輝きのみ国に
   父のそなえましし 楽しきすみかあり
   我らついに 輝きのみ国にて
   きよきたみと ともにみ前にあわん

   輝きのみ国にて 憂きも悩みもなく
   たのしき声あわせ たえずともに歌わん
   我らついに  輝きのみ国にて
   きよき民と ともにみ前にあわん

   父の愛あふれて 幸い身にあまる
   ゆたかなる恵を とこしなえに讃えん
   我らついに  輝きのみ国にて
   きよき民と ともにみ前にあわん
       ーインマヌエル讃美歌666番ー

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信仰と聖霊に満ちた人とは?

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きょうはきれいな青空が。受付の係だったので、すこし早めに。
教会の何に気持がやすまるかといえば、一番は賛美歌。牧師夫人やいつも音楽指導をしてくださる若い姉妹の弾くオルガンや自動演奏の賛美歌には、ほんとうに心が癒されます。
説教は二番目かというと、これは一番目のときと二番目のときがあります。というのは、自分にとって、きょうは辛口だな、つまり、ちょっぴり刺される、指摘されるということもあるからです。とはいうものの癒されたり励まされることの方が圧倒的に多いです。辛口説教もまた自重につながり、もしかすれば、これこそ一番なのでしょう。

信仰と聖霊に満ちた人とは、いったいどんな人?
きょうのお話はこれでした。
信仰と聖霊に満たされた人ピリポ、ペテロ、ステパノ。
使徒の働き8:5で、
「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。」ことが語られ、また、使徒の働き2:14~39では、ペテロが旧約聖書に登場するヨエル、ダビデの語ったことばを引き、イエス・キリストの十字架を信じ、悔い改め、罪から救われ、聖霊を受けるべき事を烈々と説教したこと。特に2:22「神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行われました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。」

 また、ステパノはイエスを語りに語り続けたが、人々はこれに堪えられなくなって、ステパノを殺してしまった事件がありました。

信仰と聖霊に満ちた人とは、聖書に通じており、聖書のどこを開いても、そこからイエス・キリストを指さすことができる、そういう人です。聖書の色々なところからイエス・キリストを見出すことのできる人になってください。

使徒の働き1:8
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
ここでいう力とは、ダイナマイトのような力であり、私の証人となるとは殉教者となることと語られました。

信仰と聖霊に満ちた使徒達は、全身全霊をもって、先ず、イエス・キリストを宣べ伝えたのです。

これは大幅に要約しており、また若干の聞き違いがあるかもしれません。その時にはご容赦ください。

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マタイ受難曲

マタイ受難曲の初演は1727)年の受難週(4/15)と推定されているようだ。

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              第67曲ソプラノ
             私の命の続く限り
            あなたの受難に対し
      私の魂の救いをかくも重んじてくださったという
            千の感謝を捧げます。

             ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 きょうは、もりおか童話の会が盛岡市中央公民館で13時からあった。窓には春の雪が。ことしは必ず原稿を持参する、遅刻をしない(すでに新年会、遅刻で×一つ)という自己の目標を立てたのだが。
 

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北上山地ー酪農入植者の償還金ー

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 北上山地に入植(北上山系開発の酪農プロジェクトに)したある方は、当初1億だった借金が、「まだ3千万」あるという。7、8千万払ってまだ3千万残っているのだ。それでも入植者の中では返還してきた方だろう。高額所得者には到底知り得ない苛酷な労働投下での返済だ。他の方々も返済不可能、或いは1億払って尚数億あるといった状況であろう。
 この償還金の問題には、しばしば牛肉の輸入の自由化、関税引き下げの波による乳価、雄子牛価格の暴落、飼料の高騰などが挙げられる。しかし本当の問題の根は、入植の時点にあった。
 ある方は、53年の入植当初、負担金は約4千万といわれていた。ところが、58年の牧場の引き渡しのときには、2度にわたるオイルショックを経、資材が高騰し、約1億円に跳ね上がっていた。ここで役場と入植者との間には激しいやり取りがあったのだが、請求されたキャンセル料の支払いができなかった為に、入植せざるを得なかった。このキャンセル料についての事前の説明は無かったと聞いている。出来上がった施設にもはや失敗と分っていながら、行政は、強引に入植者たちを押し込んでしまったとしか私には見えない。言うも恐ろしい気がするが、やはり言ってしまった。
 渡辺基氏の「北上山系開発入植者の経営」によれば、この償還金は「5年据え置き15年償還、利子率7、5㌫の国の財政資金の融資で賄われた」とある。サラ金と変らぬ借金地獄だ。後には低利子の農協資金に借り換える、或いは利子の猶予など対策が執られたが、現状はさして変ってはいない。

 100年に一度の同時不況で上場企業ですら倒産する時代。農政にいかほどの手当が期待できるのか。企業を持たせなければ日本が潰れると言われるのだろうが、この北上山地でこの厳しい状況下にも如何にしてか借金を返さねばならないと日夜苦慮、苦闘している私の友人が居る。気丈で底抜けに明るい。このことはあのイヌワシも 知らないはずはないのだ。

手掛けたときにはさして疑問も抱かなかったが、いま思うに、関わったゼネコンとはどこどこ? 農用地開発公団とは何ぞや? 国土開発とは? …分らないことだらけだ。 

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写真展を詠む

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 近くのプラザおでってで、こんな写真展がありました。最終日です。滑り込みセーフでした。このブログ、ずっと冬景色の写真つづき。ちょっと拝借し載せてみました。
 上手な写真家の写真を、エセ写真家がさらに写す。叱られそうです。作品の実物はこれよりもはるかにきれいでした。
 この案内の葉書にはありませんが、秋山先生のバラの花びらにたくさんの滴が光っている写真、わたしもよく撮ったものです。

みずからの光放ちてシリウスは清く烈しく黙して青し

大空を掃ききよめたる樹冠かな

風雪の筆の荒らびて描きたる雪渓は眩し頂嶮し

結氷のゆるみて温しさくら草

未熟ながら写真からの連想を詠んでみました。

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民俗音楽ーJoik(ヨイク)ー

  サーミランド(スウェーデン)の民俗音楽であるJoik(ヨイク)を2曲聴いてみた。歌は2曲ともKarin Stenberg(カリン・ステンベリー)ヨイクは詠唱のようなもので、サーミ人の天性で表現されたもの、とアンナ・カルステッドは語る。スウェーデンのサーミ人は17000人。そのうち7000人がサーミ語を話すという。

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「トナカイのヨイク」と「山のヨイク」の2曲。
サーミ語のヨイクとは、言葉の助けを借りない声のムードの歌曲を指す。「トナカイのヨイク」は、メロディとリズムによって人と家畜の動静や山の大きさ、湖の形などを描写している。…ヨイクの最初の部分はトナカイの赤ちゃんが食べ物を貰うため母親のところへ走っていくのだが、険しい山地は渡るのが大変で好きではないという意味である。「山のヨイク」は、丘の起伏を描写するリズムである。ーCD「極北の音楽」のデーベン・バッタチャリアの解説からー

ヨイクの底流には「人間は自然の一部にすぎない」という自然観があり、ネイティブ・アメリカンやアイヌ、オーストラリアのアボリジニ通じる精神性はモンゴロイド共通の近親感を抱かせる。ーAbraham’sのラップランド紀行・ヨイク民謡よりー

 聴いているうちに、祈りとも子守歌とも思われた。悲しさや憂いもある。山々の起伏をゆく爽やかさも。

わたしが聴いたヨイクとはリズムや情感がすこし異なりますがこちらをクリックするとヨイクを試聴できます。

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雑感

 きょうはほんとうに良いお天気だった。家人も出払い、大がかりな物の整理は今日に限ると、小屋や押し入れを整理した。いつもよりすこしは働いたなという実感が得られた。

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 北上山地で書きたいと思うのは、ほんとうは国道、県道筋からも遠い山奥で、朝な夕なに毎日同じように働き一生を生きる人々のことだ。いろりでも囲んで、山や畑や釣りや寒さ、そんな話しを聞いてみたい気がする。しかしそれを行うには自分の側に難しい点が多々ある。そんなわけでどうしても活字頼みとなっている。

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 今朝の岩手日報(1)の国際リニアコライダーの記事。凄いことをするのだなとは思うも、研究内容にはたじたじ。ネットを3カ所ばかり検索するも、はあ、そうでございますか~、の域を出ない。かといって、あの北上山地のイヌワシさんと無関係ではなさそう。となれば、この拙ブログの管理人の知恵や知識がどうであれ書くことに。

 記事によれば、ー県と東北大学は2010年度、超大型加速器「国際リニアコライダー(ILC)」研究所の受け入れ環境整備に向け、本県の北上山地の花こう岩岩盤の地質調査を行う。県は10年度当初予算案に約2700万円を計上した。ILCは地下約100㍍に全長約31~50㌔のトンネルを掘って加速器を設置するため、建設には安定した地盤が不可欠。地下構造の詳細なデータを確保することで、受け入れに向けた条件を整える。ーのだそう。

ー建設候補地に挙がっている北上山地(一関市千厩町・大東町から奥州市江刺区にかけて)の3ヶ所程度でボーリング調査を実施しトンネルを掘るための基礎データを収集する。ーらしい。

 調査の予算案はすでに計上されている。ILCは日本、米国、欧州のうち一ヶ所に建設予定だという。国内では脊振山地なども候補地に挙がっているようだ。

 う~ん、これは分らない。学術という面、国際協力という面、地域振興という面を生かした結果、自然にとってはどうなのかがよくわからない。ただ、イヌワシさんは浮かない顔だ。

 ここは、各方面からの反響、反応が出るのを待ってそれを参考に考えてみたい(見落としていたかもしれないが)。 

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ゼネコンの爪痕-北上山地ー

 胆沢ダムは小沢ダムとも言われている。また胆沢ダムには小沢の闇が貯まっているとも。この小沢一郎幹事長が不起訴となった。政治家とゼネコンの癒着。胆沢ダムの総工費は2440億円。大蔵省が「ぜいたく言うな」と反対したのを破ってくれたのが小沢〝先生〟だという。

 昨日聴いた講演で、この厳しい情勢下、日本滅亡が危惧される瀬戸際、生き残る策を講じなければならないこの重大なときに、普天間、鳩山の脱税、小沢の疑惑のみに膨大な時を費やしている無念さも語られたが、これにはまったく同感でもあったが。

 ここで政治のことを云々したいというよりも、イヌワシさんが、あの北上山系のイヌワシさんたちがどう言っているか

 北上山地の裸地化。これがやはりゼネコンが無関係ではない。北上山系開発によって、
(ここまで書いて、押し入れにしまい込んだきりだった北上山系関係の資料をやっと
また引っ張り出す気になり、いま出してきたところだが)
 北上山系開発は正確には北上山系8区域、奥羽山系2区域、合わせて10区域29市町村を対象として北上奥羽山系開発として実施された。事業費は986億円。昭和50年~平成5年にかけて、6800ヘクタールの農用地造成、570㌔に及ぶ道路整備、畜舎など農業関連施設の整備、公共牧場64ヶ所、共同牧場15ヶ所、及び92の個人牧場が創設、整備された。 このとき、山地にブルドーザーなどの重機を投入し、造成、道路整備を行ったのはゼネコンだった。東西南北に縦貫する570㌔の開発整備には、総事業費の71㌫が注ぎ込まれている。(「北上山系の開発」岩手県北上奥羽山系開発整備促進協議会刊ー岩手県立図書館蔵ー)
 山系に道路が通ったことにより、まともに風の煽りを受ける範囲が大きくなり風衝荒廃を促進する大きな要因ともなった。この裸地化には古くから牛馬の放牧や炭焼きのために奧まで伐採されたことや野芝の病害などがある。この要因に更に造成、道路整備が〝一役買った〟結果となったのだ。
 観光などを考えたときには、道路整備が不可欠とも思ったのだが、しかし、一旦裸地化したときには、もう元の通りに作り直すことが不可能なのだ。再生不可能な自然を犠牲にするのはどんなものだろう。ただ山地に住む人々には利便性があるのも確かだ。都市部に住んでいて云々するのも申し訳ない気持になる。 

 風衝荒廃対策のための研究は行われているようだ。ただこれが裸地化のスピードに到底追いつかないのではないか。離農の跡地に笹が勢力をのばし、裸地化が食い止められたところもあるようだ。何れ、この裸地化も、地球規模の課題でもあるのだろう。

 話しはゼネコンにもどるが、
 北上山系開発は昭和50(1975)年農用地開発公団によって着手されている。遡れば昭和44(1969)年、国が新全国総合開発計画を策定したことに端を発する。
 佐藤内閣(第三次)が1970~1972年、継いで
 田中角栄(第一次~)1972~1974年

 これは何かありそうという、いまのところ根拠のない疑念が、しかし実際にはやはり、政治家とゼネコンの間には駆け引きがあったと考えるのが〝自然〟という気が。ただこれ以上つきつめていくのはしんどい。

 新全国総合開発計画が策定された理由は、穿った見方をすれば名目は、

日本の経済は昭和25年でGNP109億ドル。43年には1419億ドルと急増(米に継ぐ)。一人当たりの国民所得が123㌦から1100㌦となった高度経済成長期であった。これを反映して国民の食糧需要が高度化、多様化し、コメの一人当たりの消費量が減少の一途を辿り、44年には150万㌧の生産調整が強いられた。農政史上かつてない事態だったようだ。一方畜産物、野菜、果樹の需要は年々旺盛となり、43年に公表された「農産物の需要と生産の長期見通し」において、特に畜産物は、52年には約2倍の需要が見込まれ、我が国の農業は、これに対応できる体勢作りが急務とされていた。畜産は新全総の目玉であったが、50年には大規模畜産基地の失敗が新聞に躍ることになる。

 新全総の事業費が全国でどれぐらいであったか、さらに資料をめくり直さねばならないので、きょうのところは、ここまでにしたい。

 何れ酪農家の離農、そして北上山地の裸地化は農政の失敗であり、ゼネコンの爪痕ともいえるだろう。

 

 

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きょう14日のメッセージは?

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 使徒行伝6:1~6
 コリント教会の信者が増えるにつれて、毎日の食糧の配給などで、苦情申し立てが出てきた。そこで12使徒が弟子達全員を呼び集めて役割分担(御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち7人に仕事を一任)を決める。そうしたところで、メッセンジャーたちは教会の根本的な活動である伝道、即ち、(祈りと御言葉の奉仕ー「イエスわれを罪より救えり」と述べ伝えることー)に専念することができた。

 教会といえども問題課題がないわけではない。そのようなときに、ただ批判するばかりではなく、その課題を一緒に担っていく一人として身を置き、論じたときに教会は成長していく。

         ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

   最近わたしが個人的に聖書から心に留った御言葉は
      主の霊があなたの上に激しく下ると
      あなたも彼らといっしょに預言して、
      あなたは新しい人に変えられます。
      このしるしがあなたに起ったら、
      手当たりしだいに何でもしなさい。
      神があなたとともにおられるからです。
                Ⅰサムエル10:6、7

 手当たり次第に何でもしなさいというと、誤解されそうですが、霊が下ったなら、という条件付きなわけで、主の霊がどういう霊かといえば、
 「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」となり、何でも無軌道にやってしまうことにはならないのです。
 つまり根底がしっかりとイエス・キリストに繋がっており、信頼がしっかり確立されているなら、たくさんのことをやってごらんなさい、ということなのでしょう。
 これによってわたしは、こうすれば人にこう思われる、とか、こう書くとこう誤解されるのではないか、といった杞憂からだいぶ解放されました。ただ、どうしたらよいか、どう行動すべきか判断がつかないこともあります。そんなときはだいたい留まる、止まる、ことにしています。しかし、もしわたしが会社に勤務しており、上司があり、命令によって遣らざるを得ない場合は、案外即行動してしまうのかもしれません。
 何れ自分がイエス・キリストに全うされているなら、何でもやってみていいのでしょう。

 それにしても、まだまだ自らの足りなさを覚えることです。十字架によって、この不足分を赦されている、そう思います。

 きょうは、同窓会の関係で恩師のお誘いを受け、13時半から講演を聴きました。新渡戸稲造関連です。谷口誠氏の東アジア共同体構想。ちょうど米、中、日、特に中国に関心があったので面白く聴きました。
 聴くあいだにも、この公演会場の講師の背後の壁面に大きな十字架があるのを感じていました。これは、わたしの心証であったと思います。

 

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松田晃 歌曲リサイタル-音楽生活50年+9ー

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松田晃先生のリサイタル。音楽生活50年+9。この+の次の数字にビジョンとチャレンジが。賛助出演は中澤敏子さん。第11回奏楽堂日本歌曲コンクール奥田良三賞を受賞されています。

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ナイチンゲールは生きている

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                 「ナイチンゲール」前田直樹(1995)

 病棟で丁寧に患者に接している看護師さんの姿を目の当たりにし、心を打たれました。一階のフロアーに置かれたこの彫刻を、きょう初めて、しみじみと眺めました。ナイチンゲールは生きている、そう思いました。
              
        ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

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北上山地 ーイヌワシー

いわての〝宝〟イヌワシは、いったい何を食べて生きているのか。

 ノウサギやヘビを中心に、ハト大以上の鳥類、テン大以上のほ乳類をハンティングする。メインはノウサギで、地域や季節によりヘビとなったりヤマドリとなる。
 空中ハンティングで狩られる餌鳥類は当然のことながら幼鳥や亜成鳥が多い。回避(イヌワシが飛ぶ高度よりも高い位置に回避して直撃されるのを避ける)するということを知らないものがやられる。
 森林でのハンティングは、中小型ほ乳類や、5,6月ごろに鳥の卵を狙い樹冠にいるヘビなど。
 冬場に死亡したシカやカモシカ、イノシシも食べるようだ。


 イヌワシの大好物であるノウサギは身を隠すようなブッシュ的なところが連続してあると多く棲息する。ヤマドリは餌となる植物、即ち草本ではイネ科の植物が豊富であること、木本ではマメ科の植物が豊富であることと推察されているようだ。


 大部分のイヌワシはノウサギを主食としているが、ノウサギを増やすにはノウサギが好む植物が多くなくてはならない。ヘビやヤマドリについても同様なことがいえる。
(以上はブログ「猛禽の部屋」からの抜粋です)


 ところが、大規模な北上山系開発により、道路などは改善されたが、当時造成された多くの公共草地の経営は厳しくなる一方。北上山地に合った「夏山冬里」(夏期は昼夜放牧、冬は里の畜舎)方式で飼われていた日本短角牛の飼養頭数も激減している。
 もともとはイヌワシが北上山地で生き延びてきたのは、ウサギなどを捕獲しやすい草原の存在が大きかった。この草原は昔南部馬で栄えた北上山地の人間活動によって維持されてきた。ところが畜産振興とともに拡大された草地に裸地化が進んでおり、これがイヌワシの生存を脅かしている。

 傾斜の点からみると,確かに,北上山地には山稜部を中心に開発可能地が多いが、標高が高いために、寒冷地特有の荒廃裸地化の問題を常に抱えている。即ち、山稜部のシバ草地では地面が直接寒冷寡雪気候にさらされるため、土壌の凍結、融解が頻繁に生じる。これが牛馬の放牧圧(採食・踏圧・糞尿)や病原菌によるシバの枯死でむき出しになった地面に作用し、裸地を拡大していく。これに降雨による雨洗いや風蝕が加わり、裸地化はさらに加速される。昭和51年に、北上山地の荒廃裸地は標高900メートル以上の頂陵部西~南側斜面(冬季の風衝斜面)を中心に、893ヶ所、合計面積352ヘクタールに及ぶ。
 この値は、これまで人為のもとで維持されてきたシバ草地における200~300年間の累計である。この裸地化スピードが人口草地化したことで、鈍るのか或いは加速されるのか。この評価は早急には下し難いが、適切な草地管理により初生的な裸地の発生が抑制できれば、寒冷気候下の裸地化スピードは確実に鈍るであろう。この意味で、北上山地山稜部の小起伏地はきめ細かな草地管理のもとではじめて、土地資源的価値を持続しうるだろう。
(以上は「荒廃裸地化の潜む北上山地山陵部の草地」からの抜粋です)


 上記の数字は昭和51(1976)年現在。いまはどうなっているのか。検索してみたが、うまく数字に行き当たらない。実態を知るのが怖いくらいだ。


 いわてのイヌワシがいまどうなっているのか。
岩手ではおよそ30つがいの営巣が確認されており全国最多。そのほとんどが北上山地に棲息しているという。そのうちでも岩泉町は8つがい確認されておりイヌワシがもっとも多く住んでいる市町村となっている。


 家畜の糞尿処理に関しては糞尿処理法を設け、さまざまな研究がなされているようだ。北上山地が裸地化から救われ、イヌワシも、動植物も本来あるべき姿で存在できるように、全くの回復は無理としても、被害を最小限に食い止める本格的な対策が為されているのか、どの程度着手されているのか気になるところだ。

        

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 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測りしれない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。  Ⅱコリント4:7

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冬の修道院

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それは火で焼かなければならない
               
 レビ13:55

             ◆  ◆  ◆  ◆  ◆                    

                 林が
            つよい風にあおられて
           ざわざわと鳴っています。
                十字架は
         暮れゆく空にしずかに立っています。
             2000年の昔のように
           あのカルバリと同じように。
             

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雑感

 初めて、指揮者による演奏時間の違いを意識したのがモーツァルの40番、41番だった。出だしのあまりの悠長さにズッコケてしまい、あとは聴く気がしなくなった盤がある。逆に、あまりにせかせかし過ぎて浮かぶべき情景が蹴散らされてしまった「田園」がある。
 しかし演奏時間に拘り比較するなぞもってのほかかもと思い、比較をやめてしまった。またそんな時間もなかった。

 ところが、バッハのミサ曲ロ短調の演奏時間を指揮者別に比較しているブログに行き当たった。7曲と終曲の演奏時間の比較だ。けっこう面白い。

 ここにあがっているうち、7曲でいうと
     最短がヘルマン・マックス 2:14 
     最長がエネスコ 3:43
     因みに31日来盛のリリンク先生゙は2:35
 最新盤というから、盛岡の演奏に近いのかも知れない。もっともリリング先生は、その度に指揮が若干違っているらしい。そこがまた生演奏のいいところなのだろう。

 楽譜が手元にあれば、音楽を聴く前に、演奏時間から曲の解釈を推すこともできるかもしれない。何人かの音楽通に登場して貰って、それぞれに推定してもらう番組でも制作したらおもしろいのでは。

 

 

 

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初代の教会はどんなだったかな?

 いざ教会へ。いつもより30分早く出発。道路状況が心配だった。昨夕、道が凍結し、ブレーキを踏んだ車が蛇行していた。アイスバーンかもしれない。ところがバイパスに出ると、白い4車線にくっきりと8本の黒い線が。タイヤの接触面だけは解けている。ほっとした。講壇の横に花を飾り着席。ここ一週間の冷え込みが話題に。冷え込みはしたが、教会の中はあたたかく和やかだ。
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                   インマヌエル賛美歌8「イエス君はいとうるわし」
                          364「地の塵に等しかり」

 メッセージで心に残ったのは。
教会の原点は、使徒2:42にあるといいます。 

「そこで彼(ペテロ)のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日 3000人ほどが弟子に加えられた。そして彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」
 これが最初の教会でした。
使徒2:46

「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし…」
 
使徒9:31
「…聖霊に励まされて前進し続けた…」
 教会は、もともとこのような様子だったのでした。

 教会はただ復活したイエス・キリストをのべ伝えているのであって、あとは聖霊が働いて信徒の成長、教会の成長を成し遂げてくださるということです。


   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

きのうのブログに映画「コルチャック先生」を書きました。コルチャック先生は、さまざまな人の好むところを言っておられますが、実は、この人の好みも、聖霊が与えられるときには傾向が変ってくることをわたしは経験しました。

※写真は花屋さんで許可を頂き写したものです。

 

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映画 「コルチャック先生」

201023_053                   コルチャック先生(ゴールドシュミット博士)

 '10.1にポーランドで、アウシュビッツ解放65年記念式典があった。ユダヤ人ら約150万人がガス室などで殺害されている。これを機にナチス・ドイツ映画を観てみようと思い、図書館でさがすうちに、孤児院を経営し最後までユダヤ人孤児200人をナチから守ろうとした「コルチャック先生」(1990)が目に留った。実在の人物でユダヤ人の小児科医だ。監督アンジェイ・ワイダ。出演ヴォイツェフ・プショニャック、エヴァ・ダウコフスカ。

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 ナチの映画で戦慄するのは、人を撃つとき打擲するとき、動作にすこしの躊躇いもないことだ。
201023_039_3               子ども達と遊ぶコルチャック先生

 洗濯婦がユダヤ人の服は洗濯したくないというのだが、コルチャック先生は自らすすんで洗濯をする。夜中に書き物をしているとき、子ども達が用足しで目を覚ますと駆け付ける。ユダヤ人として生きる誇りを失った青年や子ども達を、いたわりと優しさ、そして知恵ある言葉で誇りを持たせ勇気づける。ゲットーに追い込まれ、食糧が行き渡らなくなったときにも、子ども達に食べさせるために、果敢に立ち向かっていく。自らを捨て闇で肥えた人々からの援助も受ける。希望を捨てずに、幾多の困難を乗り越え子ども達の命と尊厳を守ろうとするが、しかしついにトレブリンカ収容所への移送命令が下る。

 コルチャック先生を惜しみ救おうと、病気の診断書を書く者あり、アメリカ行きのビザを取り逃れるよう勧める者も。しかしすこしの迷い、躊躇いもなく退ける。

 孤児院にナチがやってきたとき、遠足だといい、子ども達に一番立派な服を着るようにいう。連行されるときには、子ども達を庇い守りながら進む。家畜車に渡された板を、すべての子ども達が渡り終えたとき、自らも子ども達と運命を共にするべく、その板を渡りきる。扉は閉じられ、施錠され、列車はトレブリンカへと発った。

 コルチャック先生のラジオ放送がいまも耳に残る。

「世の為、人の為に身を献げるというのは嘘です。ある者はカードを、ある者は女を、ある者は競馬を好む。わたしは子どもが好きです。これは献身とは違う。子どもの為にではなく、自分の為なのです。自分に必要だからです。自己犠牲の言明を信じてはいけない。それは虚偽であり、人を欺くものです。」

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水道管凍結

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 昨日、シャワーの水のほうの水道管が凍った。初めてのことだ。元栓は閉めてあったので大事ではない。二次凍結防止に遅い目に風呂を入れた。こうすると割合風呂場の気温を保つことができる。そんなことなどもあり目が冴えて夜中の2時半ごろまで起きていた。滅多にないことだ。

 朝水道屋さんに電話すると、「依頼が混んでまして、夜になります」。しかし昼頃には見えた。「近所に来たので、こちらを先に遣った方が都合がいいので」と仰る。どうもこのはからいがなければ、夜どころか明日になったのだそう。水道屋さんは大忙し。とにかく冷える。それでも花粉のシーズンや夏の暑さよりは過ごしやすい。
 昼夜逆転を直そうと思いつつなかなかできない。きょうこそ実行しよう、と時刻をみれば、もう23時半だ。

              ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

            賛美歌 静けき夕べの

           一、静けき夕べの 調べに乗せて
             歌わせたまえ 父なる神よ

           二、日ごとわがなす 愛のわざをも
             人にしらさず かくしたまえや

           三、神よこの世の 旅路おわらば
             わがふるさとに いこわせたまえ


  

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フィンランドの民俗音楽

今朝は氷点下約11度。あと一週間この寒さと付きあうと春めいた日差しも。
昼下がり、岩手県庁までの道すがら、与の字橋から見下ろすと水辺に陽が落ちていました。

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 ここのところカンタータを聴きつづけていましたが、きょうは、フィンランドの民俗音楽を聴いてみました。

 フィンランドの叙事詩『カレワラ』の中のラブ・ソング「歓迎の歌:夏の夕べ」。カレリア地方では、お客を家に迎えるために歌われるという。トゥーネ・ニーッコ歌、ヨエン・スー演奏。

「夏の夕方、私が歩いていると静寂の中に鳥のさえずりがきこえる。森の音は小鳥のさえずりと一緒になって私たち2人がよく森の中であそんでいた幸せなあの頃を想い出させる」CDの解説(デーベン・バッタチャリア)より

 カンテレはフィンランドの民俗楽器。弦の数は5~39本。弦の数によって使い分ける。

 森の中の散歩を思い浮かべることもできるが、家庭的な和気藹々とした温みが伝わってくる。誠実な、素朴な楽しさがある。カンテレ、余分な増幅をそぎ落としたかの繊細な響きが、ときには切なく、郷愁のような想いを呼び覚ます。

 次をクリックすると日本のカンテレ奏者に出会えます。わたしが聴いた民俗的な音色とはすこし違いますが、カンテレの繊細さは試聴できます。

        はざた雅子  桑島実穂  あらひろこ

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高松の池

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 けさの盛岡バイパスは圧雪のため時速20キロ。渋滞だった。
それでも明るく晴れ、風で青空に舞いあがった雪がダイヤモンドのようにキラキラと光っていた。Mapionの予報では今晩は-9度。実際にはもっと冷えこみそう。この冬一番の寒さとなるか。

 午後買い物のついでに高松の池に車を乗り入れ、6回ばかりシャッターを押す。
凍てつく中、本格的な写真を狙った人が動いている。
素手でデジカメを向けるうちに、指の感覚がなくなってきた。とにかく冷える。
けれども桜の花芽は確実にふくらんでいる。
ちょうど落日が池にはった氷と水との境目に眩しく落ちている。
水は手が切れるほどに冷たかろうに、そのうえを悠々と滑る白鳥たち。

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ネコヤナギ/雪やなぎ

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      フラワーショップに、
      季節を知らないたくさんの花たちが、
      白々とした明かりに照らされています。
      あたたかすぎず、
      さりとて寒さにふるえないほどの空気に包まれて、
      あるものは臆病そうに、
      あるものは感慨深げに、
      あるものはうつむいて、
      あるものは戸惑いながら咲いています。
      その戸口の外には、
      ネコヤナギが
      花の色が溶けこんだ明かりに照らされながら、
      凍えそうな風に抗うこともなく、
      ここにいます、
      どうしてかわかりませんがここにいますと、
      川縁の草や水の青さも知らずに、
      とおりすぎてゆく人影を見おくりながら、
      ぼんやりと点っていく街灯を見ているようでした。

           ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

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           雪やなぎ闇にも白き雪やなぎ

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ありがとう!!OEK&盛岡バッハ・カンタータ・フェライン、仙台宗教音楽合唱団

  たったいま窓を開放し、暖まりすぎた緊張感の失せた空気を、夕刻からのマンネリズムとともに夜の大気中に追い立て、冷涼な澄みきった夜風を迎え入れたばかりだ。

 日曜日は主の聖日。このブログの〝上座〟を他の事項に渡すことはできない。そこで昨日15時からのコンサートも、主なところは今日書こうと決め、簡略に記したのだった。

 ベートーヴェンが「Bachはドイツ語で小川だが、音楽の世界では大海だ!」といったその大海を、31日のOEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)&盛岡バッハ・カンタータ・フェライン・仙台宗教音楽合唱団の公演に聴いた。
 きちんとしたプログラムも出された。私は私製の見やすく作成したものを持参し、両方を参考にしながら聴いた。今回は最後まで意識を集中させて聴いた。某DVDでの予習がとても役立った。演奏時間2時間がじっくりと、しかしもう終わりかと無念に思うほど、速やかに確実に過ぎた。
 管の響きにわくわくし、オケと合唱の溶け合いに癒され、今回は合唱に比重を置いて聴きとおした。

 キリエの冒頭の迫力には息をのんだ。冒頭に出鼻をくじかれることがままあるが、信念巌をも貫くとも聞こえた。個個によって感じ方もあるだろうが、ここばかりは、感想の表現は様々だとしても、ホールのみなが「凄い!」と思ったはずだ。
 4(主よ憐れみたまえ) はオケとの渾然一体、神妙な響きに打たれた。
 5.(いと高きところには神に栄光あらんことを)
  13.(聖霊とともに、父なる神に栄光あれ。アーメン)  
 この5と13はなかなか難しいところではないかと思った。歌いこんでも歌いこんでも、また今一つの新たな有り様が立ち現れる。際限のない奥深さとでもいおうか。ただ、これはわたしの思いこみであるかもしれない。
 11アルトのアリア。今回で、ソプラノびいきからアルトにもはまった。音符は、音域はどうなっているか分らないが、なかなかに厳しいところではないのか。特に興味深く聴いた。
 何れ、10(世の罪を除きたもう者よ、われらを憐れみたまえ)14(われは信ず、唯一なる神を)の説得力ある迫力。17(聖霊によりて、処女マリアより…)の最後まで、言葉でいうなら語尾を濁さず、澄明さがたもたれたまま余韻を残して声が消えてゆくといったあたり、不思議さが残った。18(われらのためにポンティオ・ピラトのもとに十字架につけられ)は信仰を持って聴いた。そして19(…3日目によみがえり…) の確信と喜びにに満ちた迫力。20からは、もう終演となるのが惜しいという思いとなった。
 23(感謝の賛歌)ホザンナ、アニュス・ディ、ドナ・ノービス・パーチェムはいまも私の中で鳴り止んではいない。

 今回終演とともに涙しきりとなるだろう予感は外れた。これで終わりという感じがしなかった。現にいまも鳴り続けている。それゆえ涙する必要がない。どこかが、なにかが不思議なのだ。これも神からの賜なのではないか。或いは、永遠に繋がるものを与えうるが故に落胆させることがないバッハの凄さなのかもしれない。

 既にマスコミなどで指揮者ヘルムート・リリング先生、指導者佐々木正利先生、OEKのことは回を重ねて紹介されている。私ごときがくだくだしく言う筋ではないだろう。

 ただ、合唱団のこういった運営上の潤滑油となり支える存在があることを今回知らされた。盛岡バッハ・カンタータ・フェライン代表の茂木容子さんだ。団員の一人としてのお話も聞くことができた。

 フェラインは「心から歌うことができるところが誇れる点」と茂木さん。リリング先生は岩手日報の取材には、「フェラインはベリーエクセレント(とても優秀)。国際的にも非常に高いレベル。美しい声がよくブレンドされている」と言っていますから、茂木さんは1ポイント語られたようなのですが。
 「最後のドナ・ノービス・パーチェムは祈りながら歌いました」と仰っていました。

 宗教曲はいまや私にとっても大切な音楽です。仙台、金沢、岡山まで駆け付けなくとも、この盛岡で聴くことができました。有難うございました!!

 

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