きょう14日のメッセージは?
使徒行伝6:1~6
コリント教会の信者が増えるにつれて、毎日の食糧の配給などで、苦情申し立てが出てきた。そこで12使徒が弟子達全員を呼び集めて役割分担(御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち7人に仕事を一任)を決める。そうしたところで、メッセンジャーたちは教会の根本的な活動である伝道、即ち、(祈りと御言葉の奉仕ー「イエスわれを罪より救えり」と述べ伝えることー)に専念することができた。
教会といえども問題課題がないわけではない。そのようなときに、ただ批判するばかりではなく、その課題を一緒に担っていく一人として身を置き、論じたときに教会は成長していく。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
最近わたしが個人的に聖書から心に留った御言葉は
主の霊があなたの上に激しく下ると
あなたも彼らといっしょに預言して、
あなたは新しい人に変えられます。
このしるしがあなたに起ったら、
手当たりしだいに何でもしなさい。
神があなたとともにおられるからです。
Ⅰサムエル10:6、7
手当たり次第に何でもしなさいというと、誤解されそうですが、霊が下ったなら、という条件付きなわけで、主の霊がどういう霊かといえば、
「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」となり、何でも無軌道にやってしまうことにはならないのです。
つまり根底がしっかりとイエス・キリストに繋がっており、信頼がしっかり確立されているなら、たくさんのことをやってごらんなさい、ということなのでしょう。
これによってわたしは、こうすれば人にこう思われる、とか、こう書くとこう誤解されるのではないか、といった杞憂からだいぶ解放されました。ただ、どうしたらよいか、どう行動すべきか判断がつかないこともあります。そんなときはだいたい留まる、止まる、ことにしています。しかし、もしわたしが会社に勤務しており、上司があり、命令によって遣らざるを得ない場合は、案外即行動してしまうのかもしれません。
何れ自分がイエス・キリストに全うされているなら、何でもやってみていいのでしょう。
それにしても、まだまだ自らの足りなさを覚えることです。十字架によって、この不足分を赦されている、そう思います。
きょうは、同窓会の関係で恩師のお誘いを受け、13時半から講演を聴きました。新渡戸稲造関連です。谷口誠氏の東アジア共同体構想。ちょうど米、中、日、特に中国に関心があったので面白く聴きました。
聴くあいだにも、この公演会場の講師の背後の壁面に大きな十字架があるのを感じていました。これは、わたしの心証であったと思います。
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