きょうのことば
あっ、また車のフロントガラスがカリカリ。貼り付いたざらめ雪をガキガキと削り落としてするりと車に乗り込む。
ふだんよりも幾分交通量が多い。んっ? 何の日だったかな? 思い当たらない。気にしないことにして、最初の青信号をすいと通過。次はどうかな…と思ううちに赤が青に切り替わり、15台ほどの車が徐に動き出し、ブレーキを踏むことなく難なく信号通過。こんな調子で、教会に着くまでに押しボタン式信号を含めて16箇所の信号のうち、赤で停止したのは一箇所のみ。こんなことは滅多にない。
信号の青また青のつづきゆく彼方に雪の峰の寒さよ
きょうは講壇に花を飾る係だ。花材は白いストック、黄色いカーネーション、橙の百合、榊。ストックを雪に見たてて、その中に黄色い花が埋もれ咲き、百合の蕾はアクセント、希望とし、足元には緑の葉を埋めこんで安定感をなどと目論んだが、独創的とはならず無難な形に。神さま今日のお花はこんなふうです。どうぞご覧ください。
きょうは詩篇119:103と105と130が取上げられた。とくに130節の
みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。
は自分にぴったりの言葉でした。説教で語られたとおり、聖書の言葉に親しまないときには神との関係が狂いました。しかし、神の言葉に自然体で真面目に親しんだときには、神との関係が調整され、神に対して素直になったときには、人に対しても素直になれました。
そしてまた、これに関連して詩篇119:71も開かれました。
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
私が神に立ち返った理由の一つは、さまざまな苦しみにあったからでもありました。自分が招いたこともあり、またなぜ? どうして? ということも。しかし今になるとその事があったからこそ、こうした心境になることができました。
苦しみの最中には、なぜ? どうして? と懊悩し、苦悶しますが、そのときはとても「苦しみにあうことが幸い」などと自分に思いこませることすら無理なのです。しかしやがては、「たしかにそうだったな」という日が来るのもまた確かでした。
☆ ☆ ☆ ☆
きょうは教会に素敵な若き女性4人が来てくださいました。誰なのか、どうして来たかなど書くことは差し支えがあるかもしれません。いずれ嬉しい驚きであったとだけ記しておきます。
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