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画廊めぐり

 「青のクレヨン」に銀座の画廊のことが出てくる。「正確に数えたわけではないが100や200はあるだろう」とある。もっともこの著書は1999年が初版。11年経っている。今はどうかわからない。100と200では大変な違いだと思うが、このような書き方をするには恐らく理由があるに違いない。

 本の中の「彼女」にエスコートされながら文字上の画廊を歩くうちに、仙台、東京に及ばないまでも、盛岡の画廊という画廊を丹念に歩き回った頃を思いだしていた。20代のときだ。駄作、贋作、名画。具象、抽象、版画、モダンアート。水彩、油彩、デッサン、パステル、クレヨン画。解説はすこしは読んだが、評論はまったく読まなかった。一枚一枚をとにかく得心するまで見る、これを繰り返した。しだいに自分なりの何かを掴めるようになっていった。一時は値段を当てるゲームに没頭した。そのあたりから芸術品にも〝市場価格〟といったものがあると気づく。解説、評論に加えて、〝価格表〟〝相場〟に意識が至ってからは画廊巡りには没頭しなくなった。絵画の価値は、確かなようであるが、流動的であり儚くもあり、奇怪でもあり、化け物のようでもある。そんな気がした。

 画廊を通りかかっても入ってみようという気はあまり起きなくなっていたが、4、5年前だったろうか、ある画廊の中に掛けられてある人物画に惹かれて入ってみた。回りながらふとカウンターを見ると、オーナーと見える女性が目に留った。美しかった。黒いゆったりめの衣服に身を包み、漆黒のロングヘヤー。高慢すぎない慎ましく控えめな鼻梁。紅色の唇。目元もなかなかに蠱惑的だった。洗練された化粧がそう見せていたかもしれない。いまでこそ外見的な美しさにはあまり惹かれなくなっているが、そのときの私はすっかり魅入られてしまっていた。それから二度訪れた。一度は居るには居たがすぐに奧に消えてしまった。一度は居なかった。ふと女の私でさえこうなのだから、まして彼女に魅入られる男性は後を絶たないだろうと思った。

 もう通りかかっても入らなくなった。気づくと画廊は消えていた。移転したのだろうか、それとも閉店したのだろうか。

 去年、友だちの家でお茶のみ話をしているうちに、画廊の話になった。驚いたことに友だちは彼女のことをよく知っていた。亡くなられたという。
 話したこともないからこそ、一人の美女を半ば偶像化さえしていた私は、「死」の一文字に、あたかも謎めいた一枚の絵画が永遠に失われたかの思いがしたのだった。

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