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きょうの説教は

  きょうの説教はひろ子先生だ。手伝いがあるわけでもないのに、いつもより10分早く家を出た。日陰の小路もかなり氷が解けている。いつもの日曜日よりも交通量が少ない。10分違いだからか。教会近くの小路もきょうはまったく対向車がなかった。

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 賛美歌、バッハのミサ曲ロ短調のDVDで聴いたアルトのアリアが思い出された。もう体全体で、顔の筋肉でさえ発声に向けられている。自ずと真似ていた。いつもよりも声がよく出る、そう感じた。神への賛美、神に最高の歌を聴いていただきたい。しかしこうも思った。ここに響くすべての声とのハーモニーを神は望んでおられるかもしれない。一致、調和。心を合わせての賛美を。

 ハイチのことも祈られた。教団のこと、盛岡教会の会員のこと…。思えば自分がいまこうして教会に座を占めていることも、國光牧師夫妻、会員の方々、また多くの兄弟姉妹のたゆまない祈りのお陰である。

 ひろ子牧師の説教の中で私が深く同意の思いを持ったのは

「主はわたしの出来、不出来によって私から離れたり近づいたりされる方ではない。……主に近くに居ていただくように頑張って何かをするのではなく、主がいつもともに居てくださる事実のほうに着目することなのだと……」
 

            私の心が苦しみ、
       私の内なる思いが突き刺されたとき、
         私は、愚かで、わきまえもなく、
         あなたの前で獣のようでした。
      しかし私は絶えずあなたとともにいました。
           あなたは私の右の手を
          しっかりつかまえられました。
             詩篇73:21~23

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 きょう15時から盛岡バッハ・カンタータ・フェライン出演のミサ曲コンサートでした。合唱の圧倒的なすばらしさ。コンサートになかなか足の向かない主人に強いて勧め、同行したのは間違いではなかったようです。
 まだ頭の中でキリエ、サンクトゥス、ホザンナが繰り返し鳴っています。終盤を聴きながら、わたしはこれだけの合唱を聴く機会を得たことを神に感謝したことでした。 

 
 

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