2010年初の日曜礼拝にいざ
今朝眼をさましたとき、詩篇46篇が心に通った。
「神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。」
教会のある大館町の道に入ると圧雪だった。タイヤ痕がくっきりと残る真っ白な道。
まだ乗り切らねばならない課題がある。なぜか重たいと感じてはいない。……そうだ、人にではなく、オールマィティな神の腕に信頼することだ。ハンドルを握る手に思わず力が入った。
教会では20代の兄弟姉妹の姿が目だった。帰省組だ。
元旦礼拝に続いて、2010年二度目の礼拝となる。
きょうは旧約聖書のハバクク書3章1~2節からだった。
神はこの日この時、ここから、いったい自分に何を語ろうとしているのか。
この箇所の背景は、イスラエルという一つの国が、ソロモンの治世の後、イスラエル(北王朝)とユダ(南王朝)という二つの国に分裂し、北王朝はアッシリヤに滅ぼされ、さらにユダはバビロンに滅ぼされてしまう。背教が招いた悲劇とはいうものの、なぜ神の民がこれほどまでに酷い目にあわなければならないのか。これがハバククの払拭されない神への疑問、異議申し立てだった。不信仰はもってのほかだ。落ち度はある。しかしどうしてよりによって、神は自分たちより更に更に酷いバビロンを用いて我々を苦しめるのか。
神の答えを見るまでは、物見所に身を置き、見張り所、砦にしかと立って、
私の訴えに神が何と応えるかを見よう。
神の声を聞こう、神の答えを見よう、聞くまでは、見るまでは、とのハバククの真剣な姿勢がある。
このハバククに対する神のお答えが
「主よ。わたしはあなたのうわさを聞き、
主よ、あなたのみわざを恐れました。
この年のうちに、それくり返してください。
この年のうちに、それを示してください。
激しい怒りのうちにも、
あわれみを忘れないでください。」ハバクク3:1~2
であった。
青い字を文語訳にすると
「主よこの諸(もろもろ)の年の中間(あいだ)に汝の運動(わざ)を活溌(いきはたら)かせたまへ
此の諸の年にこれを顕現(あらわ)したまへ」
即ち
この困難な時代に、我々を生き返らせ、新しくし、再び躍動させてください!!
必ずや、神は応えてくださる、わたしはそう信じる。
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