聖書、天体
聖書のマタイ伝1章は半分以上がイエス・キリストの系図だ。一見夥しい人の名前の羅列と見える。この中に5人の女性が出てくる。マリヤ、タマル、ラハブ、ルツ、バテシバだ。
この中のマリアが純潔な処女であり、イエス・キリストを身籠もった。あとの4人は罪深い者だった。タマルは近親相姦、ラハブは遊女、バテシバは姦淫の罪を犯していた。
人の罪を贖うために罪なき者として生まれたイエスさまを輩出する家系として、神がなぜこのような血筋を選ばれたのか。なぜ王侯貴族の中から洗練され教養もあり人格者でもある血筋を選ばなかったのか。
それは、「わたしはあなたがどんな血筋、どんな状況にあろうともあなたの罪を洗い赦し救い、あなたをわたしの一族として迎えるのです」というメッセージであるように思う。
一見無味乾燥な人物名の羅列、読むのが面倒になる箇所にもこんなメッセージが籠められている。聖書のすごさだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
自分と人とを考えるうちに、浮かんだのは
「天に輝く宇宙の星と……」だった。そこには人の確かさとは異なるまたもう一つの存在の確かさがある。余計な口を差し挟むところがない。煩雑なものがない。超然とでもなく、淡々とでもなく、ただ確かな存在として確かにそこに在り続けている。
「聖書・天体」と検索してみたところ、自分の言葉では曰く言いがたいところを、説明してくれているブログがヒットした。
先日観た「もりおかデジカメ散歩」の写真展には、時間、労力、経費を注ぎ込んだ素晴らしい写真がたくさんあった。ただ天体の写真だけがなかった。
ブログに大きく自分の撮った銀河の写真を載せることができたならと思うのだが、これこそ夢のまた夢。
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