ミレー「無原罪の聖母」
今朝9時からNHKBS2「アインシュタインの眼」で、山梨美術館にあるミレーの絵画を紹介していた。子どもだったときに「晩鐘」に敬虔な思いになったことがあり、興味を引かれた。この番組での紹介は「種をまく人」「落ち穂ひろい」「無原罪の聖母」などだった。
特に興味を持ったのは「無原罪の聖母」、1858年の作品だ。多重分光カメラが捉えた〝解析〟には実はそれほどの驚きはなかった。
これはローマ教皇ピウス九世のお召し列車の礼拝堂に飾るためにミレーに制作依頼があって描いたものだという。
ミレーはできるだけ顔を描かないように構図を取っているが、この「無原罪の聖母」は例外的に真っ正面から顔を描いている。聖母の絵画に要求される青いマント、三日月、ざくろも描かれている。聖画としての条件は満たされている。
ところが、あろうことか法王庁は「無原罪の聖母」を拒否。受け取らなかったのだ。さらに驚いたことには、TVに顔を並べていたどこの評論家か画家かは知らないが、受け取らなかったのはマリアの顔が、バルビゾンの農民の娘の顔立ちだったからだろうなどと言う見解に対して、はっきりとした意見を述べていないということだ。わたしは「絵の真価からいえば、ローマ法王が受け取らないのは間違っている」とか「この絵画はミレーの絵画の中での位置はどのところだから、やはり」とか、この絵の価値そのものの見解を聞きたかった。
たしかにこのマリアの表情には優雅さ、一般的にいう美人の要素はないとおもう。しかしわたしは、人類にとって重大な目的を持つイエス・キリストを、神が見目麗しい衆目を引くような、誰もがはっとするような美人に託したとは思えない。少なくともミレーが籠めたような、先ずは強い意志を持った女性であったろう。保育者として優れたものとまではわからないけれども、愛情深く庇護者たりうるもの。こういったことが第一条件とわたしには思われる。
この絵を受け取らなかった教皇は(Wikiより)
第255代ローマ教皇ピウス九世。在位は1846~1878(明治11)年。
よくは分らないが「誤謬法」という文書を表わし、近代社会と決別したようだ。
1792年イタリアの貴族の生まれ。本名マリア・マスタイ・フェレッティ。
コンクラーヴェで1700年以来最年少の54歳で教皇に。
政治犯の恩赦。近代社会との断絶を促す。
何分にも絵画の実物を観たことがない。ただTVで観た範囲では以上のような思いを持った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ミレーの「無原罪の聖母」の1858年は日本ではどんな年だったのか。1858年と検索してみると
安政の大獄 大老井伊直弼が一橋派と尊皇攘夷派を一掃するための弾圧開始。
岩手では
南部藩士の大島高任が南部藩大橋に建設した洋式高炉で初銑出に成功していた。
この同じ時代に地球のあちらバルビゾンではミレーが神と共に絵を描いていた。バルビゾンの土を絵の具として。
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