きょうのことばー三森春生先生のおはなし その2ー
三森先生の説教要旨を書く前に、先生のお話しの中で、きょうになってぷかりと浮かんできたことがあります。それは、
いくら良いことをしていても、どれほどに数々の善行を積み重ねていたとしても、その後で何かひとつ悪いことをすれば、まえに行った良いことがみな無になってしまう。逆に、どんなに悪いことを何度もしでかしたとしても、神の前に悔い改めるなら、その人はぜんぶ赦されて天国に行くことができる。
教会ではよく聞くことです。しかし昨日はまったく新しい感覚で聞きました。
天国での驚きは
えっ、この人が天国に来たの
あら、必ずくると思っていたあの人が来ていない
どうもこんなことになるらしいのです。
【1】論理的な比較(以下は説教要旨から)
1、科学者、思想家であるブレーズ・パスカル(1623~1662)の「賭けの論理」によって、神があるとするのと、神はないとするのとどちらが勝つか勝負してみましょう。
2、神があるとする方が絶対勝つのは、「神」の定義に理由があります。その定義によれば、「神」とは人間と自然を超えた存在、超越者であるからです。
3、「神」について現代の日本人には誤解があり、偏見があり、また無知でもあります。それも当然で、「カミ」という言葉自体があいまいなのです。漢字の「神」も中国語では聖書に示されるような絶対神だけを指しません。ある中国語訳の聖書では「上帝」となっています。
【2】物理的な探求
1、20世紀から21世紀にかけて人類の知識や技術は非常に発展しました。そのため、人間にはできない事はないかのように思い上がり錯覚しています。しかし大宇宙の中での人間孤独、自然の限界、特に地球環境の破壊について、解決は全くありません。
2、時間、空間、エネルギーの源泉はどこに求められるのでしょうか。すべて限りあるものばかりです。探求すればするほど悲劇的要素が増すばかりです。
3、結局は超越者に対する無知、無力、無為を思い知らされるのです。
【3】倫理的な必然
1、私たちは、創造主に対する被創造主の分際を知らなければなりません。
2、しかし人類固有の道徳観、(イマヌエル・カント。1724~1804)を思い起こしてみましょう。
3、最終的にはイエス・キリストによる神への回復(十字架、信仰)に期待するほかはありません。神を知らなかった罪、知ると知らざるとすべての罪の解決はキリストが十字架上で贖ってくださいました。あなたは信じますか?
【結】キリストこそ知恵の源
「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」コロサイ2:3
教会はキリストをかしらとするキリストのからだであって、そこにつながることで神の知恵を得ることができるのです。
「主を恐れることは知識の初めである」箴言1:7
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