祈りはなつかし
昨年末に、私は礼拝のときにパイプオルガンがいますぐそこで演奏されているように聞こえたことがある。これはほんとうに驚くべきことだった。その他にあと二つあるが、わたしはこのことは書いておかねばならないと思い、教会で出している「葡萄の樹」に書きのこした。
今年になって、教会にパイプオルガンの音も出る電子オルガンが神様によって備えられた。ローランドだ。わたしはこれを見たとき、これがみなさんの心の慰め、癒しになるだろうとおもった。
このローランドに教会員の方が礼拝が始まるまで、自動演奏で賛美歌を入れてくださることがある。その中の一曲に「祈りはなつかし」という賛美歌がある。わたしはこれを聴いたときに涙が出てしかたがなかった。ローランドはわたしを慰めわたしを癒している。これが神様の愛だ、わたしはそう分った。
わたしは人にどのように誤解されよし憎まれようとも、わたしはわたしの魂を守ることを優先させる。踏み出してよいものか、はっきりと分らない事柄には分るまでは踏み出さないことにする。また踏み出すことによって自分に危うさを生じるとき、自分の側に問題を生じると予測されるときには、先ずは留まることにする。
これまでたいして熟慮もせずに、弱さから、憤りから、あるときには自己弁護のために、あるときは誹謗するために、また気に入られようとするために、無責任な言葉をつかってしまったことが多々ある。慚愧に堪えない。神の前と人の前に深くお詫びいたします。
こうして神が生かしてくださっている魂を大切にし、幾ばくかでも神様のお役に立つことが、長い間不義理をしてきた神様への愛の証しになると思っている。愛という言葉の解釈は人によってさまざまあると思うが、ある方は、聖書の中の「愛する」を「大切にする」と訳している。
祈りはなつかし
いのりはなつかし われをみちびきて
世のわずらいより しばしのがれしむ
なやみをしのぶひ ここにていくたび
こころむるものの てよりのがれしぞ
いのりはなつかし たましいをもやし
わがすくいぬしを したいもとめしむ
みそばにちかづき みかおのひかりを
まちのぞむときぞ こよなくたのしき
いのりはなつかし 主をしとうこころを
つばさにのせては みもとにつれゆく
よりすがるわれの おもにをのぞきて
なぐさめたもう 主のあいはかぎりなし
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