万事相働いて益
起きがけに家族のことやら人様のことなどを考え、自分の応対の欠落部分に思いが至り、若干気が重くなったとき、
「万事相働かせて益となる」
という聖書の言葉が浮かんだ。途端に吹っ切れて元気が出た。先ず祈らなくちゃ。主の祈りをとなえ、救いの祈りをなし、食事のしたくにかかる。
きょうは一日ゆったりと過ごした。ネットでクリスチャンの方々の証しなども読んだ。
なぜ神を信じるのか。あるときは家族のため、あるときは友だちのため、あるときは文芸がうまくいくようにと様々だった。つまりこちら側の何かを良くして貰うため、或いは自分の何かを都合良く運んでもらうためだった。
しかしいまは分った。神が神として存在するが故に神を礼拝し、神の意志に適う歩みをして当然なのだと。
たとえ私が富んでいようと無一文であろうと神は存在する。そしてそれを信じるなら、たとえ私が富んでいようと無一文であろうと、神は私と共にいて下さる。わたしはやっと分った。
インマヌエル綜合伝道団の創始者蔦田二雄牧師が、戦時中に宗教弾圧の下、あの巣鴨プリズンで確信したことは本当だった。
インマヌエル、「神われらとともに在す」
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