田園風景が懐かしく思いだされベートーヴェンの「田園」をかけた。やけにテンポが早い。素っ気なくも聞こえる。好みの問題もあるだろうが、モーツァルトの40、41あたりが悠長だとしたら拍子抜けするが、「田園」はもっと空の明るさ、林をとおる光や鳥の声、そして空気を感じさせるややゆったりめぐらいでよいのではないか。よく確かめもせずに選択しクリックしたのだが、はて指揮者は? と見ればパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメン。この快速は仕事のBGにはもってこいかもしれない。捗るだろう。まだ第一楽章、途中で切るのも……というわけで、聴きながらブログ書きを。
ブルックナーを全曲聴こうとの意気込みは意気込みだけが停滞。これは何かをしながら聴くというわけにはいかない。ながらではよく理解できない。しかも長い。結局「9番」に「テ・デウム」で締め括る繰り返しとなっている。「テ・デウム」は自分には説得力がある。
きのうの雨がうそのよう。朝露の輝き。
午前中は部屋の片付け。随分と時間がかかった。棚のものも全部取り出し、拭き掃除や配置がえをする。
拭き掃除にサイカチを使ってみた。食器洗いにも試してみたがなかなか良い。油汚れがひどいときには予め拭き取ってからなら十分に落ちる。ただ家にサイカチの木が無いので、30リットル入れの袋一つ分のサイカチはすぐに底を突くだろう。その間だけでも河川に洗剤を流し込まずに済む。
押し入れの中から息子が使った通学カバンや肩掛けカバンが出てきた。まだ捨てられない気がしてまた仕舞いこんだ。
部屋にあるもので幾分か価値があると言えるものは音響類だろう。
いつの間にか、自分が書いた作品もそれほど大切ではなくなった。もしこのPCから今全作品が消えたとしても、ちょっと惜しかったな、ぐらいで、無念の思いも3日は続かないだろう。ただ祈りながら書いた作品は、たとえ人の評価がどうであれ大切に思う。
外の鉢植えをみな家の中に移動させた。植物の株が大きくなるたびに株分けをし鉢が増えていく。アガバンサスはすでに二人の方にいつかお分けする約束になっている。
色々なものを整理しながら、自分が多くの方々に生かされてきたものであることを確認させられた。随分と不義理ばかりしてきたものだ。
片付けなさいという夢をみたのは、こういうことを確認するためだったかもしれない。夢自体は、捜し物が見つからずに弱っている場面だったが。
こういうわけで、
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは
愛です。
第一コリント13:13
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