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きょうのことば

200991011_068

「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」  士師記17:6

11日のきょう午前中、たまたま案内くださった方があり、久我山にある教会に行ってきました。おはなしは、これもまた、たまたまでしたが、東京基督教大学教授櫻井國郎先生でした。

題 「『良かれ』と思ってしたこと」

正確なところで、「正しい」という言葉には意味がない。結果を見て判断されることが多い。「正しい」ことというのは自明であるという判断もある。
日本では「裁判官は良心に従って職務を行え」といわれる。宣誓も良心に従って行われる。欧米では、聖書がその基準となっている。聖書を基に宣誓を行う。聖書はキャノン即ち基準である。
良いことをするのに何故責められるのかと思うときがある。それは往々にして、善悪を自分の判断ですること自体に誤りがある。神の基準を無視し、自分の判断を基準とするところに罪人の姿がある。神を基準とするか、自分を基準とするか、ここに根本的な分かれ道がある。

以上は心に響き、自分がさまざまに考えさせられ、反省を促された部分を簡略に書いてみました。自分が良かれと思ってしたところがむしろ人様を傷つけてしまったり、自分自身が拘泥してしまっていることに気づいたり・・・きょうのメッセージはまさしく私が聴くべきおはなしでした。

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姪の結婚式のために上京。また幾つかの不思議を更新しました。

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