重量感
きょうはハロウィン。ケルトの人々にとっては、この10月31日が一年の締めくくりの日とか。ハロウィンは収穫祭とカトリックが結びついた祭らしい。
デパート、菓子店には趣向を凝らしたハロウィンのグッズや菓子が出ているだろうけれども、やはり畑から収穫した重量感のある南瓜を細工してこそ味わいがあるように思う。
23日岩手県公会堂を通りかかると、展覧会の立て看の前に南瓜が飾られていた。大きい方は径30㌢。ジャンボ南瓜は30㌔、40㌔にも育つようだ。
この南瓜の重量感のような一日だったかどうか。
朝目がさめるとすぐに「我が恵なんじに足れり」という言葉が浮かんだ。
午前中は塀に絡まった蔦を、紅葉もおわり散りはじめたので、ぜんぶ引きはがしてきれいにした。枝の剪定もそうだが、こういった仕事はけっこう楽しい。塀の外回りだったので、通りかかった近所の3人の方が話しかけてくださった。
ある方は、ガスのとろ火を消し忘れて寝入っていたところ、ガス会社から電話があり、ガスが点いたままです、と知らされた話。
何か事故があるたびに、安全管理が叫ばれ責任が追及され対策が練られるのだが、一方いかに安全管理が行き届いた中に暮しているかの有り難さを思った。ある方は事故にあった話。ある方は来年からゴミの分別が変る話だった。何れも参考になった。
午後は買い物がてら写真数枚を撮る。秋になったら撮ろうと思っていたダムの紅葉写真はあきらめる。ダム無用論に押されてしまったこともある。ただ出水量によっては必要なダムも多くあるはずだ。
帰宅後、紫式部、ノウゼンカズラの枝を落とし、繁りすぎたアジサイを刈る。読書を短時間。音楽を聴く。
南瓜の重量感とまではいかないが、一日机に座っていたり、物見遊山に歩き回るよりすこしはまともな過ごし方だったように思う。近頃は労働(と誇れるほどの労働はしていないが)に比べたなら文化の何という軽さよ、とさえ思うことがある。そして自分がどれほどに軽く過ごしてきたかを申し訳なく思うことがある。
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