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2009年8月

ごうごうと

    ごうごうと民主の旗が翻る  ぶんな

この島、昨夜のうちに続々と旗が入れ代わった。壮観だった。民主の下、これから先、どこがどう変っていくのか、どこが何も変らないのか、これからの見ものはそれ。

このさ中、台風11号が発生、9時には三宅島。毎時15キロで北に向かっている。

   ♠  ♠  ♠  ♠  ♠

 いま23時。風雨が強くなってきている。昨日とはもう明らかに違う。寒いのだ。涼しいのではなく寒い。シャワーのような雨の音がしている。

8月はさんさ踊りがあり、教会の聖会があり、私の父の命日があり、舅の甥が亡くなり、息子の帰省があり、高校野球があり、お盆があり、姑の命日があり、衆院選挙があった。

 明日からは9月。暗記した詩篇23篇を口ずさんでやすもう。

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きょうのことば

        神は、
 ご自分の大きなあわれみのゆえに、
     イエス・キリストが
死者の中からよみがえられたことによって、
  私たちを新しく生まれさせて、
生ける望みを持つようにしてくださいました。
     ペテロの手紙第一1:3

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      【国光勝美牧師のおはなしより】

あなたがイエス・キリストを信じ、心から自分の罪を後悔して神にお詫びするなら、神はあなたの罪を赦し、赦すばかりではなく、罪をきれいさっぱりと忘れ、罪の記録を全部消去してくださる、フォーマットしてくださるのです。

   ∞  ∞  ∞  ∞  ∞

衆院選、政権交代は完了。自民歴史的惨敗。民主大躍進。
岩手県でも民主が全4選挙区で議席を獲得した。
  

    

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写真考

  ここであたたかい写真の一枚も載せたいと思いつつ浮かんだのが動物の写真。どれ写真家たちはどんな動物をどんなふうに撮っているかなとネットで岩谷光昭、原田純夫、小原玲、福田幸広、宮崎学、中山雄三各氏の写真を見たところ、とにかく必要な機材、時間、経費を駆使している。それ以上に忍耐、しぶとさ、好奇心、探求心、冒険心の持続がある。
 はなしはドンと落ちるが、自分に撮れるのはせいぜいペットか家回りの虫、鳥、それに野良猫の生態もできるかもしれない。つまりはこんな程度だ。ストロボ、広角、望遠と思ったが、自分のすることはそんな事ではないと分かってきた。自分で追うよりもプロが撮った一枚を見ている方がまともだ。
 
   「そうです。そのとおりです」

 さっき見たばかりの樹木の穴から顔を覗かせているリスや流氷に育まれるオオワシ、仲間と連れだったコヨーテたちが口を揃えてこういうのがいま聞こえた気が。

 私が撮る写真は、たまたまカメラを携帯したときに良い一場面に出くわしたならシャッターを押す、そんなあり方でいい、そう思った。そこで動物ではありませんが、こんな写真を。

     漆黒の樹木を貫きガラスに折れる朝の光です。

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雑感

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23日は雄大な姿をすっきりと見せてくれた岩手山。近頃は雲の緞帳に隠れてなかなか。
これは26日(水)の午前10:00頃。盛岡市の岩山に上り下りした所要時間は30分。撮影は5分で数枚。雲の動くまでは待ちませんでした。
 岩手山を撮るなら今日だと思う日は忙しく、今だというときにはカメラがない。せめて秋には見事な岩手山の紅葉を撮りたいものです。

 いま20時。選挙カーがそれぞれのお宿に帰ったらしい。やっと静かになった。
7月の完全失業率は過去最悪の5、7㌫。予測超す悪化速度、消費減退、悪循環・・・とか。
政権交代劇は大詰。
 やなせたかしのアンパンマンじゃないけれど、自分の顔をちぎってでも食べさせる、そんな気概を持った人たちに当選してほしい。

 

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  ラムズイヤーは優しい葉っぱです。草取りのとき、増えすぎた分を抜いて捨てにかかるのですが、そのときですら人を憎まない。気にしないで引き抜いてください、かまいません、とさえいっている。ラムズイヤーはそんな優しすぎる葉っぱです。

 カンナは自信家です。まわりにどんなに艶やかにバラが咲きユリが品格を漂わせていても、自分が一番誇り高く美しいと思っています。あなたもきれいだけど他の花たちもとてもきれいでしょ、と言ってもびくともしません。カンナには競争という言葉がありません。自分には絶対的な美しさがあると満足しています。
                         

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茗荷の花

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 茗荷です。夏から秋にかけて温度が高いときに稀に実をつけることがあるそうですが、まだ見たことはありません。茗荷を食べ過ぎると物忘れするという笑い話が。もはや救いようがないほど、味噌汁に、酢の物に、麺の薬味として食べてしまいました。
 昔はオコリの妙薬であったとか。文学には出てくるかなとネットを見ましたら、川柳、「茗荷でも馬鹿にはならぬ御家柄」がありました。

 隣との境の塀と小屋の間の狭い空間にすこしばかり生えていたのが、この10年の草取りで両側から増え広がり、いまでは5倍ほどの面積となっています。淡いクリーム色の花がきれいです。勿論花が咲く前に食べます。

 スーパーで見る限りは、茗荷にこんなにきれいな花が咲くなど想像もできないでしょう。胡瓜やトマト、南瓜の黄色い花、馬鈴薯や茄子の紫色の花、ニラや葱の白い花、白やピンクの花をつけるインゲンマメ。どの野菜の花もみな個性的で可愛かったり可憐だったりしますが、この茗荷は、土の上にちょんととんがりを出し、高い葉や茎に隠れたところで、こんなにたおやかな淡いクリーム色の儚くも見える花を咲かせるのです。そしておそらくはさほど見られることもなく萎れ、散る枯れるというよりは、べっとりとへたり込んで終わります。笑いの種ともなる茗荷ですが、その花は野菜とは思われぬ味わいがあります。

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きょうは何の日?

 唐突ですが、きょうはマザー・テレサの誕生日です。

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1910年8月26日生まれー1997年9月5日没。
1979年ノーベル平和賞。長期間による献身的な働きにより、苦しめる人々に安息をもたらしました。(Wiki)

 こういった働きの初めは、経済的な困難や様々な葛藤があるだろう。人に騙されることもある。最も手痛いのは、善をもって為した相手に誤解を生じ、或いは寧ろ憎まれる状況すらあるのだ。しかしたとえ感謝されようが、不満とされようが、憎まれようが、どんな状況にも善をなし続け、自らは貧しい人々の気持を忘れないために何ものをも受けなかった。どんな贅沢も、特別待遇も拒否しつづけ、アガペーを注ぎ続けたことに偉大さを思う。

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 きょう庭の葡萄の木に訪れたキアゲハです。

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 近くの蝶を愛づる夫人、蝶々夫人宅で新たに育っているキアゲハの幼虫です。鳥や虫の餌食とならないように、ネットをかぶせ保護しています。

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もしかすると、我が家に訪れたキアゲハは、蝶々夫人宅で先に巣立ったキアゲハの兄弟姉妹なのかも。






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おかえりなさい!!

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 花巻東高校が、きょうの午後5時まえに花巻市に帰還。もし花巻市に住んでいたなら市総合体育館の報告会にいっただろう。
 思えば、野球にまったく興味がなかったときに、甲子園で2回戦を戦った盛岡大付属高校を厨川駅に集まってきた人々とともに迎えたことがある。何時であったかを調べてみると2003年第75回選抜のとき。横浜とで0-10だった。
 その日厨川駅前だというH子さんの家を訪ねて行き、見つけかねて駅に置いた車を取りにいったところ、人が集まってきたので、何事?と考えてみたら盛岡大付が帰ると気付き、じゃ出迎えよう、と待ったのだった。
 花巻東は春は準優勝。そして夏の甲子園では4強入り。これまでに盛岡付(戦い終え帰還した姿を見たのはこの高校だけでしたが)他多くの高校があっての現在かと思う。球児たちのパワーはすごいものだ。
 花巻東、おかえりなさい!!

23日(日)岩手山が久しぶりにスッキリと姿を見せていました。岩手を象徴する雄大な写真の一枚も載せたかったのですが、忙しくて撮る暇がありませんでした。そこで花巻東のスクールカラーの花を選んでみました。

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雑感

 甲子園、きょう、中京大中京10-9日本文理で幕を閉じたようだ。わたしは見なかったが、これもまた感動の戦いだったらしい。 
 きょう岩手県営球場を通りかかった。思わずスクーターを止め見上げる。施錠され物音はしない。あの歓声が甦った。・・・甲子園のどよめきが遠くなるにつれて秋も深まりそう。もうすぐ写真集が書店を飾るだろう。

 カンナ3本のうちの2本目がいま教会に飾られている。土壌改良していないので、花はそれほど大きくはない。いまは花を切ることに抵抗はない。
 舅がたまにディーサービスに行くときに花を持っていく。皆に見せるためだ。自慢のためではなく、季節感や潤いを届けたいとの思いからだ。ある日のこと、やはり舅が花を持って行きたいといった。わたしは多く咲いている花の中から数種類切って持たせた。切ることを惜しんだ花があった。あとで、惜しんだことを悔やんだ。その次には、惜しんだその花を切って持たせると、舅の方が驚いてそれじゃなくて良かったと言った。けれどもスッパリと花を切ったとき、わたしはすっきりしていた。ここに咲かせていたところで、自分が悦に入って眺めるだけじゃないか、それよりは、そう思った。それで良かったと思う。
 何れ大層な花があるわけではない。執着を断つことの清々しさ、それを味わった。

 米の中国寄り。日本では、この動きに応じた身の処し方、マニアルを持っているのだろうか。四川大地震と並んで敢行されたあのもの凄い北京五輪。選手の大躍進に次のアジアの覇権は中国と謳われた気分だった。日米安保の効力はいかほどか。勝手に日中安保という戯言、妄言を吐いてみる。あり得るだろうか。
 中国が天災に見舞われたとき、またウィグル暴動を見、一方で中国の新車販売台数は米を抜き世界一を見、インド海域に着々と援助という布陣を敷き軍事力を強化している。底辺をざっくり切ってのし上がる、が中国の印象だ。良い意味でも逆の意味でも虎視眈々と存在感に重量感を増し加えつつある凄い国だなと思う。


 

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感動をありがとう!!ーごくろうさま!花巻東ー

   感動を有難う!
       ごくろうさま花巻東!!


100年に一度の大不況の中、おそらくは岩手100年に一度の快挙。
感動のスライドショー。お陰でおばはんも随分と元気を貰いました。 
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きょうの悔しさは、必ずや人生のパワーとなるはず。
2009の夏を永遠の夏と勝ち取った選手たちが眩しい!!



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きょうのことば

           わたしはぶどうの木で、
           あなたがたは枝です。
           人がわたしにとどまり、
      わたしもその人の中にとどまっているなら、
         ういう人は多くの実を結びます。
              ヨハネ15:5           

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                       【国光牧師のおはなし】

 とどまるということは、一瞬のことではなく、継続的にとどまるということです。
主にとどまるには、日々祈り、日々主と交わることです。交わりとはイエスさまのことばとの交わり、即ち聖書との交わりです。イエスにとどまっているかどうかは聖書にどれほど親しんでいるかでわかります。聖書を開き聖書との深い交わりがなければ、実を結ぶことはできません。

 神は聖書の言葉で不必要な枝の剪定をなさいます。御言葉をもって刈り込み、導いてくださいます。イエスさまにとどまるとは、イエスさまのことばにとどまることを意味します。
祈るとは、祈り求めて祈りの答えである結実を多く得ることにより、神の栄光をあらわすことです。「祈りなさい」は「求めなさい」ということです。

 求める思いを我々信仰者は、生涯の中でどれだけ持っているでしょうか。いい加減な信仰生活では求めることに真剣さがありません。イエスさまの御栄光をあらわす結実を得るために本気になって求めようではありませんか。祈ろうではありませんか。

※おはなしの内容は一部を抜粋してあります。

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これでいいのさ

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 きょうは姑の命日。朝6時の墓参。気温20度。人っ子ひとりいない墓地。山々が遠くに青く連なり、またその向こうに、またその向こうにと連なっている。涼しすぎる朝なのかもしれない。

 午後は食材の買い物がてら20分ばかり写真展に立ち寄ってみた。この会の活動日、活動時間を訊いてみたが、自分の都合と折り合わない。度々休むようでも足手まとい、迷惑ともなりかねない。今のところ入会は無理と半ば諦めている。
 やはり視点を変えては被写体を斬新に捉えようと模索している写真が強く印象に残った。

 それにしても報道写真というのはやはりすごい思う。マスコミを持ち上げるつもりはないが、今回の花巻東を見ても、まず逃すということがない。誰でもがデジカメ、携帯で手軽に撮っている。先日は小学生と見える子どもがゲーム機のカメラ機能で盛んに撮っていた。子どもでもスクープを掴めるかもしれない。新生物の証拠を提示できるかもしれない。とはいうもののこれほど世の中にカメラマンが溢れてはいても、よい写真は少ない。かく言う自分も傑作を撮る自信はない。・・・やはりそれなりのカメラが要るかな・・・あれだな、あれ・・・とは思うが・・・まずい?ことには、近頃は頭の冷やし方のほうに長けてしまった。・・・というわけで、これでいい。いまのカメラ、これぐらいでちょうどだ。

 明日は野球を見る時間が無いかも知れない。残念!残念!!
・・・うん? ここではたと気づいてみれば、盆であろうが正月であろうが、勤務中という人はたくさん居る。イチローが何やらかしても、ボルトが世界新を突っ走っていようと、世の中にはいつ何時でも働いていてくれてる人たちがいる。それで世の中が滞ることなく動いているのだ。それを思えば・・・うん・・・これでいい、やっぱりこれでいいんだ。

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祝 花巻東校、甲子園4強入りーぶっこわれなくたっていいー

感動は全国に!おめでとう花巻東!!

 花巻東7-明豊6 もう何と言ったらよいか・・・
 強い浜風に煽られるなか、明豊の応援団は県人会も合わせて1000花巻東250(聞き違いでなければ。一般県人含めて何人だったのか・・・)というなかで、菊池くんの背中の故障、佐藤涼平くんのハプニングを乗り越えて終盤の2点を返し、10回で得点をあげ、土壇場でしぶとく4強入り。逆境に直面してのこの強さ!! 感動だった。

 佐藤くんが倒れ運ばれてからなかなか出てこなかった。ほんとうに心配した。02年にお父さんを亡くしている。お母さんがどれほどに心配し心を痛めているかがわかった。どうか無事であってくれとみなが願ったろう。再び笑顔で現れたときのスタンドのどよめき。ほんとうに嬉しかった。涙が出た。
 佐藤くんばかりではない、とにかく花巻東はどの選手も涙が出る〝やつら〟ばかりだ。

 準決勝の結果はどうであれ、花巻東はもう日本一の高校球児だ。もう頂点は極めた。壊れるまではやらないで欲しい。音楽ならぶっ壊れた音があってもいい。しかし人は絶対に壊れちゃならない。

次はどうなる、ここはどうなる、神が次をどう見せてくれるかを期待し応援した終盤だった。すばらしかった!! 

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花巻東8強入り!!-校旗掲揚、校歌斉唱ー

おめでとう!花巻東!!

   岩手県勢41年ぶり準々決勝進出!!

 午後の1時半ごろには、この界隈の路上から人影が消えた。ほんとうに歩いていないかを見ると、乳母車を押した女性が交差点をわたっていたのが一人とコンビニに入るために下車した営業マンらしき男性一人、そして切れそうなラジオの9V電池調達のために外に出た私だけだった。市の繁華街はどうだったろう。

 明豊ー常葉橘の延長12回のお陰で、電池買い出しも駆け足とならずに済んだ。

 東北地方同志の戦いとはいえ、岩手に居を構えるかぎり、応援するのは花巻東、この春の選抜からは何が何でも花巻東!!とこうなっている。

 6回裏からの快進撃はきょうも、とは限らない。T子さんからの早朝の「応援しましょう」との一筆もあっては、これはもう一回からの観戦だ!と。

 ラジオで様子をさぐり、花巻東ー東北の試合開始と同時にTVの前に。たしか14時54分(我が家の時計が狂っていなければ)の試合開始。戦いの運びは「2009甲子園」と打つだけで即座にでてくるわけで、くだくだしく書く必要はない。

 相手のエラーに生かされた場面もあったとはいえ、これも勝負運のうち。さしてハラハラドキドキもせずに応援。8回裏の得点で勝利を確信。岩手県勢としては実に41年ぶりの準々決勝進出!!この前は43年の盛岡一だったらしい。

斯くして待望の校旗掲揚。校歌斉唱。

水撒き作業の方々にも、帽子をとってきちんと感謝の挨拶をした花巻東。甲子園にまた清々しい風を吹き込んだ。

明日も応援します!!

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 この良き日に、またまた明るいニュースが。

視覚障害支援学校の野球が開幕!!対戦の模様が伝えられていた。野球する心はみな同じ!!

17日に宮古港に水揚げされた今年度初のサンマ56㌧!!なぜか今日のTVニュースで流れていた。まさか花巻東の勝利に合わせた訳じゃ・・・

我が国最大級の胆沢ダム工事では、800人の人々が24時間交替で働いているらしい。5月に見学に行くつもりだったが逃してしまった。11月までには行ってみたい。明るいニュースに入れるか否かは見解の相違もあるかも。取りあえずはここに。

 

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稲は熟れたか秋風に

方十里の稲は熟れたか秋風に
米研ぐ音のごとく虫鳴く   ぶんな

ひからびた海星洗ひて潮かな   ぶんな

   ★  ★  ★  ★  ★

この夏は海にも行かないでしまった。放たれた窓からははや冷たい風が。

陽炎のたつ灼熱の砂。寄せくる波に飛びこむ子らの歓声。波にもまれるサーフボード。水平線に点とうごかぬ帆船。みな幻と消え、波だけが変らずにそしらぬ顔で砂浜を洗っているはず。

この涼しすぎる夕べにも

海星やウニや貝や蟹、
岩にゆらめく藻やこんぶ、
冷え冷えとした岩や砂浜が
波の永遠のリズムを疑いもなく受け入れて、
夜空を仰いでいるだろう

海の写真はこの記憶のなかにある。

五月の北山崎の岩に砕ける潮騒。

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畏るべきものの無きかに

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大きな芙蓉です。こんな蕾から毎日5つか6つの花が次つぎに咲いています。
風の通り道になっているらしく、花びらがなかなか静止してくれません。

畏るべきものの無きかに大輪の
芙蓉咲きたる炎天の道       ぶんな


花びらが幾分すぼんだかに写ってしまいました。

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芙蓉のすぐ傍にはバーベナが咲いています。

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ちっちゃな花の集合体。丈は1㍍ほどにもなります。

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野球ブログじゃないんだけれど-やっぱり,ー花巻東高、甲子園3回戦出場成る!!ー

 花巻東高等学校校歌

         作詞 千田  玄
         作曲 太田代政男

      
みちのくの国原広く
     見はるかす高き城跡
     天傳う陽の出で立ちに
     鳴り響く暁の鐘


 花巻東は6回裏からだ。どういうわけか甲子園での試合時間帯は忙しい夕ぐれどき。7回裏からの観戦だった。横隼人に1-4で勝利。

    感動だった!!

 すでに言い古されたの感もあるが、この100年に一度の同時不況、まだ抜けきってはいないそのさ中、竜巻もあった。低温、日照不足、大雨、地震と、試合終了と同時に津波注意報までが出る始末だったが、とにかくこんなときに頑張る姿を見せてくれたことに大きな意義を覚える。

 この春まで野球を見たことがなかった。友人に、「野球の楽しさを知らないなんて、すでに人生の楽しみの3分の1損してるね」と言われていたのが、この年で何分の1かを一挙に取り戻した気分だ。

 校歌の作詞者、作曲者にとっても感無量だろう。9回表で高さ30㍍ばかりか、もっと高い位置からかもしれないが、カメラが一望に捉えたマウンド゙の美しさ。このマウンドに再びこの校歌が流れることを願う。

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きょうのことば

      

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    わたしはまことのぶどうの木であり
       わたしの父は農夫です。
   わたしの枝で実を結ばないものはみな
       父がそれを取り除き、
       実を結ぶものはみな、
     もっと多く実を結ぶために、
      刈り込みをなさいます。
        ヨハネ15:1、2

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    【
国光勝美牧師のおはなし

 神はイエスにつながっているクリスチャンが、もっと多くの実を結ぶために、要らない枝を切り落とすという剪定作業をなさいます。関心が色々な方向に向いている場合、肝心の実を豊かに実らせることができない。良い葡萄を実らせるために、不必要な枝を切るのです。

 世の中からは、クリスチャンはあれをしてはいけない、これをしてはいけないとまるで制約づくめのように思われています。しかしそれは無駄なものを切っているだけなのです。

 パウロは病弱なテモテを慮って、「あなたは少量の葡萄酒を用いた方が良い」とすすめています。これを根拠にクリスチャンは飲酒してもよいと勘違いされている場合があります。

 宣教師は酒、タバコに手を出さないことに決め、夫婦の在り方についても高い倫理観をもって福音を広めていきました。ただここで勘違いしてならないのは、それをしないからクリスチャンだということではありません。他の人はしてもいいかもしれない。しかし貴方はそれをしてはならないという剪定作業なのです。神は多くの結実を期待するが故に、「他の人はやっていても、あなたはそれをしない方がいい」と剪定作業をなさるのです。

 クリスチャンの中には、御霊の性質を持っていると同時に、肉による性質をも持っている場合があります。そこで肉に根ざした様々な性質が出てきてしまうのです。ふさわしくないと切っても、また同じものが出てきてしまう。またこれではいけないと思い、また御霊の実を持ってくる。クリスチャンにもしこの二つの要素があるならば、何とかしてこれを解決しなければなりません。どうでもいいことではない。イエスさまが豊かな実を結ぶことができるために、肉なるものから、神は肉の根になるものを除去することができます。この除去が〝
潔め〟といわれるものです。この〝潔め〟をきちんと受けないと、クリスチャンはやがては落ちてしまうのです。

 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストがわたしのうちに生きておられるのです。」ガラテヤ2:20 を信じ、しっかりとこの御言葉に立つことが神の選定作業に自らをゆだねることであり、肉を剪定して頂き、肉を火で焼いていただくことなのです。

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終戦記念日


 終戦記念日。身近には、父が樺太帰り。叔父はシベリア帰りだ。いまだに戦争体験談を語り継いでいる三田照子さんは満州。梅村功二先生も満州。これらの人々から戦争の話しを聞く前は、「また反戦映画?もう食傷ぎみ」「またその話?もう聞いたからいい」、正直なところこう反応していた。十代の頃はよく戦争映画を観た。戦争映画は緊迫感のある多様なドラマ満載だった。しかし戦争はそんなものではないと知った。

 父はもともと寡黙であり、叔父は、母には「もし聞いたらお前たち、気が狂う」と話していたらしい。

三田照子さんの夫善右衛門さんは、敗戦後に残留の同胞を救うために、妻子を先に帰国させ現地に留まった人だ。真っ先に逃げ帰った関東軍もあれば、帰れるチャンスを目の前に多くの人々の惨状を見かね身の危険を覚悟で留まったこんな人もいたのだ。私などが語るよりも、図書館に「光陰赤土に流れて」という著書がある。照子さん自身も「再見」を著している。

 梅村功二先生は敗戦で捕虜となったとき、白昼敵の前を悠々と脱出することに成功した人だ。

 戦争は万人の人生をドラマティクにする。普通じゃない、平凡じゃない、平穏じゃない、それは大方地獄というべきものだ。人が作り出した地獄だ。

 終戦記念日の特番もあったかもしれないが、きょうはたまたま手近にあった文藝春秋9月特別号で「そのとき私は戦場にいた」を読んだ。

森光子さん: 訪問先(慰問先の戦地など)でお願いされる歌は、勇ましい『愛国行進曲』や『日の丸行進曲』ではありませんでした。むしろ高峰三枝子さんの・・・感傷的な歌詞の『湖畔の宿』に人気がありました。聴いてくださる皆さんの表情は笑顔を通り越して、泣きそうな顔だった・・・。

元「
大和」乗組員坪井平次さん: 敵の攻撃が収まり、死傷者の収容に手を貸すため甲板に出ると、いたるところ鮮血に染まり、手すりには二つに折れた兵隊の胴体がぶら下がり、腕があちこちに散らばっていました。私たちは四散した肉片を素手で拾い集め、大きなたらいに入れていくのです。血で汚れた手のまま、戦闘食のにぎり飯にかぶりついたのを覚えています。

やなせたかしさん: 唯一どこの国でも変らぬ正義は、「ひもじい人を助ける」ということ。

大塚初重さん: 寿山丸は舳先の方から沈んで・・・ロープが揺れながらズタズタになって垂れ下がってきたので・・・つかまった・・・懸命に上りはじめたら、私の胴体から足につかまる人がいて、ズルズルとまた下の方にずり下がっていく。何人も何人もつかまってくる。だからとにかく、生きたい、死にたくない、助かりたいという一心で、つかまってくる人を体をもがいて、蹴落としたんです。彼らは燃えている船底に落ちていった。

※簡略に過ぎ、筆者には失礼かもしれませんが、この特集から私が初めて知った惨状などを抜粋しました。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 ここのところすっかり夜行性になっている。昼間は落ち着いた時間が取りにくい。何とか自然なスタイルに戻したいと思いつつ、毎日午前0時のアラームを聴くことに。きょうはすこし早い目にブログを開けている。

 きょうは親戚筋に不祝儀があった。私は早朝、実家の墓参りのあとは終日自宅に。32度。庭で寒暖計を持ち歩いた結果、いちばん涼しいところは葡萄棚の下と判ったが、蜂が来ていた。その下と辺りの草取りをしたところ、いつの間にかサンショウがそちこちに芽を吹いている。大きなサンショウの木があるのに何故キアゲハが見あたらないのか。おそらく幼虫のうちに鳥や虫に食べられてしまっているからだろう。1㌢ばかりの黒い幼虫を見たことがあるが、緑色に脱皮した幼虫を見たことがない。
近所にキアゲハの飼育を16匹、20匹としている方がいる。私は蝶々夫人と呼んでいる。餌がたりなくなるといらっしゃる。ここのサンショウは専ら蝶々夫人宅の〝こどもたち〟の食事に供されている。家の玄関で飼っている。「無菌です」と標本を一羽いただいた。


 

 

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主よみもとに

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  主よみもとに近づかん

  のぼる道は十字架にありとも

  など悲しむべき

  主よみもとに近づかん

   ーインマヌエル賛美歌25番ー

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ブラームス ヴァイオリンソナタ「雨の歌」ーゲアハルト・ヘッツェル&ヘルムート・ドイチュー  

              

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 お盆の入り。きょうも一日雨。
 こんな夏、といっても梅雨明け宣言もないまま立秋を迎えた夏なのだが、そんな夏を初めは心地よいと歓迎していた。北海道の小麦が雨で収穫できないというニュースで、これは大変なことになりそうとやっと気づいた。

   
雨 低温 雨 低温 雨   雨

 夕方には晴れたが先ほどまた音をたてて降っていた。

ブラームスのヴァイオリンソナタ第一番「雨の歌」の第一楽章だけを聴く。
ゲアハルト・ヘッツェル&ヘルムート・ドイチュ
2009/07/23 オクタヴィアレコード

 マイナーレーベルではあるが惹きつけられる。
憂鬱が大小の滴しずくの中で浄化されきらめきとなって心を癒す。

     ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 庭も花が少なくなった。ユリもバラもおしまい。ノウゼンカズラも大方散ってしまった。バーベナがまた小さく咲いている。大輪の芙蓉が明るさに貢献。もうすぐ真っ赤なカンナが二本咲くだろう。バーベナが健闘している。よく見ると紫色のちっちゃな花の集合体。どんどん増える。赤いサルビアも咲き始めた。

 庭で一番元気なのが雑草。言ってくれるな雑草と、そんなつぶやきが聞こえそう。なかでもドクダミの強靱さは驚異的だ。取っても取ってもはびこるので勝手に雑草に分類している。強い。とにかく強い。脱帽だ。

  

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花巻東高校初戦突破!!

 掃除が苦手な主婦はいつも土壇場で忙しい。明日からは来客もありそう。来るかもしれない、もしかすれば来ないかもしれない、そんな4日間のために人並みに近いぐらいの掃き拭きに専念。

 4時からの甲子園。仕事の合間にのぞくうちに6回の表。やはりTVの前に座ってしまった。6回裏からの猛攻。そしてついに8-5で
花巻東高校、甲子園初戦突破!!

 花巻東が岩手県大会の頂点に立ったところで、もうブログに書くのは止そう、こんなことは分ではないと思っていた。ところが、ピンチに立たされてからの何という粘り、頑張り、この強さ!冷害が危惧される岩手。いったん座り込むと勝ってくれ、何とか勝ってくれ!この岩手に明るい話題を勝ち取ってくれ!と岩手の代表でもないどころか、それこそ何者でもないおばはんがそう応援していた。そして見せてくれた大勝利。心配事のないではないこの心中にも喜びをどんと投げ込んでくれた。もう理屈抜きに嬉しかった。傍目もはばからず拍手喝采。

今になって長崎事情はどうだったかな・・・長崎日大の選手等の涙。しゃがみ甲子園の土をすくう球児の前のカメラの激写。

花巻東高校、明日は郷土紙のトップを飾るのか・・・政権交代劇が先か・・・

22時半、雨が降っている。災害などがないようにと願う。他人事ではない。

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ペシャワール会 伊藤和也さんを悼む

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2004年4月22日アフガニスタンにて(「アフガニスタンの大地とともに」より/ペシャワール会編/石風社刊)

 伊藤和也さんの写真展。展示室に入り、大写しの伊藤さんの写真にお会いし、進むにつれ胸を揺さぶられ、落涙を防ごうと顔を堅くして回った。
 ペシャワール会の現地ワーカーとして2003年から5年間アフガニスタンに緑を取り戻すために貢献し、31歳で凶弾に倒れる。

 中村哲医師の弔辞が掲げられてあった。2008年9月9日付。
伊藤さんを悼む文面とともに、中村医師自身がキリスト教者であることを初めて知った。イスラム教の人々がイスラム教徒として存在して何が悪いかとし、伊藤さんの死後も単独で現地に入り水路を完成させている。自ら異教の地に入り、飢餓に直面している500万の人々に水と食べ物と医療を提供せんと命を賭けている。

 伊藤さんの農業ワーカーとしての働きを活字でしか知らなかったが、今回写真を観せていただくことにより、それがどれほどに人々を生かし人々に希望を与える内容であったかが分かった。

 簡略となるが


 2004年10月農業プロジェクトへ移動。試験農場のダラエヌールに移り、井戸の掘削作業に参加。底の見えない井戸をロープ伝いに降りてゆく伊藤さんの地上を見上げる顔。
 2004年1月30日用水路工事現場で日本人ワーカーとともに、中村医師の隣で腕組みをして立つ伊藤さん。
 2005年3月4日用水路5、4㎞地点までの通水を現地のショベルカー運転手とともに喜びあう姿。
 ダラヌエール診療所でスレイロン山脈を望み観た伊藤さん。
 2005年3月10日茶作り指導にあたる伊藤さん。3年後には茶摘みとなり、試飲で何度もトイレ通いを。
 2005年日本米の田植え。2007年9月10日収穫は日本を上回った。
 サツマイモの冬季保存に成功。2005年2月26日春の苗床作り。
 ブディアライ試験農場で菜種畑を。2005年3月20日。
 2005年3月10日ブディアライ試験農場で蕎麦打ち。
 除虫菊の栽培。(マラリアを媒介する蚊の駆除。農薬として有効)
 

子どもたちが大きなサツマイモを喜ぶすがた、ブディアライ村の完成した灌漑用井戸水でさっそく水浴びするこどもたち、その他たくさんの子どもたちの笑顔、すがたを伊藤さんは写真に撮りました。

        人がその友のためにいのちを捨てるという、
       これよりも大きな愛はだれも持っていません。
               聖書ヨハネ15:13

※本分は著書からの抜粋ではなく、写真展を観、心打たれたものを筆記しました。

伊藤和也さんの写真展は岩手県公会堂で8月14日(金)まで

    ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 けさ5時7分駿河湾を震源とする震度6弱の地震が。6時半頃に知り、静岡、東京方面に家族、兄姉、友人知人がいるため、大変心配しましたが無事でした。毎日新聞から「87人重軽傷」(13時54分配信)とヤフーに出ていました。お見舞い申し上げます。

 

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黒き樹海に

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  頂きに夜空仰げば流れ星

     いそぎて落ちぬ黒き樹海に

                  ぶんな

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きょうのことば

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「しかし、わたしが与える水を飲むものはだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」    ヨハネ4:14

    ∽  ∽  ∽  ∽  ∽

夜7時56分ごろ地震が。洗面所のガラス戸に微かな揺れがあった。地震だとおもった。東京都、関東各県、福島県で震度4とヤフーに。首都圏内の息子に訊くと、「怖かったよ」。窓を開けて身構えたらしい。棚からの落下もないとのこと。

岩手には大雨、洪水、雷、濃霧、低温と注意報が盛りだくさん。稲、野菜、果樹はどうなっていることか。

    ∽  ∽  ∽  ∽  ∽

 きょう教会で朱色のカンナと白ユリと斑入ススキを生けました。球根を三つ植え、最初に咲いたカンナです。

 教会の皆さんの祈りが叶えられたローランドが礼拝で初めて鳴りました。講壇に向かって左側に置かれています。機能満載、音も良く、しかも楽しいオルガンです。

 講壇の右側にはかつて下ノ橋教会が使用し善隣館で保管していたオルガンが置かれています。購入当時は高級オルガンだったそう。貰い受けたとき、オルガンは埃にまみれニスもボロボロにはげ落ちていた。これを国光牧師と教会員の方が整備、塗装したのだった。ー国光牧師による「盛岡教会オルガンものがたり」よりー

 晴れた日にも、曇りの日にも、土砂降りの日にも、雪の日にも、オルガニストの指は鍵盤に。そしてイエスの足元に人々の心に、明るいときにも暗いときにも賛美歌は流れつづける。  

          
     

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伊藤和也さん追悼写真展のお知らせ

    伊藤 和也 さん
        追悼 写真展


        岩手県公会堂

      8月8(土)~14日(金)
         10:00~18:00


         ペシャワール会主催

      ∽  ∽  ∽  ∽  ∽  ∽

アフガニスタンの農業指導などの活動中に兇弾に倒れた伊藤和也さんが撮りためた写真が展示されます。
伊藤和也さんの事故以後は中村医師が一人で、個人の資格で現地に残り活動を続け、水路もこのほどようやく完成したということです。

※ただいま上記のように大信田時子さんより御連絡を頂きました。

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釜淵の滝

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 花巻温泉にある釜淵の滝です。
宮沢賢治は台川を遡りこの釜淵の滝辺りまで地形や岩石を調べて歩いたようです。
今回は婦人牧師方と歩きました。その前は主人と息子。今年の春のことです。その前は亡き父とでした。

 平成2年頃でした。私の両親が花巻暮らしの様子を見に来たいというので、迎えに行って連れて来たのです。釜淵の滝を見ようというときになり、膝が痛む母は、とても階段を下りられないからと薔薇園のベンチに残りました。

 父が階段を下りられるか心配したのですが、思いの外元気でした。寡黙な父でした。散策はそこに川が流れ、そこに木があり、そこに橋が架かっているように、この道を父娘が歩いている、そんな風でした。父は背広に胡桃のループタイをしていました。

 母が父の死後語ったには、その後も父は花巻に行きたいと言ったそうです。しかしその時父の体調がすぐれず、何かあった場合迷惑をかけるからと母が止めたのだそうです。

 そして平成5年8月4日に父は亡くなりました。釜淵の滝の散策は、父との最後の散歩となったのでした。

 父を送り出し、私は「霊柩車角を曲がりて夏寒し」と詠みました。その年も冷夏でした。

 

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賢治さんのお墓参り

     

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身照寺(日蓮宗)本堂の裏手にある宮沢賢治の墓。

 5日,聖会に参加するために花巻入り。花巻市には7年間暮らしたことがあり、土地勘があるので、昼休みのちょっとした時間に直行。お参りした。小さなお墓だ。

 盛岡市大慈寺にある岩手出身の平民宰相原敬の墓も、形はこれと異なり平凡だがこんな小さな墓だ。原は、たしか17歳でキリスト教の洗礼を受けている。原には戒名が無い。

 賢治をお参りしたのはもう十数年も前のこと。そのとき詩がうまくなるように祈るなどとんでもないことだ、と墓前に立ったのを思い出す。もっぱら彼の地での浄福を祈った。

 

 

 
 

 

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詩篇23篇

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私の魂を生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵のまえで、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油を注いでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
            詩篇23編

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雑感

 きょうはさんさ踊りの3日目。午後の買い物の道すがら、きょう踊るらしい浴衣姿のお嬢さんや子どもたちとすれ違った。

 それにしてもよい写真を撮るのはなかなか難しい。思えばこちらの創意し意図した写真よりも、その人の個性、特徴などを謙虚な思いをもって引き出した写真、そんな一枚のほうが値があるかもしれない。

 買い物の帰り、4匹の犬を散歩させている人とすれ違った。動物も撮りたい。動物園でとも思ったが、狭いところに飼われている姿はどこか痛々しい。友だちの猫はどうしているかな。またあのガラス戸から四季折々の庭を眺めているだろう。ふつう猫は身勝手なのだが、友だちの猫は敏感に周りを察している。後ろを向けていても後ろにも目がある、そう思わせる猫だ。

 土曜日、子猫が迷い込んできた。痩せこけている。怒っていた。訴えていた。狂ったかのように。腹を空かせている。なぜか終戦直後の満州、チチハル方面からハルピンに流れ込んできた日本人の略奪し尽くされた姿が浮かんだ。そういえば終戦記念日が近づいている。いまは平和なのか。どうだろう。国内に見た目の戦いはないが・・・。東証はやっと今年最高値の1万円台となった。けれど景気が回復したという実感にはほど遠い。株価の推移にじりじりとするあいだに、半年で1万7千人もの人が、生きることよりも死ぬことの方を選んだ。こうしている間にも誰かが自殺している、そういう国だ。
 居着くなら居着いても構わない。そう思いながらトレイに夕食の残りをかき集めて入れ、軒下に置いた。逃げ込んだ車の下からなかなか出てこない。人の姿が消えたと見るや出てきて食べた。さんさ踊りを見に行くために出ると、空のトレイの前に座った猫がわたしを見た。穏やかな感謝の目だった。
 猫がたまに迷い込んでくるが、この猫の場合は、何か餓鬼のような凄みを覚えた。自分が何者かに問われている、そう感じさせられた。これが土曜日のこと。また来るだろうと思っていた。ところが翌日も、きょうになっても姿を現わさない。

 7月23日の日ロ友好ふれあいコンサートでラリサ・シャリナとエレナ・グルシェンコがロッシーニの「二匹の猫の滑稽な二重唱」をコケテッシュに歌い楽しませてくれたが、あの猫にもこんなふうに、こじゃれて生きる権利があるはず。

 まして人にはもっとその権利があるはず。
きょう何気なく見たTVで、ロシアの遊牧民の暮らしを見たが、金ですべての生活必需品を買う生活ではなく、暖房の為には木を伐りだし、肉を得る為に狩りをしそれを分け合って食べる。引っ越しは車ではなくトナカイ。
 もう資本主義に潰された自分たちに、こんな逞しさは残されていない。しかし金を得ようと思っても働き口がないという現実。ふと遊牧民の暮らしへの回帰を想ってみた。景気が回復したとして、以前と同じような資本主義の体系が維持されるとは思わない。最も資本主義がこういう結果をもたらしたのだが。もう何でも金で買おうとせずに自力で作り出す手だてを考えるべきときかもしれない。
 思えば、嵩む借金さえなければ、いま酪農、農業といった生産の手だてを持った人たちはそれだけで強味があると言えるかもしれない。

 いま自分に作れる自信があるものといえば、トマト、きゅうり、紫蘇、葡萄。それに形が多少流行遅れとなるが、簡単な服ぐらいは作れる。木も時間をかければ伐れる。練習すれば薪割りもできるだろう。友だちの中には女性でありながら、一人で材料を集め小屋を造ってしまったすごい人も。

 たしかに景気がよくならなければ困る構造だ。しかし景気の刺激をしてみたところで、その恩恵をうけるのはもはや我々ではない、というよりもその初めから我々であるはずがなかったのだ、そう思う。
 

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かけだしデジカメ写真考

 盛岡さんさ踊りの初日を一通り観た。デジカメ携帯。果たしてどこまで撮れるのか。勿論観覧席は確保せず路上の人垣のあいだからとなる。

 いくつかの団体の踊りの川を一つの枠に壮観にバッチリ決めるには、それなりの高さが必要なわけで、これは最初から諦めている。新聞が初日を伝えたのはまさしくこの場面だった。

 小さな子どもたちが並んで踊るさまはやはり何といっても可愛らしい。しきりにシャッターを切った。子どもだけを撮ったかとおもうほど多く撮ったつもりだった。ところが・・・。次にきれいな若い女性に目がいく。その中でもとびきりの笑顔にあうと、いまだ!となる。

 一つの団体を意味を持たせて集中的に撮りたい! 「盛岡農高・・・130周年」「燃えろ!どろんこ魂」 これだ!

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 何枚も同じ場所からだが、高さを変え、角度を変えしてみたが、しかし続けて載せたい場面がどれもうまく撮れなかった。

  車椅子の人々、そして介助の人々の行進。これは意味も価値もある。車椅子から観るさんさはどんなだろう。もっとどんどん出てくるべきなんだ。ところが肝心なところで焦った。何とか斜めからほぼ正面を写さねばと、肘を前に座っている人にぶつけ謝るうちに、意図した地点よりも前に進んでしまっていた。

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 太鼓軍団が近づき数枚。笛の一群も要る。数枚。待てよ、太鼓を打つ力強さを撮りたい。腕だ、太い腕がいい。カシャ。笛だ。笛もアップで。指使いがわかるように。まてよ髪かざりも。襟足も。さんさは着付けからだ。帯の結び目も。帯ひもの揺れ流れる感じがあれば。笑顔が欲しい、天真爛漫な感じがいい。動きが、おおきな動きが撮りたい。手の動き、アップでだ。指だ、指先、7、8人並んだ指先だけを撮れないものか。

 もっと近くで撮れたなら、夜空に向かって踊っているかに撮れるかも。・・・ああ、あの子はもう疲れてる、半べそだ。これも祭の風景だ。マイケルジャクソンのひと団体、着想がおもしろい、入れよう・・・・

 これも際限なく追いかけてしまうことにはたと気づく。そして最後に、128MB撮影可能枚数0のピーっというお知らせに、ああ、足元を1枚も撮らなかったな。草履の裏が見えるように撮れば動きが出せるかも。バックに16MBがあったのを思いだし、さっそくカードを入れ替え、足だけを撮ったが、動きのあるしかも暗い足元をすっきりと捉えることはできなかった。

 帰宅し、PCに入れてみると・・・いまいち、失敗、いまいち、失敗、失敗・・・の連続でありました。盛岡の一大イベント盛岡さんさ踊り、祭を楽しむというよりも、如何にしてこれを壮観に躍動的に感動的にカメラに取り込むかに終始し8割方失敗するという、しかし後々のためには実に役に立つ意味のある祭の一日となりました。

 本日のブログ、さいごは、どうやっても何とも締まらない恐らくは修正ソフトも歯がたたないであろう代表失敗作で締めることといたします。

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  サッコラ、チョイワ、ヤッセ!!


 

 

 

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きょうのことば

                  

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              主は
             私の口に
             新しい歌
        われらの神への賛美を授けられた

            多くの者は見そして恐れ
            主に信頼しよう

               ー詩篇40:3ー

きょう12時半にオルガンが教会に届き、教会オルガン献別の時が持たれました。

        
威光・尊厳・栄誉(ひむなる10)

          せかいじゅう どこででも
          あたらしいうたを ささげよ
          しゅにうたえ ほめたたえよ
          みすくいの しらせをつげよ
          まことにしゅは おおいなるかた
          さんびされるべきかた
          いこうとそんげんとえいよ
          こうえいとちから
          ただしゅだけを れいはいせよ
          てんをつくり ささえているしゅ


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さんさ踊り

  晴天に恵まれて三日目のきょう、8月は、盛岡さんさ踊りで幕があきました。

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