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2009年7月

この空の色は・・・

               

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 けさは外の椅子でコーヒーをのみました。葡萄の実は硬く酸っぱく、すぐりは透明でまん丸な草色の小石。山際の雲はずるりと寝ころび、中空は青くとりすます。

 この空の色はセルリアンブルーでもなくオーシャンブルーでもなくスカイブルーでもない。どれもとても近いけれど、どれもほんのすこし違っている。ほんとうの空の色はパレットには無い。

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

きょうで7月も逝く。0時には顔をだすはずの8月。8月が出番を待ちきれずに、さっきから足踏みをしている。


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方十里稗貫のみかも

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 久しぶりに晴れました。昨夜の激しい雨。北上川の水は濁ったまま。午後になっても河川敷の水は引きませんでした。けれども陽に照り輝く田圃と畑。

 23時半の半開きの窓で室温24度。外気温はもっと低いはず。涼しいというよりは肌寒い風が流れこんでくる。午後に見た田圃。稲の実りには7月半ばから8月半ばが大切なときという。朝に深いめに入れた田圃の水温はどの程度保たれるのだろう。冷害からどこまでまもられるのだろう。

      ◆   ◆   ◆   ◆

 

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 方十里稗貫のみかも稲熟れてみ祭三日そらはれわたる 
 病(いたつき)のゆゑにも朽ちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし

 宮沢賢治の絶筆短歌です。

 もう自分は逝くであろうと覚悟し、この豊かな実りに人々が潤う姿を喜びつつ、己の先の光明を見つめ臥していたであろう賢治が浮かびます。

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雨ぁふるども

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 夕方5時ごろの窓辺。ペチュニアの向こうは雨。いま(20時5分)急に強くなり、びちゃびちゃと地面をうちたたく音が。そして21時のいま小降りと。

 ラジオのニュース。この雨で北海道では麦の収穫ができないでいる。放置すると芽が出て出荷できなくなるらしい。農作物の病害も懸念されている。農薬を散布しようにも、泥濘で機械が入れないのだ。岩手でも低温、日照不足で警戒体制となっている。豪雨、竜巻と梅雨前線の容赦ない悪戯だ。一刻も早く立ち去って欲しい。

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

雨の詩

     雨ぁふるども

雨ぁざんざどふって  風ぁ暴れでらども

おめだじゃ泣ぐな

ついだばりの愛んげ花っこ  びじゃびじゃど濡れでも

やっとなったばりの実っこ  びだびだど叩がれでも

おめだじゃ泣ぐな

やっとごさ張った根っこで  ぎっちりど土つかんで

堅ぐ組んだ手芝さ   蔓きづぐ絡ませで

ぜって倒れるな

童だったどぎ、ハ

そごらの堰さ入って   びょんびょんず蛙捕ったり

起ごしたばりの土さ  びろびろど動ぐ蚯蚓(みみず)捕った倅ゃ、ハ

街さ行ってしまった

今みてでなぐずっと広がった田さ

耕運機かげだった父さんも  遠ぐさ稼ぎさ出で居ねども

おればりぁ残ってらがらな

朝がら晩まで

背中さでっけ空しょって

草も取ってやる  水も肥料も入れでやる

腰いでったって  頭病めるったって

何じょなごどあったたて

畑ぁおれゃ護らねばね

あどべっこ待でば

こっただぼろ綿みでな雲ぁ裂げで  陽っこぁ出でくるべ

天気ずものぁ  いっつも同じでねがらな

陽っこさえ出れば

びっしりどくっついだ滴さ  光ぁまっすぐに落ぢで

そっちもこっちも、ハ

びがーびがど光るべな

誰も居ねたって  誰も見ねたって

ひび割れだとまとだの

しょぼくれだ胡瓜の花だの

くたびれだよんた菜っ葉だたって

もう、ハ

活ぎ-活ぎど光るべな

                  ぶんな作 (岩手県芸術祭賞)

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雑感-コンサート二つー

「日ロ友好ふれあいコンサート」を聴く機会があった。23日(木)18:00盛岡劇場。日ロ協会岩手県センター主催。

 ラリサ・シャリナ(ソプラノ)、エレナ・グルシェンコ(メゾ・ソプラノ)、イリーナ・ナパルコワ(ピアノ)。これまでソプラノが好きだったが、エレナ・グルシェンコを聴き、なかなかに魅惑的な声に引込まれた。

 ロシア民謡、日本の歌曲など11曲。オペラのアリアなど12曲。ラリサ・シャリナは国立ウラジオストックフィルハーモニーでソプラノのソリストとして活躍。エレナ・グルシェンコは極東国立芸術アカデミーの教授。

 ラリサ・シャリナがステージから下りたので、何が始まるかとわくわく。客席の男性をいざない、優雅にダンスを。ブラボーでした。ステージと観客の心かよう「ふるさと」の大合唱。

 ラリサ・シャリナは日本各地でのオペラアリアコンサートは今年で5年目というが、また親しみが増した。

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「弦楽合奏団バディヌリ スペシャルコンサート ORCHESTRA ENSEMBLE 2009 伊藤奏子のシェヘラザード」のチケット2枚、呉服店を営むM子さんから頂いた。

 近頃は催事にもあまり目を通さなくなってしまった。岩手人なら必ず聴くべきこのコンサートも実は気づかずにいた。知ったときは、ああ間に合った!という思いだった。

 アシスタント・コンサートマスターとして梅村隆一さんの名前があった。8月に宮古ジュニアオーケストラの「音楽の夕べ」があるが、それに合わせての夏期休暇かと。

 日曜日の集中力は午後の2時までだが、その後とあって・・・というのはやはり言い訳で、どこか気がゆるみ、居眠りしてしまったのだ。このすばらしい一ときに居眠り。情けないことでした。救いは鼾をかかないかぎり周囲に迷惑とならず自分の損失だけで済むこと。主人に何度か起こされました。ただ伊藤奏子さんのあの何とも言われぬヴァイオリンの音の輝きとマーティン・ストーリーさんのチェロの滑り出し。それは鮮やかに残っています。

 シェヘラザートではかっきりと目覚め、驚きをもって聴きました。寺崎巌指揮を聴いたのが何年ぶりか記憶にないほどです。いつの間にこんなに!全曲緊迫感をもって聴きました。ほんとうにすばらしかった!! 

 伊藤奏子さんを、梅村功二先生は、「偉くなっても気遣いを忘れない」と仰っていました。村井正一先生の紹介で、長年梅村ヴァイオリン教室を手伝い、多くの弟子を桐朋音大の久保田良作先生に繋いだ板谷英紀先生の手記に、最初に伊藤奏子さんにヴァイオリン協奏曲の練習の場を準備したのは板谷先生であることが書かれていました。

 多くの方々がご尽力、そして伊藤さんご自身のたゆまない努力と才能が大きく花開き、第49回ジュネーヴ国際音楽コンクールヴァイオリン部門第2位。現在は米国カンザスシティ交響楽団コンサートミストレスとしてご活躍。ほんとうに嬉しいことです。

※このブログに掲載の写真は何日か分を同じ日付のフォルダに入れています。表示される日付が撮影の日付ではありません。

  

 

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楽団員の顔

 ブログに企業名はあまり書きたくないのだが、上野製薬がストラディバリウス「レカミエ」を所有、山田晃子さんに貸与している。このほか会社の公開としてはチェロ「シャモニー」を所有。ところがこの他にコントラバス「ブッセ」(1660年イタリヤ・ブレシア製)もあるらしい。
 「Prost Familie!」によれば、貸与されたのは奥田一夫さん。

奥田一夫さんとは?
 東京芸大大学院に通いながら東京交響楽団に3年。2年間ドイツ留学。帰国後大阪フィルで9年。現在大阪センチュリー交響楽団主席。
 
 奥田さんに渡ったいきさつはベルリン・フィルのコントラバス奏者R・ツェバリッツ氏が37年目で定年退団したときから始まるが、いきさつは
「Prost Familie!」で読んでいただくとして・・・

 ブッセの特徴が
▽「f字孔」のような孔ではなく「梵字のような奇妙なデザインの孔」があいている
▽弦の長さがふつうのコントラバスより10㌢長い
▽ウェスト部分にこぶがある

 この3点を手がかりに、1971年当時のカラヤン&ベルリン・フィルのDVDを視聴してみた。これまでもコントラバスがアップで映るのは極めて短い。見分けられたら面白いな、ツェバリッツがどんな奏者か顔が分かるかもしれない。こういう単純さなのだが。
 ついつい交響曲3曲分の時間を費やしてしまった。結論からいうと、もっと時間をかけてよく観る必要がありそう。

 去年だったろうか、音楽之友社から「ウィーン・フィル&ベルリン・フィル」がでているが、現役楽団員の名簿は載っている。しかし過去の楽団員名簿となると、それこそベルリン・フィルの所謂〝職員録〟といったものを原書で辿らなければならないのではないか。

 それはともかく、きょうカラヤンのDVDを観ながら、わたしはひどく残念に思われてきたのだ。それは、こんなに簡単に楽団の面々が消え去っていいものだろうかということ。
 指揮者は必ず残る。どこぞの教授に招かれたり、ソロ活動できるチャンスを得た音楽家も名や顔を留められる。映像として残るのは
おもに指揮者の周辺に位置した奏者たち。奏する楽器によっても映る頻度には格段の差がある。そしてほとんどの楽団員が〝消え去ってしまう〟かに。

 オケの全員の写真入りのプログラムをわたしは見たことがない。そんなプログラムを要求するのは無理な注文だろう。しかし、楽団員は一兵卒、一個の駒ではないはずだ。50、100、或いは1000人という場合もあるだろう。総てをというのは場合によって無理だろうが、せめてできるだけ名前、写真、楽器、声楽ならばパートを掲載できないものだろうか・・・DVDに映るオーケストラの音楽家たちを観ながら、そんなことを思った。

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 26日の14時岩手県民会館で、岩手在住及び出身の音楽家たちの素晴らしいコンサートがあった。ところが、感想を書くほどよく聴いたとは言えない結果に・・・  

 

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きょうのことば

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「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」ヨハネ15:4

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 こんどインマヌエル盛岡キリスト教会に新しいオルガンが設置される。イエスさまのオルガンだ。この地上にこの教会がたちつづける限り、神への讃美があふれるだろう。


  我らの罪とが

      (曲はチャールズ・コンヴァーズ作曲「星の世界」です)
われらのつみとが せおいたもう主に
いのりうることぞ いかにさちなる
やすきをうしない 日々かなしむは
なにごともきみに つげざるためぞ

こころみのときも たよりなき日も
気をおとさずして 主にもちきたれ
われらのよわきを 知れるきみこそ
われらとうれいを わかつともなれ

おもにをせおいて つかれしものよ
われらのかくれが 主にもちきたれ
ながともはみすて あなどるときも
主はみてにいだき なぐさめたまわん
         (
インマヌエル賛美歌140番)

教団について知りたい方は、Wikipediaで「イムマヌエル綜合伝道団」と検索してください。

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雑感

  もう21時過ぎてしまった。そとは雨が降っている。窓を閉め切っていたが、すこしでも空気の流れがあればと10センチばかり戸をすべらせた。

 ここのところ忙しく、「北の文学」の合評会事務局に欠席と出したところが、参加予定のもりおか童話の会の方からお電話をいただき、まだ文芸誌をよく読んでいなかった(最初の1作品のみ読了)が、急遽参加することに。
 14時から17時まで岩手日報社4階会議室にて、しんがりに。
 第58号での受賞者は出なかったが、過去の受賞者、入選者の方々がメモを取りながら熱心に学ぶ姿勢には触発された。文学賞を取りたい時はもはや過ぎたが、こういった学びの中に身をおくことは無駄ではない、そんな3時間であった。17時半帰宅。

 しかし言葉について考えるとき、言葉を不用意に用いた場合など、或いは注意深く用いてさえも誰かを傷つけたり悲しませたり不快感を与えることも。誤解を受けたり、そのことによって中傷されることさえある。逆に何気ない一言で勇気や優しさ励まし、元気や理想や気概を貰うこともある。
 音楽や絵画は言葉のない言葉だ。政治色、思想が見え聞こえしても言葉の繋がりよりは露骨ではない。気楽というわけにはいかないだろうし、また才能を異にすることでもあるが、いま音楽・絵画が遠くの芝生と見えてもいる。
 

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おめでとう!!花巻東高校!!

おめでとう!花巻東高校!!

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花巻東は7回裏で勝利を決めた。2-1。
2年ぶり5回目。春夏連続甲子園出場!!
花巻東の佐々木洋監督談「・・・無力さを痛感させられた、選手に助けられた」

7回の表、もしかすると・・・という思いが過ぎった。しかし大丈夫、花巻東は春の大会でも、もう駄目だという局面で最後まで希望を与えてくれた。大丈夫、ぜったい大丈夫。そしてそれはほんとうになった。
 盛岡一の菊池投手、七回でエラーをだしたものの、終始実に立派だった!!

 ほんとうに嬉しい!!

 この勝利を境に、おばはんは、ここでしっかりと頭を冷やすことにします。
甲子園に期待しつつ。  15時14分


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当ブログは花巻東高校を応援します!!

 これ以上野球のことばかり書くと、見てくださっている篤志家の方々には呆れられると知りつつも、やはりきょうも高校野球岩手県大会のこと

 準々決勝が終わったとき、わたしはなぜか決勝は花巻東高校と盛岡一高の戦いになると直感した。呆れたことに21日のブログに「決勝は 花巻東 対 盛岡一」と書き込んでしまったのだ。「盛岡一はがんばるだろう、とことんがんばるだろう。花巻東は持てるものを遺憾なく発揮してほしい」というようなことを書いてしまった。ところがそのあと私のブログを自分のPCで開いて読んだ主人が「あしたは決勝じゃない」と注意してくれた。何れ真っ青に。慌てて記事を削除しお詫びしたのでした。

 きょう9時ごろにでかけ、帰宅してみると、花巻東と盛岡中央の戦いが4回表。3-1。私は「もう勝ったな」と思った。しかし盛岡中央はこの裏で一点奪った。花巻東が慢心を突かれた瞬間だったろう。7、8回で花巻東に10点奪われた中、8回裏で盛岡中央が奪った1点には大きな価値がある。結果14-3。
 盛岡一対盛岡大附は、あれこれ別なことをしながら合間合間に見ていたが、とにかく点がはいらない。先に1点取ったほうが勝つ。誰しもそう思っていただろう。延長戦になるかと思いきや7回裏で盛岡一が得点 。結果1-0。

 実に、
決勝は 花巻東 対 盛岡一 となった。これまでの圧勝は花巻東の大きな自信となっているはずだ。

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 ここまで野球に興味を持つようになったのは、やはり春の選抜で花巻東が全国で準優勝してからだ。それまで野球の「や」の字にも興味はなかった。このおばはんですら覚醒された。まして花巻東の春の勝利が岩手の高校野球ファンの数をぐんと引きあげ、野球熱を高めたのは確かだろう。

 この花巻東高に是非とも勝ち抜いて欲しい。私は花巻東高に応援する!!

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きのうは××・・・そしてきょう

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きのうはブログを慌てて書き、とんだ早とちりを・・・ほんとうにすみませんでした。実に書きにくい今日ではありますが、21日と今日は特筆すべきことが。

オバマ氏の支持率が60㌫を切り、衆院解散のあった21日、岩手では県大会で花巻東と盛岡一が準決勝に。明日23日、花巻東は盛岡中央と、盛岡一は盛岡大附と対戦となる。明日は残念ながら午前は観戦できない。しかし決勝では願わくは花巻東を応援したい。この日わが家にもささやかながらお祝い事項がありました。

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   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

  きょうは皆既日食。盛岡は一日小雨ないし曇り。7時半からのTVでその素晴らしさを知る。ダイヤモンドリングに囲まれた漆黒は、黒の奧のそのまた奧の黒。神秘的だった。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

 「北の文学」の合評会があるが、とても忙しく残念ながら今回は欠席マーク。もりおか童話の会は25日予定だったが、「北の文学」とぶつかったためお流れとなった。

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写真は昨日のものです

 


 

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お詫び

 30分ほどまえに書いた野球関連記事に誤りがあり削除しました。お詫びいたします。

               6月21日 21時50分

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きょうはほんとうに良い天気

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 けさやっとまともな青空が広がった。岩手山はすっきり見えているかな。近くの神社の階段をのぼってみると、半分雲に覆われていた。
 きのうインマヌエル盛岡キリスト教会では教会学校の夏のキャンプだった。夜には岩山動物公園が予定されていた。ホタルや動物の観察だ。駐車場、園内ともに無料公開。行きたかったが自宅にいることに。
 8月上旬の3日間に夏の聖会がある。申し込み期限が19日だった。うっかり忘れていたので、取りあえず20時ごろ電話で申し込むことに。この天候で動物園は取りやめになったろう、そう思った。ところが電話口に出たのはひろ子牧師ではなく、留守番の方だった。21時にひろ子牧師から電話が入った。
「行ったんですね?」
「行ってきました。もう星は出ているし、ホタルも」
 けっこう人が来ていたらしい。残念!!行きたかった!
 でも嬉しかった。子どもたちの喜ぶ様子が浮かんだ。ホタルや星も。
 きょうの今頃、教会学校の子どもたちは花巻市にある宮沢賢治記念館をあるいているはず。数々の鉱物、プラネタリウム、セロ、あの直筆の面白い文字。花壇。絵・・・・
 きょうはほんとうに良い天気だ。

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 去年の夏の聖会は網張だった。言いたいことは、マイマイガ。入浴のため廊下を進んでいくと遠くのガラスに模様が見えた。近づくにつれて夥しいマイマイガが照明に飛来しガラスに貼り付いているのだった。翌朝早く、同室の3人と連れだって散歩しようと正面出入り口に。遠目にはシャッターが下りているのかと思った。ところが全面余すところなくマイマイガが、とにかくびっしりと隙間無く貼り付いている。自動ドアの前に立つと、重そうに扉が開いた。がさがさと量感を呈して落ちてゆくマイマイガ。すごかった。動かないもの、羽をばたつかせているもの。踏まないように避けながらやっと爽やかな空間に移動したのだった。壮観だった。たぶんもう見ることもないだろう。となれば、もっとじっくり見ておけば良かったとも思う。


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きょうのことば

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「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ヨハネ14:1

   ◆   ◆   ◆  ◆

 昨夜からずいぶんと雨がふりました。中津川の河川敷の散歩道も冠水しています。
 午後の晴れ間の散歩で撮った水たまりの中の風景です。

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信号機
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建物
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電信柱と樹木

雨雲のした、光はいまいちですが、路のいたるところに、もう一つのこんな風景が映しだされていました。みな逆さまの世界です。
 

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花巻東高校 対 大野高校

 朝食後草取りをしていたが、「あっ、9時から花巻東と大野だ。ま、きょうも勝つでしょ」と鎌を置いてラジオに聴き入る。3回表1-1。ところが大野に押されている。何と言うことだ! だいじょうぶ、と思ってもあっさり覆ってしまうこともあるのが高校野球。だがこの回は何とか押さえ込んだ。
 3回裏。花巻東攻撃。1番柏葉2ベースヒット。すばらしい走塁だという。ラジオのほうが、それがいよいよ颯爽と想像せられる。ドラマチックだ。3番バッター川村。デッドボールが出た。1アウト、ランナー2、3塁。盗塁成功。4番猿川。フォァボール。1アウト満塁。5番横倉。タイムリー2ベースヒット。1アウト満塁。6番千葉。打球風にのったか、追い風。2点加点。7番佐々木。2ベースヒット。8番いとう。2アウト1、2塁。ここで気持はすっかり大野に移り、もう放送が耳に入ってこなくなった。
 この回終わって5-1。
 もうここでラジオ観戦をやめた。花巻東に応援していたはずだが、3回裏で花巻東が優勢になるたびに大野健児らの必死な気持がいたいほど伝わってくる。くだされてゆく大野を聴くに堪えない。私の中では10時に5分前で試合終了!
 勝ち抜くということはすばらしいことだが、負けを強いることでもある。大野に限らず75 校みな必死なのだ。涙も後の力となるだろうが、観戦はここで終わることにする。

 ただ花巻東には何とか勝ち抜き、全国の舞台でイーハトーヴの風を吹かせて欲しい。


※以下は17時50分の書き足しです。

このあと大野は試合終了までに1点をもぎ取り、花巻東は大野から4点貰ったが、これが大野から花巻東への祝儀となった。

結果9-2。大野は花巻東に準々決勝に進むチャンスを与えた!!

 
 

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石を彫る

 一戸町小鳥谷から優れたものは何もでない。これは自分のことを顧みておもっていたこと。しかし後になって彫刻家の舟越保武先生が小鳥谷出身と知ったのです。                              

 以下は舟越先生の彫刻と著書「石の音、石の影」からインスピレーションをいただき創作した詩です。

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 石を彫る

石を切りだす
名もなく
見ばえもない
朴訥の塊を。

角をそぎ
粗を落とし
石を生かせば
眠る命が微かにめざめる。

鑿(のみ)をたて
槌をふるう
語りかける
鑿がはずれ皮膚を破る
削る
ひたすらに削る
整いはじめる顔の輪郭。

語りかけ
磨き
語りかけ
磨けば
ついに現れる無垢な頭像。

その額に
慈しみを傾け
霊を注げば
空洞の目に涙はあふれる。

     「詩とメルヘン」やなせたかし選

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平和祈念像

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 わたしが毎週行っている教会ではありませんが、建物に惹かれて撮りました。

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核兵器のない世界をめざし、不戦を誓う平和祈念像
監修 船越 保武
制作 晴山 俊春

 


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雑感

 高校野球岩手県大会、花巻東高校は11対3で岩谷堂に勝利。観戦のひまはなかったが、どこまでいけるかが楽しみ。

                     

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 大信田時子さんが、このブログにのせた「ベルケア」や「アガバンサス」をかなり詳しく調べてくださったが、少々疲れが・・・あしたすこしあたってみようかと思ったり、そこまで学問的に突き詰めるまでもないかと思ったり。時間のあるときに、といいつつきょうは何をしたかといえば、

 午後はついついまた例の「七番」を聴いてしまった。それにモーツァルトの交響曲29番。これが2回。モーツァルトのピアノ協奏曲23番はハードディスクに入っていないので、明日CDの棚を探してみよう。
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 久しぶりに、あの慶長の擬宝珠のある上の橋そばの古書店に。郷土資料関係はやはり高い高い高い。目的の本は見つからず、結局予定外の「死海文書」を買って帰宅。さあて読み終えるのはいつの事やら。

 きょうこそはやくやすもうと思ったところが、もう23時半。

これだけでは画面が何か物足りないので数枚上に下に写真を足します。

         

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いつか八幡町や大通の裏通りの特集写真やらゴミをテーマにした写真特集をやりたいなどと思うのだが、実現するかどうか。裏通りは勿論昼どきに。 

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あらえびす&ベートーヴェン「交響曲第7番」

   20時ごろ息子からのスカイプによると、関東方面は梅雨が明けたらしい。

  盛岡市はいま雨が降っている。23時過ぎた今し方風が出てきたようだ。雨音の向こうで救急車が駆けている。

暑さがけっこう応えるのを思えば、この梅雨どきのほうがまだしも過ごしやすい。梅雨にも今年は陰々滅々とした気分にならないのが意外だ。外が土砂降りでも小雨でも、何かすっきりとした気分が失われずにある。問題課題が無いわけではない。感情の起伏がないというのでもない。ただ、どういうときにも、重心が定まっている、そんな感じなのだ。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 銭形平次でおなじみの野村胡堂は、「あらえびす」というペンネームで音楽評論を書いていた。レコード音樂出版書目として、
   『
バッハからシューベルト』 定價金二圓八十銭
   『
古典音樂』        定價金一圓七十銭
   『ロマン派の音樂』     定價金二圓三十銭
これがあらえびすの三大名著であるようだ。

 あらえびすがベートーヴェンの「交響曲第7番」をどういってるかと見れば、

「ベートーヴェンの『第七』は、シンフォニーとしては決して通俗なものではなく、同じベートーヴェンの作品でも『第五』や『第三のような標題を持ったものとは全く異なった性質のシンフォニーです。この曲は餘りにも豪華で、普通の人が享樂的な気持では到底受けきれない氾濫した美しさがあります。ベートーヴェンが聾(つんぼ)ー原文のままーになり切った當時の心境に、かくもロマンティックな、明るい美しいものを持ったのは興味あることで、彼の中期の絢爛な作品の最高峰を飾る最も有意義なシンフォニーであることは言う迄もありません。」 

 さて、賢治が七番をどう聴いていたかを知りたいところですが・・・

 賢治は裕福でしたから、衣食住には事欠くことなく、給料は、書籍、レコードや友人知人のために注ぎ込むことができた。どんどん買い集めた賢治は聴くも聴いたけれども、どんどん人にもあげていた。沢里武治や森荘己池、菊池武雄、宮沢恒治の家族、玉置邁(つとむ)といった人々に、当時まだまだ高価だったレコードを惜しみなくプレゼントしていたのだ。清六さんに遺したレコードやらなにやらを付き合わせて考察すれば、或いは、何かが見えてくるだろう。

 この中で玉置邁(つとむ)さんの息子玉置鷹彦さんのもとに、賢治から邁(つとむ)さんに贈られたレコードであるストラヴィンスキーの『火の鳥』があることを知ったのは、私でした。玉置鷹彦さんに太田カルテットの梅村保に関しての調査でしたが、十項目ばかりの質問を発しました。その中で、玉置邁(つとむ)さんの交遊関係という質問を設けた欄に、鷹彦さんが書き込んで下さったのでした。ささやかながら賢治のレコード研究にお役に立つことが出来たのです。このときわたしは本当に祈りながら真摯な思いでやっておりました。このことは佐藤泰平著『宮沢賢治の音楽』(筑摩書房)に書かれています。わたしは一主婦ですが、佐藤先生は、ご自分のものとせずに、これを明記してくださったのでした。感謝です。

 話しは逸れましたが、賢治が七番をどう聴いたか興味深いことです。

レコード交換用紙には載ってますから聴いたはず。清六さんの「兄とレコード」には書かれていない。もしかするとそれほどは聴かなかったかも。しかし当時のレコードは七番として満足のいく吹き込みがなされていないレコードもあり、あまり聴いてないという場合もそういう事情もあり得ると考えられる。

 

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雑感ー日々感動ー

 午前は台所。薬罐、大鍋の磨き。雨降り。晴れ間を見ながら草取り。
 午後には晴れてくれた。草取りを続行。ユリのあいだに生えたシソを生かしておいたところ、いつの間にか大きく育ったシソの陰で、ことし初めてユリが咲いていた。写真に撮っておこうと思ったヒガンバナ科のアガバンサスが、いま撮らないと過ぎてしまいそう。

 ここのところ雨が降ると晴れ間を狙って草取りをしている。

 16時ごろだったろうか、軒下の椅子でコーヒーを飲んだが、雲がどんどん東に流れていた。風が強く樹木が大きく揺れ、刈り込んだ紅葉の葉が千切れんばかりに煽られている。樹木のことごとくが動いている。ふつう樹木は静止していると思っていたが、それは誤りで、静止していると見えるときでも、何らかの微かな動き、生命の営みがあるはずだ。つまり生きているものには動きがある。たとえば樹液が動いている。光合成をしている。これらは一見わからない。大昔に習ったことが、いまやっと起きだし、知識が自然と結びついた。習ったときには何の驚きも感動もなかった。
 いそぎ流れゆく白い雲。ひらけた真っ青な空。この雲の動きに、この抜けるような空に、この揺れ動く木々に、草に花にただ一枚の葉っぱにも、「在りて在るもの」はご自分を現わされる。何とすばらしい眺めだろう。


 春の選抜で準優勝した花巻東高校、試合が日曜に重なっていたのだ。そんなわけで観戦できなかったが、バッチリ勝ち抜いていた。春に監督が、野球に勝ち抜いたことで人生を誤ってしまうことがあるが・・・と語っているのを思いだし、この監督のもとにあるなら初戦を見くびるはずはないと思っていた。
 それにしても、報道された写真を初めて一枚一枚気をつけて見たが、「ここだ!」というところを逃さず確実に撮っている。シャッターを押すときの緊迫感が伝わってくる。プロだから当たり前といえばそうだが、すごいと思った。連写から場面を抜き取るのかもしれない。
 きょうは雨で野球は延期。天気ひとつもどこに不利となりどこに幸運となるか・・・
 夏の試合はテレビにかじりついて観戦というわけにはいかないかも。

 梅村保の子孫梅村隆一さんは、いまドイツのクレフェルド・メンヒェングランドバッハ市立歌劇場管弦楽団に在籍しているが、この2009年6月6日に指揮デビューを果たした。デュッセルドルフに日本クラブという大規模な日本コミュニティがあるが、去年アマチュアのオーケストラが発足。このオケの第二定期演奏会でのデビューとなった。

 曲目
モーツァルト 序曲 皇帝ティートの慈悲
レスピーギ  リュートのための古風な舞曲とアリア第三組曲
ベートーヴェン 交響曲第一番

 以上は梅村隆一ブログ「【うめ茶屋】徒然なるままに」からです。コメント、メールはしたことがありませんが、他(外だったかな)ならぬ梅村保氏の子孫なので、遙か彼方から応援している訳です。

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きょうのことば

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「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」使徒1:8

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 教会の玄関にアジサイが飾ってあった。青、水色ではなく赤っぽい紫。花弁のまん中は白い。ひろ子牧師が「これはYさんにいただいたものなんです」と。Yさんが亡くなって何年になるだろう。花が好きだったYさん。講壇の傍らに日曜日ごとに交替で花が生けられる。Yさんが生けた花はいつも際だっていた。教会の庭にアジサイをのこしたYさん。このアジサイとともにYさんがいまも教会に存在している、そう思った。   

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雑感ー人名辞典に梅村ら〝上場〟&あらえびすー

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 「岩手人名辞典」(財団法人新渡戸基金)浦田敬三、藤井茂 共著
が2009年6月に刊行された。このなかで、梅村保が初めて人名辞典に登場しました。息子の功二先生も一行記されました。また赤沢長五郎、佐々木休次郎、館沢
繁次郎も辞典には初出です。
 赤沢長五郎の参考文献は、
      「太田クワルテット物語」佐藤信夫著
 梅村保、佐々木休次郎、佐々木
繁次郎の参考文献は
      
「太田クワルテット物語」佐藤信夫著
      「光炎に響く」中ぶんな著
 となっています。
 大変うれしい事でした。6月28日にニューウィングで出版パーティーがありました。

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あらえびす著「レコードによる古典音樂」が舞い込みました。定價金一圓七十銭。「野村胡堂」のサイン入りです。古書店で150円で売られた経歴あり。昭和12年12月15日發行。著作野村長一。發行所レコード音樂社。

これもまたとてもうれしいことでした。

復刻版は持っていましたが、まさかあらえびすのサイン入りにお目にかかるとは!!この著書で、あらえびすが最後に紹介したレコードは

『聖なる哉我が主』ファヴル指揮、ベルリン獨唱者聯盟、ビクター(JA504) 「シューベルトのミサの一節ですが、非常に美しい合唱曲で、これを合唱している團體も見事です。シューベルトの宗教音樂の代表的なものとして推せるでせう。」と。

 

 

 

 

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6月のアルバムからー朝市ー

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落選随筆ーその2-

きのうの落選した随筆「琴」のつづきです。 

三浦哲郎が日本経済新聞に『地唄(黒髪)の思い出』と題して随筆を寄せたことがある。それによれば、貴美恵さんの琴教室の演奏会で三浦自身も演奏している。貴美恵さんが、正式に習いもせずに見事に弾いた弟に驚いたという。ふとん店の二階の稽古場でも、おそらく見ていただけではなく弾いていたのではないか。美男であったというから、或いは貴美恵さんの弟子たちの憧れの的であったかもしれない。
 F子の姉A子がわたしを溺愛した。私はA子おばちゃんと呼んでいた。ふとん店の一角はA子おばちゃんの洋裁教室だった。最新型の子ども服を試作しては着せてくれたものである。
 ある日突然A子おばちゃんが私を抱きしめた。その力があまりに強く苦しかったのを覚えている。わたしは大人になってから、あのとき何か悲しい出来事があったのだと気づいた。
 母の伯父はとても愉快な人だった。客がふとんを注文すると、「いつまでに作ればいい? 初七日か? 四十九日か?」などといって笑わせていた。
 庭の奧の工場では綿を打つ機械音がしていた。人影がすると大型犬のジョンがけたたましく吠え立てる。このような家や庭で、私は思いのままに遊び回っていた。
 貴美恵さんはそんな私を呼び寄せては、琴を弾かせてくれたらしい。この子には素質がありそうだから是非習わせなさいと母に勧めたという。しかしわが家の家計は火の車、習い事どころではなかったのだ。
 それから20年もの歳月が流れ、貴美恵さんが選んでくれた琴は、さまざまな成り行きから母のもとに落ち着いたのだった。私はもう社会人となっていたが、今からでも習うようにと母に勧められ稽古に通った。ところが指がなかなか思うようには動かない。それでもどうにか練習曲をこなしていたが、ついに『六段の調べ』で躓き、以来琴はふたたび床の間の置物となってしまった。
 一戸町のふとん店はもういまは無い。店舗も庭も保証人となった形に人手に渡ってしまった。
 日差しに温もる飛び石をわたしはいったい何百回、何千回跳んだことだろう。一つ一つの情景が厚い人情とともに胸中を過ぎる。このような原体験が、わたしがものを書くときに、原動力の一つになってくれている。
 琴の音を耳にしゃがみこみ、飽かずにながめた松葉牡丹の花は今もって眩しい。ーおわりー

以下には、検証というよりも、書くときには見えなかったが、落選してやっと見えたアラ、欠点をひろってみました。

★琴の数え方はやはり一面、二面とすべきだった。ただここで琴の台数をいう必要はなかった。★母から見て孫が4人いるのに3人と誤記してしまった。★母と叔父一家、叔父の家族関係をもっと簡潔に書くべきだった。★弟嫁という呼び方はいまどきどんなものだろう。弟の妻とかそんな呼び方がよかったかも。★三浦哲郎は日本経済新聞にばかりではなく、他にも同じ内容を書いているので、ここでとくに出典を記す必要はなかったかも。★Aおばちゃんが登場したところで、「琴」から焦点がぼやけてしまい、どこか分裂気質的脈絡になった。★叔父の冗談はブラックユーモアであり、話しているときの表情、口調、ニュアンスそれと聞き手の性格、表情が見えていない場合は文として書くべきではなかった。★最後の4行が、どうにか巧みに恰好をつけておさめようとの意図が見え見えで、いま自分で読んでも気分がよくない。

と細かな反省はこんなところです。ただそんなことより何より、もっともなくてはならない肝心な事がないことに気づきました。私の作品の内容は、★私が持っている琴は、芥川賞作家の三浦哲郎の姉貴美恵さんが選んでくれた琴だ、どうだすごいだろう。★私は小さい頃、けっこう甘やかされて楽しかったときがあったんだ!まあその後はなかなかに厳しい暮しでしたから、ついこういうことも言いたくなったわけですが。これも読後気分のいいものではなかった。何れも真理に照らせば実にくだらない。

といった内容。一心に取り組んだ事柄もなく、あふれる愛情もなく、しみじみとした情感もなく、そういうわけで人の心を打つはずもないわけです。ざっと気づいただけで10個の黒星でした。

 ただそう気づいてみても、今後これらの欠点を克服した作品が書けるかとなると、何処にも何の保証もないわけです。方向転換するか、再び挑戦するか、それも何ともいえません。

 作品の中でちょぴり☆なのは、貴美恵さんは「この子には素質がありそうだから」と言ったのではなく、「この子には素質がある」と言ったと母はいいました。すこし控えめに書きました。それはいまでも私の誇りです。ただそれを努力して花咲かせなかったのは、わたしの怠け癖のせいでした。

 それやこれやで落選は当然の結果でした。

「エホバ与え、エホバ取りたもう。エホバの御名は讃むべきかな」(エホバの証人とは関係ありません)。しかし今の心境はエホバ与え、エホバ与え、エホバ与え・・・・なぜそう思うのかこれがわからないのですが、神はまた自分に必要なものを一つ加えてくださったと実感しています。感謝です。

こう書き終えたとたんに、ずっと降っていた雨が急に土砂降りになりました。洪水、土砂災害となりませんように。

「ふるきは過ぎ去り、見よ新しくなりたり」聖書

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こう書けば落ちるー岩手日報随筆賞、落選原稿を検証するー

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岩手日報随筆賞の発表が今日の朝刊にありました。
最優秀賞 小野まり子さん題が何と「牛飼い、再び」
       単に家畜としての扱いではなく、牛への愛情がじんわりと伝わってきました。さまざまな意味でうれしい作品でした。
 優秀賞 神田由美子さん
 優秀賞 佐藤明美さん
 優秀賞 吉田真人さん

さて、「じゃ、あなたは投稿したの?」には「はい」。しかし、しかし落選してしまいました。トホホ。けれども選ばれた方々の内容を読んで、納得!!そこで、自分のをどう扱うかといえば、〝模範的落選作品〟として取りあげ、「こういうふうに書くと落ちます」(他の入選しなかった方々の作品については、受賞するか否かでは決められないこともありますが)と後々の方々のために、また自分のためにも、足りなかった点を検証することに。というわけで、以下はわたしの投稿作品です。検証は明日になります。

   琴

 実家の床の間に一台の琴が立てかけられている。私が20歳のころ稽古用に使っていたものだ。結婚した後にも置き所がなく預けたままだった。
 母は孫たちがきたとき琴をケースから出して遊ばせていた。まだ幼児だった姪二人と私の二人の息子たちが実家で合流したときにも、久しぶりに琴を取り出した。私は長い弦を持ち上げて駒を立て、音を合わせた。中指、人差し指、親指に爪を差しこむ。かつて汗だくになって取り組んだ『六段の調べ』の最初の三つの音を鳴らす。長い間放っておいたのだが、高音は明るく澄み、低音も荘重に鳴ってくれた。弦の音質を確かめるためにはこの三つの音を繰り返すだけで十分だった。
 母が孫娘に、古い和服から仕立て直した赤い花柄の着物を着せた。小さな指に琴の爪を押し込んだが、指が細すぎて爪がぐるぐると回る。母ははしゃぐ4人の孫を窘めながら琴の前に正座させた。琴を習ったこともない指がかき鳴らす弦は、ガシャガシャと賑やかに鳴り響いた。弟嫁がカメラを構える。シャッターがカシャとおりた。
 そのときの一枚を身近に飾りたまに眺めている。床の間を背中にして着物を着た女の子が弦を爪弾き、白と黄色のセーターに吊りバンドをした息子たちが、右隣でそんな従妹を見ている。満面に無邪気な笑みだ。
 数年後、私は、この琴を買うときに選んでくれたのは、『忍ぶ川』で芥川賞を受賞した作家三浦哲郎の姉貴美恵さんであることを母から聞いた。もっとも購入したのは母ではない。母は幼いとき父親を亡くし、親子で一戸町にあるふと店を営む叔父の家に身を寄せていた。この家の二階を、箏曲師範である貴美恵さんが、駅からも近いということで稽古場として借りていたのである。貴美恵さんから琴を習い買うときに琴を選んでもらったのは、母の従妹であるこの家の二女F子だった。当時早稲田大学を休学中だった三浦哲郎が、一戸町の広全寺住職春覚さんと連れだってよく稽古場に来ていたという。春覚さんは三浦家が墓を八戸市から一戸町の広全寺に移転させるときに手伝ったのが縁で三浦家との付き合いがある。春覚さんは尺八を奏したようだ。   ーつづくー



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画像雑感

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 6月に撮った綱取ダム周辺です。ダム湖にも堰堤にも、ぐるりの林にも怪しい人影や物音はまったくありませんでした。駐車の車には若い女性の姿が。
 秋にはまた同じ場所で撮るつもりです。若葉の季節も撮りたかったのですが・・・。
 車の色が空と同じ色。これがもし黄色なら、赤、緑、白なら・・・それによって写真の雰囲気がまた違うものに。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

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     ベルケア

昨年、雫石町のらら倶楽部で、多年草ということで手に入れました。詳しく知りたく思い検索したところ、出てきませんでした。

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雑感&虫のなまえ

  とにかく暑い一日でした。いまやっと涼しい風が窓から吹き込んでいます。昨日の集いでのお話やらトーンチャイムやらを思いだすと、つんけんした物言いが出てこない感じがします。賛美歌はたしかに単純。けれども霊妙さがあり、説得力のある慰めに心打たれます。

 真夏日の午後、きのう来てくれた友だちに立ち寄り、帰りに庭を見て、秋をめざす秋明菊の葉が、わが家のそれの二倍の大きさとなり、ブルーベリーはたわわに実をならせ、大きな梅の実が地面に一つ。白いホタルブクロ、地方名では「あめふりばなこ」とも呼ばれていますが、清楚に咲いているさまに、友だちの先々が必ずや守られてゆくであろうと、ほんとうに嬉しく思ったことでした。


 近所の家々の窓も開け放たれているのでしょう。人の笑い声がしています。帰宅したらしい車のエンジン音がいまふつりと消えました。暗闇の中に木のシルエットがくっきりと浮かんでいる向こうには街灯が明るいくびを支えられて、後ろの白いモルタルの壁をぼうっと照らしています。空には紫がかった月がくもりはじめた空に輪郭をにじませています。いま路地に語り合いながら帰りゆく靴音がしています。


   ☆  ☆  ☆  ☆

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 またまた毛虫くんの登場です。〝
本籍地〟となる樹木までは特定できませんが、名前がわかりました。実は日曜の夜にわかりました。

 最後の手段、ネットの「幼虫図鑑」を五十音に従って検索。「ス」で始まる幼虫で出会いました。「ワ」だったら、そこまで根気がつづいたかどうか・・・何れ「ス」で出てくれてホッと。
 その名は「スギドクガ」。終齢幼虫です。威嚇するときには、腹節の間の黒い部分を迫り出すらしい。食草は、スギ、ヒノキ、ヒマラヤシータ、カイヅカイブキ、テーダマツなどの針葉樹。成虫は細長の二等辺三角形で頭部は黒っぽく羽は白っぽい蛾です。30㎜前後。

 しかしすばらしい図鑑でした。ありとあらゆる青虫毛虫のオンパレード。まだまだすばらしい毛虫がたくさんありました。巨大化させたら人気者の怪獣になりそうな毛虫も。これだけ見つけ出し撮影できたなんて驚きです。

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きょうのことば

                  

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「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。」ヨハネ14:16

 6月には青かったレッドカーラントの実もいまこんなに赤くなりました。
きょうの額田ご夫妻をお迎えしての集いには、たくさんの方々がいらっしゃいました。

 某通信関係でITエンジニアであった額田さん。日本で、またタイ、イタリアでのプロジェクトの責任者として勤務された職業人としての側面からのお話は興味深いものでした。

 額田さんは毎日一時間聖書或いは副読本を読み祈っています。

 タイに於いて
納期厳守、品質管理、利益やコストの確保。言葉、文化、宗教、習慣の違い。スケジュール管理。為替変動への目配り。小切手、為替決済(機械で読み取り、コンピューターで処理できるように加工するため、電子データーに入れて行う)の難しさ。特にこの電子処理があがらなかった。うまくいかず、銀行間の取り引きには必ず中央銀行が介在するが、試験が失敗に終わり、中央銀行から「失敗」の応答が相次いだ。そこで中央銀行頭取に相談しに出かけた額田さんの耳に、上記のヨハネ14:16が響き、神がこの一件に関与してくださっていることを実感したのでした。これは額田さんの感激とともに人生に特筆すべき出来事だったようです。
このときは、それでプロジェクトが飛躍的に進んだわけではないが、神から自らのうちに、遂行するうえでの必要な大きな励ましがあったといいます。

 イタリアに於いて
工場の生産ラインを再構築するパッケージソフトの導入をめぐり、窮地に極まったとき、サブコンで入っていたインドの会社の責任者と1対1で話し合うことになり、「わたしは何をどうしたらよいか分からない」と祈りながらミーティングルームに入っていったところ、インドの責任者の方が、間髪入れず「我々がパッケージをインストールする」と。こうしてラインが動くようになったそうです。これは成り行きから驚くべきことであったようです。

このお話しの中から、わたしは、二通りの神の回答を見ました。ある場合には、神は難題に直面している人の周囲にある人物の力を活用して、見た目奇跡的に解決してくださる。またある場合には、神は、周囲の人も事態も動かさず、難題に直面した本人の心、魂に働きかけることにより、逆境に耐えうる、または模索し続けるためのエネルギーを付加してくださる。
 こんなふうに思いました。

※語彙の聞き取りに若干の聞き違いがある場合もあり得ますが、ご容赦下さい。

 

 

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オープン・チャーチのご案内

   

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額田夫妻がやってくる!!
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インマヌエル盛岡キリスト教会℡019ー646-2924
 

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虫のいどころ

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「ああ、びっくりした!」
「キッモチ悪~い」
「何?これ」

さてご覧になってどう思われたでしょうか。

 一週間ばかりまえのこと。この毛虫が教会の玄関先を這っていたのです。わたしはすばらしいものだと思いました。こんなもの凄い輩がいたのかと感心したのです。「あ~、カメラがあれば」。すると出てきたのは国光牧師。「撮っておきましょう」。牧師ってそれほどひまじゃないんです。「いいえ、いいんです」とは言ったものの、こんなすごいのはそういないぞ・・・

 そしてきょうメールを開けると・・・ジャ~ン!

 どこをどう這ってきたか、メールの受信に侵入し、ドキュメントのピクチャに移動し、ついにブログにまで這ってきちゃったようです。つまり、けっこう出たがりやさんなんですね、この方。

「おなまえは?」と訊いたところ、ウンともスンとも返事がない。そこでネットじゅうを「教えてくださんせ」と扉をたたいて回ったのです。20時からただいま22時50分までも。ところがお目にかかれた方々のなかに似た方は一匹もおられませんでした。そんなわけで、名無しのままこのブログに保護しております。

この虫の所番地は

盛岡市大館町12の26 /インマヌエル盛岡キリスト教会玄関先℡019-646-2924

とはいうものの、この毛虫はいま保護されているので、教会の敷地内にはいないはず。苦手な方もご安心ください。



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盛岡市平成市民の森

 天気に恵まれた日でしたが、盛岡市川目第三地割にある平成市民の森を、車乗り入れ禁止の地点から30分ばかり散策してきました。綱取ダムの近くです。一人で出かけるときには、何枚でもじっくり写真を撮りますが、当日は主人が一緒でしたので、すこし遠慮しました。

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       ここからは車の進入は禁止。
       どんどん登ってゆくのは主人です。

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       とうとうクマには会えませんでした。

       ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

ところで、綱取ダムが〝心霊スポット〟だとか何とか最近知りましたが、ここには主人が度々テニスに行っていますし、またわたしが一人で写真を撮りに行き、この春などは良い景観を探してそちこち動き回りましたが、そういった気配やそれに相当する現象には一度も出会ってはいません。
 また数年前、全日空機墜落現場である慰霊の森にも一人で行きましたが、心霊現象などと思われる事象はまったくありませんでした。慰霊の森は物見遊山的気分で行くべきではありませんが、綱取ダムは人が楽しめるように整備されているので、もっとたくさんの人たちが来るとよいのにと思いました。
 


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辻井伸行さんの世界

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 きょうNHKクローズアップ現代に出ていた辻井さんを見ました。わたしがこれまで見てきたピアニストのなかでは、弾くときの表情にとても惹かれました。辻井さんは別世界にいる、それがわかるのです。純粋培養された中で培われてきた音の世界、そんな感じがしました。この辻井さんしか持ち得ない世界の中で、今後さまざまな論評を受けとめながら、どんな音の妙味を創り出して行かれるのかが楽しみです。
 
  ※エルマン演奏会などの資料を載せようと思いましたが、時間のあるときにまとめて作業をしたほうが良さそうなので、後回しになります。 

 

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雑感

 はやくも7月・・・6月も、5月も月初めに同じことを言ったような・・・。
7月といえば高校野球。このブログで野球は筋違いのようだが。

 花巻東高校が今年度初めを勝利でかざり、厳しい経済沈滞のさ中に元気をくれたのだった。決勝当日、「よーしきょうは勝利をマスコミよりも速くブログにアップするぞ」の勢いで観戦。試合終了と同時に急いで書き込んだ。こんなに急いだのは後にも先にもこのときだけだ。
 あれから3ヶ月。花巻東はどんなメニューをこなしてきたのか。スポーツに疎い私までがTVの前に座り込んだ日だった。

 こんどは第91回の夏の戦いだ。花巻東は12日県営球場で久慈か西和賀と対戦予定。すでに戦いの予測をたてたブログもあった。花巻東ばかりではない、久慈も西和賀も楽しみだ。

 ここで75校を待つグランドの写真の一枚も載せたいところだが、また際限がなくなりそうなので静かに待つことに。
 何れスポーツに興味の無かったこのおばはんをTVに釘付けにし、また見ようという気にさせた花巻東はこれだけでもすごい!!
 

 カメラをさげてあるく方々を目にするとき、果たして写真には芸術的な欲求を満足させるものがあるのかしらん、と半信半疑だった。しかし自分で撮るようになって、これもまた奧が深いことがわかった。光、角度、時間等々・・・多様な要素をこなしてはじめて納得のいく一枚となる。

 広角、望遠もあればと一時期は思ったが、ここでしっかりと頭を冷やした。このデジカメひとつで自分にはちょうどよい。

 ほんとうは人物を撮りたい。人がいない写真ほど寂しいものはない。人の喜び悲しみ苦しみ怒りを撮らないでどうする? ところがこれには肖像権やらなにやら面倒な制約がついてまわる。いちいち「よろしいでしょうか?」と訊かねばならないかと思うとつい引いてしまう。写真の専門家ならそれもすべきなのだろうが。

 動くものを撮るのがいちばん難しい。鳥などもそうだ。自分がやってみてはじめて、バッチリ撮れた一枚のすごさがわかるようになった。

 とにかく写真は面白い。切り取った景色や花々を
パソコン画面いっぱいに再現するのが楽しい。写真と写真を合成したり、不快な電線を消したり、色合いを変えるソフトもあるらしい。便利で好都合だが、それはほんとうの写真とはいえないのではないか。

「つけ替える仮面の奧の顔一つ」
これは私がかなりまえに詠んだ川柳だが、いまならどう詠むか、というよりどう生きたいか・・・「仮面も仮面の奧もただ一つ」或いは「仮面取り素顔のままで生きてゆく」。肩の力を抜きこんなふうにありたいこの頃である。

ところで政界ではいま様々な〝仮面〟が売れているらしい。


 

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