クレンペラー
ごく単純な動機から、けさはクレンペラーのヴェートーヴェンの第九を聴いてみた。いささか悠長だが、高邁な精神性も感じさせる。クレンペラーを聴くうちに初めて、楽譜を書くベートーヴェンの姿を思い浮かべた。彼がついに終章の最後を書き上げたとき、どれほどに歓喜と筆舌に尽くしがたい感動を覚えたであろうかと推察された。
オットー・クレンペラー(1885~1973)。ドイツ帝国ブレスラウ出身。ユダヤ人指揮者、作曲家。楽曲の形式感、構築性を重んじる。グスタフ・マーラーの推薦で、22歳のときプラハのドイツ歌劇場の指揮者となる。1921年ベルリン・フィルデビュー。1927年ウンター・デン・リンデン国立歌劇場付属クロル歌劇場監督。1933年48歳でナチを逃れ米に亡命。ロサンジェルス・フィルハーモニック指揮者に就任。(Wikipedia)
ナチを逃れ米に移ったクレンペラー。一方同時代、ナチ下に音楽活動を展開したフルトヴェングラーとカラヤン。
クレンペラーを聴きおえて直ぐに、無意識のうちにカラヤンの第九をかけていた。ナチ政権下で育ったカラヤン。楽団員の何人かの証言でも、そのあまりに徹底した帝王ぶりで、嫌われ者だったカラヤン。同じ理由で、弟などは昔、カラヤンの全盛時代にも彼のレコードは絶対に買わなかった。とうとうベームで通した。ベームを今聴くとカラヤンに比べるとベームにはベームの良さがあるが平板だ。わたしも一時期カラヤンをボイコットした。しかしいまは、それやこれやを知りつつも、最後にはカラヤンをかけてしまう。ただカラヤンはハイドンの人ではないと思う。クレンペラーにハイドンを振った版があるかどうかは分からないが、クレンペラーならハイドンをものにする、そう思うがどうだったのだろう。
クレンペラーという指揮者にも逸話が多い。脳腫瘍や躁鬱病もあった。ステージの下に後頭部から落ちたことも。奇想天外な言行の数々だったらしい。しかし彼の音楽だけは敬意をもって丁重に遇されたようだ。
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