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2009年6月

ミッシャ・エルマンとストラッド

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 これはミッシャ・エルマン(Mikhail  Saulovich ‘
Mischa’ Elman)のブロマイドです。サインはエルマンの直筆です。

 エルマンは1921(大正10)年2月に来日。16日(水)~30日(日)帝国劇場で毎夜8時開演でした。盛岡市の弦楽四重奏団太田カルテット
の4人が上京し、このコンサートを聴いたことはすでに書きました。そのときに、赤沢長五郎氏がエルマンから貰ったサインだと考えて間違いありません。
 抱えているのはストラッドでしょう。わたしがどうして何年製のストラッドか気にしたのは、こんなところからでもあります。
 帝国劇場で彼らが聴いた席と同じ席に座ってエルマントーンを聴く想像をしてみるのです。このときのエルマンは31歳でした。

 かつてエルマンが所有したストラッド「マダム・レカミエ」を、日本の某製薬会社が所有し、同じく日本人のヴァイオリニスト山田晃子さんが借り受け鳴らしているのです。この成り行きに倍音のような響きが感じられなくもない。何ともいえない想いがします。

  このときのプログラムも後日紹介いたします。

※筆者が所有している資料はコピーです。現物は赤沢和夫氏のもとにあります。
ただしまっておくのが勿体なく、公開することにしました。



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雑感ー言葉にしようかなー

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  シンフォニエッタ・盛岡の2010年春のコンサート用プログラムが決定した。同団のHPで知ったのだが。
 第一部モーツァルト「交響曲第29番」、同「ピアノ協奏曲第23番」。第二部お楽しみメドレー集ほか。
 この28日には初見を終えたという。この日、新入団2名。
 どうしてシンフォニエッタ・盛岡を書くの? それは一つは、わたしが長年興味をもってちょこちょこと調べた太田カルテットのメンバーだった赤沢長五郎の弟子が楽団の中にいる、つまり太田カルテットの流れを汲んでいるからです。今一つは、とても楽しい。それと「チャレンジ!」があるということです。おまけにチケットが手に入りやすい。
 他の地元の楽団をほとんど聴いていないので、比較でいうのではないし、評論めいたことなど言える筋ではないのです。

 地元こそぜんぶ聴きたいのですが何しろ時間が・・・時間は作り出すものよ、とは友人の言葉ですが・・・。
 
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 内田光子のピアノリサイタルがあるようだ。2009年11月24、27日、サントリーホール。発売と同時に完売でしょう。大予言「内田光子も行っちゃった」。恐らく無理でしょう。まっ、コンサートばかりが芸術、人生じゃないですから。

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 盛岡市の岩山にある漆芸美術館がいったん閉館となり、まえにこのブログに紹介しているので、閉館したことを書いておかなければと無精しているうちに、また8月1日にオープンする事に。〝残念ながら閉館ーこの後どうなるー〟などと書かなくてよかった!

 頭髪がひどいので〝頭屋さん〟に行った。この時とばかりに積まれてある女性週刊誌を次つぎに。「女性自身」だったと思うが、
 漆芸美術館館長のチョン・ヨンボク(全龍福)さんが、4月に韓国に行きペ・ヨンジュンさんに会ったらしい。この日がちょうどヨンボクさんの誕生日だった。そこでヨンジュンさんは、高級ブランドスーツを一着プレゼント。8月1日のオープンに、ヨンボクさんは、この細身のスーツを着る予定だという。ヨンジュンさんプレゼントのスーツを見たい方もオープンにどうぞ。もう誰もが知っていることですが、ヨンジュンさんは漆芸美術館の名誉館長になりました。

 小姑さんが他県から帰省したとき、美術館内の岩山茶廊でコーヒーを一緒に飲んだのですが、確か6日の3時半頃でしたが、このときは瀬戸内寂聴さんが来ていたようです。茶廊の方が、「4時に帰るから待っていれば会えるかも」と教えて下さったのですが、早々に帰ってきました。寂聴さんに会ったからといって、わたしの文章が一気にうまくなるわけでもありませんしね。晩ご飯も作らなくちゃなりませんし。

 漆芸美術館の関係者でもなく、関係者の関係者でもないのですが、さんさ踊りやちゃぐちゃぐ馬こばかりではなく、この機会にも、岩手に沢山の人たちに来ていただけたらと書きました。

 「ペ・ヨンジュン」の作品も展示されるようです。

 

 

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オープン・チャーチのご案内-光よあれー

「光よ。あれ。」創世記1:3

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世界のベストセラーである聖書からのお話です。

会場はインマヌエル盛岡キリスト教会。
  〒020ー0147
  盛岡市大館町12-26
    ℡019-646-2924

 ふだんは、国光勝美牧師夫妻が牧会しています。気軽に訪れてみてください。

※新興宗教とは一切関係ありません。         

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深緑の綱取ダム

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50㏄で暗いトンネルを抜けました。ここから先は桜の季節にも載せた綱取ダムです。自宅からは写真撮りの時間を含めて往復1時間弱。買い物がてらのプチツーリング。どこも深緑である景色の存在感を捉えるのはなかなか難しい。深緑には申し訳ない出来に。

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クリックして雄大さをご覧ください。



 

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ストラッド雑感

 これはまったくの想像ですが、なぜレカミエに1717製説と1727製説があるのか。エルマンは、知るところでは、ストラディヴァリを3挺(実際にはもっとあったかもしれませんが)所持したことがある。そのうち1717製と1727製がエルマンの手元から離れてから、エルマンがレカミエを所有していたので、ある時点からどちらにも、そのいわれが付帯されるようになったのでは。これはまったく根拠のない想像でいうことです。

 それにしても、ストラッドは、永久に奏者たちの望む音を出しうるのか。いかに優れた楽器と言えども命運尽きるときがくるのでは。あとどれぐらい使用に耐えるものか、これもどこかに試算されて弾きだされているのかもしれません。

 「名器は弾く者にはその良さが分かるが、聴くだけじゃ分からない」ともいわれ、また専門家ですら必ずしも聞分けができるわけではないとも言われる名器。国産高級品のほうが良い音と聞こえ支持されることも。

 名器を使うことが、ヴァイオリニストのステータスともなり得る側面がないではなさそう。聞分けなど出来るはずもない私がストラッドを語る自体が言語道断なのだが・・・それにしてもストラッドの値段は・・・。レカミエも1717製と1727製では価格は違うだろうけれど。絵画と同じように芸術品としての価値なのか、何れにしろストラッドの値段は奇々怪々、摩訶不思議でしかない。

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ストラディバリウス「マダム・レカミエ」の製作年代は?

 ネットの「なんだか偏った知識」(http://www.h3dion.ne.jp/^t.r.s/today.html)の「154.ストラディバリ銘付き2008/3/15」なかで、ストラディバリウス「マダム・レカミエ」の製作年代に関し、

1717  マダム・レカミエ     ナポレオンがレカミエ夫人に贈ったといわれているため

とありました。

同じ一覧表のなかに

1727 Recmir,Elman とあり由来は書かれていません。

上記の「Recmir,Elman」というのは銘ではなくヴァイオリン履歴と考えられます。履歴からマダム・レカミエは1717製ではなく1727製と思いますが如何でしょう。ここに書くより先に問い合わせたかったのですが、問い合わせ先が分かりませんでした。それと1717にマダム・レカミエという銘が入っていたかどうか、ご存じであれば知りたく思います。
 レカミエは1717製と1727製と二通り紹介されています。
どちらが正しいかご存じの方はお教えください。

 さらに自分で調べてはみますが。

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空と花

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ストラディバリウス「マダム・レカミエ」

 ストラディバリウス「マダム・レカミエ」はいまどこに?

 ストラディバリウス「マダム・レカミエ」は、アントニオ・ストラディバリ(1644から1737)が約1200挺制作(約600挺が確認されている)したヴァイオリンのうちの1727年製(1717である可能性も)のもの。ナポレオンがレカミエ夫人にプレゼントしたところからこの愛称が。そこからの経緯は分からないが、これをミッシャ・エルマン(1891~1967)が婚約者からプレゼントされている。

 このエルマンが1921(大正10)年に来日。2月16~30日帝国劇場で演奏している。エルマンは情熱的な演奏スタイルと美音で有名だが、当時の演奏家、楽器製作者は多大な影響を受けている。わたしが調べている太田カルテットも然りであった。この来日のときエルマンが一体どの楽器を持参したか、ストラッドを何挺か持っていた彼が、どれを持参したかは、わたしには大変な興味だった。というのは、太田カルテットのメンバーたちが、この演奏会のあとには音楽意識が変化している。いよいよ弦楽研究に熱が入り、数々の音楽会企画も行うようになっている。これはエルマンの演奏技術、音楽性のみならず楽器も優れていたはずと考えた。このほどツィメルマンがピアノ持参で来日。ツィメルマンに限らず、演奏家の楽器へのこだわりは分かる。大正10年の帝劇に鳴り響いたのが何年製のストラッドかを特定するのは半ばあきらめてもいるが、せめてレカミエのありかを知りたかった。

 それがこのほど、このヴァイオリンを持っているのは上野製薬(株)であるとわかり驚いている。既に斯界には知られているだろう。そして貸与先は、山田晃子さん。ヴァイオリニスト山田晃子さんとは?

 父の転勤で2歳のときロンドン。3歳でススキ・メソードの指導者である母玲子につきヴァイオリンを始める。7歳でパリに。パリ市立音楽院に。2000年第1回アヴィニヨン国際ヴァイオリンコンクール第一位。2001年第14回ドゥエ国際ヴァイオリン・コンクール第一位。2002年1月モーツァルト国際コンクールヴァイオリン部門第二位。2002年11月ロン=ティボー国際コンクールでは史上最年少16歳で第一位。2003年シャンゼリゼ劇場でクルト・マズア&フランス国立管弦楽団と演奏。(Wikipedia)

等々・・・まだまだありますがWikiで知ることができます。とにかく華々しい。レカミエは現在このような山田晃子さんのもとで毎日妙音を響かせているらしい。

 さて所有の上野製薬(株)とは?

創業1918(大正7)年。といえば少々こじつけがましいのですが、ちょうど太田カルテットがカルテットたらんと悪戦苦闘していた時期です。当時の誰もが、この会社が後に億単位の楽器を獲得し世界に文化貢献を果たすだろうとは夢にも思っていなかったでしょう。資本金10億1千万円。本社大阪。従業員数国内409人、ウエノタイ360人。年商335.2億円。事業内容は会社HPでどうぞ。

 次には、こういった名器を所有できる企業とは、音楽財団とは、団体とは、個人とは?そしてどこがどれを?とこうなるのですが・・・

興味のあるところでは、かつてヤッシャ・ハイフェッツが所有していた三大ストラディバリウスの一つである1714年製のドルフィンは、現在諏訪内晶子さんが日本音楽財団より貸与されている。

 



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岩山から望むー先週のアルバムからー

梅雨の晴れ間、空にのぼる階段。

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姫神山は小さく

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岩手山は雲に隠れ、街もすっきりと映っていないのが残念ですが。

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写真を撮るようになってから、景色や植物が自分の財産となって、記憶に格納されている。

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切り取ったいくつもの場面が、一枚の中にいつまでも形を留めるこの不思議さ。いまだに使うたびに驚きをもっているのは、自家用車とこのデジカメである。


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雑感ー言葉・言葉のない言葉ー

 いま22時すぎ。雨がびちゃびちゃふっている。天気予報では3ミリ。しかしそれよりも降っていそうだ。

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これは、先週金曜日、水曜デッサン会の帰りに撮った岩手銀行中の橋支店の薔薇園。よい匂いが満ちていた。写真を撮りおえて移動しようとしたところ、通りかかった人が。「あら、やっぱり」。七宝作家の天沼さんだった。この薔薇をみようと道の向こう側から渡ってきたところだった。一秒気づかずにいてもすれ違っただろう。天の配在とはイキなものだ。

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金曜日の上空。岩手県東警察署の屋上のヘリポートが宙にせり出していたので、ヘリがじき戻ってくると思っていたところ、15時ごろ上空に音が。

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中の橋付近から与の字橋を望む。ゆたかな緑をぬう中津川。

 水曜デッサン会の事務局の大信田時子さんが、たくさんの方々に自ら案内状を届けていらっしゃるが、当方にも忘れずに一枚置いてくださる。
 毎年拝見して、この会の熱心さには学ばせられる。プロの域という方々もいらっしゃる。真摯に取り組んでこられた方の絵には画風が備わっている。私の書く文章に、果たしてこの〝画風〟に相当するものがあるかどうか自信がない。絵画も言葉のない言葉だ。私は安井曾太郎の裸婦の背中のデッサンが好きだが、今回時子さんの作品2点が裸婦の後ろ姿だった。

 言葉のない言葉、といえば楽器の演奏もそうだ。内田さんのスタインウェイは4000万円(何年に購入されたか分からないが、そのときの時価でしょう)という逸品。音をより美しく紡ぐための散財を惜しまない内田さん。この方が何と口紅一本もっていないそう。自分をより美しくという考えはないようだ。「そんな時間が惜しい」のだそう。
 弦楽器の場合は財団などからの貸与が多いのだろう。

 私がずっと「いったいいま何処にあるのだろう」と思い続けていたストラディバリウス「マダム・レカミエ」のありかが分かった。検索しているうちにたどり着いた。音楽関係者はとっくに知っているのだろうけれど。気が向いた日に書こうと思う。

 雨が小降りになったようだ。
きょうは救急車のサイレンが聞こえない。平和だと思える。自殺者5年連続3万人。自殺であってもこの数には入らないでしまう事例もあると、よく検視に立ち会った看護師さんから聞いたことがある。そういった数もふくめたならどれぐらいになるか空恐ろしい。

 職場での欝なども増えているようだ。働きたいすべての人に職があり、安心して働ける世の中であって欲しい。

 
 

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内田光子インタビュー「70歳でバッハを」からーその4-

 ※以下は、DVD「UCHIDA MOZART PIANO CONCERTOS 13&20」 に入っているインタヴューの字幕を起こしたものです。

 ピアニストにはわたしのようにショパンを弾くタイプとリストを弾くタイプがあります。ショパンの美しさは例えようもないものです。詩的な感性のみならず明確な方向性を持っていて、緻密さも兼ね備えています。ショパンの明確さと緻密さは、モーツァルトの作品と通じるところがありますね。見過ごしがちなことですが、各音符は然るべき場所に存在し重要な意味があります。単に美しい旋律が浮かんでくるのではありません。彼はバッハの音楽を細部まで暗記していました。ショパンはまことの音楽の源はバッハだと信じていたのです。ベートーヴェンは支持しませんでしたが、モーツァルトについては高く評価し尊敬していました。
 この先古い音楽と現代音楽の距離は縮まるでしょうか・・・半ば冗談で言わせてください。〝もし70歳まで生きたらバッハの前奏曲とフーガを全48曲を観客の前で演奏したい〟とね。
 私は一人で弾いたり室内楽団と一緒に演奏することが好きです。また声楽家との共演を好み、シューベルトやシューマンの歌曲を愛しています。何よりリートの伴奏者としての演奏は私に向いているでしょう。
                   ーおわりー

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きょうのことば&ある詩

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「主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。」
            詩篇23:1

以下に、国光ひろ子牧師のお話の中で紹介された詩をお伝えします。

  ◇  ◇  ◇  ◇


   神の慮り

大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと
神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱な体を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた
言葉に表されていない祈りが叶えられていたのだ

ああ、私はあらゆる人の中で
もっとも豊かで祝福されていたのだ

          (意訳 神渡良平)

※この詩は、ニューヨーク大学病院リハビリセンターのロビーに掲げられているある患者さんの詩です。
 

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内田光子インタビュー「70歳でバッハを」からーその3-

 彼女のレパートリーはウィーン古典派のみならず、幅広い楽曲をこなします。徹底した研究により作曲家の音楽世界を深く理解し、その語り手として我々に音楽を伝えてくれるのです。

 もっとも力強いのは3つ(シェーンベルクの《3つのピアノ曲》)の中の2曲目です。
 第一次世界大戦が始まった頃、彼は改訂版に着手しました。膨大な時間が投じられました。演奏するとどれほどの時間が費やされたか分かります。形式も構造も初演時の状態とは大きく異なるからです。曲は変貌を遂げたのです。

音楽の解釈について
メンデルスゾーンやシューマンの時代になって、バッハなどの偉大な作品が発掘されています。今シューベルトの《大ハ長調交響曲》(ザ・グレート)が存在するのは、シューマンのお陰です。メンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》の発見も然り。過去の作品に光りを当てるという動きが、19世紀に入ってさかんになったのです。時代をさかのぼればベートーヴェンはみずからモーツァルトを弾いていました。しかし20世紀になると状況は一変し、古い音楽が音楽の王道とも言うべき存在になったのです。同時代の音楽は脇に追いやられてきました。概して新しいものは、その価値を判断するのがむずかしいのです。たとえばミュージカルには、純粋に新しい要素はありません。しかし現代の作曲家は、過去の音楽家たちと同様に、破壊と再構築を繰り返し作曲を行っています。その方法は変りません。新しい作品を見極めることは難しいことですが、常に間口を広げ受け入れるべきです。作曲された新しい曲を演奏するに当たっては、同じ公演で最低2回演奏すべきだと思います。なぜなら理想の演奏ができるのは、2度目だからです。演奏者も観客も大変ですが、それが好ましい在り方です。

彼女の演奏は批評家と観客を圧倒し、人々に大きな反響をもたらしました。レパートリーの選択には細心の注意がはらわれています。

 
レパートリーについて
 演奏曲の多くはレパートリーから選びます。モーツァルトのソナタ全集に取り組んだのは15年ほど前の依頼がきっかけでした。他にも色々な作曲家の作品を弾きましたが、当時モーツァルトのソナタ全集を弾く人はあまりいませんでした。周囲の人になぜ弾かないのか問いかけたこともあります。ロンドンでも尋ねました。シューベルトのソナタ全集は、1970年代に弾かれていましたが、モーツァルトは過去20年、ほとんど演奏されませんでした。でも私は初期のソナタが好きなんです。〝初期のソナタには脆い印象がある〟というのが、音楽仲間の意見でした。〝バカげてる〟と言い返しましたけどね。晩年の作品だけがモーツァルトだという固定観念を打ち崩したいと思いました。交響曲や後期のオペラには見られない世界観が初期のソナタにはあります。それもモーツァルトならではの世界なのです。シューベルトのソナタにも同じことが言えます。      ーつづくー

 ※以上はDVDから起こしたものです。

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オープン・チャーチのご案内

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 聖書からのお話です。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/8422/bible.htm

上記を見て頂くと、聖書が各国の法制の土台にもなっていることが分かります。パレスチナ問題を知る上でも、絵画、音楽、文学をより理解する上でも聖書を知っておくと、理解が深まります。

 世知辛いこの頃ですが、たまにはほっとするお話をどうぞ。

※新興宗教との関わりは一切ありません。

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内田光子インタビュー「70歳でバッハを」からーその2-

 内田光子が世に認められたのはモーツァルトがきっかけでした。モーツァルトのソナタ全曲演奏に続きJ(ジェフリー)・テイト指揮で全協奏曲を演奏しています。協奏曲とソナタについてうかがいました。

 モーツァルトの時代、ピアノ協奏曲は発展途上でした。ハイドンは交響曲や弦楽四重奏においてその発展にも寄与しています。しかし協奏曲については絶賛するほどではありません。モーツァルトはオペラをはじめとしその天賦の才を発揮しました。この世に〝天才〟がいるとすれば、モーツァルトをおいて他の誰を挙げるべきでしょうか。誰よりも天才の名にふさわしいのはモーツァルトだといっても過言ではありません。それは彼はピアノ協奏曲の発展に寄与した功績もあります。
 ベートーヴェンが協奏曲第4番を世に送り出すまで、モーツァルトの協奏曲は随一でした。ベート-ヴェンの場合優れたピアノ協奏曲の作曲に至るまで時間がかかりました。難なく才能を発揮したモーツァルトとは対照的です。

 ピアノ協奏曲とソナタの根本的な違いは、基本的に演奏がソロだということです。ピアノとヴァイオリンの二重奏などもありますが、それはすこしだけ脇に置いておきましょう。

 協奏曲はより改まった場所で大勢の演奏者が集まって演奏する音楽なのです。ですから大規模で演奏する身振りも大きくなります。それがソナタの場合はこぢんまりと小さな空間で演奏されます。少人数で奏者を囲み楽しむ雰囲気は協奏曲では不可能です。協奏曲は個人レベルの協奏曲ではありません。小さな空間で演奏できるなら、私は個人的にそれを望みます。数名の観客に囲まれて協奏曲が弾けるならまさに夢のような気分でしょうね。

 
〝シェーンベルク〟について
 シェーンベルクとの出会いは印象深い出来事です。彼の作品は若い頃徹底的に弾きこみましたが、そのころは知識が浅く分からないことだらけでした。知識がなければ何も考えられず作品の解釈などはできません。数多くの作品をこなしてきたモーツァルトでさえまったく同じ状況でした。
 15歳の夏、シェーンベルクの作品11が課題として与えられ、3ヶ月間、シェーンベルクに真っ向から向き合いました。一時は〝自分には弾けない〟とも思ったものですが、若い頃の必死の努力は実るものです。その結果単なる興味でなく、もっと深い感情が沸き上がり、その音楽に対する特別な愛情を抱くことができました。
 作品11や19は無調を実感するには最適でした。当時若くて何も分からなかった私に、先生は他でもない作品11を与えたのです。もし初めてのシェーンベルクが作品33bだったら、ここまでのめり込まなかったでしょう。今でも作品11は一番力強い曲だと思っています。
                  ーつづくー

※以上はDVD「カメラータ・ザルツブルク、内田光子インタビュー『70歳でバッハを』」の字幕を起こしたものです。

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ともだちの選んだ睡蓮

 きょうになって気になりだした。わたしの写真のために、ともだちがあのとき選んでくれた睡蓮は、あれは格別な睡蓮だったのではないか。あのあとで彼女の家でお茶を馳走になったから言うのではない。考えすぎでも何でもいい、あの睡蓮が少なくとも彼女のお眼鏡に適っていたのはたしかだ。そこでアップすることに。

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上は 「あなたは何てきれいなの」「そういうあなたもね」という感じ。

下は 彼女の推薦は5つだったが8つ入ってしまった。
 5つの仲良しさんに、「わたしも入れて!」と3つが近づいてきたところ。何れ陽気な仲間たちだ。

 池の睡蓮たちは、季節のおわりとともに朽ちてゆくだろう。けれども幸運にも友だちに見出されたこの睡蓮たちは、この年ばかりの晴れ姿を画像として残され、このブログが消えない限り咲きつづけるだろう。

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睡蓮&雑感

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 睡蓮の写真撮りに付き合ってくれたTさん。彼女が、「ほら、そこの2つ並んだのがいいんじゃない。そこの5つ並んだのもいい」。なるほどとシャッターを押したものの、写し方が悪く、花が小さすぎました。そこで、公開は、

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   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆
 

  Tさんのところから帰宅後、すぐに内田光子さんのーその2ーを書き、反映したところ、どうも誤操作したらしい。跡形もなくすっきりと姿が消えた。そこできょうは雑感。eyesweat01

 ツィメルマンも行っちゃった。聴衆800人の中に入らなくたっていいさ・・・ことしはこの連続となりそう。予算は限られ、やりたいことはそう多くはないけれど、第一にせざるをえないこともある。 
 こんなときに思うのは、地元アマチュアの有り難さ。全国にアマチュア団体はどれぐらいあるのか。あまり大きくはない特徴ある楽団を網羅し特集を組んだら面白そう。どこかの局でやらないかな。
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 えん罪。もっとさまざまに知ってから書くべき項目かと思うけれども。
世の中には、えん罪を着せられやすい人、えん罪を着せたい人、えん罪を着せると自分に好都合である人、自分の立場をまもるために他者を悪者としてしまう人がいる。司法がらみとまではならない世間にありがちな〝えん罪〟は質が悪い。誰かがちょっと調べれば事実関係が明らかになることでも誰も調べようとはしない。放っておかれる。しかも増幅されて伝えられてしまう。関係者や脈絡が明らかであれば訴訟を起こせるだろうが、大本が明確でない場合、それもできないだろう。司法の拘束を受けるえん罪も人権蹂躙だが、世間によくありがちな〝えん罪〟もまたそういえるのではないか。
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内田光子インタビュー「70歳でバッハを」からーその1-

 きのうブログに紹介したDVDに内田光子インタビュー「70歳でバッハを」が特典映像として入っていますが、内田さんが、得意とする作曲家をどのように捉えているかがたいへん興味深いので、字幕をそのまま起こしてみました。

  ∽ ∽ ∽ ∽ ∽

〝12歳でウィーンとは幸運ですね〟と言われ、当時はピンときませんでした。でも今では実感しています。子どもの頃に学んだドイツ語は、わたしの財産です。

 内田はモーツァルトで不動の地位を確立しました。少女時代を過ごしたウィーンは、彼女の故郷なのです。

 今では英語も母語のようなものです。でも読書となるとドイツ語のほうがすんなり入ってきます。私にとって英語は異質な印象を受けます。学校で英語を習わなかったせいでしょうか。ドイツ語は音楽、芸術、哲学との結びつきも深く、私にとってとても重要です。言語は文化の象徴ですね。つまり私は3つの言語と文化を行き来しているのです。そうした豊かな体験ができて本当に幸せであり、人生の大きな幸運です。3っつのすべてが、私自身の文化です。

〝あなたがそういう演奏をするのは、日本の女性だからですね〟
 このように言われ、私は思わず言葉を返しました。
〝賛成しかねます〟

 
〝ハイドンについて〟
 苦しみを抱え地道な活動を続けたハイドンは、形式を重視する作曲家でした。彼は実際驚くべき才能の持ち主で、発想力に富んでいました。生涯を通じ新たな境地を切り開くことを決してやめず、究極まで挑み続け、独自の形式を生み出したのです。弦楽四重奏曲を確立したハイドンの根底には、モーツァルトにはない強い意志と基盤があります。しかし活躍するモーツァルトやベートーヴェンの陰で、ハイドンは生涯苦悩を抱え続けました。20以上も年下で早く他界した短命のモーツァルト、そしてベ゙ートーヴェンという2人の存在は、ハイドンにとって悩みの種でした。ハイドンは非常に論理的で端正な音楽を追究しました。18世紀的な音楽であり、その意味では
ベ゙ートーヴェンと一線を画しています。

 モーツァルトの音楽に関しては、時代とはあまり関係ありません。だからこそ彼の音楽には訴えかける力があるのです。
モーツァルトの音楽は人間の心に響き、シューベルトの音楽は魂に触れます。ベートーヴェンの音楽は人間を包み込む力がありますが、モーツァルトに似た面もあり、同時代の作曲家であることが感じられます。モーツァルトの持つ独特の世界観は言葉では説明しづらいものです。

 次は形式という視点から比較して考えてみましょう。ベートーヴェンはハイドンから学びましたが、モーツァルトとハイドンの音楽は異質です。形式や構造を重視するという意味でも、モーツァルトとハイドンの類似性は弱いですね。これに対しベートーヴェンはハイドンと同様に構造を重んじ類い希な傑作を残しました。ハイドンは2人の天才に押しやられそうになりつつも長い生涯を生き抜いています。その間
究極を追求し続けたたゆまぬ努力こそハイドンのすばらしさでしょう。ハイドンは常に好奇心を持ち、人生を楽しむことも忘れず、60代後半で最高のピアノ曲を作曲しています。

 当時のハイドンはピアノという楽器自体に着目し、新たな音楽の可能性を探り続けていました。その当時ピアノは実験的な試みを積み重ね、すさまじい進化を遂げていました。今日ピアノといえば誰もが思い浮かべるのがスタインウェイのようなタイプでしょう。当時はまだアウグスブルクやウィーンなど各地で試行錯誤が繰り返されていました。
 ハイドンはペダルの進化にも注目し、将来的な可能性を念頭に置いて作曲していたようです。こうした点でハイドンの右に出るものはいません。モーツァルトの場合は、ペダルのことなど特に眼中にないのです。もちろんペダルは使いましたが、ハイドンのような探求心はありません。ハイドンは実験的な試みを繰り返し、究極の方法を探り続けた作曲家です。発明家や冒険家のようにも見える彼の姿勢は尊敬に値します。
                 ーつづくー

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内田光子さん大英帝国デイムの称号に

   

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  英の6月恒例の叙勲名簿の中の一人がピアニストの内田光子さんだった。岩手日報で読んだだけだが、デイムは文化や学術、芸能などの分野での功績のあった女性に与えられ、エリザベス・テーラーさん、キリテ・カナワさんが授与されているらしい。

 内田さんのDVDを何回聴いたか分からない。それも飽きもせず毎回同じ盤だ。

「モーツァルト ピアノ協奏曲第13番・第20番 内田光子」
 
       カメラータ・ザルツブルク
       ピアノ&指揮 内田光子
       映像監督 ホラント・H・ホールフェルト
       制作2001年2日ー4日ザルツブルク、モーツァルテウム
       Grammophon

 このDVDに内田さんの真骨頂を聴くことができる。芸術的な魅力ある個性が溢れている一枚だ。

特典映像として「内田光子インタビ゙ュー『70歳でバッハを』」が入っている。

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きょうのことば&バン・クライバーン国際ピアノコンクール

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「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。それは、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29:11

  ◆  ◆  ◆  ◆

 辻井伸行さん(20)が第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール(米)で優勝!
もうマスコミにもデカデカ。ネットでも関連記事がゾクゾクと。辻井さんを書くのはもう後追いの後追いになりそうなので割愛。

 で、バン・クライバーン国際コンクールって?
1958年に第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した米国のピアニスト、バン・クライバーンの名を冠したコンクール。62年に創設。原則4年ごとに開催される。優勝者には約200万円の賞金のほか、CDの制作やコンサートの機会が与えられる。(西日本新聞)

 佐渡裕(ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。バーンスタインのアシスタントをつとめた経歴あり)はこう言ってます。
「いままで40年間、日本人が決勝に残ったことがなかった。非常に広い意味でピアニストとしての評価をされるコンクールです」

 そしてきょう、わたしが説教をきいた国光勝美牧師は、牧師になるまえは、某レコード会社に勤めていたそう。ちょうど40年ぐらい前のことですね。その国光牧師が言ってました。「当時、クラッシックでいちばん売れていたのは、イム・ジチ合奏団のヴィヴァルディの『四季』とバン・クライバーンのレコードでしたよ」。

 

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チャグチャグ馬コー国の無形民俗文化財・日本の音風景100選ー

 毎年6月に行われる「蒼前様」を信仰とする祭。100頭ほどの馬が滝沢村の蒼前神社から盛岡の八幡宮まで15㌔の道のりを行進します。馬のあでやかな飾り付けとたくさんの鈴が特徴で、歩くたびにチャグチャグとなる鈴の音が名称の由来。(滝沢村公式ホームページ)

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 ことしは、チャグチャグ馬コ86頭、役員が乗馬する11頭、あわせて97頭の馬が行進した。チャグチャグ馬コには雨が降るとされていたが、ことしはほんの一ときぱらついただけで、中津川に到着するころには、暑いほどの日が照った。わたしも何十年かぶりで沿道の見物客の一人となった。

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クレンペラー

 ごく単純な動機から、けさはクレンペラーのヴェートーヴェンの第九を聴いてみた。いささか悠長だが、高邁な精神性も感じさせる。クレンペラーを聴くうちに初めて、楽譜を書くベートーヴェンの姿を思い浮かべた。彼がついに終章の最後を書き上げたとき、どれほどに歓喜と筆舌に尽くしがたい感動を覚えたであろうかと推察された。

 オットー・クレンペラー(1885~1973)。ドイツ帝国ブレスラウ出身。ユダヤ人指揮者、作曲家。楽曲の形式感、構築性を重んじる。グスタフ・マーラーの推薦で、22歳のときプラハのドイツ歌劇場の指揮者となる。1921年ベルリン・フィルデビュー。1927年ウンター・デン・リンデン国立歌劇場付属クロル歌劇場監督。1933年48歳でナチを逃れ米に亡命。ロサンジェルス・フィルハーモニック指揮者に就任。(Wikipedia)

 ナチを逃れ米に移ったクレンペラー。一方同時代、ナチ下に音楽活動を展開したフルトヴェングラーとカラヤン。

 クレンペラーを聴きおえて直ぐに、無意識のうちにカラヤンの第九をかけていた。ナチ政権下で育ったカラヤン。楽団員の何人かの証言でも、そのあまりに徹底した帝王ぶりで、嫌われ者だったカラヤン。同じ理由で、弟などは昔、カラヤンの全盛時代にも彼のレコードは絶対に買わなかった。とうとうベームで通した。ベームを今聴くとカラヤンに比べるとベームにはベームの良さがあるが平板だ。わたしも一時期カラヤンをボイコットした。しかしいまは、それやこれやを知りつつも、最後にはカラヤンをかけてしまう。ただカラヤンはハイドンの人ではないと思う。クレンペラーにハイドンを振った版があるかどうかは分からないが、クレンペラーならハイドンをものにする、そう思うがどうだったのだろう。

クレンペラーという指揮者にも逸話が多い。脳腫瘍や躁鬱病もあった。ステージの下に後頭部から落ちたことも。奇想天外な言行の数々だったらしい。しかし彼の音楽だけは敬意をもって丁重に遇されたようだ。

 

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実と花

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ボケの実
                   200966_153    200966_161                     ブルーベリーのまだ青い実
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レッドカーラントのまだ青い実
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 岩手も梅雨入り。午後から用足しで4ヶ所あるいた。雨が降っていたこともあり、ひさしぶりに車を使った。

 二週間ばかりまえに、自宅近くで、対向車に道を譲ろうとある駐車場に左折したところ左のドアに傷をつけたのみならず、死角に入った低く積まれたブロック塀を崩してしまった。何回か車がぶつかっていたために脆くなっており、いとも簡単に音もなく崩れた。駐車場の持ち主にお詫びをしたり、車の塗装やブロック塀の修理やらで思わぬ出費となった。こういったリスクを避けるには、やはりスクーターか自転車が安心である。

 明治橋を渡るとき、北上川が濁流となり、水位がかなり高くなっていた。雫石川と中津川が合流して溢れるさまは壮観を通り越し恐ろしくなることがある。河川を管理できない場合には甚大な被害となるだろう。水の凄まじい破壊力を推測させる。

 一日中雨だった。23時過ぎたいまも降っている。しかしこの雨で大気は洗われ、山の木の実も草の実も果樹の実も日ごとに大きくなっている。潤う緑がほんとうに豊かだ。このいのちの源を見失わない限りは、このような命脈に繋がり生き続けることができるのだ。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」ヨハネ15:5

 

 

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雑感ーグアンタナモ閉鎖なるかー

 オバマ大統領は1月22日、キューバ・グアンタナモ米軍基地内のテロ容疑者収容所を1年以内に閉鎖、またテロ容疑者への拷問を禁止する大統領令に署名した(1月23日AFP)が、5月21日の演説でその方針を強調した。
 一方、上院は20日の本会議で2009会計年度の補正予算案に盛り込まれていた収容所閉鎖に伴う収容者の米本土移送関連経費約76億円を認めない法案を、賛成90、反対6の圧倒的多数で可決した。(5月22日産経新聞)

 拷問は19世紀になって完全禁止が法制度化されるまでは、法整備され司法に組み込まれてまで〝
必要悪〟として各国で黙認されてきている(Wikipedia)。

  自国の安全のための拘束、残虐行為なら許されるという理屈はないはずだ。いまの時代にも、黙認したのはブッシュばかりではないはず。報道には載らない不当な拘束、暴かれてはいない拷問はまだまだあるだろう。

 昨年9月ごろから株が急落し、ついには100年に一度の経済危機といわれるまでの破綻をみた。
某書店での立ち読みであったため、どの著書と正確にかくことが出来ないのが残念だが、こういった背景にはモラルの低下があると指摘する著書があった。経済とモラル。この相関関係を数値、グラフで表すことが可能であるかどうかはわからないが、実際に試みたら非常に興味深いとも思う。何れ頷くものを覚えた。

 予算の動きに関し、たとえ議会の多数決がどうであれ、90㌫の人々が、或いは99㌫の反対があろうとも、収容所の閉鎖、拷問の禁止を明言したオバマ氏の改革は米連邦最高裁の判決にも沿うものだ。容疑者が裁判を受ける権利を回復する。アメリカの良心を取り戻そうとの姿勢がある。これもモラル回復の一環だ。
 いまのところアメリカの安全が日本の安全に繋がることでもあるが、テロ容疑者のこの扱いが、米の安全をどの程度揺さぶることになるのか、或いは適切な手段をとり、手続きを踏むことによって、危険性が回避されるものか、予算の成り行きではこの方針が棚上げに追い込まれることもあり得るのか、そこの見極めは分からないが、何れオバマ氏の姿勢にわたしは共感する。

 主婦感覚の単純さではあるが、1月の署名のときから何か感想なりとも書きたく思っていた。pencil 

 
 
 

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6月の花々

デジカメに撮りこまれたる花々の命パソコン画面に咲き染む
                            ぶんな

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                       クリンソウ

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ツユクサ(白)              マツムシソウ

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ラムズイヤー                ハハコグサ

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絵画展ー水曜デッサン会ー

      

        第32回
   水曜デッサン会展
         2009
  6月16日(火)ー19日(金)
AM10:00~PM5:00 最終日PM4:30
   テレビ岩手ロビー(1F)
後援 岩手日報社・テレビ岩手・盛岡タイムス

       会員名簿

厚谷淑恵/神成正子/志賀志津子/掘米英子

荒井さとみ/木村茂男/主濱友三/松阪ゆり子

大信田時子/工藤文枝/菅原恭子/湯浅俊行

大槻修一/熊谷達央/瀬川睦子/横田嘉明

小田島進朗/久米智子/大光隆/吉田律子

小原陽子/佐々木範子/田澤和子

川上裕孝/佐々木玲子/飯田節子 (五十音順)


  デッサンと絵画あわせて60点展示いたします。

事務局 大信田時子 盛岡市天神町13ー9 ℡623ー1636

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雑感ー日々感動ー蕨とりー

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昨日の午後は兄弟姉妹とともに、八幡平市方面へ蕨とりに行ってきた。道も判然としない山の中に入るとなると、やはり団体で動くに限る。

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 山には雨雲が停滞していたが、スキー場でもある山の勾配は十分明るく、冬にはゲレンデとなる草地にヤマオダマキが、緑潤う樹木の足下にはタニウツギが咲いていた。林の迫る笹藪のところどころに、蕨が小っちゃなこぶしをあげている。こどもの頃にみた野焼きのあとを持ち上げる青い芽がおもいだされる。いまだ新鮮さが損なわれずに記憶の箱に収まっている。

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 俳句では
「早蕨は愛(かな)しむゆえに手折らざる  風生」
 歌では万葉集に
「石走る垂水の上の
 さ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」
民謡の外山節には
「妾(わたしゃ)外山の日かげの蕨
 誰も折らぬでほだとなる
 ・・・・」

とあるようだ。
 「石走る・・・」にわたしは共感する。

 収穫物を牛乳2リットル分の重さ、2㌔と手に提げ、眼下の赤い屋根や道を小さく見下ろしながら坂道をくだり、駐車場で8人と合流。

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「さか道のぼうぼう草をこぎゆける膝に早蕨こぶしをふりあぐ
                             ぶんな」

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肝心の蕨の写真がありません。記憶の中の蕨がいちばん鮮やかなのですが、どうしてもカメラにうまく収まらないのです。

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きょうのことば

「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
                            マルコ4:40

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雨にぬれたアガバンサス。クリックして美しさをたしかめてください。

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6月の実ーその青き実ー

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オキナグサの実。背景に白いセキチクがはいってしまいました。花とおなじように温かい感じがします。

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りんご(フジ)の実のあかちゃん。大きな赤いリンゴになるまでには、雨風気温湿度、病気、害虫とのたたかいが。一つの立派な実は奇跡の実です。

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ぶどうの実(ナイアガラ)のあかちゃん。

6月の青い実は豊かな可能性を秘めています。素晴らしい実りの予感がします。

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慈善

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  きのうのフジ子ヘミングがまだ意識のなかでなにかを語っている。

 すこし話が逸れるが、岩手日報のコラムに服装について書かれていた。たぶん女性の方だろう。

  最近恩師のご主人の写真展の会場で、たまたまご一緒した方々と写真におさまり、あとでみたところ、恩師だけがスカートで、あとの女の方3人はスラックス だった。その中の一人がわたしである。全体的な雰囲気がかたいと感じた。女性は年齢を問わずやはりスカートが似合う。服装はその場の雰囲気ともなる。気付 きながらも鏡の前であれこれ実演するのは、わたしの場合は億劫である。
 しかし気づいたときばかりもと、昨夜のコンサートにはスカートで。ところがすばらしく着飾った女性たちの麗しい姿をそちこちの席にみて、雰囲気作りはこのような方々に一任しておけばよいとの結論に。きちんとして出かけることが、奏者にたいする礼儀なのだけれど。

 フジ子の舞台衣装、ただのドレスではない。フジ子の個性の表出だ。すてきな、というより個性的な衣服を身につけたいと思わないではないが、どうも生きている間に着想が浮かびそうにはない。 

 フジ子ヘミングの『革命』『ラ・カンパネラ』は、誠実な印象のトビアス・ゴスマン&スペイン・カメラータ21の『ジュピター』とともに心に残るコンサートだった。

 フジ子はユニセフに協力している。一昔まえは、「慈善家の心にもある名誉欲」なぞと詠みもした。これは、プレ国民文化祭川柳部門に入選したものだが。勿論フジ子の動機はそれではない。「愛」からだと信じられる。さて、今ならどう詠むだろう。「名誉欲なりともうれし貧困と病のために為されし施し」。なにも博愛でこう詠むのではない。そんな心の広さはない。わたしがそう願うのが博愛からだというにはお粗末に過ぎる。いつ自分が施しを受ける立場になっても不思議はない今の世の中だ。較差広がる危機感が強まっている。

 動機はなんでもいい、黒柳徹子を通して慈善の手をあげているフジ子ヘミングにつづく方々が起こされるようにと祈る。

 いまはアフリカ、アフガンばかりではなく、経済を支配してきた国々にさえも失業者が溢れている。少しばかり経済が回復したとしても、状況が好転するかどうかの先読みは難しいようだ。あすはわが家族、我が身ともかぎらない。

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フジ子ヘミング トビアス・ゴスマン&スペイン・カメラータ21

 トビアス・ゴスマンとスペイン・カメラータのハイドン序曲《オルフェオとエウリディーチェ》は、はじめの数分間、もしカラヤンならここをどう鳴らすだろうと思ったが、すぐにハイドンにカラヤンの美音をもってきてどうなる?と考え直す。すこし平板と聞こえたが、自分の耳にも自信があるわけではない。〝のり〟がいまいちなのかもしれない。《月の世界》からは余計なことはさておき楽しむことに・・・

 ステージのすみっこに置かれていたピアノの移動に、いよいよと期待感が高まる。ほぼ中央のどのあたりにピアノがくるか・・・止まった位置に先ずはほっとした。ただこれで7、8人の弦の奏者が死角に入ってしまうのが残念だった。

 フジ子がステージにでてくるまで、とても長く感じられた。かねて姉から、前のコンサートで腰痛が出たことがある、ときいていたので、ほんとうに心配だった。しかし現れてくれたフジ子。モーツァルトのピアノ協奏曲21番は、フジ子が自分の部屋で弾いているかに自然体だった。第三楽章になって冴えがあった。21番が終わったところでフジ子の挨拶の声を聞くことができた。暑さで体調がいまいちだと。ショパンの《革命》、リストの《ラ・カンパネラ》は、フジ子のいう「ぶっこわれた音」というのがきこえた演奏だった。ぶっこわれた部分があってもぶっ壊れない名演奏。フジ子の年齢はだいたいの計算でしかわからないが、この高齢としては、否年齢を抜きにしても、心を鷲づかみにする実にすばらしい演奏だった。フジ子の才能がどういうものかがよくわかった。
 衣装も羽織ったのは紫の地色に、裾に銀に囲まれた青の模様。「頸に巻いた白い布は半襟、腰のおび様のものは帯揚げにつかうものじゃないかな」とある女性は言っていた。裾の模様もこの方に言わせると、「地のものではなくあとでくっつけるか何かしたみたい」。視力に自信がないので、この方の言葉をお借りする。独特な服飾でもスター性を守り保ち続けてきた、というよりも、フジ子本来の個性の自然な表れがそれを保ちつづけているのだろう。聴衆の反応もすごかった。

 つぎのプログラム《ジュピター》、こちらはこちらでとても楽しかった。

 2009日本公演は6/2群馬、6/4岩手、6/7東京、6/9大阪となっており、群馬が皮切り、岩手のあとには、東京、大阪があるよう。ゴスマン、カメラータ、特にユニセフに多大な貢献を果たしているフジ子の健康が守られるようにと祈った。 



 

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アガバンサス

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 アガバンサスが咲きはじめました。シモーネ指揮のヴィヴァルディ「四季」のDVDに映っていた庭園に咲いているのを見たときからさがして、やっと手に入れたものでした。ヴァイオリンの音とカメラワークが、この花をいよいよ美しく演出していたようにも思います。
 買ったのではなく、奉仕の代償として株分けしていただいたのでした。

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ユリ科アガバンサス属。和名は紫君子蘭。花序径15㎝。

 

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「マーラー」はいっちゃった

 ストラディ・バリウス・サミットコンサート2009

 質からいえば、ことし、もっとも聴きたいコンサートだった。しかし今回は、もっとも聴きたいものを聴かずにやり過ごす醍醐味を満喫。もっとも欲しいものを買わず、もっとも観たいものを観ず、もっとも聴きたいものを聴かないことにする。そうしてみることで何か得られるものがあるような気がする。若干負け惜しみ的部分もないではないが、これでいいのだ。

 ストラディバリウスのヴィオラ「マーラー」は必ず再びやってくる。わたしはそうおもう。
 
 2009年公演は、5月20~30日だったよう。東京、大阪、名古屋、北海道、福岡、宮城、岩手、長崎の8公演、ということは、岩手が30日、つまり最終日。やっぱりもうあらかた疲れきったころだ。とはいうものの、きょうの夕刊をみれば、やはりベルリンフィルメンバーと名器の取り合わせは絶妙だったよう。う~ん、残念、無念、一瞬そうおもったが、これでいい、うん、これでいい。なんでもかんでも思うがままにするでない。聴衆1200のうちの一人じゃなくたっていいじゃないか。

 ストラディバリウスのヴィオラは、世界にたった10台しかないというけれど、この命は、こんな程度でも、この地球上にたった一人しかいない。この地球上にたった一人の命があるなら、これ以上なにも望むことはあるまい。
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一里塚

今日2009年6月1日、この日このときばかりの朝。6時起床。6時半にパソコンを開く。

 カーテンをあけると窓の内側には、冬の間命を失ったかに見えたマダガスカルジャスミンが、11枚の葉を力強く伸ばし、油をぬったようなつややかさ。確実に伸びている。

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 窓の外には小さな2鉢の金蓮花。捨て値で売られていたものを引き取り、毎日水やりと栄養補給をしている。塀の内側の樹木を背景に、際だつ黄色と朱色の花。

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 雨雲がこの街の頭上に大気のショールのように厚くかかっていたが、しだいに雲の縁が雲母のように鈍く光りだし、青空がすこしずつ押し広げられ、いまは明るい日差しが白い鉢に陰影をつくっている。

 今月中にどうしてもやらなければならない事が一つある。削岩機やショベルが、巨大な岩を切り崩そうと壁に対峙している、そんな気分だ。もうエンジンの音はしている。やろうとやるまいと社会的になにか影響を及ぼすなどということではない。きわめてささやかな課題ではあるが、自分のなかに自分の一里塚を築くためにやらなければならない、そういうことが人にはある。

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