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内田光子インタビュー「70歳でバッハを」からーその2-

 内田光子が世に認められたのはモーツァルトがきっかけでした。モーツァルトのソナタ全曲演奏に続きJ(ジェフリー)・テイト指揮で全協奏曲を演奏しています。協奏曲とソナタについてうかがいました。

 モーツァルトの時代、ピアノ協奏曲は発展途上でした。ハイドンは交響曲や弦楽四重奏においてその発展にも寄与しています。しかし協奏曲については絶賛するほどではありません。モーツァルトはオペラをはじめとしその天賦の才を発揮しました。この世に〝天才〟がいるとすれば、モーツァルトをおいて他の誰を挙げるべきでしょうか。誰よりも天才の名にふさわしいのはモーツァルトだといっても過言ではありません。それは彼はピアノ協奏曲の発展に寄与した功績もあります。
 ベートーヴェンが協奏曲第4番を世に送り出すまで、モーツァルトの協奏曲は随一でした。ベート-ヴェンの場合優れたピアノ協奏曲の作曲に至るまで時間がかかりました。難なく才能を発揮したモーツァルトとは対照的です。

 ピアノ協奏曲とソナタの根本的な違いは、基本的に演奏がソロだということです。ピアノとヴァイオリンの二重奏などもありますが、それはすこしだけ脇に置いておきましょう。

 協奏曲はより改まった場所で大勢の演奏者が集まって演奏する音楽なのです。ですから大規模で演奏する身振りも大きくなります。それがソナタの場合はこぢんまりと小さな空間で演奏されます。少人数で奏者を囲み楽しむ雰囲気は協奏曲では不可能です。協奏曲は個人レベルの協奏曲ではありません。小さな空間で演奏できるなら、私は個人的にそれを望みます。数名の観客に囲まれて協奏曲が弾けるならまさに夢のような気分でしょうね。

 
〝シェーンベルク〟について
 シェーンベルクとの出会いは印象深い出来事です。彼の作品は若い頃徹底的に弾きこみましたが、そのころは知識が浅く分からないことだらけでした。知識がなければ何も考えられず作品の解釈などはできません。数多くの作品をこなしてきたモーツァルトでさえまったく同じ状況でした。
 15歳の夏、シェーンベルクの作品11が課題として与えられ、3ヶ月間、シェーンベルクに真っ向から向き合いました。一時は〝自分には弾けない〟とも思ったものですが、若い頃の必死の努力は実るものです。その結果単なる興味でなく、もっと深い感情が沸き上がり、その音楽に対する特別な愛情を抱くことができました。
 作品11や19は無調を実感するには最適でした。当時若くて何も分からなかった私に、先生は他でもない作品11を与えたのです。もし初めてのシェーンベルクが作品33bだったら、ここまでのめり込まなかったでしょう。今でも作品11は一番力強い曲だと思っています。
                  ーつづくー

※以上はDVD「カメラータ・ザルツブルク、内田光子インタビュー『70歳でバッハを』」の字幕を起こしたものです。

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