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須知徳平先生を偲ぶーその1-

 新緑が目に染みます。
作家須知徳平先生が2009年3月17日、心不全で亡くなられ(享年89歳)、早、仏教でいうところの四十九日を過ぎました。今月の半ば、もりおか童話の会では、須知徳平先生を偲ぶ会を持つことになっています。

 1994年に発行された須知徳平先生監修のもりおか童話の会 童話集№5「つぼっけ」の中で、現在の代表である菊池尋子(つぐこ)さんが、「平成4年の夏、エフエム放送が『
遠野民話博』のイベントの一つとしてずっと放送し続けていた、童話番組の公開録音を行うことになりました」と述懐しています。平成4年がそのスタートとなったようです。この放送終了後、引き続き学びの場として、須知先生監修のもとに発足したのがもりおか童話の会です。放送のあったころは30人ほどの会員が。そして放送終了後は真摯に学びたい方々が残りました。
 
 わたしがこの会を知ったのは、平成10年に初めて岩手日報社の「北の文学」の集まりに出たときです。先生方にお話を聞きなさいと、どなたかが背中を押してくださったのでした。近くに居られた須知先生に「文章が速く上達するための秘訣は何でしょうか?」と尋ねますと、「それなら童話会にいらっしゃい。みんなでやってますから」と仰るので、翌月より、花巻から通いました。

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会場はいつも盛岡市中央公民館の別館控室でした。

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先生は月一回東京から新幹線で盛岡にいらっしゃいました。いつも奧の席に着かれ、脚を組んで向かって右手にある窓に顔を向け、目を閉じて、集い来る6人ほどの会員の原稿朗読に耳を傾けられたものです。

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童話、小説、随筆などを朗読し、批評しあい、先生からのコメントを頂くのです。わたしが参加した当時は、代表の菊池尋子さん、(以下50音順)浅沼誠子さん、小笠原桂子さん、ブログ筆者、作山一枝さん、米内アキさんといったメンバーでした。
 ある日、講評を終えられた先生が、「この中から次つぎに『北の文学』の受賞者が出ます」と仰いましたが、「北の文学」で或いは岩手県芸術祭で、童話部門、小説部門、詩部門での入選者、受賞者が相次ぎました。

 次は、このようにもりおか童話の会を導かれた須知先生の経歴、吉川英治賞受賞のようす、先生の作品を、当時の新聞縮図版、新聞マイクロ、週刊誌から集めた資料を参考にご紹介いたします。

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