須知徳平先生を偲ぶーその2-
須知徳平先生(本名佐川茂)を一気にご紹介しようと、先ず一枚目をスキャナにかけたが、古い新聞の活字をなかなかきれいに拾ってはくれない。弱った。じっくりと手書きということになりそうだ。
須知先生が「初の吉川英治賞」と毎日新聞に大きく(朝刊16面の半分の大きさ)報道されたのは、昭和38年1月3日(木)だった。「春来る鬼」の受賞。この日、ソ連のフルシチョフ首相がブレジネフ議長と連名で、31日夜にケネディ大統領宛に平和を希求する新年のメッセージを送ったことや、池田首相の新春の抱負、また皇居の国民参賀の模様などが紙面をかざっていた。映画は、吉永小百合、高橋英樹、浜田光夫出演の「青い山脈」絶好調。
雪の多い年で、特に福島、石川、兵庫、島根、鳥取では雪崩の被害が相次いでいた。
審査委員は井上靖、大佛次郎、獅子文六、丹羽文雄の各氏。
井上靖氏は「出色の面白さ」とし、「候補作六編を読んだ。六編ともそれぞれ達者に書いてあって、最後まで面白く読ませる力を持っていた。これだけの候補作が並ぶことは珍しいのではないかと思う。しかし作者の個性を強く打ち出した作品となると、「春来る鬼」一編をあげる以外仕方ないようである。・・・どこか泥臭く素朴であるが、作品全体に脈々と波打っているもののあるのが感じられた。作者は書きたいものをはっきりと書いていて、それを熱情をもって書いている。そうした点が作品の上にぴいんと張った緊張となって他の作品にない楽しさを見せている。・・・・・何れにせよ、第一回吉川賞の受賞作品として恥ずかしくないもので、この作品を得たことは喜ばしい。」と評している。
デジカメで撮ってみました。
当時、毎日新聞では、井上靖が「城砦」、遠藤周作が「聖書の中の女性」、夕刊では飯沢匡が「紙の星」を。朝日新聞では橋本忍「悪の紋章」、海音寺潮五郎「西郷隆盛」、石坂洋次郎「光る海」。読売新聞では永井龍男「幸吉八方ころがし」、富田常男「江戸無情」、舟橋聖一「寝顔」、獅子文六「可否道」をそれぞれに連載中であった。
このような世相、作家の活躍を背景とする正月三日の発表である。授賞式は二月四日午後一時から東京の赤坂プリンスホテルの3階クイーンホールで行われた。
もりおか童話の会にお世話になりながら、須知先生の文学者としての功績をよく知らず、晴れ舞台も今になってこのような形で知った。受賞の先生の万感の想い、表彰式に列席された御尊父盛造さん、徳子夫人の胸中が伝わってくる。いま気づいたが、徳平先生の「徳」はもしや奥様の名前の一文字を取られたのではなかろうか。
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