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2009年5月

きょうのことば

   

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「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」
                      使徒の働き1:8

   ◆   ◆   ◆   ◆

 午後7人集まりトーンチャイムの練習をした。わたしの受け持ちは3っつの音。「いかなるめぐみぞ」が澄みきって鳴る。

 きょうで5月がおわる。5月の慌ただしさ。演奏の合間にふと見ると、時計は二時半をさしていた。世の中のさまざまが脳裡を過ぎった。さまざまなドラマが、トーンチャイムに浄められてゆく。病、失業・・・一つ一つの場面がすべてが音に洗われていく。こんなにきれいでいいのだろうか。現実と音との不可思議な調和。たしかに、もしこの霊妙なエッセンスを帯びるならば、必ず光はさすだろう。必ず。

 響きに遠くに小さく大きく揺れる家族、友人、知人のために、わたしは思わず心の中で祈った。

 

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キングサリ

 

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 キングサリの別名について、図鑑、ネットで見てみましたが、今一つはっきりしないので、某出版社に葉書で問い合わせてみました。

 「キンレンカは一般的には別名がキバナフジとなっているが、別名キンレンカはどのような根拠からでたものか」という質問に対し、

「そもそも何を一般的とするかは学者のあいだでも意見が分かれます。標準和名というものがあります。その植物を日本名でなんと呼ぶかを決めたものですが、それ以外のものを別名として呼称していますが、図鑑によっては監修者の意見が異なるために、同じ植物でも異なる和名が採用されることも希ではありません。学問的に決められるラテン語の名前(学名)にしても、学者のあいだで意見が分かれることもあります。
 結論としては、キンレンカとも、キバナフジとも、キングサリとも呼ばれていますが、『カラー名鑑日本の樹木』ではキングサリを標準和名として採用し、キンレンカを別名としました。その根拠は、本書の監修者がすでにお亡くなりになっているため確認できません。」

「植物には学者の認める和名のほか、地方名も豊かにあり、それが文化の奥行きを形作っています。部位の呼び名(特に利用にかかわるもの)も豊富で、そのあたりも深く掘っていくとおもしろいかもしれません。」

 このような回答を頂戴しました。専門外のものにも分かりやすく、さまざまに考えるうえで、参考になると思い、許可を頂き掲載しました。

 地方名も学名、標準和名ではないからと、軽んじてはならないようです。気をつけていれば、味わいのある地方名をどこかで拾うことができそうです。 

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ニセアカシヤ

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ニセアカシヤを見上げているのは主人です。

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手前がジャーマンアイリスです。

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楽団員の本音

 ふだん聴いているCDやDVDは、ほとんどがシンフォニーだ。
 朝比奈隆は、オーケストラは軍隊のようであるべきといっている。団員を服従させることもできないような指揮者ではどうしようもないと。となれば、従わざるを得ない団員の気持ち、本音はどうだろうか。優れたオケであればあるほど、みな音楽に一家言を持っているに違いない。たとえば、何小節は自分はこう弾きたい、こう弾くべきなのだと確信を持っているところに、指揮者がそれとはかけ離れた指示をだしたとしたら・・・
 いつか団員の本音を聴いてみたい・・・しかし、そんなチャンスはあるまい。
 ところがレコード芸術のバックナンバー2009年3月号にそれらしき本が出版されたとあった。

 「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」
       川ロマーン惠美・著 (新潮選書)
                      1365円

 これが何と、ベルリン・フィルの元団員11人へのインタビューが載っている。

ティンパニー奏者テーリヒェンなどは、「カラヤンの才能を認めない、カラヤンには感情がない、われわれは不幸だった」とまで言っている。

 ヴァイオリンのバスティアーンは「私は自分のために演奏した、カラヤンのためではない。誰かのために音楽したのはフルトヴェングラーのためだけだ」と。

 ファゴットのピークスは「カラヤンは録音のついでにコンサートをやっていた」

 ヴィオラのゲアハルトは「カラヤンはひどいケチ。フルトヴェングラーは大の女好き」

 クラリネットのライスターは「カラヤンの人生は最後までクレッシェンドの連続だった。人生にはディミヌエントも必要なのに」「わたしたちは自分のCDなど聴いたこともない」

チェロのフィンケによると、フルトヴェングラはラヴェルが好きで、リハーサルのときプログラムには入っていないのに〈高雅にして感傷的なワルツ〉を年中自分のために演奏させた。

 等々・・・

 フルトヴェングラーとカラヤンの確執を衝いた著書は多数あるようだが、本書は、オーケストラ団員側から見た二人のマエストロの実像という点で興味深い。

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雑感ー日々感動ー

 極めて平凡な日常ながら、一日の中には必ず小さくとも感動がある。

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マダガスカルジャスミンの葉が3㌢大になり少しずつだが確実に大きくなっている。ほんとうにきれいだ。「まだまだのびます」そういっているようだ。

 ピエロのつぼみが割れていたが、きょうはじけて朱色の花びらが、まだしわくちゃな花びらをおもむろに伸ばそうとしている。蝶の羽化に似ている。ふしぎな気分だった。あすはアイロンをかけたような花びらとなっているだろう。「がんばっています」とせいいっぱい朱色の羽を押し広げようとしている。

 あやめ、かきつばたの蕾が次つぎに開いている。たくさんの蕾が、「咲き終えたのね、ごくろうさま」「きょうはわたしの番」「あしたはわたしね」とささやきあっているようだ。

 小さな花壇が狭くなり、いくぶん日陰となっている場所に移したみやこわすれが咲いた。「すこしも気にしていません。ここでいいんです」と笑っている。

 「こんな芸当もできます」。くりんそうの花が四段となった。

        
 きょう会った姉妹が、突然「神は愛です」を「神是愛」ときれいな中国語の発音で。びっくり。いつの間にか中国語を学んでいたのだ。
 「これからは中国の時代」。わたしが知る唯一の中国語「再見」(ザイジェン)で別れた。「再見」は友人の著書名でもある。

 ささやかな一つ一つをズームアップし、ぴしりととらえ感動となし、命に水を満たす不可思議な力、パラクレトス。
 

 

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田中信生講演会

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 きょうマリオスで田中信生講演会があった。「自分に正直に生きるんじゃありませんよ。真理に生きることです」とはこの先生が仰ったことです。何も自分の意志を殺しなさいということではなく、自分自身をよく知り、その自分と上手に、そして周りと上手に関わって生きるコツを教えている。

  宮古市にいる友人一家、花巻市にいたときに近所だった、こどもたちがお世話になった友人2人にお会いした。懐かしかった。

「ブログ見てますよ」ということばも。足りない者ながら、このような篤志家、温い方々に励まされ、修正され、育てられているのを感謝した次第でした。


 

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こいづぁ何の木だべ?ーひとつばたごー

「じゃじゃじゃじゃ、木が雪かぶったみでだな。こっりゃいったい何じゃ?」

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「『なんじゃもんじゃ』 でがんす。正式だば『ヒトツバタゴ』ど言(そ)いやんす。

 雌雄異株の落葉高木。長さ5~8㌢の円錐花序に白い花が。花冠は4つに裂げで長さ15㎜。8㎜ぐらいの楕円形の黒い果実もなりやんす。『ヒトツバタゴ』ばりでなぐ、『クスノキ』だの『アブラチャン』の大樹も『なんじゃもんじゃ』どそいやんすど」

 「花っこ、もじゃもじゃしてで、どうにもすっきりしねな」
「仕方ねべ。何れ、『
なんじゃもんじゃ』づ(?)のは、こんなもんじゃ」

(自己流盛岡弁でした。文章までがなんじゃ?もんじゃ?)

 

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きょうのことば

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                    タイム
 

「わたしが道であり、
真理であり、
いのちなのです。」
 ヨハネ14:6

2009523_nannjamonnja_031 クリンソウ

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カラタチー美しきとげー

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 カラタチのひこばえです。曇り空をすこし残念に思いながら撮るうちに、青空があらわれ、光がさしてきました。

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 たくさんのしずくが光っています。

 カラタチのとげは、まっすぐで清々しく、異次元に突きぬけています。美しい鋭さです。
 5月のはじめ、小さな5弁の白い花をいっぱいにつけていました。それもきれいですが、葉が出て、ひこばえが伸びたいまどきが植物としての風格を見せてくれます。葉はアゲハチョウがよく食べます。花のあとの緑色の実はまだ見えていません。実は3、4㌢の球形となり秋には黄色になります。

  からたちの花

  からたちの花がさいたよ
  白い白い花が咲いたよ
  からたちのとげはいたいよ
  青い青い針のとげだよ
  からたちは畑の垣根よ
  いつもいつもとおる道だよ

  からたちもあきは実るよ
  まろいまろい金のたまだよ
  からたちのそばで泣いたよ
  みんなみんなやさしかったよ
  からたちの花が咲いたよ
  白い白い花が咲いたよ
   
(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)


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建設機械

 買い物の道すがらこんな工事現場がありました。恐らくマンションなどのビルの工事でしょう。
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右上、下の写真は同じ重機です。杭打ち機かと思います。

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現在は重機の50㌫はリースなそうです。

     ☆   ☆   ☆

 岩手では、いま平成25年完成に向けて、わが国最大級のロックフィルダムとなる胆沢ダム工事が進んでいます。使われている重機はブルドーザー、油圧ショベル、ホイルローダー、ダンプトラック、振動ローラー、自走式破砕機、油圧式クローラドリル、クレーンなど。
 たとえばブルドーザーでいえば、総重量102.5㌧、全長10 .4 ㍍、総排気量34.500㏄というどでかさ。クローラクレーンはクレーン能力450㌧、機械重量430㌧。
 でかすぎて普通の道路を走れない建設機械を、いったいどうやって現場にもってくるのか。タイヤ、荷台、エンジンなどをバラバラのパーツにして、何台かのトレーラーで運び、工事現場で組立、調整し使うのだそうです。

胆沢ダム工事事務所では、11月まで毎月一回、見学会を開催しています。個人でも団体でも参加を受け付けています。








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雑感ー言葉にしようかなー

  きょう午前は舅の定期検診のため、某病院に同行した。特に異常もなく、これまでと同じ薬を数ヶ月分処方されただけで済んだ。ただ待ち時間が長い。
 時間を空費するよりはと開いた雑誌に、矢崎鎮四郎のことが出ていた。

 矢崎鎮四郎の筆名は嵯峨の屋おむろ。
明治22年発表した「初恋」が好評で美妙、紅葉に伍する注目を浴びていたらしい。意外だったのは、彼が、内村鑑三の影響を受けてキリスト教に帰依していたこと。それで文学への執着が薄らいだというのだ。これは傍目から見ればということだろうが、そのあとは時代からも取り残されたかたちで困窮状態に。40過ぎで陸軍士官学校のロシア語教官になり、暮しを立て直している。

 矢崎鎮四郎に共なるパラクレトスは、文学上の欲望、成功、名声を価値なきものとしてしまったのだろうか。

 たとえが適切かどうかはわからないが、
 天才的な贋作者エルミア・デ・ホーリーは1000点もの贋作を描き売りさばいていた。ルノワール、モディリアーニ、ドラン、デユフィ、ヴラマンクがお得意だった。彼はユダヤ人で同性愛者。ナチスドイツの収容所経験もある。
 その彼が描いた〝優れた〟贋作はけっこう売れた。買った美術家、コレクターたちは、専門家によって見破られるまでは、悦に入り満足していただろう。しかし、一たび、そこに贋作と鑑定できるものが現れたとき、忽ち贋作は贋作の正体をあらわし、それなりの扱いとなる。

 矢崎の文学への熱意、矢崎の作品が、贋であったとは思わないが、文学を生き甲斐とし、文学に満足していたところに、矢崎の前に、より本物が出現してしまい、これまで価値を置いていたものの価値が薄れた、そういうことではなかったか。

 傍からどのように不利益でマイナスに見えても、じつは本人は真理をはっきりと掴み取っており、決して揺るがされない、そんな場合もあるだろう。

 パラクレトス。真理の御霊。

 やはり深夜ということで、言い回しがくどくなっている。もっとすっきりとまとめたかったのだが・・・

   ◆   ◆      

 マダガスカルジャスミンは順調に葉を伸ばしている。待望のアガバンサスは蕾がわれて、いまにも咲きそう。朱色のピエロは4つも大きな蕾がついている。もうよくよくの悪条件が重ならない限り死なないはず。クリンソウは白い花と赤い花が並んで立派な丸い花をつけている。アヤメは数えるのが億劫なほど花芽をいっぱいに。

 なるべく木を伐らないようにしよう。苛酷な夏にすこしでも涼しい居場所を提供してくれるはず。白いルピナスはもうそちこちに点在。そろそろ薄いピンクのルピナスも点在させるといいかも。てっせんや昼顔が伸び出している。スズランの色がくすみ、おきなぐさの実がぱやぱやと夕陽に光っていた。

 窓から涼しい風が吹き込んでいる。この風から花のメッセージが次つぎに届く。どんぐりからはマイマイガの一齢幼虫の報告。塀の外回りのバラからは、アブラムシ発生のお知らせ。塀の外回りのビオラは、頭上に松の木が茂って雨があたらず喉がからかららしい。

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パラクレトスーこの偉大なる方ー

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」使徒1:8

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 聖霊はギリシャ語で「パラクレトス」。慰め主です。「励ます」という意味もあります。聖霊は、いつも私たちを励まし、内なる力となって私たちを強くして下さるお方です。

 

 

 

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雑感ー言葉・言葉のない言葉ー

 5月16日に初の感染確認された新型インフルエンザ。罹患の方が192人に達したらしい。慢性疾患がある場合は重篤になるという。罹患された方々は、治療を受けて回復に向かっている。国をあげて阻止撲滅に取り組んでいる。有り難いことだ。

 その同じ日本で、自殺者が3万人を超えている。これは交通事故による死亡者数を上回るという。3万人台は5年連続。昨年の自殺理由のうち半数近くが健康問題。増加が著しいのが、負債4143人、生活苦1168人、失業683人。

 「自殺」と括ってはいるけれど、負債、生活苦、失業は、経済が生み出した病と思われてならない。こちらの病の阻止、撲滅については、なぜか国をあげてという感触がない。

 きょうもケニアのテヌエック病院に送る包帯作り。古いシーツや浴衣、ワイシャツ、さらしなどを3~5㌢幅に長く裂いて巻いていく。
 先進国の都会は、いつでもふんだんに医療の恩恵を受けている。医療に限らずありとあらゆる贅沢は先進国が独り占めのごとく享受している。
 ケニアのようなところの貧しい人々には、僅かな援助物資さえも無事に届くかどうかもわからないのだ。
 布を巻きながらも、何か悲しい。


 
 

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キングサリ

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キングサリ(金鎖)。別名キバナフジ。やはり黄色いフジというのはキングサリのことだったかな、と。花言葉は「はかない美」。強く華麗に見えますが・・・

別名キンレンカと書かれている図鑑がありますが、そういった別名がほんとうにあるのか、まだ調べている最中です。

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きょうの撮影-五月の命澄明に輝くー

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けさ8時ごろの空です。見たところで風速12㍍はあったでしょう。ぐんぐん雲が流れ、樹木が大揺れにゆれています。(自宅窓から撮影)

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モミでしょうか。小雨のなか風に揺れてはいましたが、このとおりの新芽の清々しさです。是非クリック拡大でご覧下さい。(午前、歯科医院からの帰りに撮影)

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富士見橋より上の橋方向を望む。河川敷に菜の花が点在。区画された四角い池?にはもうじきカキツバタが咲くはず。

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富士見橋より東大橋を望む。
(午後、スーパーへ買い物に行く途中撮影)

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風がおさまり真っ青な空にこぼれる黄色の花序。キンレンカ?黄色いフジもあるそうですが・・・なまえは未確認です。

※岩手日報夕刊によれば、きょうの盛岡の最大瞬間風速は23.6㍍だったようです。





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シンフォニエッタ・盛岡 第3回春のコンサート

 きょうになってシンフォニエッタ・盛岡のブログが公開されていることに気づきました。
「18世紀室内楽団の演奏スタイルを基に、様々な演奏スタイル、ジャンルを追求するアマチュア・室内オーケストラ」とあり、代表は成田浩先生。コンミスは宮野ゆかりさん。

 3月2日に、「サラサーテ最新号に掲載された」とありますが、せきれい社の弦楽器協奏曲ガイドのことかと。

 5月16日(土)は「第3回春のコンサート」でした。

ープログラムー
1、W.A.モーツァルト
  アヴェ・ヴェルム・コルプス  K.618
2. 
W.A.モーツァルト
  交響曲第40番 ト短調 K.550 第1楽章~第4楽章
3.  J.ローサス
  円舞曲 波濤を超えて
4.日本の歌メドレー  佐藤公治 編曲
  花、早春賦、浜辺の歌、夏の思い出、
  小さい秋みつけた、雪の降る街を、この道
5、J.ホーナー作曲 
J.ホーナー編曲
  映画
「タイタニック」より
      ハイライトメドレー

指揮 櫻和幸 先生

 プログラムをすこし簡略化して書きましたが・・・40番を演奏すると知ったとき、全楽章やるのかな、もしかすれば3、4楽章だけかな・・・しかしやりましたね~全楽章!!あの速度をいったいどう始末するのだろう、管はだいじょうぶだろうか、などと密かに気に掛けていました。超有名なこの曲を・・・すこしばかり弓を上下させたことがあるために、メトロノームが苛酷にリズムを刻んだとき、どれほどに汗が流れ筋肉が謀反を起こすか分かるわけです。でも杞憂でした。唯一のレパートリーが「キラキラ星」のわたしとはやはり格段の差。(比べるのもおかしいのですが)

 コンサートの曲目が決まったのは去年の6月の総会だったようです。12月ごろに「管楽器に若手ニューフェイスが続々参加」とあり、3月末にはビオラのメンバーが転出したようです。とはいえ着々とメンバーが増え続けているのは確かです。

 プロのコンサートチケットは高い。他の方々はどうか分かりません。交通費、宿泊、楽器運賃も含めれば安いという方もいます。しかしわたしにはやはり高い。しかも当地を訪れる頃にはすっかり疲れ果て、もう故郷に帰りゆっくりやすみたい方も。プロであるからには、演奏はしっかりしていただけますが。そこに、このように身近に、しかも質量のある生演奏を提供してくれるシンフォニエッタ。

 今回、プロの演奏よりも素晴らしかったのは、(団員の中にはプロ並みの方もいますが)演奏する熱意がひしひしとつたわってくる、それでした。40番、楽章が進むごとに聴きごたえがありました。「死にものぐるい」の練習の成果を聴くことができ幸運でした。

 さてシカゴ・トリビューンは何というでしょうか。シンフォニエッタ・盛岡はシンフォニエッタ・盛岡としかいいようがない」

 楽しい音楽会でした。こののちも、地元に身近なオーケストラで在りつづけていただきたい、そう願っています。

 まだきのうの40番が鳴っています。開演前のチェロの出迎え、これも新鮮でした。来年が楽しみです。

  


 
  

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きょうのことば

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一人静(ひとりしずか)

 「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。」
             ヨハネ14:2

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きょうの予定

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今日の予定、須知氏の追悼会、シンフォニエッタ・盛岡コンサートを思いめぐらせていたが、そのとき、こんな言葉が心に響いた。

 
「御霊によって歩みなさい」聖書

 案じるな、このように歩むならだいじょうぶ、心配は要らない、そんなふうに諭されていると思った。

 コンサートのチケットは、先週の土曜日に主人が手に入れてきた。何しろシンフォニエッタのメンバーの一人が、現在主人の英語の師である。また須知氏と舅とは下の橋中学校で同僚だった。

 きょうはそれやこれやで、忙しい一日となりそう。


 

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須知徳平先生を偲ぶーその6-

ダブルクリックでご覧ください。

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サンデー毎日の連載のもようです。

 先生もご多忙であり、お話を伺うときがあまりなかったので、主に図書館資料からの紹介となりました。
 
 もりおか童話の会のとき興味深く聴いたのは、先生が吉川英治賞受賞されたあとのことですが、甘粕正彦(大正12年の甘粕事件に関与)が訪ねてきたことがあるそうです。彼も文学青年でしたが・・・旧満州での文化政策の立役者、ハルピン交響楽団にいた朝比奈隆も何らかの接触があったはずです。もっと詳しく聞いておくのだったと悔やまれます。

 やはり柳田国男、民俗学に関し多く語られたものです。会でご指導頂きながら、なんらお役に立つこともなく、今年の一月、東日本ホテルでの会合でお会いしたのが最後となりました。ご逝去の報のとき、ご遺言により近親者のみでの葬儀となると伺いました。

 須知先生と同じく岩手日報社発行の文芸誌「北の文学」の選考委員であった
光瀬龍先生(1999年7月没。「百億の昼と千億の夜」のSF作家)と「彼とはなにかこう気が合うんだ」と仰っていました。光瀬先生がご病気のとき須知先生はかなり長い手紙をいただいたようで、みなの前でそのことを感に堪えない面もちで語られていました。いまごろは、彼の地で、光瀬先生と談笑されておられるでしょうか。

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須知徳平先生を偲ぶーその5-

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「ミルナの座敷」受賞当時の著者

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「昨日、森影で」出版当時の著者      

 著書紹介(Wikipediaより)
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上記の他(岩手県立図書館検索)
〈文〉
おむすびころりん 集英社
雨月物語  ぎょうせい
〈監修〉
かきつばた もりおか童話の会 1999(平成11)
つぼっけ  もりおか童話の会 1994(平成6)
〈訳〉
Bushido
新渡戸稲造 講談社インターナショナル
伊達騒動(下) 教育社
伊達騒動(上) 教育社

その他多数雑誌、文芸誌などに執筆されました。

「春来る鬼」は映画化されました。
    監督 小林旭
    出演 松田勝、ハナ肇、津島恵子
        三船敏郎、鈴木ヤスミ    
       1989年11月17日VHSビデオ発売
       アマゾンで購入可


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シンフォニエッタ・盛岡のモーツァルト40番近づくー16日(土)盛岡市民会館小ホール19:00開演ー

 きょうの夕刊に、シンフォニエッタ盛岡が載っていた。須知氏の追悼で持ち時間を費やしていた。もうやすんだ方がいいな、朝がきつくなる、と思いつつも、やはりスイッチ・オン、40番をかけてしまった。
 ゴールデンウィークを境に、スピーカーがBOSEからONKYOとなった。
 音楽を網羅し精通しているわけではなく、好きなものを集中的に聴いているだけのことだが・・・。
 モーツァルトの交響曲40番、いつからだろうか、テンポの速いものばかりを追って聴くようになっていた。ミンコフスキなどもそうだ。
 きょうこそ早くやすもうと思っていたのだが・・・。トレヴァー・ピノックを聴きながら、シンフォニエッタは、ここはどんなふうに弾くのだろう、ここはどんなふうに鳴ってくれるだろうと思うと、ほんとうにわくわくした。たぶんミンコフスキタイプではないなという気がする。・・・次はどれにと選ぶうちに小澤征爾に目がとまった。そういえば小澤の40番はまだ聴いたことがない。そこでかけたところが、最初の出だしと数小節に唸ってしまった。第一楽章をすこし聴いただけでも壮麗さ、格調の高さ音楽世界の深さ広さが感じられた。速さばかりを追って聴いてきた間違いを正された。小澤だけが持つ侵しがたい広がりのある特有な一世界の構築に成功している。
 内田光子が2001年ザルツブルクのモーツァルテウムで、モーツァルトのピアノ・コンチェルト13番、20番を弾き振りをした。そのときシカゴ・トリビューン紙は、「内田は内田としか言いようがない・・・」という論評を出したが、一つの芸術世界としての説得力のある存在感とでもいったらいいだろうか、比較ではなく、どこがどう巧く弾かれているかではなく、内田は内田としか、小澤は小澤としか言いようがない、シンフォニエッタ盛岡はシンフォニエッタ盛岡としかいいようがない、そんな40番に出会いたい。

 
 

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須知徳平先生を偲ぶーその4-

  須知先生が奥様の介護などで来盛が厳しくなったとき、わたしは童話会から一旦退いた。これには私個人にも、今後数年間は家庭中心にすべきという理由があった。復帰したのは昨年。仲間を持たずに書いていると独りよがりに陥りやすい。はてどうしたものかと思案していたところ、代表者の菊池尋子さんが声をかけてくださったのだ。この声がけがなければおめおめと戻れはしなかった。6、7年ぶりの復帰である。この年月、もりおか童話の会は主に菊池尋子さん、浅沼誠子さんによって守られ、私が復帰したときには常時集う方が6、7人となっていた。

 須知先生が1985年日本農業新聞に連載した大作「昨日、森影で」が2006(平成18)年12月、ツーワンライフから出版となった。これは菊池尋子さんが須知先生から原稿を預かり、もりおか童話の会の会員である浅沼誠子さん、原田武信さん、古川一矢さんの編集協力を得て出版に漕ぎ着けた一冊である。この出版に協力していないことが申し訳なく、せめて先生の軌跡を顕わしたく、拙いながら紹介申しあげている次第である。

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須知徳平先生のプロフィール

1921(大正10)年岩手県盛岡市生まれ。旧制盛岡中学卒業後、旧満州吉林省の農事合作社に勤務。帰国後国学院大学専門部国文科で国文学を専攻。戦後岩手県庁に勤務ののち、盛岡市下の橋中学校、岩手女子高校、北海道深川西高、岩手の高田高で教鞭をとる。

29年上京。昭和37年夏、「ミルナの座敷」で講談社の第3回児童文学賞、38年「春来る鬼」で第1回吉川英治賞受賞。

岩手郡史、九戸郡史を編纂、とくに九戸郡史に書いた民俗史を柳田国男氏からほめられたという現県議会史編纂員佐川盛造氏を父にもち、幼いときから郷土の歴史や民俗学、考古学にふれる環境でそだった。(昭和38年1月4日の岩手日報より)


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ゆく春を惜しむー綱取りダムサイトー

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須知徳平先生を偲ぶーその3-

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須知徳平氏の第一回吉川英治賞表彰式の記事です。毎日新聞縮図版からのコピーです。ダブルクリックすると楽に読むことができます。

この4日は、1964(昭和39)年第18回夏期オリンピック東京大会の組織委員会会長に安川第五郎氏が決まった日でもありました。須知氏が亡くなったこの年に2016年東京オリンピック構想があるのもまた不思議です。

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 正賞の置時計に刻まれた吉川英治氏の座右の銘、

「我以外偕我師」

今後この言葉を自分も肝に銘じようと思う。

 

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須知徳平先生を偲ぶーその2-

  須知徳平先生(本名佐川茂)を一気にご紹介しようと、先ず一枚目をスキャナにかけたが、古い新聞の活字をなかなかきれいに拾ってはくれない。弱った。じっくりと手書きということになりそうだ。

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 須知先生が「初の吉川英治賞」と毎日新聞に大きく(朝刊16面の半分の大きさ)報道されたのは、昭和38年1月3日(木)だった。「春来る鬼」の受賞。この日、ソ連のフルシチョフ首相がブレジネフ議長と連名で、31日夜にケネディ大統領宛に平和を希求する新年のメッセージを送ったことや、池田首相の新春の抱負、また皇居の国民参賀の模様などが紙面をかざっていた。映画は、吉永小百合、高橋英樹、浜田光夫出演の「青い山脈」絶好調。
 雪の多い年で、特に福島、石川、兵庫、島根、鳥取では雪崩の被害が相次いでいた。

 審査委員は井上靖、大佛次郎、獅子文六、丹羽文雄の各氏。
 井上靖氏は「出色の面白さ」とし、「候補作六編を読んだ。六編ともそれぞれ達者に書いてあって、最後まで面白く読ませる力を持っていた。これだけの候補作が並ぶことは珍しいのではないかと思う。しかし作者の個性を強く打ち出した作品となると、「春来る鬼」一編をあげる以外仕方ないようである。・・・どこか泥臭く素朴であるが、作品全体に脈々と波打っているもののあるのが感じられた。作者は書きたいものをはっきりと書いていて、それを熱情をもって書いている。そうした点が作品の上にぴいんと張った緊張となって他の作品にない楽しさを見せている。・・・・・何れにせよ、第一回吉川賞の受賞作品として恥ずかしくないもので、この作品を得たことは喜ばしい。」と評している。

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デジカメで撮ってみました。

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 当時、毎日新聞では、井上靖が「城砦」、遠藤周作が「聖書の中の女性」、夕刊では飯沢匡が「紙の星」を。朝日新聞では橋本忍「悪の紋章」、海音寺潮五郎「西郷隆盛」、石坂洋次郎「光る海」。読売新聞では永井龍男「幸吉八方ころがし」、富田常男「江戸無情」、舟橋聖一「寝顔」、獅子文六「可否道」をそれぞれに連載中であった。

 このような世相、作家の活躍を背景とする正月三日の発表である。授賞式は二月四日午後一時から東京の赤坂プリンスホテルの3階クイーンホールで行われた。

 もりおか童話の会にお世話になりながら、須知先生の文学者としての功績をよく知らず、晴れ舞台も今になってこのような形で知った。受賞の先生の万感の想い、表彰式に列席された御尊父盛造さん、徳子夫人の胸中が伝わってくる。いま気づいたが、徳平先生の「徳」はもしや奥様の名前の一文字を取られたのではなかろうか。 

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きょうのことば&雑感

「あなたがエジプトから出てきたとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。」ハガイ2:5

    ◆   ◆     

 今日は母の日。息子たち二人は、この日を忘れてはいなかったようだ。主人と舅は夕方気づいたらしい。
「わが恵汝に足れり」。神に感謝す。

 もう死んだと思っていたマダガスカルジャスミン。それでもからからに乾いた上のほうを切り落として水やりをしていた。変化がなくあきらめていたが、何と、ふと今夕見たところが、根元から10㌢の間の2ヶ所にきれいな若葉が出ている。の形が7、8ミリ大に。きれいな光沢を放っている。死んではいなかった。死んでいるかに見えていたが生きていた。命が保たれていたのだ。もしかすれば生きようと苦しみもしたかもしれない。生きようと戦い勝利したのかもしれない。生き抜いてくれた。これも天からのプレゼント。プレゼントに命を貰った気分だ。

 今日の午後はケニヤの宣教地に送る包帯作りに参加した。シーツ、ワイシャツなどを持ち寄り、幅3~5㌢に長く裂き巻いていく。この包帯が、アフリカの人々の腕や足に、或いは頭に腹部に巻かれる様子が浮かび、オバマ氏が浮かんだ。

 実父のバラク・オバマ・シニア(1936~1982)はケニアのニャンゴマ・コゲロの出身。ルオ族だった。オバマ・シニアはムスリム(イスラム教)だ。ただオバマ氏によれば「父はムスリムだったがほとんど無宗教に近かった」といっている。奨学金を受給していた外国人留学生だった。ハワイ大学のロシア語の授業でオバマ氏の母アン・ダナム(カンザス州)と出会いオバマ氏が生まれる。オバマ氏自身はプロテスタントのキリスト教徒だ。(Wikipedia)
 この包帯がどの範囲の部族に使われるのかは分からないが、この包帯を巻く人々の中からオバマ氏に続く人物が出るかもしれない。

 きょうの岩手日報18面に、花巻市の三田照子さん(91歳)が9日の講演会で満州で暮し引き揚げた体験を発表。「帰国して初めて自分たちが軍国主義の協力者で、日本軍がアジアなどの人々に大きな苦しみを与えたことを知った」「二度と(戦争という)過ちを繰り返さない平和な国をつくる責任を託され、私たちは生かされている」など平和を訴えた記事があった。

 9日夜から10日朝にかけスリランカ内戦で257人死亡、800人以上が負傷したという。91歳の三田照子さんの声が耳奧に甦った。

 

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須知徳平先生を偲ぶーその1-

 新緑が目に染みます。
作家須知徳平先生が2009年3月17日、心不全で亡くなられ(享年89歳)、早、仏教でいうところの四十九日を過ぎました。今月の半ば、もりおか童話の会では、須知徳平先生を偲ぶ会を持つことになっています。

 1994年に発行された須知徳平先生監修のもりおか童話の会 童話集№5「つぼっけ」の中で、現在の代表である菊池尋子(つぐこ)さんが、「平成4年の夏、エフエム放送が『
遠野民話博』のイベントの一つとしてずっと放送し続けていた、童話番組の公開録音を行うことになりました」と述懐しています。平成4年がそのスタートとなったようです。この放送終了後、引き続き学びの場として、須知先生監修のもとに発足したのがもりおか童話の会です。放送のあったころは30人ほどの会員が。そして放送終了後は真摯に学びたい方々が残りました。
 
 わたしがこの会を知ったのは、平成10年に初めて岩手日報社の「北の文学」の集まりに出たときです。先生方にお話を聞きなさいと、どなたかが背中を押してくださったのでした。近くに居られた須知先生に「文章が速く上達するための秘訣は何でしょうか?」と尋ねますと、「それなら童話会にいらっしゃい。みんなでやってますから」と仰るので、翌月より、花巻から通いました。

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会場はいつも盛岡市中央公民館の別館控室でした。

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先生は月一回東京から新幹線で盛岡にいらっしゃいました。いつも奧の席に着かれ、脚を組んで向かって右手にある窓に顔を向け、目を閉じて、集い来る6人ほどの会員の原稿朗読に耳を傾けられたものです。

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童話、小説、随筆などを朗読し、批評しあい、先生からのコメントを頂くのです。わたしが参加した当時は、代表の菊池尋子さん、(以下50音順)浅沼誠子さん、小笠原桂子さん、ブログ筆者、作山一枝さん、米内アキさんといったメンバーでした。
 ある日、講評を終えられた先生が、「この中から次つぎに『北の文学』の受賞者が出ます」と仰いましたが、「北の文学」で或いは岩手県芸術祭で、童話部門、小説部門、詩部門での入選者、受賞者が相次ぎました。

 次は、このようにもりおか童話の会を導かれた須知先生の経歴、吉川英治賞受賞のようす、先生の作品を、当時の新聞縮図版、新聞マイクロ、週刊誌から集めた資料を参考にご紹介いたします。

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北山崎(陸中海岸国立公園)ーわが国屈指の外洋景観ー

 5月4日昼過ぎ、机浜漁村番屋群を後にし、3㌔北上。北山崎の雄大な景観を満喫。

 北山崎は下閉伊郡普代村黒崎から田野畑村弁天崎までの約8㌔。200㍍に達する海食崖、洞門、巨岩が見られる。

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「すっかり絵はがきと同じだ!」
「きれい」
「すばらしい!!」
展望台ではこんな歓声があがっていました。
携帯、カメラのシャッターがひっきりなしに。
手すりを背にしてこのアングルに収まる人々々・・・

 ここでともに行動した7人の写真の一枚も載せたいところですが、甥が「個人情報をそう簡単に公開すべきではない」との意見。老いては子に、ならず甥に従え?というわけで、公開は見送りとなります。
 このあとは国道45号線に乗り、宮古市にある魚菜市場を経由して106号線に。

 途中、大峠養蜂場に下車。ここの社長がいうには
「ミツバチが減っているのは農薬のせい。この蜂蜜には一切農薬は含まれていない」
それもそのはず、川井村は岩手の深い深い山の中。そういうわけで、ここの蜂蜜は優れているのです。中でも「百花」は、早池峰山系に咲き乱れる花の香りがいっぱいに詰まっています。大峠の蜂蜜は100㌫ピュアです。
 経営者とは友人知人でもなく、客というにもかなりその縁も希薄なのですが、ほんとうに優れた蜂蜜なので、思ったままを書きました。

 このあとは一路盛岡へ。夜7時着となりました。ゴールデンウィークの行楽は、この1日で十分。まさしく「ゴールデンウィーク絶好調!」でした。

 
 

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机浜漁村番屋群ーin 田野畑村ー

 5月4日盛岡市から早坂高原経由で三陸海岸に抜け、机浜漁村番屋群を訪れました。

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水産庁指定の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」の一つ。
名勝北山崎から3㌔南にある。24棟の木造番屋が残されている。これは昭和8年の三陸大津波のときに再築されたもの。一戸の幅は約6㍍、奥行き約3㍍。漁の拠点。昭和50年ごろまでは、多くの漁師が寝泊まりし、出漁の準備や養殖ワカメの出荷作業にあたった。海産物や漁具の保管場所として使われていた。

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いか、ほたて、やまめ、しゅうりがいの炭火焼きです。殻付のまま焼いたウニもあります。美味しそうな煙がそこいらじゅうに。

(写真をクリックしてください。大きくなります。)

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早坂トンネル

 深夜に書いたものは、翌日見ると訂正箇所が多い。たいした事もせずに一日過ごすのだが、やはりどこかが疲労、摩耗しているのだろう。書くなら午前と思いつつきょうもあと5分で22時に。

 4日は上米内のしだれ桜を見てから、盛岡から岩泉町に抜ける国道455号に乗った。岩洞湖を左にして通過。初めて早坂トンネルを通った。かつては旧道で標高900㍍の早坂峠にのぼり、一旦車を降り白樺を見ながら一息ついたものだった。
 トンネル本体のみの全長3、115㍍。幅員9、5㍍。出口がなかなか見えてこない。まだかまだかと思ううちに、プチリとやっと小さな出口が。ところがこの出口がなかなか大きくならない。時間も距離も長く感じられた。走行中は気づかなかったが、玉山区の方からトンネルに入ったのだが、岩泉町側のトンネル入り口の方が200㍍低いらしい。トンネル本体のみの着工は平成12年12月。完成は平成17年2月。このトンネルのお陰で68ヶ所の急カーブが解消されている。

 
早坂トンネルを含む新早坂道路(4、170㍍)としての工事期間は平成10~19年。完成からもう3年経っている。牛に塩など背負わせ、急勾配を喘ぎ喘ぎ登り降りした時代がまた一つ遠くなったようだ。

 ◆  ◆  ◆

 昨日は500㌔遠隔地に住む姉一家が帰り、今日は8日間帰省していた息子が帰っていった。そしてさっき姉からメールに添付した上米内の桜の写真が届き、息子が向こうの住処に着いたという連絡が入った。

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姉が携帯で撮った写真
 

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ゴールデンウィーク絶好調!

 へやに置いてある人形が、さかんに「ゴールデンウィーク絶好調!」とおしゃべりしています。

 一昨日遠隔地に住む姉一家が盛岡入り。昨日4日、わが家と車を連ねての行楽となり、楽しい一日を過ごしました。

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盛岡市上米内浄水場のヤエベニシダレ(ヒガンザクラ)

 上米内のしだれ桜は、天の落口が開くやいなや、花びらが滝となって地上に落下したものです。

日帰りコースの行楽はこのあと早坂ルートを抜けて三陸海岸へとなる。

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きょうのことば

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りんごの花

「わたしはほんのしばらくの間、
あなたを見捨てたが、
大きなあわれみをもって、あなたを集める。
怒りがあふれて、ほんのしばらく、
わたしの顔をあなたから隠したが、
永遠に変わらぬ愛をもって、
あなたをあわれむ。」
   イザヤ54:7、8

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鬱金(ウコン)桜

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 鬱金(ウコン)桜です。風が強かったため葉がぼやけてしまいました。花がこれだけきれいに写ったのが不思議なぐらいです。

 バラ科サクラ属。サクラの栽培品種。花弁に葉緑体をもつなど御衣黄(ギョイコウ)に似ているが、色は緑色が弱く淡黄色である。数百品種ある桜のうちで唯一、黄色の花を咲かせるサクラである。・・・ショウガ科の鬱金と混同されないように、「鬱金桜」あるいは「鬱金の桜」と呼ばれることがある。(Wikipedia)

   ◆  ◆  

 こうすべきかなとおもい為したことが、実は相手にとってはたいへんな迷惑であったり、こうだろうと思ったことが本人の身になると心外であることも。失言も多々。何れ自らの足らざるをおもうこのごろです。眼に見えるところどのようでも必ずやそこにはなるほどという神の理由があるのかもしれません。人がこうだと確信することのうち、果たしてどれぐらいがそうであるのかも人には分からないことが多いのでしょう。

 いつでも肝心なのは人の理由ではなく神の理由だと思われます。なぜ神がいま自分をこう取り扱うか、人の理由を探るよりも、神の理由を知ることが辿るべき軌道を探り当てることに繋がる、そんな気がします。

 あすは日曜日です。

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5月スタート

 5月1日といえばメーデー。それがもうすっぽりと意識から抜け落ちている。労働者が経営者に要求できるときだろうか。しかしメーデーの中央集会はあったらしい。岩手城跡公園に労連系、連合の延べ人数5200人集結。こんなときだからこそなのだろう。
 連合の岩手会長が「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る」という啄木の歌を読みあげたとか。

 啄木先生は自己愛のためにはけっこう散財した方なので、大変だったんだという同情心はじつは薄い。けれども短歌だけを独立させて作品と読めば、ほんとうにどの短歌もうまい。真似ようとしても真似られない。柳青める北上を見ても中津川を見ても、「やはらかに柳あほめる・・・」などとは出てこない。そこで「岸邊めにみゆ笑えとごとくに」なぞとふてくされる。「たわむれに母を背負いてそのあまり重き(軽き、が啄木先生)になきて三歩あゆまず」とへそをまげている。これが天才と凡人の違いなのだろう。

 俳句となればもう森羅万象詠み尽くされていて、類似句が出ないのがおかしいくらいだ。それでも新鮮な句を詠まれる方がたくさんいらっしゃる。すごいことだ。

 個人的には川柳がおもしろいと思う。時事でもなく文学的なものでもなく、ちょっとした機微を捉えたものが楽しい。

 連合の岩手会長が啄木を読上げたことから、話がそれてしまった。なにかまともな落ちをつけたがり、

 景気に回復の兆しがあろうとなかろうと、経営者が潤っていようといまいと、働く人々が協調し事態を確認し、改善に向けて力を傾け、心身ともに健康で働くことのできる環境を守る必要が、・・・などといいつつ、何か歯が浮くようで、腑に落ちない・・・巧い言葉では、どこも何も埋まらないのがいまの現実かと思う。こんなときただ黙ってはいられない人たちがいるのは有り難いことだ。

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