映画「十戒」
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さてきょうは何を書こうか、ここまで更新のカレンダーを埋めてみると、穴をあけたくない。オバマの失言やアフガン新戦略、エネルギー、地球温暖化対策が浮かび、朝比奈の阪急時代や、メッテル、モギレフスキーが浮かんだが、きょうの夕刊に葛巻町やら森林酪農の中洞さんが載っていたのにぴたりと照準が定まった。
中洞さんについて、わたしが聞いたことと新聞に載っていたことは、若干食い違っていた。
北上山系、というより酪農の顛末について、まとめたいという想いは変わらない。ただ書く上でほんとうにさまざまなケースを自分の目で見、聞きあるきたいという想いがつのった。もう紙の上の活字だけでやるのには惹かれるものがない。ただそこで問題なのは、肩書きもない自分がやたら動き回ることは良からぬ憶測に繋がりかねず、またそうそう家を空けるわけにもいかない。強行突破しようとすればできるのかもしれないが、そこまでしてやる分際ではないと自分自身が納得している。
葛巻行きは、みな主人が同行している。それは主人がその景観、生活感覚に共感するところがあったからだ。これが他もとなると、当然のことだが無理は言えない。主人の余生を自分のために注ぎ込ませるわけにはいかないのだ。
そんなこんなのジレンマ、葛藤がこのことについての無力感を引きだしている。
葛巻についてというよりは、葛巻のみならず、酪農という一円を巡るには、現場の実態を知らないでやれるはずはないというのが、いまの思いだ。
神が納得し、家族が納得し、自分が納得し、衆目も納得する、そんなやり方を模索したいものだ。
森林酪農は、飼料の価格に左右されることはないが、乳量を確保するのが難しい。ただ確かに8億の飢餓人口があるとき、家畜に穀物を食べさせる矛盾もある。
温暖化、砂漠化で国際的な食糧の争奪戦がどのような形でか始まるまえにできるだけ自国の食糧は自国でと思えば、経済偏重ばかりしてはいられないだろう。農産物のいまの動きはどうなっているのか・・・
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「神である主はこれらの骨にこう仰せられる。
見よ。
わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、
おまえたちは生き返る。」
エゼキエル37:5
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T子さんが貸してくれた坂本龍一の「ロッカショ」。その中に、桜井和寿(Mr.Children)のこんな詩があった。
一人ひとりの地球
僕はたくさん間違ってきた。
きっとこれからも間違っていく。
威張れることじゃないけれど、側近のスタッフの名が思い出せなかったり、コンサートで歌詞を間違えたり、車に乗れば道に迷い、車庫入れに失敗してミラーを壊したり、喧嘩したり、カッとなって女性に手をあげたことだってあるし、大事な人を裏切ったり傷つけたり・・・数え上げたらきりがない。
もちろん、その都度反省し後悔をする。
でもね
また間違うんだ。
くれぐれもいっておく、開き直ってなんかない。
分かっていることがある。
何度も何度も間違う僕だけれど、これだけは確信をもっていえる。
「人は間違える」
そして
「予感していなかったようなことが起こる」これが人生だ。
で、
僕なりの結論。
「間違ってました」ではどうにもこうにも許されないことがある。
「人は間違う」を前提にこのシステムは考えられている、とあちら側の人はいうだろう。
でも、いった側から間違えるのが、また「人」なのだと思う。
あまりにもリスクが高すぎる。
ここまで書き連ねた僕の考えが間違いだったと後悔する日が来るかもしれない。
そしたら、素直に謝ります。
さて
もし再処理工場側が間違いを犯した場合。
もう取り返しはつかない。
「青森県六ヶ所村にある核燃料再処理工場による、甚大な放射能汚染について、なんとこの再処理工場からは通常の原発から出る放射能の1年分が1日で出るという」坂本龍一
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フジ子がやってくる!
楽団でカラヤンを見つめているうちにカラヤンの目に留まり「弾いてみなさい」と云われて弾かないでしまったフジ子。どん底にあって、チャンスを切望していたというのに。カラヤンから部屋の番号を教えられても、彼女はついに行かなかった。行くべきではないと思ったからだ。
後日それとなく行ってみただけのカラヤン邸の前で、彼女は友人のチェリストとともに死の直前のカラヤンに偶然出会う。カラヤンはフジ子を覚えていた。カラヤンとフジ子の対面はそれきりとなった。
そのあと、彼女が「人間としても尊敬できる人物だった」と言うバーンスタインと出会い、正に音楽家としての人生が開けようとするときに、耳がきこえなくなる。
辛うじて左耳の40㌫が回復。上野奏楽堂での再起。普通なら、こんな聴力で、もうこんな歳で、もうとても無理、そんな現実のさ中だ。しかし、ついに彼女の「奇蹟のラ・カンパネラ」は空前の大ヒットとなり、日本ゴールドディスク大賞受賞。今に至るまで驚異的な演奏活動を繰り広げ、ユニセフなどへも多大な貢献をしている。
フジ子がやってくる!トビアス・ゴスマン&スペイン・カメラータ21とともに。2009年6月4日岩手県民会館19:00開演。
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夕方から雪となった。屋根や庭木が、一旦は仕舞いこんだ白い衣装を、また引っ張りだして着込んだようだ。ようよう伸びたチューリップも心外だったろう。桜が咲いてからふったのは、いつの年だったろう。雪の華で一回り大きくなった盛岡地方裁判所前の石割桜を、バスの中から見たことがある。
先週19日あたりは近くの中津川が増水。満々と流れていた。陽気で山の雪が一気に解けたのだろう。まだ帰らない白鳥や鴨たちが、溢れかえる流れをすこし避けて、盛んに嘴を水の中に入れていた。餌をあさっているのか。遊歩道までが冠水していた。
まぼろしの衣の淡し春の雪 ぶんな
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昨日のブログで那須川選手を名須川選手と誤記してしまい。ほんとうに失礼しました。今朝見て気付き書き直しておきましたが、すでにウェブ検索のほうに「名」のほうで出てしまっていました。お詫びいたします。
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今日は朝比奈隆のヴェートーベン交響曲7番、新日本フィル(2006)と大阪フィル(2008)のCDで聴いてみた。第一楽章で静寂に耳を澄ますような感覚、第二楽章での理性的な透視力を感じさせるところ、第三楽章切迫感の中にも華やぎがあるなど、あっという間に時間が過ぎた。
朝比奈がいうには、この7番は、オケのいかような大編成にも耐える交響曲らしい。1813年12月8日の初演にはウィーン中の音楽家がこぞって参加。初演から管を二本ずつ重ねた大編成だった。曲のエネルギーは第九をしのぐものがある(朝比奈隆『交響曲の世界』より)と。
そんなこんなで過ごすうちに、岩手
では
明るい話題
がいっぱいに。
22日東京マラソン女子で那須川瑞穂選手が優勝。この方が岩手県の花巻南高の出身。花巻、いいとこです。賢治の風が吹いてます。稗貫の方十里は広々と青々としています。
不来方高の声楽アンサンブルが高校部門金賞で本選に進み総合二位だった。不来方の音楽部はイタリアの長岡直子さんとのラインがあり、それは素晴らしい音楽旅行、国際交流をはたしているところ。
盛岡市桜台に住む(ここにはわたしの〝隣人〟も住んでいますが)小学生の新人文学賞大賞だった三船恭太郎君(敬称は〝先生〟や〝氏〟じゃなくてもいいらしい)が単行本「12歳の空」で作家デビュー。
50、60、70歳になっても頑張って書いている人たちが大勢いるのです。かくいうわたしも作家を夢見たころも。
三船〝先生〟今ごろは学校の宿題でしょうか、それとも執筆中?何とも羨ましくも微笑ましい。こう言えるのも今のうち。あと10年もすれば、こんどは○○賞選考委員などという実に不可解で打たれ強いポストに座り、この年寄りが四苦八苦した原稿をバッタバッタと切り落とすのかも。もっとも一次選考に残る可能性も薄では、それもないかな。
明るい話題はまだまだあったようですが、ここまでに。そんなわけで文の硬さまでが取れて、ちょっとお菓子っぽくなっています。取りあえずはこんなところで、どんと晴れ。
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松田晃先生の奥様順子先生とのちょっとしたご縁から、有り難いことに毎年順子先生からご案内いただいている。
松田先生のリサイタルは、1972年4月岩手教育会館を皮切りに今日が18回目だ。先生の年齢は存じ上げないが、わたしは、90歳のルービンシュタインの演奏を思いだしていた。これで命尽きてもの想いの籠もったリサイタルであるとわたしには思われた。それだけに、聴くものの側としても、いつになく一曲一曲丁寧に聴かせていただいた。尤も先生の場合はまだまだ回を重ねられるには違いない。
今回は5.ー(4)「鏡」が印象深かった。生きるということの現実が迫力をもってまざまざと見えるようにつたわってきた。6.-(1)「結婚」これがまた現実的だが明るくコミカルで楽しかった。
いつもシューベルトの「楽に寄す」が歌われるまでは、このリサイタルは終わらない。そして「楽に寄す」が終われば、もうどんなに拍手をしてもアンコール曲が出ることはなく、終演となる。この曲こそ、音楽家の人生を歌っている。芸術家の人生もこれであると思う。
〈楽に寄す〉
楽の音/わが悩むとき/心をおとずれては/あたたかな愛を充てつつ/清らなる境に/わが身をともないぬ
妙なる琴の響きの/さやかになりわたれば/この世にも天つ幸あり/奇しきかな楽の音/とうとしや楽の音
ショーパー作/堀内敬三訳
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吉川英治賞受賞作家須知徳平先生が、昨日亡くなられたことを岩手日報新聞で知った。長年に亘って、もりおか童話会を指導されたが、この会でわたしもお世話になった。感謝の念は尽きない。
会のみなさま方とともにご指導いただいた思い出も数々あるが、後日に語りたい。きょうは午前中にご冥福を祈らせていただいた。
今頃は先に逝かれた光瀬龍先生と和やかに歓談されているに違いない。
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昨日、「夢つむぎ城南」にコーヒーを買いにいったところ、喫茶に可愛い仔羊の写真が貼られていました。
「誰が撮ったんですか」
「ここのディーサービスを利用されてる方。小岩井(牧場)でいま羊が生まれてるらしいですよ」
これは急がなくちゃ、何としても仔羊が撮りたい!
きょう、「行ってきたら」の家人の一言にさっそく小岩井へ。途中小雨が降り出し、戻ろうかと迷ったのですが、羊は屋内というか、「羊館」の中。羊だけでも撮りたいと決行。
まきば園はいまは入場無料。たまたま出てきた係の女性の方が、さまざま説明してくれたのでラッキーでした。
まきば園に入ったころには雨もあがり、宮沢賢治が「光のパイプオルガン」といった雲の縁から光がまっしぐらに地上を射るチンダル現象も見ることができました。
羊も、あの岩手山も、雪解けも、青空に浮かぶ雲も光も、みな神さまからのプレゼント。感動は日々ある、それをいかに見出すかなのかもしれない。
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けさのYAHOO!JAPANニュースの海外トピックスの一つ、
「日本人の遺骨か?レイテ島基地で」。
これに関連しNHKスペシャルをまとめた「果てしなき消耗戦証言記録レイテ決戦」を検索してみた。
補給のない戦いが現地の住民にどのような犠牲をしいるのか。誤った情報下での司令がもたらす惨禍。圧倒的な戦力の前での弱小国の惨状。同胞の死を目の当たりにしたとき、どのような憎しみの連鎖が始まるか。怪我、病気、飢餓、死体の損傷、或いは死体の扱いの実態はどうであるか。
既に見た方の方が多いかと思うが、必見と思われた。「果てしなき消耗戦証言記録レイテ決戦」まだの方は、検索していただければと思います。
とても読みやすく分かりやすかったです。現在戦争の渦中にある方々の思いがより切実にわかります。
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毎週日曜日のNHKのど自慢が好きだ。さまざまな職業、年齢、人生経験ある方々が自慢ののどを披露する。温かくてユーモラスで、奇抜なパフォーマンスが楽しい。ところが日曜日の午前は外出があり、帰宅時間の関係でいつも5分、10分の視聴となる。
今晩はちょうど平成20年度チャンピオン大会の時間帯には手が空いたので見ることにした。考えてみると、クラッシックは1時間2時間あっという間に過ぎてしまう。1時間半は短い。テレビの前に座り込んだ。全国の参加1万組から勝ち抜いた15組だ。聴いていて「この人は入賞するな」と思った方の一人が入賞。「タレント性が買われてもしかしたら入賞するかも」と思った方も入賞。そして心の広がりを感じさせ、心に透明にあたたかく染みいる「三日月」を歌った群馬県沼田市の井口美優さん
がチャンピオンに輝いた。生まれながら全盲の学生の方だ。美優さんは比較的落ち着いていたが、お母さんおばあちゃんは感激、感動の涙。応援団も感極まっていた。今回の受賞3人が3人とも非凡な人生を歩まれた方々ばかり。歌に温み、奥行き、涼やかさ、パンチがあった。久方ぶりにジンときました!!
再放送は3月22日(日)AM10:00BS2 です。
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NY株が二週間ぶりに7000ドル台回復(時事3/13)。なにかほっとした。底浅い読みしかしていないが、オバマ就任以来続落できた。書店で、オバマでもアメリカは救えないといった書籍などを見、なにかじりじりとした気分があった。強いアメリカが戻って来るかどうかは分からない。ただオバマ政策には日の目を見て欲しい。つまり、無意識のうちに応援している自分がいる。
国内ニュース、中川が、麻生が、小沢がという見出しを見ても、読む気にもならないのはなぜだろう。いまこの非常時にといえば戦時中の話のようだが、この100年にいっぺんの不況時にもう一丸となって身命擲つとも、事態を克服、打開せねばならないという気概、覇気、気魄、気構えがまったく感じられない。読もうという気にならない。ごたごたも、またかと思うだけで正直なところ怒りも湧かない。
「安倍元首相再登板に意欲」とあった。安倍元首相といえば・・・
川崎の医師が、「(タバコを)どんどん吸って早く死んでもらった方がいい」と失言。もし、これを毒蝮三太夫あたりが言ったのなら、そう大事にはならなかったかもしれないが、医師という立場では許されなかった。自分もこういった失敗が多々あるので、失言は立場を弁えていないことから起きるだけではないな、とそちこち検索するうちに・・・
独立系メディア「今日のコラム」の連載佐藤清文のコラム第37回「政治家と失言」があった。2007年の記事だ。その中にはこうある。
「安倍内閣はおそらく後世から『失言内閣』と呼ばれることでしょう。・・・・中でも中曽根康弘内閣、森喜朗内閣は自らがよく舌禍事件を起こしていました。それと比べても短期間であるにもかかわらず、数もさることながら政府部内のさまざまな政治家から失言がとび出す安倍内閣は尋常ではありません」
このコラムにはデルポイの神託が冠されておりました。
「汝自身を知れ」
いまだ自らを知り尽くせぬじぶんではあります。
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いま22時過ぎたところだ。雨が強く降っている。強風、大雨、竜巻、突風注意報が出ている。花粉を落としてくれると有り難いのだが。風が強まってきている。一晩荒れるのだろう。
午前中に童話を22枚(400字詰め)書き上げた。最近の童話の傾向は見ていない。教育的な意図、配慮をしようと努めたわけでもない。ただ主人公の思いを思いとして、主人公になりきって書いたつもりだ。推敲はしたが、忘れたころにでもまた開けて補足しよう。
ネタ元が無くてネットを駆けめぐる ぶんな
根無し草種々書けば笑いぐさ ぶんな
写真を撮るためにそちこち自由に歩き回れると良いのだが、たとえば春子谷地、小岩井の道路を撮ったのは主人をスキーに送ったついでにちょっと撮るとか、公園は買い物のついでに、5分間立ち寄ったとか、そんな程度。女性だけの写真クラブで、活動は日曜を除くという都合の良いクラブはないものか。
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クリックすると画像が鮮明になります。
いつもは気にも留めずに通り過ぎていた岩手県庁。その日は庁舎を見るなり、達増拓也知事の土下座が浮かんだ。6日の9時頃にネットニュースを見ると、早くもトピックス扱いとなっていた。県立6医療機関を無床化する関連予算案を巡ってのことだった。思わずカメラを向けた。どこにでもありそうな外観の庁舎ではあるけれども。
土下座。ほんとうに相手に対して済まないという思いから出た土下座が果たしてどれだけあるだろうか。達増知事の土下座がどうであるかは分からない。
土下座は、誤るにも言葉がない、進退きわまった、そんなときの最後の〝手段〟〝策〟〝捨て身〟なのだろうか。
悔いくずおれる、それがわたしの想うところの土下座だ。しかし往々にして名声のためであり、自己愛からもあり得るだろう。パフォーマンスの場合もあるかもしれない。知事の場合はよし土下座なしでも強権は発動できたわけだ。強権で突破することに折り合いをつけたのか・・・
土下座。当分のあいだは、県庁前を通るたびに思いだすだろう。
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盛岡市上の橋の擬宝珠は全部で18(個? 基? 数え方は?ですが)ありました。擬宝珠には鋭利な工具で時代が刻まれています。本町通りを後ろにし、上の橋に向かって立ち
右側の欄干に並んでいる順に
慶長十六年
慶長十四年
慶長十四年
慶長十六年
慶長十四年
慶長十六年
慶長十四年
慶長十四年
慶長十六年
左側の欄干に並んでいる順に
慶長十六年
慶長十四年
慶長十四年
慶長十六年
慶長十四年
※慶長十六年
慶長十六年
慶長十六年
慶長十六年
どうしてこのような配列になっているかは分かりません。
※がついた擬宝珠にはこうも書かれていました。
「此擬寶珠元中橋欄干之物明治四十三年九月三日洪水破橋今茲改築之際轉用之下橋 大正元年十一月 盛岡市」
上の橋の碑文にはこうありました。
「慶長二年(西暦一五九七年)南部第二十七世利直新南部藩政の首都として盛岡城下を建設し、その拡大発展の第一橋として慶長十四年創建したものである。この擬宝珠は、京都三條大橋に範をとり、創建者の名を刻し、後世の基とした作風は正しく当時の工芸技術の最高位を示すものとして昭和二十年国の重要美術品に指定された。 昭和四十二年三月 盛岡市」
上の橋の写真を10枚ばかり撮ったのですが、目指す写真にはほど遠く、どれも使い物になりません。ただ擬宝珠だけは載せようとアップしてみました。こんなこと を言っていられるのも、プロではないので許される(許されないかも知れませんが)という気楽さからです。橋全体を理想的に撮ろうとけっこう時間をかけまし たが納得のゆく出来とはなりませんでした。やはりもっと腕を磨くことと、それなりのレンズが要るのでしょう。
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カエルの大量死の関連で、ラナウイルスが気になり、すこし検索してみた。
生き物が増えすぎた場合、生態系が守られるための集団自殺、或いは種の数を一定に保つためにそういったウイルスが発生することもあるだろう。
ラナウイルスはイリドウイルス科。両生類、爬虫類、魚に被害を及ぼす。(麻布大学HP)
北米でカエルの死因の43㌫を占めていて、これはカエルの激減を招いたツボカビによる16㌫を上回っている。
オーストラリヤではスズキやニジマスの大量死があったらしい。
日本では1990年夏から秋に四国の養殖場で最初に発生。マダイが大量死。その後西日本中心に18府県で発生し最大規模の被害とあった。(asahi.com)
この程度のネット歩きで何がわかるとも思わないが、どうも種の数を一定に保つためというのではなさそう。もうそういった自然の機能自体が破壊されているのかも。
国内のカエル被害は昨年9月が初めて。数日間で合計数万匹以上の死骸が確認されている。腎臓、肝臓にラナウイルスが。場所は、たぶん○○だなと思うが、明かされていない。感染拡大防止のためかも。どうして昨年9月のことが2009年3月2日付けで報道されたのかも、調査にかかった時間或いはやはり感染拡大防止、また調査現場が損なわれることを避けたものかは分からない。
シマヘビの食糧がなくなっては大変、ただそれだけの単純な理由からすこし掻い摘んでみました。
ラナウイルス発生の場所からは、たぶんかなり遠いので、わがイーハトーブのカエルたちは安心したもよう。
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3月といっても、実感がいまだ湧かないのは、日陰ではなくとも、まだ雪が残っているからだろう。ただ今日は終日雨。出てみてはいないが、かなり解けたはずだ。
福寿草がやっと咲き、チューリップの葉先がのぞいていた。北帰行する白鳥の二組の見事な編隊が岩手日報を飾っていた。
もりおか童話会に参加させて頂いている。毎月一回作品を持参し批評を仰ぐ。一昨日、動物の童話でも書こうと思い立ち、色々な生き物を思いめぐらしているうちにヘビが浮かんだ。子どもだったころに、山の中を歩いていて、一番苦手なのがヘビだった。
隣に住んでいた大学生の息子二人がシマヘビを捕まえて、食べてみると皮を剥いだことがある。まだ小学校低学年のわたしは遠くから見ていた。ところが怖じ気づいたのか、「やめた」といって途中でヘビを草むらに放り投げてしまった。
怖いのと、どうしてヘビが、ああも簡単に皮を剥がれる酷いめにあったのか・・・この光景を、わたしはヘビを見るたびに思い出す。
ヘビにも生きる権利がある。生まれたからには生きなければならない。それが人間の目には好ましく映らないというだけで迫害されることがままある。思えば何て奇妙なことだろう。これはヘビに限らずいえることだ。そこでわたしはヘビを書くことにし、きょう12枚目を書いている。
ヘビを検索したところ、様々な姿、形が現れてさすがに圧倒された。だがヘビの身になれば(?)、大蛇やコブラ、或いは人が敬遠するような色彩、形状のヘビがまことに理想的で非の打ち所のないヘビであるかもしれないのだ。は虫類の世界に相対的、絶対的なものの見方があるかどうかはわからないが。ともかく虐待されるのを見たシマヘビを選び12枚書いて、たまたまネットニュースを見ると・・・
カエルがラナウイルス感染で大量死していたという(毎日新聞)。カエルはシマヘビの大好物。いまシマヘビを主人公にお話を書いている者として、これは他人事ではない。意図的に繁殖させた家畜などとは違い、自然な中での生き物の大量死は生態系、自然の循環に重大な影響を及ぼすと思われた。
08年秋に国内で初めて確認されたという。同年9月下旬には一箇所の池で一日だけで数千匹の死骸が確認され、感染拡大防止措置で数万匹のウシガエルが死んだ。北米でも両生類に大きな被害をだしているらしい。
5、6年前までは庭でカエルをよく見かけた。トノサマやガマのような大きなカエルから緑色の小さなアマガエルまでけっこういたものだ。ところが、去年、一昨年と一匹も見ていない。気にかかっていた。農薬は使っていない。辛うじて残っていた近くの田圃が畑になってしまった事も原因の一つだろう。
図書館で絶滅した動物の図鑑を見たことがある。複雑な気分だった。絶滅危惧種もリストアップされている。最新版レッドリスト発表によれば1万6928種が絶滅の危機にある。この数字は、環境の悪化とともに確実に増えてゆくのだ。地球の仲間たちである生き物が次つぎに消えていくのは、理由の如何によらず何とも寂しいことだ。そればかりではなく、環境の悪化を食い止めないなら、最後には、ヒトにその番が回ってくるだろう。
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「冬の尾瀬を見てみませんか」というSponsored Linkをクリックしたところ、んっ、これだったら我が生活圏にあるあの雪景色だってなかなかじゃないかと、一度は掲載を見合わせた写真を復活させてみました。
富士見橋から撮った中津川です。向こうに架かっているのは上の橋。クリックすると辛うじて擬宝珠が見えます(ちょっと怪しいかな?)。これは青銅製で1609(慶長14)の銘あり。徳川家康、秀忠の時代なそう。
右端の流れが川なのですが角度の関係で細く映ってしまいました。真ん中の幾つかの水田のような部分に、初夏にカキツバタが見事に咲きます。当日は積雪約30センチでした。年に1、2回はこの雪を被る全面に水がのんのんと溢れます。ふだん犬を散歩させる河川敷も水浸しに。河岸の柳が根こそぎ流されたりも。いまは穏やかな表情を見せています。
しかし尾瀬ですが、春、夏、秋そして冬までも人に押しかけられては、景色さんも少々しんどいのでは。スポンサーのお陰でこのブログも無料で使わせて頂いているわけですが・・・どうぞ岩手県の方にも足を伸ばしてください。
上の橋の擬宝珠、天気のよい日にでも大きく撮ってきてまた載せます!
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これも1月に上京したときに撮った建設現場の写真です。右に立つ標識が豊洲駅を指しています。通りかかったとき、ちょうど小雨がぱらついていました。
工事現場には重機が7、8台入っています。どれぐらいの人々が塀の中で働いているかは見えません。撮ってからもう一月以上経ってますから、実際の現場は様変わりしているかも。
(社)全国建設業協会会員の2008年の倒産は過去最多の580件。Aランクの会社が3割を占める。(ケンプラッツ) また東京商工リサーチによると2008年倒産件数は4467件(負債総額1000万円以上)。2009年の数字はわかりませんが、現状からしてさらに苛酷になっているのでは・・・
そんな中での高層ビル建築です。
1291万人の東京。地下5階地上54階などといったビル、地下鉄、地下街には先ず企画、設計があるわけですが、このような都市が建設されるためには、このような重機を必要とし、幾通りもの業者を必要とし、そして何よりも多くの労働者たちが動かなければ出来上がらなかった。この都市にも、炎天下に絞るばかりの汗を流した多くの働きびとたちの労働が注ぎ込まれている。その人たちの働きがなければこの都市は無かった、それを教えられた一場面でした。
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昨年の9月からの株の続落。株を買ったことはなく、またそんな資金もない。株には縁遠いがこの株の続落がじわじわとというよりも雪崩のように経済を瓦解させている。ダウがまさかの7000をついに割り込み、6800を割り込んだ(3日配信、読売)ようだ。投げだし、あきらめ、すてばち、そんな言葉が過ぎっていく。
こんな数字に目がいくのは、こんな場合真っ先に理不尽な目に遭うのがわたしたち末端だからだ。自分たちの今後が厳しくなるのはともかく息子たちがこれからの人たちが生きていける社会であってほしい。
きのう上堂方面に用事があり、これまでは車がないと行けないと思っていた距離だったが、思い切って自転車でいった。風が冷たかったが、風の冷たさぐらい冷たいうちじゃないと頑張った。何だ自転車で来られるじゃないか、どうしていままで車でしか来られないと思っていたのか・・・
トヨタ前を通過。一時期はトヨタを追い越せ、トヨタに学べだった。経済指標でもあるトヨタ。わたしが初めて免許を手にして買った中古車もトヨタだった。ショールームに「決算」「決算」「決算」の札が貼られていた。
さて今現在のトヨタから学んだもの学ぶべきことは何?
帰りは丘の上のロシア教会を見上げる。十字架を見るとほっとする。社会の移り変わりにも変わらずに立っている十字架。
自転車走行も帰りはらくだった。よい運動となった。
きょうはひな祭り。まずまずの天気だ。
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けさは良い天気。10時だ。にもかかわらず頭にもやがかかりすっきりとしない。こんなときは40番に限る。
初めてマルク・ミンコフスキ&レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルのモーツァルト交響曲第40番を聴いてみた。比較的テンポの早い曲が好きだが、それでも曲に乗るというよりは、急かされ引っ張られるという感じに初めはつんのめった。が、しっかりと捉えて、曲とともに駆けてみると、これが素晴らしい爽快さだ。手前勝手な余韻の持ち込みを許さない。眠気が吹っ飛ぶ。高音部が金属的に響き耳障りな部分もある。ただこれはわたしが少々疲れ気味だからかもしれない。味わいという点では今ひとつだが、めためたとした心の夾雑物をスパスパと切り捨てて、気分をすっきりさせてくれる。心の中を透明な空間に戻してくれる。なかなかいい。
Wikipediaで恐縮だが
マルク・ミンコフスキ。仏。1962(昭和37)年生まれ。ファゴットから古楽器へ。1982年ルーブル音楽隊設立。バロック・オペラ中心に活動。評は「無駄のない明るい不純物のない音楽と指揮振りが特徴」とある。
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