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神の奇蹟ーフジ子のラ・カンパネラー

  書き留めておかなければ楽しかったことまでが指の間からこぼれ落ちて、記憶までもが消え去ってしまいそうだ。

 土曜日午前中に原稿書きが出来なかったので、原稿も持たずに童話会には行けないなとあきらめていた。午後から近くの友だちT子さんを訪ねた。借りてからもうほとんど私物化していた本を返すためだ。チャイムを鳴らすとドアの向こうで明るい声が応えている。玄関が開いた。「ちょうどいま呼ぼうかとおもってたところだった」という。そのままお邪魔してしまった。

 フジ子ヘミングのビデオをかけてくれた。1999年ごろの映像だ。9匹の猫と気負わず自由に一人暮らしをするフジ子。誰にでもある日常の姿。そして夜には仄明かりのなかでピアノに向かうフジ子。左指に火の点いたタバコをはさみながら鍵盤に指を動かしている。画面に映る大ピアニストが身近に感じられた。一旦は止めたタバコだったらしい。猫が死んだときにまた吸い始めたという。わたしはタバコはやらない。けれども多少灰が鍵盤に落ちてもさほど気にもしないフジ子に、どこか自分に似ているなと感じた。
 ただフジ子には自分とは決定的な違いがある。比べるのもおかしいのだが。フジ子は血の滲むような努力の積み重ねをしてきている。自分はそれをしていない。タバコの灰一つで自分との共通項目とするのはとんでもない話とも思う。
 もう一代きりでこのピアノを使うものはいないという思いもあるだろう。

 フジ子は、人生これからどうしようかと思っていた矢先に輝かしいスターダムに乗る。               つづく

 

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