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宮内省雅楽所の伶人、短期間で洋楽習得

  岩手の大正時代の弦楽四重奏団太田カルテットが招聘した音楽家にハイドン・カルテットもあった。彼らは梅村保の音楽堂でリハーサルをした。メンバーは年代によって入れ替わっている。第一ヴァイオリン芝祐孟、第二ヴァイオリン多忠直(大正12年現在)、ヴィオラ杉山長谷夫、セロ多基永。昭和4年の第二ヴァイオリンは窪兼雅(このときは岩手音楽協会主催)。多忠亮が第二ヴァイオリンのときもあった。
 杉山
長谷夫以外はみな宮内省式部職楽部の出身ないし在籍であった。

 宮内省楽部といえば笙、ひちりき、和琴、太鼓、鉦鼓による雅楽のはずが、どのようにして洋楽をも学んだのか。彼らの一世代前の宮内省雅楽所の伶人らがいち早く海軍軍楽隊にいたフェントンから洋楽の初歩を学び、継いで明治13年音楽取調掛に招聘されたルーサー・ホワイティング・メイソンに学んでいた。メイソンの教授に預かった伶人は上真行(うえさねみち)、奧好義(おくよしいさ)、辻則承(つじのりつぐ)、芝祐夏(しばすけなつ)、多久隋(おおのひさより)であった。みな楽器のプロであったので短期間にピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルート、クラリネットなどを習得してしまったという。これをさらに同輩、後進に伝えている。
 ハイドン・カルテットの芝祐孟、多忠直の厳父はともに宮内省楽部の学部長であった。

 メイソン(1818~1896)は熱心なクリスチャンだった。ボストンのニューイングランド音楽院出身。
 
 

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コメント

宮内省に洋楽の需要が出来たのは、晩餐の料理がフランス料理になったから合わせる必要があったという説もある。
料理や服装も含めた大きなカルチャー変化の流れが見えます。

投稿: Krtek | 2009年12月 8日 (火) 23時06分

Krtekさま
訪問、感謝です。
最近は専ら聖書にのみ傾倒し、音楽史関連を疎かにしておりました。
いま一つの説を提示いただき、有難うございます。近頃は図書館行きもなかなか難儀になってきました。取りあえずはPCで検索できる範囲を当たってみます。

このような時流にあって、太田カルテットの梅村保の羽織袴でのセロ演奏はむしろ新鮮と思われてきます。


投稿: 中ぶんな | 2009年12月 9日 (水) 14時33分

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