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ミッシャ・エルマンー洋洋楽堂ー

 大正10年ミッシャ・エルマンが来日している。太田カルテットの4人も、当時は東京まで12時間もかかる列車に乗り、枕木の音をドコンドコンと聞きながら東北本線に揺れたのだ。

プログラムによれば2月16日~30日毎夜8時開演。帝国劇場。
バイオリン独奏:ミッシャ・エルマン氏
ピアノ伴奏:アーサー・レッサー氏
特等金十五圓
一等金十二圓
二等金 八圓
三等金 四圓
四等金 二圓

このとき太田カルテットは梅村保34歳、佐々木休次郎27歳、館沢繁次郎23歳、赤沢長五郎24歳。帝劇のシートに4人並んでエルマン・トーン(一説にはこの言葉は、野村あらえびすから出ているとも)に耳を傾ける姿が彷彿とするのです。多忠亮、榊原直、平井保三も一緒だったかもしれない。彼らが待ちにまった曲目は

2月16日の曲目
一、バイオリン司伴樂 ヴィヴァルディ作曲
二、西班牙交響樂   ラーロー作曲
      ー休憩ー
三、ファウスト幻想曲  ウィニアウスキー作曲
四、(イ)アベ・マリア  シューベルト作曲
              ウィルヘルミ編曲
   (ロ)コントルダンス ベートーベン作曲
               エルマン編曲
   (ハ)変ほ調のノクターン(夜樂)
               ショパン作曲
   (ニ)チゴイナーワイゼン  
               サラサーテ作曲
 プログラムの解説者:大田黒元雄、妹尾幸陽

チケットの高さには驚きですが、この時代は高級料亭で四,五人が思い切り飲食しても十圓でおつりがきたそう。
幸田延が私邸の一角に建てた洋洋楽堂にエルマンらを招いている。スタンウェイが設置されていた。この音楽堂にエルマンの独特の甘い音色がいっぱいに響き満ちたのだ。
  1904年ベルリンデビュー
  1905年ロンドンデビュー
  1908年アメリカデビュー。カーネギーホール
 この華々しい経歴のヴァイオリンニストの演奏を私邸で聴くなぞもってのほかと言いたいところだが、羨望はひとまず措いて、この幸運に浴したメンバーはというと
 帝劇の山本専務夫妻、箏曲家今井慶松、作曲家山本直忠、安藤幸、鈴木バイオリン社長、息子、鈴木兄弟ら。
 これぞ贅沢の極めつけ!!延さんの高くなりっぱなしの鼻を誰も砕くことができなかったのも頷けるのです。
(青字部分は萩谷由喜子「幸田姉妹」を参考に書きました)

 エルマンの演奏は、太田カルテットにも大きな影響を与えました。おそらくは、技術的なことに加え、音楽性というものに目覚めたのではないかと。また彼らは生演奏を直に聴く重要性をはっきりと認識したでしょう。このあと次々に音楽事業を企画しています。

 う~ん、それにしても洋洋楽堂、ストラッドの響きが聞こえるような気が。しかししかし、音楽堂は盛岡にもありました。梅村保の音楽堂が。壁に瞑目するベートーヴェンのデスマスクがすべてを知っています。太田カルテットに或いは盛岡音楽普及会に招聘された多くの音楽家たちが訪れ、楽の音を響かせた音楽堂。もしやこれは洋洋楽堂にならったものであったか、梅村独自の発想であったか、それも壁からすべてを見下ろしてきたあのベートーヴェンに聞くよりほかはないようです。

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