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フジ子ヘミングを感動させた一冊

  岩手を住処としさまざまに活躍している作家を遠くに見、またたまにブログなどをうろついてみるとやはり自分との落差は歴然、瞬時意気消沈する。ところがこんな言葉が浮かんだ。

「汝ら心を騒がすな我を信じ父を信ぜよ」。聖書の一箇節だ。

 そのとき心の中からすっとおもりが除かれた。除かれたというよりも心の中にあったものが間髪おかずたちどころに消えた、そういう感じである。そしてフジ子・ヘミング著「魂のピアニスト」の「無名な女の子」の章が思い出された。
 フジ子が「わたしもまた、自分のピアノを自分の音楽を続けよう。たった一人の人間でもいい。心に届くピアノを弾くのだ」と強く思ったその一冊とは・・・
 無名の女の子の書いた日記だ。ドイツの小さな田舎町に住んでいた。第一次大戦下、フランスで戦い足を失うなど多くの負傷した兵隊を助けたり運んだりする仕事をしていた。食糧もない時代一生懸命生きて人を助けた。深く感動したという。ところがこの本が一文も値打ちがないかに捨て値で売られていたという。フジ子は有名な本なら多く出版されているので、なくしてもまたすぐに買える。だがこの本はもう二度と手に入らないだろう、大切にしよう。そう思ったという。

 何を如何にこ器用に書くかではないようだ。たとえ無名でも書いたことに価値がある場合がある。たとえたった一人の手にしか取られなかったとしてもその本が使命を全うすることがありうる。無名な私が書いたものもそうだと言っているのではない。私にはそんな力はない。ただ励ましとなった。もしかすれば何を書くかではなく、どう生きるかなのかもしれない。
 書き手にもさまざまに使命があるだろう。腹を抱えて笑えるものを書く、あるいは渋面つくりやっと理解できるような哲学系、或いは私などは理解するにも遠い科学関連。資料となりうる歴史もの、はたまた硬い気分をほぐしてくれる娯楽系と数限りない。どれも誰かが必要としている。ただ自分には何が書けるかなと考えると、それほど多岐にわたるとは思えない。

 近くの友人は絵も描き、文も書き、畑もやり、人の世話もし、その他その他なのだが嫌がらず心をこめてていねいにこなしている。理屈ばかりこねるわりに足もとがいまいち地につかない自分とはかなり違っている。肝心なのはそこなのかもしれない。

 
 
 

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