スタニスラフ・スクロヴァチェフスキーベートーヴェン交響曲第7番ー
7番を聴いた。「またなの?」「はい、またです」
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、ザールブリッケン放送交響楽団。
第一楽章はちょと甘美に傾き過ぎる部分があった。勿論これは評論家でも演奏家でもないわたしの耳が感じたところだ。ところが第二楽章の神経のゆき届いた演奏にはむせぶような心境となった。音の隅々までがぴったりと感性に染みわたる。第三楽章は、あの岩手のパラリンピックのメダリスト大井さんが漁師だったことで、海が頭にあったからだと思うが、ほんとうに海だと思った。海の持つ要素がすべてある。凪、嵐、高波、きららかさ、波間に上下する午後の光。吠えたけり逆巻く波。また舞台の的確な照明が切り替わるような鮮やかさ新鮮さに満ちている。第4楽章は、かなりテンポが速いのだが、その音の一つ一つが説得力を持っている。速いのだが、一音一音をしっかりと心にまで届ける。速さの意味を納得させる。素晴らしい力に満ちた演奏だ。
遠隔地に住む姉から電話があった。「この頃ずっと電話がないからどうしてるかと思って」。実は7番を聴くようになってから、わたしはあまりグチグチ言わなくなった。ちょっと心許なくなったり、寂しく感じられることもある。そんなとき、この7番を聴き、聴き終えると、ぶつぶつとした感情が消えている。
7番で色々な指揮者と会話をしているような気分もある。分もわきまえず、指揮者に文句を言いつつ聴く7番でさえそうだ。
亡き毛藤美代先生、あの長岡直子を育てたピアノ教師だが、先生が、「ピアノの傍にベートーヴェンが立ったことがある」と仰ったことがある。わたしがメモするノートを覗き込まれて、「う~ん、あなたには何かがありそうね」とおっしゃった。その意味は、学校の成績とはべつにね、だったと思う。成績を重視される方だった。それはともかく、毛藤先生に現れてくれたベートーヴェンが、わたしにも現れてはくれまいかと願うこのごろである。
パラリンピックは終わった。全力を出し切った戦いだった。ベートーヴェンは聴力を失い絶望し遺書まで書いたが、思い直し、自分のなかにあるものをすべて出し切ってしまうまでは死ねない、と言った。そして次々に名曲を創った。ベートーヴェンが聴覚障害者となってから創った作品が、今のわたしを勇気づけている。思えば何という奇跡だろうか。
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コメント
内丸育ちさま
訪問感謝に存じます。毛藤先生を訪問しましたのは大正昭和の音楽事情、また新藤先生の音楽周辺、それと或いは藤原嘉藤治のことが出てきはすまいかとお話を伺いたくて何度かお訪ねしました。残念ながらピアノを習いにではありません。そのとき「長岡直子には力を入れました」と仰っていました。その長岡先生ー村松玲子先生ラインで、不来方高校音楽部が、これほど素晴らしい音楽旅行を実現していたとは!一生の財産となる献歌、音楽交流、旅、出会い。ハイリゲンシュタットにも。同行した気分で頁を閉じました。
何と幸運な生徒たちだろうほんとうに幸運な
投稿: 中ぶんな | 2008年9月23日 (火) 17時15分
直子さんも毛藤先生に教わってましたか
松岡君も中ぶんなさんもお弟子さんでしたか
彼女も内丸育ちでした
不来方高校音楽部、今年の演奏旅行報告にいい記事が載ってます
音楽部のHPを是非ご覧ください
掲示板にはオーストリア側HPへのリンクが紹介されてます(456月頃の投稿)
投稿: 内丸育ち | 2008年9月23日 (火) 07時46分