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梅村保のヴァイオリン

 8月の14日、縁あってわたしのもとにやってきたヴァイオリンを弾いてみました。「きらきら星」です。その昔梅村功二先生に教えていただいた曲です。腕が悪いために音を出し切れないのが残念です。
 このヴァイオリンの製作者は? と f 字から中を覗いてみました。すると


      
MANUFACTURED BY
     
 MASAKITI.SUZUKI.
      
NAGOYA.NIPPON. NO.10

と銘がありました。

では、鈴木政吉とは?
(以下はホームページ「鈴木政吉物語」からの抜き書きです)

安政6(1859)年名古屋生まれ。父は尾張藩士。極貧のため内職にしていた琴、三味線作りを本業とする。明治20年初頭愛知県師範学校音楽教師恒川鐐之助に入門。同門の甘利鉄吉から見せられたヴァイオリンを模倣し初作を製作。明治24年工場生産。明治26年北米コロンブス世界博の賞牌。

明治30年代バイオリン頭部の自動削り機(渦取機)の考案、完成。その2年後甲削機(表板と裏板に丸みを持たせる加工)を発明。
近代式工場の完成。
パリ万国博銅賞。

大正3(1914)年欧州大戦のとき、ヴァイオリン市場を独占するドイツが生産を絶たれたため、注文が殺到。

大正6年従業員1000名、毎日500本のヴァイオリン、1000本以上の弓を生産。輸出のみで年間10万本のヴァイオリン、50万本の弓を生産。その他マンドリン、ギターなど多種弦楽器を生産。

大正10年から同末年にかけエルマン、クライスラー、ハイフェッツ、ジンバリスト、モギレフスキー等、世界一流のバイオリンニストが来日したとき、名古屋における彼らの演奏会を主催したのも鈴木政吉であり、彼らの名器を調整、修理したのもこの鈴木政吉である。

梅村保の所有だったこの一挺が、このような人物の手によって作られたものであるのも嬉しいのですが、明治30年頃に工作機械まで開発し、工場生産をなし、何と海外にまで輸出。また鈴木政吉が、あの錚々たるヴァイオリンニストたちの楽器の調整、修理をしていたとは、ほんとうに驚きでした。

 

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