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2008年7月

梅雨晴れ

 29日に友達が西根にまで行って私の分も買ってきてくれたという野菜を、30日の午後に貰い受けようとお邪魔した。ズッキニ、ナス、きゅうり、みょうが、じゃがいも。産直からであることが嬉しい。どれもぴっかぴか。おまけにお隣から頂いたというささげ、きゅうりも。ベジタリアンが好んで使うというスープの素で煮込んだ野菜スープをたっぷりと賞味し、甘いとうもろこしをガシガシと囓りながら、彼女の落語ばりの話の落ちの面白さに笑い転げた。

 帰りにスーパーで買い物をし、富士見橋から中津川を見る。まるで石英の中を青い水が流れているような美しさだった。青々とした柳が清々しい。かごの重みに自転車が転倒しないように気をつけながらスタンドを立て、しばし見入った。梅雨晴れの雲も味わいがある。ここのところ、自分が小学生に戻っているような気がしているが、そんな気分で見上げると、いよいよ感心してしまう。この川や雲や木々の色彩を作ろうといくら試行錯誤しても、まったく同じ色を調合することはできないのではないか。切り取ってみれば、何と壮大で瑞々しく色合いの深い名画なのだろう。

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蝸牛(かたつむり)

 午前中は晴れ間がみえましたが、午頃からまた降ってきました。
昨日は、朝の7時15分ごろからもの凄い稲光と雷が。
梅雨は明けたのでしょうか。梅雨の最中も、いきなり地面を打ち叩くように降ってきたりもします。
今ひとつ釈然としない気象の中ではありますが、不安のないゆったりとした歩み営みをしたいものです。こういっている間にも、いま微弱な揺れを感じました。余震がまだ続いているようです。

   
ジューシーさ 葉末にしずく 蝸牛    ぶんな

 庭ではまだ蛙を見ていませんが、草を毟る傍らで、蝸牛が時とは無縁であるかのようにゆったりと動いておりました。

 北上山系、奥羽山脈に連なる緑。梅雨の晴れ間には、空の至るところにもくもくと浮かぶ雲の切れ間切れ間から、まっしぐらな光が迸り出て、はち切れんばかりに露を含んだ緑を潤沢に輝かせていました。

 こくこくと しずく飲み干し 緑かな    ぶんな

 この句を書きだしてすぐにまた余震がありました。雨がそしらぬふりで、しとしとと降っています。

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不思議・不思議

 わたしが友達の庭に植えこんでおいたユリが二本咲いてくれたようです。嬉しい知らせでした。ところが、友達が植えたユリが二本、何者かによって伐られ持ち去られたらしいのです。何ということでしょう。彼女の気持ちを思うと残念でなりません。二本と二本の符合。まさか、なくなるであろうユリを私が補填することになっていたなどという事はないと思うのですが・・・。もしかすれば彼女が可愛がっているペットが、窓から逐一見ていたかもしれませんね。

 

近頃、活字を声に出して読むことが無くなりました。20日に5、6年ぶりかで、「もりおか童話の会」で自分の原稿を読み上げたのでした。それも時間短縮のため猛スピードで。あんな読み方をしたんじゃ・・・と苦く思いつつ、どれ一つ今日は何かをじっくりと読んでみようと25日の朝刊の第一面を音読してみました。翌日、岩手日報随筆賞の最優秀賞となったNさんの祝会に参加したところ、司会者のSさんが私に言いました。「受賞作を朗読して貰えませんか?」。新聞に掲載された400字詰め原稿用紙5枚分です。作品は大切です。会が始まるまで3回ばかり小さな声で練習しました。決して上手いとは言えませんが、精一杯心をこめて、読みあげさせて頂きました。なにか不思議でした。

 

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冷静に見つめる眼

  10時43分またヘリが頭上を過ぎり、雲に音をくぐもらせながら去って行きました。先日図書館で見た岩手の素晴らしい航空写真集が浮かびました。地震、水害のとき、光景は美しくも険しく厳しくなるでしょう。これらのすべて、ヘリの動きや地上の人々の必死な動きをも含めて、冷静に見つめている、目には見えない存在があるのを覚えます。
 こう書いているうちにまたまたヘリの音がしてきました。

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またも地震える

 24日0時30分ごろ(25、6分ごろかもしれません。何しろ一騒ぎしてから時計をみましたので)。岩手県洋野町震度6、盛岡5。共同通信のまとめでは5県で負傷者115人。
いまにもっと報告されるかもしれません。
 地震の場合、誰にいち早く手をかさなければならないかで動くことにしています。逃げる力のある人の心配は多少遅れてもいいわけです。意識はこうなのですが、いざというときの力不足が失笑を買うところではあります。

 それにしても立て続けです。根底が揺さぶられ続けています。
これ以上苛酷さを背負う方々がでなければいいと誰もが願っているはずです。わたしですら思いますから。

きょうも音楽は鳴らさないことにします。

10時ごろ頭上をヘリが過ぎりました。見上げましたが、雲に遮られ確認できません。警察か自衛隊か報道か。状況がどれぐらいなら、どれぐらいの時間を要して自衛隊に出動命令が出るのか、今まで気をつけたことも考えたこともありませんでした。自衛隊機のまえに先ずは国土交通省が飛ぶのかもしれません。たぶんこれは小学校の社会かで習う項目でしょう。

人命優先、これだけは、いつの間にかたたき込まれています。母の介護のときも(いま振り返ると、こうすればよかった、ああすればよかった、と思うことばかりですが)、「人命優先」、この言葉に押されて駆けつけたものです。

 命を取り留めたあとの優先順位はどうなるのでしょう。食、住、医、衛生・・・順番はわかりませんが、命を取り留めた後も状況によっては大きな苦しみを伴うことになる場合があるとは・・・。いつ何が起きてもおかしくない状況下、他人事ではありません。

 

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今日は休音日

 いったん音楽をかけると2、3時間、半日をつぶしてしまう。きょうは音楽の休日とした。

 午前中に舅が神妙に言った。
「そろそろ俺のどきに呼ぶ一覧表を作らねばねど思ってる」
 舅に万が一のことがあったときに知らせる人々の名簿を作らなければならないというのだ。これまでも次の事態が起きるまえに、自分の身の振り方を自分で決めてきた舅だ。
 ディ・サービスの利用も、自ら見学に出向き、「週2回行くことに決めてきた」であった。去年、「次は入る施設を決めておかなければならない」といったのには驚いた。留めたのだが、さっそく近くの施設に出向き相談してきた。結果は「まだ資格がないんだど。介護度が足りないそうだ」と帰って来たときは笑ってしまった。
 こんどは葬儀と法事の一覧票。いつもの冗談口調ではない。厳粛な思いがした。いま89歳。
 ただ、私たちと同居したとき、「俺、は、あど何年も生ぎねんだぉさ」と言っていた舅だが、あれから10年生きることができた。いま知らせる名簿作成をするとすれば更に10年は人生を更新できるだろう。私は舅に100歳の寿命を保証している。

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音楽三昧のきっかけ

 わたしが音楽三昧となったのは、この春息子が東京に就職するときにこの家に残していったDVD、CDがきっかけだ。音楽雑誌を買っていたのも息子だった。彼なりの独自の収入をほとんど注ぎ込んだものだ。
 東京に出てからも薄給を切り詰め、音楽会のチケットだけは、そう度々ではないが、手にしているらしい。
 電話が来た。一週間前のことだが。
「ゴーヤ、何々入れるんだっけ? 夏バテに効くみたいだから」
「みょうが、ゴマ、鰹節」
 作り方を一通り説明してから訊いた。
「コンサートには行ってるの?」
「こんど行くよ。小林研一郎。読響」
 コバケンが好きなのも息子だ。
「ベルリン・フィルは買ったの?」
「高くて・・・ベルリン、ウィーンは3万クラスでも即日完売。手が届かないよ」
 習わせた楽器は、小学校卒業と同時に止めたが、無駄ではなかったなと思う。疲れたときなど音楽を聴くとすっと気分が休まるという。将来はオーケストラにでも入って友達を作って欲しいという親の夢は砕けたが、少なくとも無駄ではなかったようだ。


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アガバンサスをめぐる奉仕

 きのう10時半ごろ、アガバンサスの株分けのために、ある商店さん、便宜上ピカイチさんとしておこう、ピカイチさんに出向いた。店先にいると、商品を求めて来客があったので、「どうどそちらを優先に」と中で商品を見ながら待った。子ども連れの大人3人。気に入ったものを見つけたらしくレジを打つ音がしている。子どもに菓子や飴の小袋をサービスし見送ると、わたしの方に向き直った。
「どのようにすれば良いか指図してください」
 新聞紙を広げ、持参したキャンプ用のステンレスの万能ナイフを片手に待機する。見ると、15ばかり並ぶ鉢のうち、幾つかの鉢が根詰まりしている。しゃがみ込んで様子を見ながらそれとなく訊く。
「店番は一人でなさってるんですか?」
「そうなの」
「仕入れなんかも?」
「そうなの。そんなわけでやらなくちゃと思っても暇がないの」
 納得した。80歳は過ぎているピカイチさんだ。
「じゃ、植え替えたいものを言ってください。わたしやりますから」
「あれと、これと、それ」
 小さな二鉢を大きな鉢一つに纏めて植え込み、鉢がはち切れんばかりの50㌢丈の観葉植物を抜き取り、古い根を掻き取って二つの鉢に植え替えた。
 さてアガバンサスにかかる。外回りをナイフで掻いていると、また来客だった。作業を覗き込んで言った。
「こうまでなったら、鉢を壊さねば、ぜって抜げねよ」
 ピカイチさんもまあ仕方ないかという表情になる。
「プラスチックだえ」
 壊しても惜しくないでしょ、と言うわけだ。私としては、鉢が高価であろうが無かろうが人様のものを壊すわけにはいかないという思いがある。
「壊したぐながったら一晩水さ漬けでおげば抜げるごった」
 そう言うなり店の奧に座り込んでピカイチさんと話し込んでいる。
 この世知辛いときにけっこう客足がある。何だろう。私はピカイチさんの温かさだと思った。笑顔が言葉を裏切ってはいない。ピカイチさんの笑顔は心のゆとりから出ている。だから人をほっとさせるのだ。人を見る目が温かい。だからどこの誰ともわからぬ私にアガバンサスを分けることにしたのだ。
 ピカイチさんが言った。
「家に持ってって(株分けを)やってもいいよ」
 なに、持っていかれて返されなかったとしても、それはそれでいい、ピカイチさんがそう思っているのが分かった。
 確かにまだ時間がかかりそうだ。昼時にかかる。
「3日以内に持って来ますから」
 言いながら私はアガバンサスを車に積んだ。ピカイチさんにプレゼントの松虫草の鉢をわたしながら、「あと何(の花)が欲しいですか」と訊くと「ほたるぶくろ」だった。こんど行くまでに調達しよう。
 月下美人とアガバンサスを庭におろし、しばらくするとピカイチさんから電話だった。
「アガバンサスね、お盆すぎまで預かってちょうだい」
「はい、わかりました」
 にこにこ笑顔でお店を切り回しているピカイチさんをちょっとだけ手伝うようにと、きょうは神さまに呼び出されたのだなと私は思った。

 


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盛岡童話会に復帰

 まだカラヤンのヴェートーヴェン7~9番を抜けられないでいる。新しい曲に移らなければ、余生、数曲聴いただけで終わってしまうと思いつつだ。演奏の映像を消して、いまブログを開けたが、9番の1楽章だ。ベルリン、ウィーンフィルのコンサートは3万クラスでも即日完売だという。そちらの席は獲得の可能な方々にお任せし、このDVD試聴という在り方も大いに良しとすることに。

 文芸サークル「童話会」に復帰した。「童話会」といっても今では、メンバーがみなアマチュアの童話作家、小説家だ。ほぼ全員が本を出版している。出版を先の楽しみに取っておいている方も「北の文学」に幾度も入選を果たしている。入選を重ねるのは、ある意味で賞を取ることよりも難しい。それと文芸誌の広告のたびに名前が載るので有名になる。
 5、6年ぶりの身勝手な復帰だが、快く受け入れて下さった事に感謝の思いは尽きない。
 書いたものを持参しようと印刷にかけたが操作を誤り、ミスった。時間がないので、急遽、去年某コンクールの一次のみで落選した400字詰め30枚分のコピーを持参した。読み合わせがある。
 近頃は、たとえ間違うことがあるとしても考えを率直に述べるよう努めている。間違えば訂正もしてくれる方々だ。何度訂正されても指摘されても「やっぱり自分はこんな中に居たいのだ」と得心した。プロに食い込むのは諦める。アマとはいえわたし以上のアマの方々だ。この中に何とか居させて貰おう。

 会から帰ると電話が入っていた。花が終わったらアガバンサスを分けてくれるという方からだった。急いでリダイヤルすると、「月下美人もあげるから、明日どうぞ」。何という日なんだ! 信じがたい幸運だ。今日は何月何日、そう7月20日(日)。うん良い日だ。そして明日は下の息子の誕生日だ。

 9番の4楽章が始まった。そろそろ演奏の画面に切り替えるとしよう。今日の日よ有難う、みんなみんな有難う!

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1600度鋼ー溶け流れ落ちる鉄ー

 昨年暮れ母が亡くなり、一般の習慣では初盆を迎えようとしている。最期となり病院を去るときに私の家に持ち帰った母の遺品、日用品類に手を掛ける気にならずそのままにしてあったが今日整理した。亡くなった後も、意外に自分は元気だと思っていた。が、ここのところずっと気力が出ない。それでも涼しい風が吹き込んでくる今時間になると意識がしゃきっとする。友人からは「燃え尽き」と言われている。
 昨日は主人が岩山に行こうというので、何とか体を動かそうと、中腹まで登った。二時間ばかり木立の風に洗われて帰りは車道を下りた。車道に出るなり気温が2、3度は高いような気がした。歩くのに時間がかかった。

 バイパスを渡ったところに蓮の池がある。きれいなピンク色の花が満開だ。睡蓮は花が水の上に浮かんでいるが、蓮は水の上に茎が30~50㌢伸びてその上に花が付いている。水中花のように水の中に咲く花もある。水中花、水面花、水上花と勝手に分けている。

 今日は午後図書館に。予約していたCDが準備できたとメールが入ったのと、一冊延長手続きしなければならない本があったからだ。
 めずらしく新聞コーナーが空いていたので、2紙に簡単に目を通す。雑誌コーナーで興味ある記事だけを素早く覗く。
 葛巻の詳しい地図がないかと探しているうちに、岩手の素晴らしい航空写真集があった。自分が暮らしたことのある宮古市や花巻市。北上山系、奥羽山脈の谷に湖を満たす山懐や、海岸線を縁取る岩に砕ける飛沫の白さ。上空からの岩手の素晴らしさが分かる。そこでけっこう時間を潰してしまった。

 やっとCDの受付に。見ると新着に「新しい製鉄所」のDVDが入っていた。「この映画の主役は鉄である。人間はほとんど登場しない」という一文に、これは絶対面白そう! という確信が。【重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ】、こんなタイトルを見ただけで何故か元気が出た。「龍のように流れ落ちる銑鉄、煮えたぎる1600度鋼」とある。真っ赤に溶けた鉄に惹かれる理由は。熱いうちに自らを打たなかった私がいうのも気が引けるのだが、あらゆる可能性を見るからだ。どのような形にもなりうる。出来上がった形状が、ありとあらゆる可能性を備えたものとなる。解説にあるとおりに書けば、「偉大なる建設〈東京タワー・・・・〉、霞ヶ関147M、佐久間ダム・・・、名神高速道路、巨船ネス・サブリン(巨大タンカー)、青函トンネル・・・、新しい製鉄所」。収録時間は41分。ちょっと短いなと思うが、楽しみだ。
 
 
 

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元気やや回復

 室温25度、湿度52㌫。8時半のいま、ほどよく風が吹き込み、ミレーの「落ち穂ひろい」の写真の額が、たまに壁をこんこんと鳴らしている。すこしひんやりとするが、とても過ごしやすい。日中どんなに暑くとも夜に気温が下がってさえくれれば、この夏の元気は何とか維持できそうだ。
 きょう光原社で○○さんと一時間ばかりコーヒーを飲んだ。彼女はアイス、わたしはホットだ。なぜ彼女を○○さんと書くか、それは頭文字も×と注意されているからだ。はて、いつまでもこう呼んでいるわけにもいかない。考えなくては・・・。しかし彼女は眼鏡、服装などもきちんとしている。いつもどうでもよい恰好をして歩いているわたしも、流石にもっと自分の服装に神経を使わないと一緒に歩く相手にも失礼だと思わせられた。勿論彼女は何も言わないし、多分これでいいと言ってくれるだろうけれども。

 さて昨日の12人のチェリストを聴かないことにしたわけだが、今朝聴いた第九は感動的だった。グンドラ・ヤノヴィッツの透明度の高い気品のあるソプラノが胸に染みた。
 ゲルハルト・ボッセ指揮で新日本フィルの第九の合唱を聴いたとき、合唱の声が細っているように感じられた。これは、声楽は体自体が楽器であるために、やはり体格のある向こうの合唱団の総力には敵わないからだろう。さんざんベルリン・ドイツ・オペラ合唱団を聴いたあとだ。ただ自分の受信装置に自信があるとは言えないのでこれも確かかどうかは怪しい。録音の技術の違いも大きく音を左右するだろう。何事も一概には言えないだろう。
 それにしてもソプラノのあの天上に届くか届いたかの上り詰めていくところでは、カラヤンがまるで、「ここは出してくれよ、頼むぞ」と念じ祈りながら振っているようにも感じられた。それに応えたかのヤノビッツの完璧とも思われる響きは、繰り返し繰り返し聴いても尚感動が褪せない。

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ベルリン・フィル12人のチェリストを遠くに

 今日だなとカレンダーを見る。今年最も聴きたかったベルリン・フィルのチェリスト12人。折しも開演の午後6時半ごろに、夕立が勢いよく降ってきた。
 いま19時9分。いまごろ何の曲を弾いてるかしらん。
 朝のうちは当日券で入ろう、どこかは空いているはず、と思っていた。午後になり気構えがすこし変わり、今年最も聴きたかったものを放棄してみようじゃないか、という気になった。贅沢は極力慎もう、そんな気になった。これにどういう意味があるか分からないが、そんなこともしてみたくなったのだ。
 それで夕食を通常通りに終え後片付けを終えて今自分の机の椅子に座っている。
 カラヤンのヴェートーヴェンの交響曲7番にはチェリストが11人配置されていた。このチェリストたちが、コントラバスなどと共に渾身の演奏で低音をしっかりと支える。実に壮観なものだ。
 或いはマリオス、満席かもしれない。それでも良いと敢て買わないでいたのだったが、結局行かないことに。
 しかし演奏会チケットは高い。チェコ・フィル6重奏のときはチケットの値段にはばらつきがあった。通常4000円か5000円。ドコモが参画したところだけは300円という安さだった。マニアックなK嬢の話では、海外(どこどこの国かはよく聞かなかったが)では音楽会は安ければ安いほどいいとされているそう。ところが、日本では、高いから良い演奏会だという誤った観念を持っているという。彼らにしてみれば、だからこそ日本は良い稼ぎになるとこういう事なのだろう。
 マリオスのステージを遠くに思い浮かべるうちに愚痴めいてきた。これまでも往生際が立派だった試しはない。そろそろ気持ちを切り替えて、ヨーヨーマのチェロでも聴こう。

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園井恵子ー岩手県生まれの女優ー

 岩手県松尾村編「園井恵子・資料集」-原爆が奪った未完の大女優

この著書の中に、盛内政志さんも追想を寄稿していた。盛内さんからは、岩手県芸術祭で幾度か表彰状を手渡して頂いている。そんなわけでお顔を存じ上げている。その盛内さんが昭和17年園井の楽屋を訪ね、小一時間話をなさっていたとは!盛内さん2度目の出会いは昭和20年の正月。苦楽座さくら隊一行を繋温泉の愛真館まで迎えに行ったとき、三好十郎作「獅子」の稽古の後の雑談で戦争の話になった。そのとき、園井はこう言っていたらしい、「総理大臣を辞められた東条大将が、中将で陸軍大臣のころ、勝子夫人とご一緒に宝塚に来られたことがありました。宝塚歌劇団にとても理解があり、私にもたいへん親切にしてくださった方なので、お気の毒なような気がしますわ」。
 また、この辺りでたまにお見かけする工藤剛嗣さんは、あかし・思い出のページに寄稿。園井と小学校の同級で、園井は工藤さんの家によく遊びに来ていて、工藤さんの母親や妹とも親しかったという。昭和10年ごろ、東京公演のとき工藤さんの妹さん在学中の東京共立薬専の屋上で、3人で語り合い再会を約して別れたのが最後だったようだ。
 園井恵子と面識、交遊があったお二方の顔を単に知っているというだけの事ではあるが、この方々の著書への登場で、思いがけずも身近になった女優園井恵子である。園井恵子の強さ、ひたむきさ、たゆまぬ努力、美しさ、そして踏んだ数々の舞台、映画は、この本の中に記録されている。

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小山実稚恵ー盛岡育ちのピアニストー

  今日は午前中は雨。午後になって晴れ間が。21時のいま机上の温度計は25度、湿度は52㌫を指しています。窓からのすこしひんやりとした風が心地よく感じられます。
 小山実稚恵さんの著書を開きました。
仙台生まれの盛岡育ちの小山さん。「さん付け」で失礼いたします。玩具のピアノでスタート。6歳でアップライトのピアノ。バイエルを3ヶ月で終了。母親の薦めで吉田見知子先生に。小山さん言うに、「わたしにとってピアノの先生というのはこの吉田先生と東京芸術大学附属高校から習い始めた田村宏先生のお二人だけです」。
 小学校4年でTBS主催「子ども音楽コンクール」で第一位。学生音楽コンクールでも中学校1年生で第一位。
 う~ん、もうここからにして吉田門下の筆頭なのですね。
 驚いたことに、東京に引っ越してからも特急で6時間かけて盛岡市の吉田見知子先生のレッスンに通っていたらしい。普通は逆。たとえ12時間かかろうとも宿泊費が要るとしても東京に出かけてレッスンを受けるのが一般的。逆バージョンです。その後芸大付属を受験しパス。何とも華やかな我が道には縁のないドラマがこの先も延々と続いてゆくのです。

 後の活躍は先ず図書館から借りたこの本を返して、同じ本を新たに購入してから再読することに。一人のピアニストの音楽への取組みや音楽解釈、モチベーションなどを学べそうです。

 
小山実稚恵の世界ーピアノで綴るロマンの旅ーぴあ出版

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石の光ーヴィヴァルディ「四季」第4楽章

 小雨だ。気温23.5度、湿度55㌫。曇ってはいるが過ごしやすい。のびやかなカラスの啼きごえ。3軒置いた向こうの路上をひっきりなしに行き交う車の音。3羽の雀。宣伝カーが近づきくるかと思いきやそのまま何処かへ去っていった。傘をさし左手に布袋を提げバス停に向かう後ろ姿。松の樹皮が湿り気に赤みを帯びヒマラヤ杉の緑は濃い。斑入りのアオキがぜんたい黄色を増して見える。

 コーヒーが並々と入ったカップを傾ける。

 クレーメルの「四季」の冬の音の切れ味、木枯らしが、鋼のように凍てつく大気、かじかむ樹木の枝の間を斬りすすむ。
 ティラリラリラ、ティラリラリラ、ティラララ、ティリララ・・・

ラリラリラ
 ほんとうにこれは鉱物の輝きだ。明るいのだが軽くはない。重厚だけれど重たくはない。まっしぐらに真空を駆ける光の速度が、不思議に速さはそのままに胸中にじっくりと進みゆく。パラドックスの自然体はどこまでも崩れない。

 夕べついつい聞いてしまったヴァイオリンの音が、まだ耳奧に鳴りつづけている。破線はない。曲線でありながら真っ直ぐな、真っ直ぐでありながら自在に曲がりくねり進む。その延長の線を描いて鳴る音が聞こえている。

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アトランダム幻想ーその1-可愛い、ほんとうにー

女の声がした。
「かわいい!ほんとうに・・・」
感極まった声だ。
子どもかな? ペットかな?
何日かたつとまた聞こえる。
「かわいい!ほんとうに」

幻聴だろうか。
それにしても
ほんとうに聞かなければならないことは
分かっておいたほうがよいことは
いまは何のことか分からなくても
知った方がいいことは
聖霊が教えてくれる

そんな気がする。

そしてそれが何なのかが分かる日がくる。

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雨降れど空は曇れど天晴れ

もう日は沈んだ。藍色がかった灰色の空の下に高く聳える樹木やアパートや屋根が黒く鎮座している。窓に点く灯り。湿度はけっこう高いのだろう。こんな光景を意識のキーでポンと反転させてみた。
 すると快適な空気。青空を映す窓。緑輝く樹木。家の開け放たれた窓からは爽やかな風が。
 両方の世界を交互に幾度も切り替えてみる。

反転、反転、反転・・・・

  雨は降る
  空は曇る
  けれども
  今日は晴天だ!

  若葉の匂いを嗅いでいる人
  華麗なバラに身を寄せる人
  みな新しく設えた人

  反転させればみな見える
  暗い夜にもみな見える

  そう

  わたしが過たないうちに
  その光景を
  この光景を
  天はわたしに見せてくれている

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葬送のうた

 昨日は葬送にはどんな歌、音楽が流されていたのだろうか。

 カトリックでは葬送のミサ曲。プロテスタントでは個人の愛唱賛美歌や「主よみもとに近づかん」等々。西欧、アメリカでは葬送といえばやはりレクイエム。このレクイエムも、モーツァルト、ベルリオーズ、ベルディ、サンサーンス、フォーレ、ドヴォルザーク等が政府からの或いは個人からの依頼で、または自分のために作曲している。
 昭和天皇の大喪では「哀之極(かなしみのきわみ)」が演奏されたらしい。

 思えば仏教のお経も音楽と言えるのではないか。キリスト教で言えば賛美歌にあたる御詠歌があるけれども、読経するときのリズム、抑揚を聴いていると音楽とも感じられる。もっとも知っているの「般若波羅蜜多・・・」「南無妙法蓮華経・・・」だけだが。

 さて「哀之極」が何という日本人によって作曲されたろうかと調べてみたら、何と、プロイセン王国(現ポーランド領)出身のフランツ・エッケルトが1897年英照皇太后の大喪のときに作曲したものだった。日本人の作品ではないものを皇室が取り入れていることに驚いた。エッケルトは1879年(明治12年)来日し、海軍軍楽隊、音楽取調掛、宮内省式部職、陸軍戸山学校など日本の洋楽教育のすべてに関わった人物だった。

 ここで良かったと思ったのは、この盛岡市で明治の時代貧苦に耐えて音楽の灯を燃やし続けた円子正先生がエッケルトの門に学んだのは記事で知っていましたが、そのエッケルトとは何者かがこの機会に分かったことです。

 東南アジアやアフリカ南米、オーストラリア、南洋の小さな島々にいたるまで、どんなふうに亡き方々を葬送するのかが気になりますが、きょうはこの辺で。

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橋をわたる

 昨日午前に近所のおばあちゃんの火葬に行った。盛岡市の北山火葬場だ。
途中バイパスに掛けられた橋を通らなければならない。眼下には車がひっきりなしに走っている。逆にこのバイパスを走りながら橋上を幾たび見上げたことだろう。霊柩車の通過を目の当たりにするのは何も珍しいことではない。
「また渡っていく」のを見、そしてハンドルを握りながらつかの間瞑目する。
 ああ本当に渡ってしまった、と慨嘆したのは母のときだった。母はとうとう渡ってしまったのだ。勿論バイパスから見上げていたのではない。霊柩車が先に渡り、それに続いてマイクロバスに乗って渡ったのだけれども。
 いつかは自分のときが来るのだろう。そして誰かがバイパスから、「また渡っていく」と見上げるのかもしれない。

 命そのものが成分の合成に付与されるとき、それは生きているものになると思っていますが、命が体から去り逝くときが即ち死。元来生きるものは永遠に生き朽ちるものはやがては朽ちゆく。生きるものは未来永劫に生き、朽ちゆくものは命が抜け出た時点で絶えるのでは。

 火葬場からもくもくと上がる白い煙が空に薄まって消える。煙突の下ではかつては有機的存在として魂を宿した亡骸が、炎の中で無機的存在となってゆく。骨と灰をさらうとき、魂は果たして何処に・・・

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アガバンサス

 午後図書館に行こうと自転車で通りを走っていると、ある店の前に置かれてある花に目が留まった。アガバンサスだ。水色に近い青。昨年この花が掛かり付けの歯医者さんの生け花に挿してあったので、「どこから花を入れてますか?」と事務の方に訊くと「S生花店です」というので行ってみたが、もう同じ切り花も鉢植えも無かった。何カ所か花の苗屋さんに訊いたのだが、答えてくれたのは、同じアガバンサスでもわたしが探しているのとは違っていた。
 初めてこの花を見たのは、シモーネ指揮のヴィヴァルディ「四季」のDVDに映った庭園でだ。勿論画面上で。こんなきれいな花があったのかと感心したのだった。カメラワークの成果もあると思う。以来それとなく探していたのだ。
 新年度に入って主人も職を退いたことだし、花を買うのはすこし控えようと探すこともしなくなっていた。花のカタログを取り寄せればあるのだろうが、そこまでではない。もう忘れかけてもいたのだが。
 店に入って訊くと貰ったものだという。「株分けをしなくちゃならないんだけどね」。言われてみれば根元がぎっしりと増え成長し苦しそうだった。帰ろうとすると、「ちょっと待って、そこに腰掛けてて」といって、客の応対をしている。
 「株分けするからね」。分けてあげるという意味なのに気づき、つい「株分けの仕事は、労働の部分はわたしがしますから!」と言った。ご年配の方なので、こんなに大きな植物を株分けするのは結構な重労働だと思われたからだ。「じゃこの紙に住所と電話番号を書いて。それとアガバンサスと下に書いておいて」
 花がおわってからの日曜日の午後連絡を下さるという。花も嬉しいけれど、店の中の方へと背中を押してくれたときの温かさ、温みのある言葉の響きもほんとうに嬉しかった。

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ヒツジグサ?スイレン?

「スイレンが咲きました」
某新聞の1面の写真に、見に行かなくては。
岩手大学の池に咲いている。
う~ん、スイレンとヒツジグサの違いが分からない!
そこでまたまた・・・ウィキペディアでしょ(これは心の声)。そうです、ウィキペディアです(と迷わずに即答)、といったもののネット上のS.aokiさんのが主婦には分かりやすかった。
「睡蓮はヒツジグサ(未草)の園芸種。ヒツジグサは野性の睡蓮」なそう。
ヒツジグサは日本に自生し花の色は白。
「主婦わたくし」には何科何属までは要らない。毎年咲いてくれるところを見ると多年草で、6月から11月まで見たような気がするので、花期はこの期間とこんな具合。

 水曜日の午後一緒してくれたのは、やはり以前にも行ってくれた○○さん。彼女の車庫に車を強引に押し込み、出してくれたアイスコーヒーで涼んでからいそいそと。
 あのドイツトウヒの見下ろす池の面に幾十、幾百とかたまって、浮かんでいる咲いている仰ぎみている赤と白のスイレン。印象派の画家クロード・モネの「睡蓮」の連作が思い出された。モネが睡蓮を描き続けた理由がやっと分かった気がした。それは水の面に浮かぶ葉や花ばかりではなく、モネの、睡蓮の浮かぶ池、沼には、花の下に、周囲に息づくすべての樹木たちが陸の上に生きると同時に水の下にも陰として宿り息づいているのだが、その混沌とした水中の面に、何気なくさりげなく、あるときは重々しくあるときは虚ろに浮き咲く睡蓮なのだと思ったのだが。

 そんな睡蓮をみながらベンチに座り彼女が話してくれたのは、学生運動の話。休講に継ぐ休講でレポート提出だったこと。教授の一人娘が運動家にいじめられて自殺したこともあったらしい。高野悦子が立命館大学在学中、全共闘の嵐の中に。学生の身を恥じ、労働者たらんとしアルバイトで生活費をまかなおうとする。そのアルバイト先で失恋。1969年未明、貨物列車に身を投げる。父親が娘の日記を纏めたのが「二十歳の原点」だ。ー独りであること、未熟であること、これがわたしの二十歳の原点であるー
 学生がこんなにも論議し大学とぶつかり、警察と揉めた時代があったのだ。彼女自身は運動に身を投じなかったが、それを目の当たりにしながら学生生活を送っていたのだ。
 午後2時、そうヒツジグサが咲く時間といわれている。じっさいには日のあるうちは咲いているのだが。2時ごろに私たちはベンチから立ち上がり、岩大の構内を後にした。

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音の極み

  昨日午後、盛岡市本宮に用足しに行ったついでに、かねてからT子さんに「一度行ってみて」と勧められていたカフェ・クリンゲンバウムという喫茶店に立ち寄ってみた。住宅地の中にある。何とか辿りついてドアを開けると・・・あった! すばらしいオーディオ、と見えたが、ほんとうに素晴らしいかどうかは先ず聴いてからと長椅子に腰掛ける。管楽器の高音や広がり強さが割れないで届くかどうかドヴォルザーク「新世界」の第4楽章だけリクエスト。響きが広がりと柔軟性を保ったまますんなりと届いてくれる。高音にも割れない。パンチがストレートにパーンと打ち込まれてくる。
 我が家ではまずまずだったオーディオ一式は息子のものだった為に、息子が盛岡を出るとなったときに一緒について行ってしまった。いまはパソコンの左右にスーピーカーをつなげて細々と聴いている。スピーカーを1ランク上げようかとも思った。だが1ランク上げたが最後またもう1ランク上げたくなるのは分かり切っている。だからこそ買わないでいた。際限がなくなるに決まっている。
 それはともかく、次に聴いたオスカー・ピーターソンのベースのかなり低音までが地面を這うかにしっかり聞こえたときには唸ってしまった。

 この
クリンゲンバウム
2008/8/29(金)11時~20時半
     30(土)11時~12時半・17時~18時

音楽家、マニアを驚嘆させたという
タイムドメインYoshii 9 のスピーカーの試聴会があるらしい。

タイムドメイン理論による製品の特徴は・・・
音が信じられないほどリアルまるで実在してるよう/音場感豊か雰囲気まで伝わる/距離が離れても音が崩れない/オケの色々な楽器が聞き取れる/ピアノ、弦楽器、打楽器などの音が表情豊かでリアル/古いレコードがリアルに再現等々などの良いことずくめ。

絶対に買わないぞ、何があっても買うものか、この決心が揺るぎないほどに強固になったなら行ってみようかな。

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はや7月

 暑い一日だった。網戸から涼しい風が入ってくる。すこし離れた路を車が絶え間なく行き交っている。それも間もなく止むだろう。
 今日も開いたゲオルグ神父の本。この本を送ってくれた友人の写真が、強くふきこんだ風に、コルクボードで揺れている。
 神父の業績は数々あるが、こんなステキな木の植え方があるとは!
 「子どもたちがトチの実を拾って遊べるようにトチの木を、
  リスの姿を見ることができるようにクルミの木を、
  駐車した車が夏、熱くならないようにドイツトウヒを・・・」  
 家の周りにこんな木の植え方ができたなら。こんな木が街のいたるところにあったならどれほどに心がやすまるだろうか。
 

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