長岡輝子さんに受け継がれていたものー聖書ー
「えっ、どうして女優の長岡輝子さんが聖書ものがたりを?」
大した読書もしないおばちゃんですが、図書館の新刊コーナーに置かれていた長岡輝子著「長岡輝子の聖書ものがたり」一麦出版社 を見てすこし意外でした。そんなわけで、長岡輝子さんってどんな人かな? 生まれた背景はどうだったかな? とすこしだけそちこちを見てみたわけです。
長岡輝子さんは明治41(1908)年盛岡生まれです。演劇のためパリに留学。1939年には文学座に参加。「アテルイ」「おしん」「遠野物語」「女の一生」など数々の映画に出演。2003年菊池寛賞受賞。宮沢賢治の作品や聖書の朗読で知られていたんですね。賢治作品の朗読は聞いたことがありますが、聖書の朗読もしていたことは知りませんでした。
おばちゃんもちょっとは詩を書きます。おばちゃんの「雨ぁ降るども」は岩手県芸術祭の詩部門で芸術祭賞でした。何しろ賢治さんのイーハトーブで賞をいただいたので、もう嬉しくて仕方がありません。この詩をいつか輝子さんに朗読して貰いたい、それがおばちゃんの夢だったのです。でもおばちゃんには遠い存在。近づくのは無理。とても叶いそうにありません。まあ、それはいいんですけれどもね。
どうも長岡輝子さんのお父さんとお母さんがクリスチャンだったらしい。物心ついたときから、聖書が身近だったのね。輝子さんは8人兄弟姉妹の4番目。3女でした。輝子さんのお母さんの長岡栄子さんはどんな人だったのでしょ。
長岡栄子さんは、明治のころ、岩手の県立高等女学校の先生でした。キリスト教婦人矯風会(1886年に56人のクリスチャン女性が結成。平和、性、人権の尊重、酒・タバコの害防止などを目標とする。日本初の女性団体)に入っており、その会員の幼児を集めて保育指導を始めたのです。明治40年にはバプテスト教会宣教師タッピング婦人、そう宮沢賢治が聖書を教わったあのバイブルクラスをご主人とやっていたタッピング婦人が、この保育のために牧師館(牧師の住居)を開放して私立盛岡幼稚園を開設。これが明治42年岩手県知事から認可され県内第一号の幼稚園となったのだそうです。
栄子さんは、岩手で初めて子どもたちを集めての保育に着手し、幼稚園の土台を据えた女性だったのでした。栄子さんは、日曜日の礼拝ばかりでなく、保育所として提供された牧師館においても、賛美歌を歌ったり聖書についての語らいのときを多く持つ機会に恵まれていたはずです。輝子さんのお姉さんの妙子さん(長女)は、盛岡幼稚園の第一回の卒業生でした。
妙子さんも歌い、妙子さんの兄弟姉妹、そして輝子さんもきっと歌ったかもしれない子ども賛美歌「七日のうち一日」の歌詞で、きょうのブログをしめくくります。
七日のうち一日
あそぶことも忘れて
神さまの家にきて
聖書まなぶたのしさ
イエスさまもこの世で
おまもりなされた
この日をばわたしも
まもりましょう
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コメント
内丸育ちさま
コメント有難うございます。長岡輝子さんとはお親しいのでしょうか。わたしが想像を膨らませ想っていた栄子先生とも面識がおありなのですね。
人生豊かに守られ確かな一歩一歩を歩み来られたものと思われます。
80周年記念のお母さんカルテット演奏、曲目は分かりませんが、すばらしい事です。
当方右に転げ左に転げしつつ、幾たびかノックダウンされ、しかし何とかノックアウトにまではならずに命脈を保っております。
内丸育ちさまよりはるかに若輩ものであると思われますが、内丸育ちさまの今日の礼拝の欠けが十分に補われ、変わらぬ主の見守りと祝福がございますように祈らせて頂きました。当方の為にもお祈り頂ければ嬉しく存じます。
ご健康が守られ、幸いな日々でございますように!!
投稿: 中ぶんな | 2008年4月27日 (日) 14時58分
礼拝を守るkeep searviceでしょうか
お輝さん失礼輝子先生百歳幼稚園101歳、栄子先生には高校生の時お目にかかりました
自分の人沢山の人に守られて来たなと感じる今日この頃です
80周年の時はお母さんカルテット(弦)の演奏があったそうです
臨出で今朝の礼拝が守れない私の為に祈ってください
投稿: 内丸育ち | 2008年4月27日 (日) 07時47分