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アンダンテ・カンタービレ

 アンダンテ・カンタービレは、チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第一番の第2楽章です。拙書「光炎に響く」に登場する岩手のセロの草分け梅村保は、昭和12年一家で満州に渡りました。満鉄厚生会館での第一回音楽会のとき、梅村は、長男重光(第一ヴァイオリン)、二男功二(ヴィオラ)、長女郁子(第二ヴァイオリン)と四人で、この曲を演奏しました。そんなわけで、おばちゃんにとっても、特別な曲なのです。今聴きながらこれを書いています。
 梅村親子カルテットは、満州でも異色でした。恐らく当時の日本でも希有だったでしょう。彼の地で練習を毎晩聴いていた斎藤直次氏は、いまは東京で奥様と共に穏やかな毎日を過ごされていますが、「あのメロディーの華麗さは例えようもなく、50年近く経ったいまでも脳裡に残っております」と振り返っておられます。

 
 チャイコフスキーは、毎年キエフから300㌔南にあるカーメンカにある妹の館に滞在していました。たまたま館の窓越しに聞こえた、左官職人が口ずさんでいた曲に心惹かれ、休憩のときに呼んで書き採ったのが、このアンダンテ・カンタービレだったといいます。有名な話です。

 文豪トルストイが48歳の時、これを聴いて感動し涙を流したらしいのですが、これがチャイコフスキーの創作にいよいよ弾みをつけたことは、容易に想像できます。ラフマニノフが歌曲をトルストイに酷評され、心まで病んでいますが、ラフマニノフにももうすこし温かい言葉をかけられなかったのかと、込入った文学も音楽も論評も知らないおばちゃんは、単純にそう思ったことでした。偉い人ほど、影響力の強い人ほど言葉には気をつけなくちゃいけないんですね。人一人を奮い立たせるか、自信をなくさせ絶望に陥れるかほどの影響があるんですね。その点、おばちゃんほど気楽なひとも無いのですが。

 もともとは左官さんのメロディーだったアンダンテ・カンタービレです。梅村親子カルテットのシルエットを浮かべ、またまた雄渾な満州の落日を浮かべながら今一度聴くとします。

 

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