初めてハイドンの「皇帝」を聴いたのは、中学校の音楽の時間でした。M先生がレコードをかけてくれたのです。バス会社の歌を吹き込んだことがあるという先生の声は細いソプラノでした。「皇帝」を、「厳かな感じがするな」と聴いたのですが、先生は「この曲には気品があります」と言いました。なるほど!納得でした。
「驚愕」はヴァイオリンの練習曲の一部を弾いたことがあります。「楽しい」「まじめ」「弾きやすい」「はっきりしてる」「端正」「律儀」といった感じがしました。弾けるといっても、へたっぴー、なのでステージではとても弾けません。
こんな曲を作った人って?
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン。1732年オーストリアに貧しい車大工の親方の11人の子どもの一人として生まれたようです。貧しい中に生まれたというところはヴェルディと同じ、おばちゃんと同じです。もっとも、おばちゃんが大作曲家と同じところはそこだけです。音楽との出会い、音楽人生のきっかけは、ウィーンの聖シュテファン教会の合唱児童となったことに始まるようです。多くの音楽家の生涯は、キリスト教会の門をくぐることからだったよう。教会が才能を守り育てるという側面を果たしていたんですね。後には西部ハンガリー屈指の貴族エステルハージ家に就職。生活も安定し、創作が充実したようです。
ハイドンは交響曲約104曲+α、弦楽四重奏68曲、オラトリオ6曲、ピアノ三重奏曲41曲、ピアノソナタ60曲、バリトン三重奏126曲、その他・・・・を作曲。すごい!と思ったら、バッハは1000曲、ヴィヴァルディ2000曲、テレマン5000曲、ヘンデルはバッハと同じくらいかそれ以上なそうです。
ハイドンはオラトリオ「天地創造」「四季」を60代で作曲したようなので、もう歳だ~、としょげていたおばちゃんは、すこし元気がでました。
こんなにこんなに作曲したハイドンですが、20世紀前半はあまりもてはやされなかったようです。プロテスタント的な価値観にも通じる「まじめ」「高尚」な数々の曲は、むしろ20世紀後半になってから、ーウィキペディアはいっているのですがー「価値観が多様化し音楽のフィールドが無際限に拡大したいまにこそハイドンの音楽の存在意義がある」のだそうです。
昔むか~し、岩手に来たことのある弦楽四重奏団ハイドン・カルテットが、ハイドンの名を冠した理由は?とか、太田カルテットの主宰者梅村保の謹厳実直さ、まじめさが、どこかハイドンの曲に通じるように思い、ちょとばかり、ハイドンに擦ってみました。おばちゃん流ハイドンになってたら、ハイドンに悪いんですけれども。
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