代筆
母が生きていたとき、手がしびれるようになってからは、よく母に来た手紙の代筆をしていました。「娘の私が代わって書いています」などと書くと文章が長くややこしくなるので、わたしが母になりきって書いていました。母は、まったく任せきって、横に座って見ておりました。
母になりきって書いた手紙に返信が届きました。自分に届いたような錯覚がありました。またその手紙に、母の意向を聞きながらですが、便りを書くのです。何だか母の友人が自分の友達になったような気持ちになりました。
母が亡くなりました。亡くなった母に色々な手紙やら書面やら年賀状が届きました。役所関係は感情があまり入らずに処理できます。
ーもう夜10時半ですね、はやいですね。でも考えようによっては、いまが一番いい時間なのでしょうー
年賀状などは、母が生きているものとして安否を気遣ってくださる文面でした。それに対し、今度は、書いているのは実は私です、という感じでしたが、じつはこれこれしかじかで、と母の死をお知らせしました。
代筆。ふと、わたしも代筆の手紙、代筆の葉書、もしかすれば、こんなOA時代ですから、代筆のメールを貰っていることがあるかもしれない、いやそういうこともあり得る、これは面白いぞ、と思ったことでした。
ともあれ、母が亡くなったことで、代筆の役目は当分お休みとなりそうです。いまのところ、私の手は自由に動きますので、相手に無断で、わたしの手紙を誰かに代筆させるというような事は無くて済んでいます。
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