日記
いつの間にか居眠りしてしまい、誤って消去のキーを押していたらしく、気づいたら800字ほどの全文が消えていました。依頼原稿など来る筈もないおばちゃんですから、800字すっぽりと消えていても、ちっとも困らないのです。う~ん、ここから抜け出して地球の裏側のお花畑でも散歩してるかな、などとあっさり諦めもつきます。
28日は検診。某医院に8時半まで入って。9時20分から2時間かけて2リットルの薬液を飲むのです。1リットルまでは難なく飲めました。2リットル目はきつかったです。これに紅茶500㏄プラス。ぜんぶで2500㏄飲みました。これだけ飲めることに驚きました。検査結果は異常なし。夕方5時に医院を出て6時帰宅。
29日は、4時半起床。ここのところずっと4時半です。お弁当を作るのです。8時半にゴミを出すと、カラスがゆとりの表情で、ゴミをそれとなく狙っています。
「ささ、そこに置いて置いて。置いたら早く行ってくれないかな」といっているみたいでした。
ひところは、「おはよう」と話せるカラスがいました。以前近くに住んでいた方が、毎朝カラスに向かって、「おはよう」と根気よく話しかけるうちに、はっきりと「おはよう」とではないのですが、「おあよう」というようになりました。それからというもの、おばちゃんは、このカラスを「おはようカラス」と呼んでいました。ところが、話しかけていた方が引っ越したのと時を同じくして、このカラスも見かけなくなってしまいました。
午前中いっぱいダンボールをたたんだり、古紙を整理したり、家回りを片付けたりしました。最寄りの某医院へ薬を取りに行くついでに生協で買い物。昼は、朝の残り物で済ませました。残り物を食べるように強制される訳ではなく、自分で勝手にそうしているのですが、とても有り難いと思って食べました。食べられない人たちが沢山いる現実。東南アジアでもホテルの残飯を待って居る人たちがあり、またその人たちの残飯を待って居る人たちがあると聞きました。飢餓をあげればアフリカなども。枚挙にいとまがないほどと。屋根があり3食がある。贅沢なことです。
午後は、亡き母関係の書類の書き込み発送、連絡。洗濯を干し、しているうちに姉から電話。元気かどうか確かめる電話でした。ちょっと話し込み、15時ごろだったか、慌ててクリーニング店を経由し、中三まえからバスに乗り、盛岡駅で降り、エスカレーターで2階へ。マリオスの受付でパイプオルガンのパンフを貰ってすぐにアイーナの県立図書館へ。12月末で期限の切れた本一冊を返却。熱心に読書している年配の、おばちゃんも年配ですが、同じく年配の婦人の姿に感激。ああ、自分もこうなりたいな、と思ったことでした。何を読んでいるのか気になりました。いまは視覚聴覚で精神衛生をと考え、DVD2枚。ビデオ1本借りて、駅前から水道橋行きに乗ると、近所の方にバッタリ。聞くとやはりいま介護の真っ最中で実家との間を往復しているとのこと。おばちゃんが6年間やってきた介護よりもっと大変そうです。気持ちがとてもよく分かりました。同じ停留所で下車。自宅前まで話しながら帰宅夕方5時。
こうして書きだしてみると、あ、今日は、動いて働いていた、無駄ではなかったと実感することができます。買い置いた備忘録も何やかやでつけ忘れていましたが、こう忘れやすくなってみると、いつどこで何をしていたかを時間とともにできるだけ細かに書き付けて、読み返しては、動いた、生きたを実感したいものです。おばちゃんの場合は、もっと掃除をやるべきかもしれません。これまでは、実家の母の介護もあるからと大目に見られてきました。けれどその役目はもう無くなったのですから。
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