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2007年12月

今年もあと一日

 2007年もあと一日。母の火葬、葬儀のあった昨日29日は午前中は小雨。きょうは曇り。夕方には雪がちらほらと。
 
 今年の9月9日から始めたこのブログでした。訪問くださった方々にはとても励まされました。引きつづき冷やかしにでもクリックしてくだされば、また頑張れますので、宜しくお願い申し上げます。

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旅立ち

 これまで、病気療養などをともに歩んできた母が、12月26日夜9時に、この地上世界を後にしました。母が、どうしても暗い世界に入った感じがしません。最期に教えられた幾つかを、後に、またまた狭い憶測、危うい見識だけで、書くつもりです。

 
母さん、88年のこの地上生活、ほんとうにご苦労さま。ありがとう!!

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メリー・クリスマス!

             Merry  Christmas  !

          きょうダビデの町で、
          あなたがたのために、
        救い主がお生まれになりました。
         この方こそ主キリストです。

             聖書マタイ4・16

   暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、
      死の地と死の影に座っていた人々に、
            光が上った。


              
聖書ルカ 2・1

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クリスマス・イブ

 近年クリスマスをいち早く先取りするのは、デパート、商店街。クリスマスツリーのモミの木は飽きられてか、ブルーの木に白い球が下がっていたり、木そのものが光ファイバーみたいだったりさまざま。12月に入ると同時に、コンビニにはもうサンタが働いてましたものね。

  でも商戦とは根本的に違っているのが、全世界でのクリスマス礼拝。今年は23日(日)だったはず。おばちゃんが行った教会もそうでした。午前は礼拝で午後は祝会でした。そして今日24日はキャンドルサービス。生誕のお話や、賛美歌、それにハンドベルの演奏。澄んだ音色がきれいでした。  

  ♪ キリストの誕生は、キリストが生まれるずっと前に書かれた聖書のイザヤ書にも予言されていたらしい。

 救い主が生まれるよ、というお知らせは、真っ先に羊飼いに告げ知らされたらしい。おばちゃんは、すっかり安心。だって学識経験者やお金持ちが最優先だったら、何だか自分とは遠いでしょ。イエス様が宮殿にではなく、馬小屋で生まれたのにも安心。だってもし宮殿に生まれていたら、立派な服を一枚も持ってないおばちゃんは、会いにゆけないでしょ。

 イエスさまのところに行くときは、取りあえずは、このままで、ありのままでいいらしい。立派にして来なさい、立派になってから来なさい、とは言っていないようね。おばちゃんみたいに、弱いところがいっぱいあって、欠点だらけで、美人じゃなくて、歳もとってて、ちと頭も弱くて、だけど驚いたことに、それでいいらしいの。そのままでわたしのところに来なさいと神様はおっしゃっているらしいの。

 きよしこの夜  星は光り  救いの御子は 
  まぶねの中に  ねむりたもう  いとやすく 
  

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飯森範親氏の指揮

 きのう朝、21日のコンサートに一緒に行った倅が言うには、「飯森範親は、どうも体調が悪かったらしい」。モリーオ(盛岡市)のマリオスでのマーラーの「復活」の指揮者のことです。さっそくブログを見ると、急性胃腸炎で直前まで点滴をし、立っているのもやっとの状態で指揮していたらしい。22日は秋田。23日は山形。山形に向かう途中で、まだ体調は本調子ではないといってました。盛岡公演、大変だったんですね。そんな最中、5楽章ぜんぶを振ってくれたんですね。ちっとも気づきませんでした。秋田新幹線「こまち」のなかでは、NHKニューイヤーコンサートの楽譜に取り組んでいたとか。

  今回の演奏旅行では、このモリーオが、飯森氏にとって、大変だったが故に記憶に残る地となったのではないでしょうか。

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マーラー「復活」ー東北初演ーありがとうイーハトーブの若き歌声

 07、12、21。7時開演。おばちゃんも行きました。倅は一階席。おばちゃんは3階4列28番。誕生日のプレゼントチケットなの。眠くなると大変だから夕食は後回し。3階には3階の楽しみ方があるのね。
 後ろに200人から の合唱団が控えるオーケストラの配置はといえば、コントラバスは聴衆席からみて左端。チェロは中央の左。右端にはハープが設置されその後ろにゴング などの打楽器。管の位置はふつうかなと。ヴィオラは右。ヴァイオリンは左右に分かれて確か対向配置だったでしょうか。第一楽章をあまりに神経質に聞いたた めに、ちょっと疲れて、5楽章まで集中力が持つかしらんと内心危ぶんだけれど大丈夫でした。3楽章あたりになると、音がさまざまな大きさの紡錘形となって、ホールに立ちのぼる感じがしました。
 ひところは、ほとんど指揮者を見ていたのが、いまでは楽器の美しさや輝き、弓の動き、弦楽器全員のピッチカートの動き。音を発した楽器を追うように細かにみるようになっています。打楽器が管楽器を呼び、管が弦を呼ぶ連鎖のすばらしさ。

 オーケストラは大きなテーブルにあるいくつもの大皿に豪華に盛りつけられた芳醇で滋養豊かなスペシャル料理だと感じました。ほんとうに旨みがあって元気になれるの。
 ソプラノ、アルト独唱もよかったけれど、固唾を呑んで待った合唱団のすべりだしには、緊張が解かされました。よくここまでと。それこそ、ドイツ語の発声練習からだったでしょう。東京交響楽団は1946年生まれという若さ。このオケにそん色なく、滋味のある霊妙さを醸し、宗教的な深みにまでとの熱意が合唱全体にゆきわたっていました。感激しました。
 終章に近づくにつれて、楽団全体にエネルギーが漲り、終章では満足と納得をくれました。

 今回は合唱に期待して駆けつけたのでした。頑張った学生の皆さんに、ごくろうさま、有難うの気持ちでいっぱいでした。
 
    
 曲中の詩を思いめぐらしながら締め括るとします。

 「信じなさい。あなたはいたずらに生まれてきたのではありません。いたずらに生き、くるしんだのではありません」

 

 


 

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雪の衣

 モリーオは、今朝も氷点下5、5度でした。
いま、ちょっとカーテンを開けてみたら、空いっぱいに雲がぼうっと明るい感じでした。そちこちの木が、ガチガチと鳴る歯をくいしばって、「静かですね。雪の衣装もけっこうあったかい。どう、似合うでしょう」ですって。

 午前0時が、チャイムを鳴らしているようです。どれ、新しい一日のために扉を開けてみましょうか。

 


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 おはよう!
今朝6時、働きに出る倅を玄関に見送って、まだ暗い空をみあげたら、明けの星がこっちを見ていたのにはびっくり。じっと見ているうちに光を放ちはじめて。ほんとうに金剛石の粒のようでした。

 洗濯機に洗濯物を入れながら、「もみの
♪ もみの♪」と、口ずさんでいるうちに、小学校4年まで暮らした滝沢村の家や、その後ろに畑を隔ててしっかりと立ち並び、強風や吹雪から隙間だらけの粗末なわが家を守ってくれた奥深い木々を思い出しました。
 もみの
の一画は、下の方の枝はきれいに刈り払われていて、登ろうにも足場がないのです。けれども、もみの樹下一帯には静謐な空気が満ち、たちはいつも礼儀正しく品行方正、そんな感じがしたものです。「ちょっと失礼いたします」の気分でもみのの下を歩いたものでした。

 
の東側はでした。その杉林は鉄道の防雪林でもありました。防雪林に沿って南北に、まだ電化されていない東北本線が走っていました。登りにはもってこいのがそちこちに。てっぺん近くまでよじ登っては、樹上がうち続くのテラスを一望にし悦に入ったものです。
 西側には
雑木林。最大限にこぐと、地上を飛び出して空にまで届いたブランコは、この一画の特にも大きなにロープで吊されていたのです。

 近年盛岡に住むようになってから、真っ先にあの滝沢駅周辺に行ってみたのですが、あの思い出深い
木々の一帯は、もう近代的な宅地になっていました。かつてはそこにしっかりと立ち、心を守り育ててくれた木々が、姿を消していたのは何とも残念でなりませんが、あの一本一本は、いまだにおばちゃんの中に生きつづけ、折に触れて、おばちゃんを慰めたり温めたりしてくれています。

         
もみの木  もみの木  
           ときわに  やすし ♪♪ 




 

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マーラーの「復活」

  マーラー「復活」演奏会の準備が着々と進んでるらしい。盛岡市民文化会館大ホール。12月21日(金) 午後7時開演。東京交響楽団、飯森範親、森麻季、寺谷千枝子。合唱団は一般公募ではなく、盛岡市内の高校5校と岩手大学、盛岡バッハ・カンタータ・フェライン。総じて、若いエネルギーを傾けた演奏が期待できそう。

 1974年岩手県民オーケストラの第二回定期演奏会が、エグモント序曲とヴェートーヴェンの「第九番」だった。あのときは合唱団が募られて。おばちゃんも応募したの。あの頃は若かった。アルトになってね。ほんとうはソプラノやりたかったんだけど。さて演奏当日となり、いよいよ第4楽章。かわきりに田島好一のバリトンが、「オー、フロー、オ、オ、オ、オ-イデ」とホールをびりびりと震わせたときには、鳥肌でした。というのも、声楽を直に聴いたのは初めてだったから。

 あのときの合唱練習の雰囲気や、ソリストが、ステージに勢揃いした壮観さを思い出すと、ほんとうに楽しみです。第4楽章の終わりにはもう、「このまま続いて、終わらないで、終わってしまうなんて惜しい、もったいなすぎる」そんな気持ちになりましたね~。

 さあてっと、クラッシック界にマーラーを認識させたというレナード・バーンスタインの「復活」でも聴きながら、当日を待つことにしようかな。

 

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星の牧場 ーいわて 葛巻ー

 今日9時半頃、ちょっと庭に出てみると、天空は白い雲に覆われてました。雲がすこしずつ動いてるのね。所々にあいている狭苦しい抜け穴から夜空が顔を出してて、星座が切れ切れなために脈絡なく置かれた星が、それでも青白くけれどあたたかく瞬いていたの。また雲が動いたとき、三つの星がきれいに並んで、そうオリオンがしずかに現れてくれたのでした。近頃はすっかりうつむき加減だった頭を、思いっきり後ろに反らして星を見ているうちに、またまた葛巻を思い出しました。

 
夏だったけれど、一泊二日で葛巻に泊まり、及ばずながら牛の世話を手伝った日のこと。
 一かたまり30キロの干し草をほぐして牛に食べさせたり、側溝に牛の糞を掻き落としたり、床を洗い流したりしました。大鍋にたっぷりと沸かしてある牛乳をすきなだけ飲みながら、炊事もすこし手伝いました。その夜のことです。10時ごろから咳が出始め、しだいにひどくなり、呼吸が苦しいほどになりました。時間が経てば治るだろうと思ったのですが治りません。けれど、絶対にここの家の人たちを起こしてはならないと思いました。終日どれほどに働き、どれほど疲れて眠っているかわかっていたからです。いきなりやろうとしても、そうそう一人前に働けるものではないことを思い知りました。
 
窓外には降るような星空が広がっていました。咳き込んでいるものが居ようが、熟睡するものが居ようが関係ないのです。天の川の無数の砂までがさざめいています。
 咳はとうとう明け方までつづき、牛が起き出したころに小康となりました。アレルギー性のものだったと思います。たぶん干し草をほぐしたときの埃を吸ったからだなと思いました。翌日は体力がすっかりなくなっていたので、仕事がきつかったです。でもやっぱり、あのとき人を起こさなくてよかったなと今でも思っています。

 高原の星は、大きく白く青く赤く、温かく冷たく美しく光っていました。

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平々凡々と

   夕方4時半ごろだったかな、盛岡市の中央通りを突き当たりの市役所に向かっていたら、岩手県警の東署の屋上から、ライトを点けたヘリが暮れ染めた空にゆっくりと浮上。もしや夜の見回りと称してナイト・クルージング? ではないでしょうけれど。ちょっと夜空をへりで回ることができたなら、と空想するうちに、バイクは右折したい交差点に差し掛かり、慌ててウィンカーを。

 
入院中の母は、小康を更新中。ただ、88歳という高齢であることに加え、週3回の透析があるために、いつ何があってもおかしくはない状況となっている。楽観は許されない。意識があるために、「じゃ、またね」というと悲しそうな表情になるので、つい長居に。毎日様子を見ています。

 今朝は3時半に起きました。明日は4時起き。
そういえば介護認定更新の書類も来てました。用足しに振り回されても、何であれ、毎日やることがあるというのは、有り難いことなのでしょう。

 
  

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ヘリ過ぎる

   今しがた、上空にヘリの音がしていました。自衛隊機か県警か報道関係か観光の関係か、外に出てみることはしませんでしたが、たぶん、自衛隊機かなと。ヘリに乗ってみたくなりました。奥羽、北上の山地百六万ヘクタール(岩手県の三分の二)を上空から一つかみに俯瞰したなら、どんなに素晴らしかろうと思いました。
 こんな真冬にも、牛を外に放し飼いにして成果をあげた経営者もいました。農政の指導とは逆の方法を断行することで成果を見た例ですが、この人の入らぬ、入りにくい、むしろ流出一方の広大な原野に模索しうる可能性は何なのだろう、ふとそんなことを考えました。
 山仕事クラブの方々と、箱が森に登ったことがあります。この方々に奉仕の内容を訊くと、枝の刈り取りなのだそうです。樹木を守る人手もない現実。原野の可能性を言う以前に、山々をあるがままに保つことさえままならないらしいのです。
 イヌワシのように頂点にたって山林原野の循環をつかさどってくれる力が現れてくれないものかと思います。
 もうヘリはどこかへ去ってしまいました。いまごろ何処を巡行しているでしょうか。荘厳なほどに白く青く眩い山々を映す航空写真が浮かびました。

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ギデオンの剣

 

 きょう12月8日のことばは
   
 「主の剣。ギデオンの剣」

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モミの木

  「NHKが葛巻を映すよ」を書きおえて、しばらく眼を閉じていると、真っ白な雪をかぶったモミの木が浮かんできました。

 
  モミの木  モミの木  ときわにやすし

  O Christmas  tree,  O  Christmas  tree!
     How  are  thy  leaves  so  verdant!
   

 これが平和なのだと思いながら、くりかえしくりかえし心のなかで唱ううちに、歌が口をついて出てきて、また唱いうたい唱ううちに、パソコンで検索してみたくなりました。すると・・・

   おおモミの木 汝の新緑の葉よ!
     ~モミの木のグリーンは生命力の象徴

    クリスマスはドイツを起源とする。

    
ツリーの一番上の星は「キリストの降誕」
    
赤い実は「禁断の実」
    
ベルは「羊飼いのベル」
    
クリスマスカラーの赤は「キリストの血」
    
緑は「常緑、生命力の象徴」

 そしてまたしばらく、聖歌隊の歌うモミの木をパソコンで聞きました。

 歌詞は1824年のライプツィヒのオルガン奏者Ernst  Anschutz(1780ー1861)のバージョンが最も親しまれているようです。

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NHKが葛巻町を映すよ

 このブログに2回葛巻町の酪農を書いたよね。それが嬉しいことに、NHKで葛巻町の番組をやってくれるらしい。当たり前のことだけど、何もこのブログに書いたからじゃなくて、まるっきりの偶然です。

     12月12日(水)・12月13日(木)
     NHKテレビ 昼12時20分
     生中継ふるさと一番!葛巻町
     「冬の高原・子牛たちは元気いっぱい~ 
                    岩手県葛巻町」


 おばちゃんも楽しみにします。


 いよいよ酪農の原稿を書くことに決めて、葛巻のTさんの家にいくとびっくり。Tさんは、これまでの酪農経営にかんする資料は、色々な記事の切り抜きや、W先生の研究資料や、役場で出したのやら、さまざま取ってあったのね。それでとっても助かったのでした。新聞だって、もし自分で昭和44年なんかに遡ってコピーを取ったりの騒ぎになると、それこそ結構な時間がいるわけなの。ほんとうに助かりました。
 最初に書いた原稿50枚はかなり不出来で、次に書き足して100枚にしたのは、まあまあ50点ぐらいで。こんどは、それをまったくのフィクションとして、ただ農政の矛盾や酪農の労働の大変さはひとつも損なわないように書きたいと思ってるところなの。まあね、前にも言ったとおり、家事ロボットおばちゃんの創作ですからね。うまくいかなくても、詰られるということもないでしょうね、きっと。

 

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もみの木

      その日もみの木は
      深いふかい緑の晴れぎを着て
      手も足もぴんと伸ばし
      背筋もしゃっきりと立てて
      無心に夜空をあおいでおりました
      疲れても眠くても
      ぴりぴりと寒くても
      ひたすら夜空を仰いでおりました
      すると
      ふんわりと音もなく落ちてきた星が
      ぴたりと肩に止まったと思いきや
      もう眼がまわるほどに立てつづけに
      こんどは
      あたまやうでや
      ひたいやゆびさきに降りそそぎ
      とうとう頭のてっぺんから
      あしもとにまで星がまぶされて
      漆黒の暗闇に
      白く明るく
      くっきりともみの木の形をさせて
         輝きだしたのでした
      
      
     

      
      
      

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天に近い丘

 そう、葛巻で酪農に従事しているTさんに会ったのは、盛岡の日赤病院が、まだ内丸にあった昭和60年の1月のことだった。あの冬も雪の日が多くてね。夜に窓から見ると、青い信号、赤い信号がぼうっとなるくらい大きな雪がもそもそと降ってたの。向いの裁判所の建物ももうかき消えそうだった。

 ニュースの時間になると、決まってラジオにスイッチを入れたのがTさん。6人部屋に連日流れたのはグリコ・森永事件。「かい人21面相」が菓子に青酸ソーダを入れるとメーカーを脅迫した劇場型犯罪だったの。結露が流れる窓硝子の向こうに降る雪。

 おばちゃんは長男を産んだばかりだった。産後の経過が思わしくなく、Tさんが代わって用足しをしてくれたりもしたのね。要するにとてもお世話になったわけなの。おばちゃんが治るまでには、結局もう一回手術しなければなりませんでした。それはともかく、その間に、Tさんが、葛巻で牛を飼っている話をしてくれて、そのときTさんがベッドの枕元まで持ってきていたA新聞の切り抜きを見せてくれたの。それで、北上山系開発の一環としての酪農を希望して牛を飼っているのだと知ったの。

 そのあとTさんが女の子を出産。そのときは虚弱児ということで、Tさんは深く悩むこととなったの。Tさんは、牛を飼う仕事で、「働きすぎた、もっと休んでおけば良かった」といったのね。いまでこそその子は立派に成長を遂げたんだけど、そのときは、そうでした。それで、おばちゃんは、いつか遠い将来書く機会が訪れたら、このことを是非書きたいなと思ったの。

 それから一年後、葛巻に行って、Tさんのところに泊めてもらったことがあります。
牛舎の隣のプールから汲み取った屎尿を、高原の草地に散布する光景はなかなかに見ごたえがありました。干し草をほぐすときにわんわんとあがる埃も面白かったし、牛舎を駆け回る鶏や犬、それに仔うしがとても可愛かった。


 あの高原は、やっぱりおばちゃんは、天にいちばん近いところだという気がする。牛を飼う人たちの苦労の汗が染みこんだ、いつも透明な風が吹いている、いちばん天の星に近いところだという気がする。
 

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酪農

 書棚のガラス戸に映る雪をみているうちに、明るく眩しい葛巻の高原が広がってきました。陽の照る日でも、さらさら雪は、吹きっさらしにの風に追われて、あの天に近い高原をたえず移動しているでしょう。友人Tさんの牛舎は、こんな浄く澄んだ景色のただ中に、いまは立ち枯れているはずの雑木林をそばに控えさせて、坂道の行きつく先に、まるで高原にはめ込まれたかのように建っています。


 牛舎では、50頭の牛たちが白い息を吐きながら、ほぐされた干し草にありついているでしょう。
 Tさんの牛舎に、もう乳牛はいません。搾乳が、搾乳機を取り付け、パイプラインを設置したとしても、どんなに難儀なものか。牛の乳房を熱いタオルでていねいに拭き、搾乳機を取り付ける。牛乳をためるバルククーラーを殺菌し、集乳車がくるまえに溜め置かなければなりません。菌の数はいつもチェックされているので、手を抜くことはできません。


 北海道では、過去に大雪のため集乳車が入ることができなくなり、数日分の牛乳が、白い大地に撒かれ廃棄されたことがありますが、生産者の無念さと壮観さが広がります。こんな事態がいつあるとも予測がつきかねるのも、人里離れた高原での酪農です。


 また乳価は一定ではありません。加工が生産者に許可された時点で、もうすでに肉も乳製品も、海外からの輸入が自由化されてました。

 いま酪農家は、自分の生み出した生産物に、どのような付加価値をつけるかを模索してるでしょう。事実それで成功している例もあります。

 葛巻高原の風に吹かれながら、またそんなことを書いてみたくなりました。


 

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大雪注意報が出たらしい。
 こんな日、鞍掛山や外山森林公園のくまたちはどうしてるかな。巣穴で丸くなって、あったかそうに眠っているのかもしれない。
 こんな雪予報の日には、実家にあった掘りごたつが思い出されます。炭火でした。病院の母に、退屈だろうと思ってターシャの庭の花々の本をもってゆきましたが、あのターシャになった気分で、炭火のこたつに温もりながら、太い毛糸で編み物でもすればいいのでしょうけれど、これもいまとなっては夢なのかな。
 雪 
 雪 雪 ・・・・・





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不可侵条約破棄

  9月25日のブログに蜂のことを書きました。
ことしは葡萄棚にたわわに実が下がりました。それを待っていたように毎日毎日やってきては次々に食べたのが蜂でした。いつの間にか紅葉の木の中にまで巣を作っていた彼ら。ところがよくよく見ると、庇の下にもベランダにも。あの頃は、お互いに和気藹々で、不可侵条約も結び、共存共栄を旨としていたのですが、こう増えてきますと、なにかしら脅かされているようで、いつかのどこかの国のように、とうとう一方的に条約を破棄し、巣を撤去することとなりました。
 蜂はやっぱり怖い!刺されたら大変だ、命にもかかわる! 

 しかし蜂のほうでは、こう言っているでしょう。

「一番身勝手で一番怖ろしい奴らは人間だ。いつだって自分たちの都合で俺たちの殺生を繰り返しているんだからな!」

 思わず身が縮みました。その通りです。
 かくいうこのおばちゃんの中にも、虫に対しても人に対しても、確固とした正義はないのです。

 確固とした正義は、あのお方のうちにしかないようです。あのお方、そう義のために木に架けられたというあの方のうちにしか。
 12月は、この木に架けられた方の降誕を祝うクリスマスを迎える月でした。
 

                     

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