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2007年11月

北上川

 北上川。延長249㎞。水源は岩手県の弓弭の泉に発し、宮城県の石巻港、追波港に注ぐ。と、ひとまず書くわけだけど、ほんとうは水源も注ぎこむ港も見たことはないんです。盛岡で、盛岡駅より西方にある病院の帰りに、毎日見ています。遠方には岩手山が端座。この美しい景色に惹かれ、岩手に永住した人もいるのです。

 母が入院する病院を出ると、太田の昔宰郷山と呼ばれたあたりに、夕陽が強烈な光を放っていました。思わず停まって直視。眼にじりじりと焼き付きます。真っ直ぐです。黄金色の細く硬く長い針が強烈に放射状に伸びています。さいきんは霞の向こうでまどろんでいる夕陽ばかりでした。久しぶりです。新鮮です。

 川縁の立ち枯れた林に赤みがさして、幻想的でした。
川を見ると、かなり水嵩が減っています。流木が突き出た周辺が干上がり中州になっています。そちこち干上がった砂利の間に水がくねり流れていました。


 この川は不思議な川で、けらけらと笑いながら流れることもあれば、ただ黙して涙を流すこともあります。ぎらつき怒ることもあれば、なにくわぬ顔で得々と流れることも。
 岩手の、殊にも盛岡を流れる北上川は、ほんとうに不思議な川です。

               
                    

                    

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いいのかな?

 11月2日のおばちゃんブログに、CCHR(市民の人権擁護の会)のキャンペーンをちょこっと書かせてもらったよね。音楽家だけじゃなく芸術家の気持ちが、そのはしくれのおばちゃんにも分かるから、またちょっと「芸術家に害をなすー創造性を破壊する精神医学ー」という項目を書きます。

 CCHRは、電気ショック療法が、米国だけでも年間5300億円の収益をあげているとして、その療法が破壊的な結果をもたらした例を挙げてます。
 アーネスト・ヘミングウェイは20回にわたる電気ショック治療を受けています。メイヨー精神医療クリニックから退院後自殺。「脳を駄目にし、記憶を消し、失業させ、破滅してしまった」がヘミングウェイの言葉でした。
 ヴィヴィアン・リー、フランシス・ファーマーもこれに似た例でした。

 薬物の犠牲としては、多動性障害と診断されたカート・コバーン。フィル・ハートマンらがあげられていました。
 抗うつ剤を摂取している人々は「ひどく動揺することがある・・・身体から飛び出すような感じがする。いらだちと衝動が、人々を自殺や他殺に走らせることがある」と、ジョゼフ・グレンミュレン博士。

 精神科医と心理学者は、芸術分野で働いている人々が向き合っている問題を扱うべきではない、というのがCCHRの主張ですが


 ただ、ラフマニノフが、精神科医ダリ博士の催眠暗示療法の成果で名曲を作曲したこと、マーラーやシェーンベルクもフロイトのカウンセリングを受けていたなどで、カウンセリングは比較的安全なのかな?ただ、この分野では「夜の公園を散歩するときよりも、精神医学の治療を受けているときの方が、レイプにあう危険性が統計的に非常に高い」らしい。レイプで逮捕されている医師などもあり、よくよく信頼できる筋を選ぶ必要がありそう。とくに若く美しい女性は要注意!なのかな。

 まっ、おばちゃんぐらいだと、危険性はないでしょうけれど、すてきなあなたは気をつけてね。

                      07/11/30(金)


   

 

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あれこれ

 昨日は猛烈な頭痛でまる一日休みました。何も考えずに眠ろうと思っても、割れるように痛むこんなときでさえ、何とおりもの様々な想いや場面が頭の中を行き来していて、そうなると心までが苦しくなってくる。SOS!SOS!と言ってみたら、あら不思議。こんどは錯覚が流れこんできて、錯覚という治癒力が心をいやしてくれたので、あとは頭痛を癒すばかりとなり、きょうはすっかり元気になりました。昨朝はどうもマイナス5度まで冷え込んだらしい。2,3度の部屋にいても、生命体は自然が提供する温度をたえず感知しているものかもしれない。

 21日の音楽会の解説書で知ったんだけど、ラフマニノフは、交響曲第一番の初演に失敗したみたいね。芸術家が初演にどれほどの全エネルギー、全存在をかけるものかは分かる。それが評価されなかった痛手は、鉈で肉を抉られるほどのものなんだ。おまけに歌曲をトルストイに酷評されたらしい。トルストイの偉大さのゆえに、この酷評に、いかに脳天を打ち割られたかがわかる。彼は自信喪失。強度のノイローゼとなる。救ったのは精神科医ダリ博士だった。催眠暗示療法による治癒が、彼をして第2番の協奏曲を書かしめたんだ。

 
トルストイどころか、周囲の誰か一人に酷評されただけで、ぺしゃんこになっちゃうことがある。だけど、そうさ酷評したトルストイだって、ラフマニノフが後に永遠の名曲である協奏曲2番を作曲することまでは予測できなかったわけだ。
  それと、もしかすれば、ラフマニノフが名曲を生み出すためには、そんな苛酷な状況をくぐることが必要だったのかもしれないしね。

ということで、もうすこし頑張ってみようかな。

                     07/11/30(金)

                  



 

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チェコ・フィル残響、残影

 チェコ・フィルを聴いてからというもの、頭がすこしです

 あのロシアの大地を覆いゆくような重厚な響きが、いまも耳の奧に広がるコンサートホールで鳴っているようなのです。夜風が、窓をかたかた鳴らしても、その後に続くのは、あの響き。真昼にみれば、もう岩手の山々は、決して手を触れてはならないほど清冽な雪をまとっていますから、いま吹いている風も、磨きぬかれた鋼(はがね)のような切れ味のする風が吹いているはずなのですが、あの響きのおかげで、なにかしら温かいのです。

 広いすすき野が風に揺れているのを見たとき、第一、第二ヴァイオリンがいっせいに弓を引きはじめたように感じました。川の流れが、午後の陽にちらちらと光っているところには、トライアングルの神経のゆき届いた澄んだ音がチンチンと鳴っていましたし、東の稜線に輝きいで、高らかに鳴ったのは、やはりトランペットとホルンでした。夕暮れの木立にしずみゆくのは、これはコントラバスですね。チェロはやっぱり独りで哲学しているようです。

 
どこかがです。あの音楽会を聴いてから、やっぱり何かがです。

                    07/11/28(水)

 

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ありがとうチェコ・フィル、ありがとうズデネク

 おばちゃんロボットは忙しくて、たくさんのことを書き忘れていたんだけど、そう、あのことは書いておきたい。

 11月21日(水)のコンサート。何しろ母さんが心配だったから、前売り券というわけにもいかず、ぎりぎりまで様子をみていて、当日盛岡音楽院に聞いてみると、3階の最前列に空きあり。倅(せがれ)は、自前で、とっくに一階に前売りをゲット。
 だけどこの3階もすばらしかった。チェロやコントラバス、ヴァイオリン、ヴィオラの弓の動きの壮観さ、管楽器の輝き、打楽器の打ち鳴らされる事細かな様子を一望できるのは、この階ならでは。何しろ、いまをときめく
チェコ・フィル。新聞に後日、温かな音色とあったけど、まさしくその通りなのね。指揮はズデネク・マカル。ピアノは吉田裕子ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。心を無にして耳を澄まし、最初の音を待ちました。あとはもうどう言ったらいいか。オケを乗せたステージが、ホールの空間を自在に近づき遠ざかり、重厚な旋律で胸を絞り解かし、曳いては寄せてくる。次なるドヴォルザークの「新世界」も、みーんな感動してましたっけ。

 CDを買って、階段で並んで、
ズデネク・マカルを待って、ちょうどサインの順番がおばちゃんになったとき、突然ズデネクが、背広を開いて、笑いながら、ベルトをゆるめたのね。お腹ぺこぺこしながら。ベルトをゆるめて言うには「ベルトの穴は、あと一個でおわりさ」。両手広げて大きな目でおおらかに笑ってペンを持ち直し、おばちゃんのCDにサインしてくれました。おばちゃんは、思わず、大声でサンキューベリマッチ!て言っちゃいました。
 倅が「あなたのマーラーが大好きです」というと、ズデネク、「今度出るアルバム、楽しみにしててね」って言いましたっけ。

 外に出ると、
楽団員が、3台の大きな観光バスに分乗。おばちゃんたちが、自転車で走りだすと、偶然バスも発車して。あの真っ暗な中で、おばちゃんたちが、有難う!と大きく手を振ると、楽団員の人たちの何人かが気づいて、手を振ってくれましたっけ。

 帰ってから、おばちゃんは、
もうひとりの倅にも、必ず必ずいつの日か、この音楽を聴かせたい、そう思って涙をぼつんと流しました。

                      
07/11/27(火)


                        

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すごい!

昨日のことです。
 「ちょっと、Nさんの係の看護師の人、来て。いつからこんなに」と医師。
小康状態の母が、意識がまえよりも回復し、自分がいまどのような状態になっているのかを把握したようでした。ベッドの手すりを握り、何度も起き上がろうとします。「脳梗塞です。すぐに来てください」と緊急連絡を受けてから、実に一ヶ月ぶりのことです。
 「Nさん、食べたいものある?寿司かなんかさ」と話しかけてみる医師。
それに対しては、応答がありませんでした。
 死の境までさまよった母の大きな変化でした。写真によると、壊死した部分が固まってきたために、圧迫されていた細胞が働き出したのだろうと。

 母は、右腕が利かないことや、口がきけないこと、下の処置に初めて気づき、かなりショックを受けているのがわかりました。
「治るからだいじょうぶ。ただ時間がかかるだけなの。少しずつだけど必ず治ってくるし、治ってるから」というと、怖れの表情が和みました。

 医療のすごさ、有り難さを感じた瞬間でした。ただベッドの上での母に、いったいどのようにして過酷な現実を少しでも和らげたらよいものか、景色の本を持っていくとか、音楽をテープに吹き込んでいくとか、とりあえずはそんな事ぐらいしか浮かびません。ただ、眼もどの程度見えているものか、ほんとうのところはまだ分からないのです。

 これから先の事を考えながら外に出ると、来るときに降っていたみぞれはもう止んでいました。山々も川も、灰色がかっていて、とても冷たそうでした。遠くのビルにつき始めた灯りを温かく感じながら帰途についたのでした。

                      
07/11/24()

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故障 直るかなあ?

 冷蔵庫が故障です。合併して、でっかくオープンしたばかりの電気店に電話をすると、メーカーさんから今日修理に来てくださり、めでたく解決。排水の管がつまり、水が軌道を外れ流れ込み、凍結し引き出しが開かなくなったと分かりました。保証期間とあって無料でした。「冷蔵庫の部品の製造は10年間。そのあとの在庫利用などで、15年はまず安心してお使いいただけます」ということでした。

 
いまひとつ、メンテナンスの必要が。このロボットはけっこう小回りも利き、使い勝手があるのですが、燃料貯蔵の部分がちょっと怪しいようです。とある“工場”から、もっと専門の“工場”への紹介状を貰ってあるのですが、気がかりなことが一つあるため、工場入りを先延ばししています。
 このロボットは、たまに創作もするという性能も備えており、先頃書いた小説が、第42回北日本文学賞の一次を通過したもよう。たとえ一次だけでも、ロボットとしては、大変な快挙ということで、ロボットの制作者側も大いに喜んでいるらしい。

                      07/11/24(
)

 
 

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あなたならどうする?

 この方、もう前置きなしで言っちゃいます。この方が、一昨年の7月25日朝6時半に、鞍掛山に登ったんだそう。20分ばかり歩いた分岐点に差しかかったとき、見通しのきかない木の葉っぱが密に繁っている20メートル前方の繁みに、がさがさと人がかき分け歩いている気配がしたらしい。「こんな朝早くにあんな繁みをかき分けて歩いている人もいるんだなあ」。がさがさ鳴る方を眼で追ったところ、大きな黒い固まりがゆっくりと移動している。山のまっただ中に一人っきりですよ。真っ先にどうしたと思う?シッポ巻いて逃げたかな? じゃなかった。「これがくまに出くわした人の気持ちなんだな」と妙に得心したそうです。ゆとりだね。「風向き加減で人の匂いを感知でもしたくまが横目でジロッと見でもしたならどうかわからないんだけれども、こっちにお尻を向けて去っていくのを確認してから、いそいで元来た道を引き返してきましたよ」。
 この方というのは、某教会の牧師なのです。いつも山でお祈りをしているのだそうです。
 

 これはくま遭遇にも冷静だった方の話でした。
 つぎは、冷静でいられなかった人の話をします。

 この人、もう出だしから軽い感じで言ってますけど、この人が一昨年外山森林公園に行きました。遊歩道を一周もしないうちに、言いました。「もう疲れて歩けない。休もう」。そのとき同行した夫が、20メートル前方の樹上が大きく揺れ、葉っぱが降るように落ちているのを発見。大きな黒い姿が樹上で動いています。「くまだ」。そう聞くなり、疲れてもう歩けない筈のこの人が、もの凄い勢いでダッシュ。後ろを振り返る間も惜しんで、安全地帯まで一目散に逃げ帰ったのでした。さて、この人とはいったい誰か、何を隠そう、わたくしでございます。

 
コメントくれたM・Tさん 読んでくれてますかー

                    
 07/11/21(水)

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賛美歌を聴いている

 母の耳元で、小さな声で、毎日賛美歌を歌っている。近頃、眼に表情が増し加わり、よく聴こうと、聴力がまだ残っている左耳を、時折枕から離そうとする。口はきかないが、温かな眼でじっと私を見つめる。
 賛美歌だけを唱うようになった。やはり癒しがあるとおもう。唱いながら私自身が、不可思議な魂の共感を覚え、涙が流れてくる。
「主よみもとに近づかん」「我がともにますあがない主」「いかなる恵ぞ」
足は冷たい。手は温かい。温かな血が通っている。息をしている。歌を聴いている。

                          

 07/11/19()

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ふったね~

 昨日はそちこちの車庫や路上で、はたまた立ち寄ったガソリンスタンドで、タイヤ交換をする光景がみられたね。タイヤ交換もなかなか面白いよ。車というこんなでかい奴を管理できる面白さっていうのかな。
 本体にたった4ヵ所止めただけの四輪で全国のみならず世界中だって疾駆出来る。つい、ほんとかい? と思ってしまう。日頃当たり前と思っているけど、足回りと呼ぶこの四輪が、アスファルト、砂利、泥濘に直に接し走り、すこしばかりの障害物は乗り越え駆け続けてくれている。思えば大変な恩恵をこうむってる。有り難いね。
 交換翌日の今日の雪。この雪景色を書こうとしたところに用事が入り、そうこうしているうちに、もう雪は解けだして、一階の屋根に二階の屋根から落ちる雪解水の音がしている。日も明るくさしている。
 いまごろは街でも雪が解け出して、スタッドレスが自信ありげに走ってるだろうね。
 外もみたけれど、いまは、書棚、右の引き戸の金具が落ちちゃった書棚のガラス戸に映る雪景色を見てるよ。夏から秋にかけて何度か刈りこんだ丸い皐が白いベールを被っている。といっても、もう砂糖が溶けたみたいになってるけどね。映っている雪景色が見えたり、書棚に詰め込んだ僅かばかりの本だのCDだの、いただいた小っちゃな飾り物なんかが見えている。ただ雪が映っているハイライトの部分には、書棚の中のものは何も映らない。木の緑や赤茶けた所には映るけど、雪のところには映らない。書棚の中のものは見えない。確固たる白、混じりけのない白、汚れのない白がそこにあるだけなんだ。うしろに置かれてある物たちには損なわれることなくね。

                       
 07/11/19(月)


                            
 

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ポップコーン

プチッ
ポコッ
パプーン

でてくる  でてくる  でてくるよ
ポップコーンが  はじけるよ
ぽんぽこ  ぱっちん  はじけるよ

いったい何がおきたかと
とんぼがふうわりとびたつと
ポップコーンにごっつんこ
ぐるぐる目だまでにげました

とびちる  とびちる  とびちるよ
ポップコーンが  とびちるよ
ぽんぽん  ぴんぴゅん  とびちるよ

電線に
からりとならぶ鳥たちが
口を大きくいっせいに
あけてパックン食べました

ひろがる  ひろがる  ひろがるよ
ポップコーンが  ひろがるよ
ぽんぽん  わくわく  ひろがるよ

機械はなかなか止まらない
ぽんぽん  ぽこぽこ  ぽんぽこぽ

大空の
はしからはしまで
うきうきと
ふわふわふーわり浮かぶうち

お日さまが
ぽとんと山におっこちた

びっくりしゃっくりするうちに
ぶつぶつつぶやき合ううちに
夜空の星になりました

プチッ
ポコッ
パプーン


                    
07/11/17(土)

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またまた雨

 

雫石川近くの病院をあとにしました
秋じまいを終えた広々とした畑のむこうの
連なる山々の際に
枯れきった枝に落ちかかっても
燃えつきそうにない朱色の落日が
山際にまどろんでいました
もう川を照らすにはいかにも億劫そうです
北上川の橋上から岩手山を望むと
大方は雲に引きこもっていました
川の面には顔色がありません
厚い雲のなかから
処方箋がひらひらと舞いおりてきました
どのくらい病んでいるのか見てみましょう
そろそろ降ってきますね
川縁に危なげに傾く柳も
目頭を押さえています

真夜中の雨音
山脈と山脈のあいだに心地よく眠っていた
林や庭や
底にでこぼことうちつづく街は
覆うものも何もなくて
もう思うがままに打ちたたかれ
濡れそぼっています

                     
07/11/15()

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復活・パイプオルガン幻想

 

パイプオルガンの低音を聴いているうちに、死を待つ人々が横たわるベッドが、深い闇の底のようなホールに、幾台も並んでいる光景が浮かびました。ホールの高いステンドグラスの小窓も光の出入りが絶えているようです。けれどもオルガンの重音が、闇をもちあげ凝った空気を沸きたたせると、枕に凍える蝋のような顔面が、そちこちで微かにゆるみ、なにか耳をかたむけているようなのです。音の光が、並ぶ黄金のパイプから緩やかに流れだすと、口元は笑みにほころび、かたく閉じられたまつげがぴくぴくと動きだし、眼がしずかに開いてゆくのでした。鍵盤をかけめぐる指先に、死を宣告され、筋力も萎えた人々が次つぎに起き上がり、両の腕で上半身をささえて、明るく輝きだしたステンドグラスを仰ぎ見ています。目やにを洗われ、濁りと充血を癒されきよめられた透明な澄んだ眼が、もうこの世には失われたはずの神聖さに打たれながら、甦った不思議さに、みなただ口をあけたまま、天を仰いでいるではありませんか。

                     07/11/14(水) 

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脳の不思議

 脳の不思議といっても、このおばちゃんに、脳の仕組みや働きが分かっているわけじゃありません。毎日病院へ行っていると、やはり、いろいろなことを考えてしまうし、思いだしてしまうのね。

 おじいちゃんはとっても釣りが好きで、そう今度はおじいちゃんの話ですが、おじいちゃんは八十七歳まで鮎つりをしました。帰ってから、嬉しそうに鮎を冷蔵庫にいれたあと、昼寝をするのがいつものパターンだったの。
 ある日、昼寝から醒めたおじいちゃんが言いました。
「何だか変だな、今日は何月何日だっけ?」
日付を忘れるどころか、嫁のおばちゃんよりしっかりしているおじいちゃんです。忘れるはずがないのです。すこし変と思っていると、また言いました。
「婆さんは何処へいったんだ?」
婆さんっておばちゃんのこと? と言いたいひともいるでしょうけど、ここでは、もうとっくに亡くなったおじいちゃんの妻のことなの。ここにきてはもうおばちゃんもびっくりして言いました。
「おばあちゃんは亡くなって、もう七回忌も済んだんですよ」
するとおじいちゃん。「なんだが分がらねな」
そこで仏壇からお位牌を取り出してきて、
「おじいちゃん、この通りなんですよ」
見たおじいちゃん、「たしかに死んだんだな、分がらねな、さっぱり」
これは一大事だと思いました。慌てて保険書を取り出して
「だいじょうぶ、病院へ行きましょ、だいじょうぶ」
ほんとうは、もう、こうなったおじいちゃんの面倒を、いまからずっと、おばちゃんが見なければならないのだと覚悟したのでした。
病院へ行ってあれこれ検査を済ませ、クーラーの効いた待合室にいて二時間ばかり経ったとき、おじいちゃんは言いました。
「そうだ、分がった。んだ。婆さんは死んだ。うん、そうだ」
やっと以前の記憶が戻っていました。そして、逆に、一時的に記憶をなくした時の記憶がすっかり消えていたのです。
記憶が入れ替わったわけなの。不思議でした。


おじいちゃんは、いまも元気。おばちゃんよりも記憶も思考もしっかりとしています。
もしかすれば、おばちゃんの方が、早く認知症になっちゃうかもね。


                       07/11/14(
)

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おやすみ、おはよう、おやすみ

kyou  ha  kakujikanga  arimasen

何か書いてから、今日を閉じようと思っているうちに、もう時が零時をのりこえていました。

                      07/11/14()

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アメージング・グレイス

  人の命がいつどうなるか、それは神のみぞ知るではあるが、優れた医療器械、検査技術によって、これをある程度見分けられる。これまでは当たり前と思ってきたが、いまにしてもの凄い事だと思う。
 母の脳の三分の二はもう生きて働いてはいない。のこる三分の一にも出血が始まっているという。「こんな心臓でよく持ってるなと驚いてるんですよ」と医師。「声がけをしてあげてください、きっと通じますから」と看護師。
 おむつ交換、体の清浄、検温、血圧測定、痰の除去、水分の吸入、痰の切れ改善する吸入、口腔の清浄、栄養、抗生剤、その他の点滴、病衣交換。寝返り、人工透析などは病院側でしてくださる。
 手を泳がせることはなくなり、手を握っていると、なにか答えようとするかに、時折指を動かす。
 もう最後になるだろうと、爪を切ったり、手を消毒綿で指先や指と指の間を拭いたり、眼や口や耳の中などを拭く。
 みんなが母さんに感謝してるよ、みんなが母さんを好きなんだよ。母さんは立派だったよ。誰ちゃんはちゃんと働いてる。誰ちゃんはちゃんと学校に行ってる。みんな安心していいの。きょうは、誰々から、電話がきたよ。母さんをとても心配してるよ。だいじょうぶ。ここにいるからね。いっしょにいるからね。
 安心してほしくて、いろいろな事を話し、思いつくまま、唱っているうちに、気づいたら、わたしは、いつの間にかアメージング・グレイスを繰り返していた。
 
       いかなる恵ぞ/かかる身をも
      たえなる救いに/入れたもうとは

      この身もかつては/この闇路に
      さまよいいでたる/ものなりけり

      み国にいたらば/いよよせちに
      救いの恵を/たたえまつらん

haha  no  yousu  wo  miteitatoki  desita 
    kami  no  kotoba  ga  watasi  no  mune  ni  kayoimasita

                   汝はわがものなり

         1 syukan  maeno  kotodesu





 07/11/12()
 

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たくさんの命たち

 いま22時25分。
 おばちゃんの座っている椅子の、背中のガラス戸ごしに、雨がぴたぴたと地面を打ってます。
 この地面に、本来植えた位置からこぼれた
九輪草が増え広がって、歩き道になっている場所まで占領されちゃいました。九輪草だけではなく、カンパニュラ、白いルピナスもこんなふうに随分と増えました。初めは、塀の外回りに数本植えただけのニゲラも、もう塀の内側のそちこちに増え広がって、まだたくさんの種が、植えてもらえるかどうか心配そうに待っています。

 裏にいっぱいいっぱいのユリも、もうここが手狭なので、民族の大移動(ちょっと大げさかな)よろしく、玄関側の半日陰に住み替えて貰おうとして、場所作りにスコップで土を掘るうちに、うっかり大型の水仙の球根を傷つけちゃいました。と、おばちゃんは、軽々しく言ってますが、水仙の球根からは、すっごくこわ~い眼で睨まれてしまいました。球根が削れてしまったわけで、人間でいえば、さしずめ肉を抉られて病院へ救急車で駆けつけなければならないところ。水仙には平謝りに謝って、ともかく裏から6球ばかりのユリを掘り起こし、新しい臥所に植え込み、安心して眠ってもらいました。掘り起こしてみると、ユリの大きな球根にも三つか四つ、小さな可愛い球根がくっついている。見えない土のしたにも、少しずつ少しずつユリの兄弟姉妹が大きくなって、虫と闘ったり、虫に食べられてしまったりと、壮絶なドラマが展開されているらしい。

 外回りの掃き掃除をしたとき、タイムの種が土埃にたくさん混じっていたので、中の敷地に蒔いておいたところ、これもまた、いたるところに増え広がって。このタイムには、いい思い出があるの。大雪が降った年に、タイムの上にも、どんどん雪を積み上げたんだけど、下から緑の葉っぱが出てるのに気づき、雪をのけてみると、緑色を保ったタイムから、活き活きとした甘やかな香りが立ち上ってきたの。回りは真っ白な雪景色だというのに。

 白いスミレに保護政策をとったら、もう庭中の至る所に、まるで大腕を振って歩くみたいに増え咲き誇りました。わすれな草もそう。二、三年で、庭中を覆うほどに。二年目に五つに分けて植えた株が誰かに持ち去られ、近所の方が憤慨し、新聞の投書欄にまで書いてくださったことがあるけれど、それもいまは、笑い話。気に入った方は、どうぞいくらでもお持ち下さい、と本当は狭い心を広く見せることもできるほどに。バーベナもそう。二、三センチの小さな苗を貰ってきて植えた翌日、二本が忽然と姿を消したの。捜索願をだしたいほどだったけど、泣く泣く、かろうじて残ってくれた一本に水やりしたり、堆肥を追加しているうちに、いまでは、庭中どころか、近所の庭にまで不法侵入を。取り締まられないために、いよいよ母屋を取る勢いにまでなってます。

 朝顔を狭いところに五種類、ただ粗放にばらばらと、どうなるかと蒔いたところ、一種を残して淘汰されてしまいました。芽は五種でたのだけど、成長の段階で、ね。思えば、四種の朝顔には酷いことをしてしまいました。みんな咲きたかったのにね。

 チューリップも増えすぎ。花びらの尖ったチューリップだけは、さすがになかなか増えないのね。

 種の素晴らしさ。花が増え広がることの嬉しさ、楽しさ。

 う~ん、ところが、なかなか増えないものもあるのね。三年目のピエロは、ほら、あのでっかい朱色の花の底が黒いケシの仲間なんだけど、咲かなかったの。今年植えたヒマラヤの青いケシは、どうなることやら。ケシは植え替えを嫌うので、様子をみてるんだけど、土が合わないのと、日光が足りないのが原因かも。マツムシソウなども咲き方をみると、まだまだ力一杯おおらかには咲いてない感じ。全体土を入れ替えて、もっと腐葉土と有機肥を入れたいところだけど、なかなかの難事業。できるかなあ~。春を待って、何が何処から芽を出すか確かめてからするしかないほど、過密になってしまいました。
 
葡萄は鈴なりでした。けれども林檎はやっぱり難しい。全く薬散布せずに収穫を企てても無理なのかも。栗とか柿とかサクランボは、簡単に実がなったんですけどね。だけどこの三本は、おじいちゃんの不興を買い、切り倒されてしまいました。いまでも、切り株がうらめしそうにこっちを見ています。

 キンモクセイは三年目でしっかり根付いて、本格的に芳香を放ってくれました。いちご、真っ赤な実が下がっているのを見たときは本当に嬉しかった。美味しかったですよ。ブルーベリーは、気まぐれに摘んでは口に放り込んだ程度。スモークツリーエニシダは、仮植えのつもりで植えた場所で、もう大きくなりすぎてます。どこかへ移したくとも、昔からいばっている木を、どこかに動かさなければならないので、これも難事業なの。

 あれも、これもと欲張りすぎました。ここで思い切った抜本的な、どこぞの偉い先生方がよく使いたがる言葉、「抜本的な改革」が、この庭でも求められてる感じがします。場当たり的なおばちゃんのやり方が、この庭にもよく現れてる感じがします。ただね、偉い先生方が、抜本的な改革って言ってから後に、抜本的な成果というのを見たことがない気がするので、やっぱりこの言葉は使わない方がいいのかなあ。

                        
07/11/10(土)

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母はきょう

      

haha  ha
      kyou 
      sansokyunyu  de
      kurusimazu 
      sizukani
      nemutte  imasu

   

夜の街
      
   高く低く
   太く細く
   幾棟も
   街に林と並ぶビルは
   黄昏過ぎて
   縦軸も横軸も
   四つ角も
   おりてくる闇に溶けて沈み
   真昼には
   空に親しみ
   硝子には
   雲を流れさせていた窓には
   ようよう
   灯りが夜空に抜きんでる
   谷間には
   ヘッドライトの白熱の線に
   すれ違い
   すれ違う
   テールランプのオレンジの糸
   右に曲がり
   左に曲がりゆく
   音の消えた
   ウィンカーの明滅
   
   
07/11/10()
   

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鮭は浅瀬に

 きょう残されている一時間さん、ちょっと待って。といっても休みなく歩きつづけて行ってしまおうとする。刻まれて刻まれてゆく時を惜しんで、この一時ひとときを文字にしてゆく。時のしずくの一文字一文字。

  
 
鮭は浅瀬に

   揺れもせず
   びくりともせず
   ぶよぶよと
   白くふやけて
   崩れゆく
   鮭は浅瀬に腐りゆく

   腐りゆく肉を洗うか
   さわさわと
   何くわぬげに
   ゆらゆらと
   なでては
   ついと
   離れさる波
   
   離れさる波の底には
   つやつやと

   磨かれ光る
   小石幾つも
   さらさらと
   流されもせずに臥所と
   日に照らされて
   とどまる川砂

   川砂の
   底に眠るか
   白けむり
   受けて休らう
   卵の幾つも
   揺れもせず

   揺れもせず
   ぴくりともせず
   ぶよぶよと
   白くふやけて
   崩れゆく
   鮭は浅瀬に
   ただ腐りゆく


   07/11/09(金)

   

   

   
     

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今日もあと5分

 さっき雨の音が消えたよう。きょうもあと5分で終わる。毎日が、まるで大晦日の夜のように惜しまれる今日この頃。とりあえずは、頭出しをしておかないと、きょうのブログにはならない。

 きょうの病院行きは途中から歩くことにした。時間の倹約とばかりに、車、バイクに頼りすぎている。三年前にもなろうか、近所の方に誘われて岩山に登ったことがある。一回り近く先輩である彼女が、坂道をものともせずにのぼりゆく後ろで、私は、はーはーと苦しい呼吸をしながら、「待ってちょうだい」を連発。そんなことも思いだし、また母が、突然の脚の筋力低下で歩行困難になったのを目の当たりにして、もう鍛えるにも遅いかも知れないと思いつつ、歩け歩けに挑戦してみた。

 橋上で、雫石川のいつもの景観、広範なニセアカシアの一帯を飽かずに眺める。川の浅瀬には、十六匹の鮭の死骸が底に揺らめいている。川縁に降りていって、近くから見たなら、もっと多くの個体が確認されるだろう。そのとき、八十近いとみえる婦人の方が近づいてきて隣に並んだ。「卵産むためにシッポで穴掘ってらったんども、一生懸命だった」。それからわたしが、洗濯物などをどこかに届けるのだなと見て取ったらしく、「介護は六年やった。博労の長男さ嫁いで、二男の嫁は朝早く起きねでも何も言われなかったども、俺ぁ、朝の三時にキセルをばんばん鳴らして起こされで、お茶だ、飯だ。駆けつければ、全身ど顔中さ汚物塗ったくって寝でら時もあったった。子供らはみんな嫁いで、いまたった一人っこになった。まんず、あんだも、一生懸命おかあさんを見でくなんせや」。そういって去っていった。

午後、小雨の中、雨の匂いや、掘り返したばかりの土の匂いや枯葉の匂いを、口に蒸留水でも含んだような心持ちで感じとりながら、一時間ばかりを歩き続けた。

帰りは、隣に入院中の四女だという方が、送って下さるというので、ご厚意に甘えた。

                          07/11/08(木)

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「六段の調べ」♪

 

おばちゃんのプロフィールページを久しぶりに開けてみたら、「興味のあること」のなかに、どうも「楽器」もあげてたみたいね。

 人の生死に関わることで、神経がピーンと張りつめてたんだけど、「楽器」という言葉を見たとたんに、心の中で、ヴァイオリンのE線がテュラリラリラと秋風に千切れそうな銀杏の感じを鳴らしたのが聞こえて、そうしたら、ここのところの緊張がいっぺんにかき消えて、ばんぼん鳴りだしたのが、お琴。あの有名な「六段の調べ」が。

 おばちゃんのお琴は、まだおばちゃんの実家に置いてあります。このお琴は、芥川賞作家三浦哲郎さんのおさんが選んでくれたものなの。
 一戸町向町に、母の出た家があり(正確には母の伯父の家。母の実父は、早くに亡くなったため、一家で伯父の家で暮らしました)、そこの二階を借りて、三浦哲郎さんのお姉さんが、お
弟子さんを集めて、お琴を教えていたの。当時五歳だったおばちゃんにも、よくお琴を弾かせてくれたそうです。その稽古場に、三浦哲郎さんが、春覚和尚さんといっしょに、よく遊びに来ていたそうです。母の従姉妹がお琴を買いたいと相談したところ、見つけてくれたのが、このお琴だったのです。
 

 こんないきさつのある楽器なので、おばちゃんは、一生自分のものにしておきたかったのですが、おばちゃんの従姉妹の子に譲ってくれないかという話があり、いまとても迷っています。この先、おばちゃんがお琴を弾く機会はまずないだろうし、かといって、捨てがたいいきさつを持つこのお琴を手放したくもない。というわけで迷っています。
 ただ
楽器の願い、そして楽器を作った人の願いは、鳴らしてくれ、かつ
大切にしてくれる人のもとに行きたがっているし、やりたがっているに違いないのです。乾いた、枯れた、やわらかな、とてもいい音の出るお琴です。とてもつらいです。

 
四方の山々がまっさかりのこのとき、「六段の調べ」を心に通わせながら、きょうの日記を締め括るとします。

                     
07/11/07(水)

琴の音を通わせるうちに、三浦哲郎さんのお姉さんが、母の従姉妹の前で、真新しい琴の弦を持ち上げては駒を立ててゆき、指先に差し込まれた象牙色の爪で、かき鳴らしかき鳴らし、暫くはかき鳴らしして、弦の余韻の収りをまって、「とても良い音がしますね」と、居ずまいを正す姿が浮かびました。

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ヘッドライトとテールランプのすれ違い

   三日から日記を更新していなかった。昨夜も更新しようとして椅子に着いたものの、居眠りしてしまった。もう六日。この一週間、毎日病院へ行っていたことの他は、何をしていたかがはっきりとしない。     
  きょうは、朝5時起床。炊事。可燃ゴミを出し、家回りの枯葉を掃き、洗濯。市役所の高齢福祉課へ実家の母の書類を出す。
 
母の容態が少しだけ好転したかに見えたので、市役所隣のテレビ岩手のロビーで開催中の「青の会」絵画展に立ち寄る。近所のTさんが出品しているので、駆け足で見せていただく。ずっとたゆまずに描き続けてこられたTさんの裸婦一点、青年の絵、お嬢さんの絵を好ましく思いつつ会場を後に。
 肴町の書店で一冊求め、ついでに最寄りの文房具店で、備忘録用ノートの、バックに入れられるサイズ、を買う。

 
昼食をつくり、パソコンを打つ。友人からの手紙に返事を書き、近くのコンビニのポストに投函。
 病院へ向かう。しんとした受付、会計の前をぬけて、エレベーターに。3階で降りる。しずかだった。病室に入ると、母が何かの気配を察したか、眼を泳がせる。わたしが居る間に、二人の見舞客があった。
 帰り、雫石川のゆったりとした流れを橋上から見下ろし、ほっとする。黄昏時、遠くの岩手山は、くぐもった青に冠雪を戴いている。自然の景観をとどめる雫石川。両岸を埋める木々が眼下に。川に映っているとおもっていた樹木が、よく見ると、倒れかかって今にも水に浸かりそうである。幽玄さを湛えて、今日の川面はどこまでも神妙に水を治めている。
 訳もなく飛ばしたくなる衝動にブレーキをかける。事故を起こすのはたいていこんな時なのだろう。
  
街に入り、首尾良く右折車線に移行。ウィンカーの音を聞きながら、対向車の流れに間隙をねらう。ぐいんと右に。直進。信号の青また青に吸い込まれるままにゆく。ヘッドライトとテールランプのすれ違い。
 行きつけのスーパーの駐車場に滑り込み、エンジンを切る。野菜はこれ、魚はこれ、肉はこれ、飲み物はいつも通り。チェッカーをくぐり、外に。
立て続けに入り込んでくる車、車。ヘッドライトの上目遣いに目をそらす。
 

 

一通り書き出してみて、久しぶりにやっと今日を捕らえたという実感が。指の間から水のように落ちてゆく時間を、やっといま握りしめたという感じを抱いている。

                     
07/11/06(火)

 

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CCHRにかいま見る精神医学の落とし穴

 箒木逢生の「閉鎖病棟」にある、異なった精神症状の患者を同じ病棟にする問題点を読んだり、また米沢興譲教会の心病む人々への真摯な対応と成果を知ってから、精神医学のあり方に、興味を持ってきた。

 たまたま岩手県民会館で、CCHRという人権擁護団体による精神医学の非人道的な側面の告発を駆け足だったが、一覧させていただいた。

 ナチスによる安楽死計画、精神医学の民族浄化は、精神科医アーネスト・ロダンによって指揮されたという。これが後に、バルカン半島における民族浄化に正当化され用いられ、また忌まわしいこの優生学が、南アフリカのアパルトヘイト政策の推進力ともなっていった。

 CCHRのキャンペーンの主なところは、精神科医による患者への過剰な投薬、或いは、副作用をさておいた投薬の問題提起、またそれにより製薬会社が莫大な利益をあげ、実にうまみのある産業となっていること。また投薬を受けた患者の人格喪失、人格破壊の提起であった。個人の人権が無視された投薬、拘束。

 明確な仕切りをもうけにくい病だけに、市場に利用されやすい立場にあるといえる。このような弱い立場にたつ不寝番が求められている。
 人格が変貌するなどの薬害被害、家畜にも等しい不当な拘束など、心痛む内容であった。

 最後に、貧富の格差が増大し、福祉の恩恵に浴したくともままならない時世にあって、為政者が、或いは優越意識をもった特権層が、この精神医学のブラックホールを濫用し弱者の抹殺を企てるときが来はすまいかと、危惧を覚えたことであった。

                  07/11/02(金)

 

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母の手

小康といえるだろうか
麻痺した右手は
死んだように白いシーツに
まるで腕は腕で
生命体とつながりながらも
別物のようだ
この右の手は
洗濯機がなかった時代を知っている
盥に洗濯板を傾けて
固形石けんで
ごしごしと衣類を洗った手だ
左手が所在なさそうに
何かをつかみたそうに
宙を泳いでいる
両の手は
ガス台がなくても
竈で火を焚き
飯を炊いた昔を知っている
デコレーションケーキが珍しかった時代
料理講習会にでかけ
天火でカステラを焼き
ホイップを泡立てては
真っ白にカステラを塗っていた手
真っ赤なトマトやナス
ひげもじゃらのとうもろこしを穫り入れた手
父兄会の日
数少ないブラウスをやっと決め
ボタンをかけていた指
何枚ものセーターを編んだ指
何枚ものスカートやズボンや上着を縫った手
遠くに出た子どもを案じ
苦手な手紙をつづった手
父が病院で突然息を引き取ったとき
焦りながらそちこちにダイヤルを回した指先
いまは
その右の手は動かず
その左手は
どこか遠いところをさまよっている

             07/11/1(木)




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