いま22時25分。
おばちゃんの座っている椅子の、背中のガラス戸ごしに、雨がぴたぴたと地面を打ってます。
この地面に、本来植えた位置からこぼれた九輪草が増え広がって、歩き道になっている場所まで占領されちゃいました。九輪草だけではなく、カンパニュラ、白いルピナスもこんなふうに随分と増えました。初めは、塀の外回りに数本植えただけのニゲラも、もう塀の内側のそちこちに増え広がって、まだたくさんの種が、植えてもらえるかどうか心配そうに待っています。
裏にいっぱいいっぱいのユリも、もうここが手狭なので、民族の大移動(ちょっと大げさかな)よろしく、玄関側の半日陰に住み替えて貰おうとして、場所作りにスコップで土を掘るうちに、うっかり大型の水仙の球根を傷つけちゃいました。と、おばちゃんは、軽々しく言ってますが、水仙の球根からは、すっごくこわ~い眼で睨まれてしまいました。球根が削れてしまったわけで、人間でいえば、さしずめ肉を抉られて病院へ救急車で駆けつけなければならないところ。水仙には平謝りに謝って、ともかく裏から6球ばかりのユリを掘り起こし、新しい臥所に植え込み、安心して眠ってもらいました。掘り起こしてみると、ユリの大きな球根にも三つか四つ、小さな可愛い球根がくっついている。見えない土のしたにも、少しずつ少しずつユリの兄弟姉妹が大きくなって、虫と闘ったり、虫に食べられてしまったりと、壮絶なドラマが展開されているらしい。
外回りの掃き掃除をしたとき、タイムの種が土埃にたくさん混じっていたので、中の敷地に蒔いておいたところ、これもまた、いたるところに増え広がって。このタイムには、いい思い出があるの。大雪が降った年に、タイムの上にも、どんどん雪を積み上げたんだけど、下から緑の葉っぱが出てるのに気づき、雪をのけてみると、緑色を保ったタイムから、活き活きとした甘やかな香りが立ち上ってきたの。回りは真っ白な雪景色だというのに。
白いスミレに保護政策をとったら、もう庭中の至る所に、まるで大腕を振って歩くみたいに増え咲き誇りました。わすれな草もそう。二、三年で、庭中を覆うほどに。二年目に五つに分けて植えた株が誰かに持ち去られ、近所の方が憤慨し、新聞の投書欄にまで書いてくださったことがあるけれど、それもいまは、笑い話。気に入った方は、どうぞいくらでもお持ち下さい、と本当は狭い心を広く見せることもできるほどに。バーベナもそう。二、三センチの小さな苗を貰ってきて植えた翌日、二本が忽然と姿を消したの。捜索願をだしたいほどだったけど、泣く泣く、かろうじて残ってくれた一本に水やりしたり、堆肥を追加しているうちに、いまでは、庭中どころか、近所の庭にまで不法侵入を。取り締まられないために、いよいよ母屋を取る勢いにまでなってます。
朝顔を狭いところに五種類、ただ粗放にばらばらと、どうなるかと蒔いたところ、一種を残して淘汰されてしまいました。芽は五種でたのだけど、成長の段階で、ね。思えば、四種の朝顔には酷いことをしてしまいました。みんな咲きたかったのにね。
チューリップも増えすぎ。花びらの尖ったチューリップだけは、さすがになかなか増えないのね。
種の素晴らしさ。花が増え広がることの嬉しさ、楽しさ。
う~ん、ところが、なかなか増えないものもあるのね。三年目のピエロは、ほら、あのでっかい朱色の花の底が黒いケシの仲間なんだけど、咲かなかったの。今年植えたヒマラヤの青いケシは、どうなることやら。ケシは植え替えを嫌うので、様子をみてるんだけど、土が合わないのと、日光が足りないのが原因かも。マツムシソウなども咲き方をみると、まだまだ力一杯おおらかには咲いてない感じ。全体土を入れ替えて、もっと腐葉土と有機肥を入れたいところだけど、なかなかの難事業。できるかなあ~。春を待って、何が何処から芽を出すか確かめてからするしかないほど、過密になってしまいました。
葡萄は鈴なりでした。けれども林檎はやっぱり難しい。全く薬散布せずに収穫を企てても無理なのかも。栗とか柿とかサクランボは、簡単に実がなったんですけどね。だけどこの三本は、おじいちゃんの不興を買い、切り倒されてしまいました。いまでも、切り株がうらめしそうにこっちを見ています。
キンモクセイは三年目でしっかり根付いて、本格的に芳香を放ってくれました。いちご、真っ赤な実が下がっているのを見たときは本当に嬉しかった。美味しかったですよ。ブルーベリーは、気まぐれに摘んでは口に放り込んだ程度。スモークツリー、エニシダは、仮植えのつもりで植えた場所で、もう大きくなりすぎてます。どこかへ移したくとも、昔からいばっている木を、どこかに動かさなければならないので、これも難事業なの。
あれも、これもと欲張りすぎました。ここで思い切った抜本的な、どこぞの偉い先生方がよく使いたがる言葉、「抜本的な改革」が、この庭でも求められてる感じがします。場当たり的なおばちゃんのやり方が、この庭にもよく現れてる感じがします。ただね、偉い先生方が、抜本的な改革って言ってから後に、抜本的な成果というのを見たことがない気がするので、やっぱりこの言葉は使わない方がいいのかなあ。
07/11/10(土)
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