木枯らしは鳴るけれど
葡萄の木が二本。片方の葡萄は、ほとんど蜂にあげちゃいました。もう片方の木には、まだ房が十ばかり。穫ろうと見ると、蜂がとまったまま動けないでいたの。寒さのためね。ちょっと葡萄を揺らしたら、弱々しそうに脚を動かして。もう蜂も動けないほど冷え込むように。
街路樹や近くの杜や林や、そちこちの庭の木の葉の色づきぐあいばかりを見て秋の深まりを感じていたのだけれど、小さな生き物にも刻々と冬が訪れようとしている。動かない蜂をみたあと、しばらく悪寒がきたように手が震えました。
そういえば、冬がきたときの準備をしていなかった、と。
いまヴィヴァルディの四季の冬が、凍てつき尖って、木枯らしを鳴らしたみたい。秋の空洞の五線譜に、無機的な幾つかの音符が落葉をおいこし、落葉においこされながら、かわき転がってゆく。
ストーブのまきがあれば火を燃やせるけれど、まだそんなしたくもなくて、こうして昼にむかうあたたかな日差しをまっている。そうあたたかな日ざしはいつでも誰にでもやってきてくれる。疲れていても悲しんでいても病んでいても傷ついていても、きっとやってきてくれるの。
2007年10月13日(土)
薄明かりの窓辺で
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