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2007年9月

蜂の言葉のわかる人は?

 きょうは、よいお天気でした。葡萄棚には、たくさんの蜂がぶんぶん、ぶんぶんやってきて、ほとんど食べつくされた(蜂に)実ののこりを食べていました。蜂との間には、不可侵条約、共存共栄が無言のうちに成り立っているので、刺すの、駆除するのといった物騒な事件はありません。おばちゃんが、蜂がぶんぶんいってるところに入って葡萄を取っても、蜂は怒ったりはしません。おばちゃんも、蜂が好きなだけ食べても、文句はいいません。ただ、よその人が来たときに、いったいどうやって、危なくないよ、と蜂に分かって貰ったらいいのか、悩んでいます。蜂の言葉の分かる方は、ぜひご一報ください。

 2007年9月29日(土)


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きょうも一日ごくろうさま

 

おばちゃんは、まだ起きてます。だって、小説の原稿の校正がまだかかりそう。漢字がとっても苦手なの。だけど、それはもう直しました。

どう間違ってたかっていうと、
屍蝋(○)を、死蝋(×)
斟酌(○)を、あら、どう間違えたんだか、忘れちゃった。
というわけ。漢字の
勉強をよくしなかったからなの。

こういうおばちゃんでも、何とか出来たわけ。
みんなだったら、もっとステキな作品が。
この小説が、どうなるかわかりません。
審査員が、「はい、
また次回投稿してください」というかも。
だけどね、書いてる間中、とっても楽しかった。それだけでもいいの。
ただね、校正はね、ほんというと、とっても、に・が・て。

あしたは印刷します。
印刷機から、
「おもちゃのシンフォニー」に合わせて、次々に、原稿が出てくるのね。
 タン、タカタン、タカタカタン、タンタカタンタンタ~ン、ピッポー、ピッポー♪ってね。部屋中を飛んであるくものだから、おばちゃんはもう大わらわ。

さあて、あと2行削ったら、おしまいです。

きょうも一日ごくろうさまでした。
         どうぞ、お先におやすみください。

                
 2007年9月28、あらあら、
                      もう29日になってたみたい
                   2007年9月29日午前0時20分プン

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ここにいるよ

 いま、おばちゃんの人形が、「いないの?」ってひとりごとを。思わず、「ここにいるよ」って、駆け寄りたくなっちゃいます。

          いないの?
          ここにいるよ。
          あなたの右に。

          いないの?
          ここにいるよ。
          あなたの左に。

          いないの?
          ここにいるよ。
          あなたの真上に。

          いないの?
           ここにいるよ。
          あなたの真後ろに。

          どうして見えないの?
          それはね、
          わたしが
神さまだから。

 
眼には見えないけど、「いないの?」て信頼して呼べば、神さまは、きっとあなたのそばに駆け寄り、必ずあなたを守ってくれるはず。
 
                     
2007年9月28日(金)

                               雨上がりの夕べに

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秋じまい

 夏にたくさんのトマトを、まるで手品みたいに付けてくれたトマトが、終わりました。上の方に、青い実が残ってるけど、もう待っても赤くならないの。秋じまいです。支柱に括ったビニールテープを外したり、引っこ抜いて、畑をきれいにしました。
 ・・・・・んっ、はっとしたら、おばちゃん、眠ってたみたい。パソコンの画面が、「もう書かないの?」だって。
 うん、もう、ここまでみたい。眼が、しぶしぶ。
・・・・いま、あたまが、ぐらっとしました。
たったこれだけでも、何かを書きたくて頑張っちゃいました。星は? う~ん、たぶん、雲の上で笑って見てるでしょう。きょうは、この辺で。
                 
                   
 2007年9月27日(木)
     

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言葉をください

おはようございます。
昨夜は、きれいな十五夜のお月様が、出ていたみたい。おばちゃん、残念ながら見ないでしまったの。真夜中、カーテンを開けて空を見たら、雲がまだらに。
 う~ん、星は?星はどこ?雲が遠慮してふさがないところにも眼をこらしたんだけど、なにせ、ほら、おばちゃん、眼も・・・ね。ぼーっとして、星がキャッチできないわけ。そしたらね、チロチロ声が、「あっ、また見てる」って。そしたら、ガチャガチャ声が「うん、きのうもだったよ。よく今時間、戸が開くのさ」。するとモミジが、さわさわ騒ぐには、「星ばっかしじゃないのに。わたしたちだって、こうやって真夜中も、こんど新しく隣の猫がボスに就いたとか、猫の家来がたくさん入れ替わったとかいろんな話があるのにね。ちっとも気づいてくれないの」
 それでおばちゃんは、庭にいる色々な生き物が何を言ってるのか、しばらく耳をすましてみたの。

 mata  mata  youji  ga  dekimasita   tyoko  tyoko  tyokkotto  situreisimasu
mata  kakimasu  mata  yondekureruto  uresiidesu

 杖をついて、痛い腰をかばいながら、歩いているモグラさんが、言いました。「わしは、長年連れ添った婆さんにも先立たれて、いまは、息子夫婦の世話になっとるんじゃが、嫁が口をきいてくれん。物なんか要らん、一言でいい、言葉がほしいんじゃ」おばちゃんは、どきっとしました。近頃のおばちゃんに似てる気がして。

「ママが忙しいの。速く早くって。毎日栗さんやどんぐりさんのカルチャースクールなの。もっと、良い子とかいって褒めてほしいの」といいながら出てきたのが、ケラの坊や。おばちゃんは、ずきっとしました。カルチャー、そんなにいっぱいは、やってなかったけど、もっといっぱいいっぱい褒めてあげれば良かったかなって。子どもたちを寂しがらせたかなって。

毎日働きづめのミツバチさんまでが、眼をさましちゃって言うには、「こんなに毎日はたらいてるんだ。せめて、ごくろうさんの一言もいってほしいもんだよ」

 どうやら、モグラさんや、ケラさん、ミツバチさんたちは、言葉、言葉が欲しかったんだね。おはよう!ごくろうさん!だいじょうぶ?ステキだね。良かったね。きっとできるよ。あしたがあるさ。日はまた昇る・・・あとはどんな言葉が? さび付いた心や硬くなった心、悲しい心や寂しい心を、だいじに包んであげる言葉。それをみんな待ってるのね。おばちゃんもだけど。

                   2007年9月26日(水)

        真っ青な  空のドームに  コスモスを

           星のかずほど  咲かせてみたい                       
  

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疲れたでしょ

 日記を書いてから、25日を見送ろう、と思って、気がついたら、真夜中の12時はとっくに過ぎて、26日になっていました。まだ起きてテレビ見てる人、ゲームしてる人、パソコンの前に居る人、ねちゃった人。色々あるとおもいます。おばちゃんは、あの小っちゃな小説を書いていました。あと4枚書けばできあがり。
 おばちゃんも、きょうは、すこーし疲れました。薬を取りに行ったり、病院に行ったり、買い物や食事作りは当たり前ですけど。まあ、反省は色々あります。だけど、楽しい一日でした。だって、文章を書く時間があったから。あしたは、じゃなかった、今日の午後は、絵を習ってきます。

たったいまね、おばちゃん、誰かに叱られたような気がしました。誰も怒ってないのに。それはきっと、おばちゃんの中にいる誰かとか、もしかすると、神様かも。

 昨日も、みんなのお陰で何とか暮らせたおばちゃんです。きょうも宜しくお願いしますね。     
 では、ひとまず、失礼いたします。
                      2007年9月26日(水)
                          まだらな雲の下の家の中で

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おばちゃんの手

これは、おばちゃんの手の色、と言いたいとこだけど、いま、画面に手を近づけてみたら、だいぶ違うみたい。う~ん、これぐらいかな。ぴったりのが無いから、ちょっぴり暗いめだけど、これに。これが、おばちゃんの手の色です。

 おばちゃんは、中で仕事をするよりも、外で、草を取ったり、花を植えたりするのが大好きなの。それに、夏の暑いときには、スクーターで木がいっぱいある郊外も走りたいしね。だから、どうしても日に焼けてしまうの。白い手がいいな、って思うときもあるけど、でもこの手がいちばんおばちゃんらしい手なんです。

 それにしても、この土のような色のままじゃ、ミミズかなにかが出てきそう。そういえば、ミミズって、けっこう研究の余地が残されているらしい。夢中になって調べれば、博士号取れるかもよ。ただね、土を掘り起こすのがね。庭が公園が野原が、そっちこち掘り返されちゃってもね。土を掘る話には、この色が合うみたいだけど。本題は、え~と、何だっけ、そう、手、手のこと。

やっぱり緑が落ち着くみたい。森の中にいるみたいだしね。
先だっての日記に、朝市のおばちゃんのこと、おばちゃんみたいなおばちゃん、って言っちゃったけど、あとで、失礼しちゃったな、と思いました。だって、おばちゃんたちの手は、この手よりも、いっぱい、いっぱい働いている手だったものね。おばちゃんは、花作りもまねっこ。草取りもまねっこ。やっぱり、この世の中で一番偉いのは、汗水流して精一杯働いている手をもった人たちじゃないかなという気がします。
 収入の多い少ない、や、社会的地位が高い低い、や、人が人をどう見るかに関係なくね。


                     2007年9月24日

 秋晴れすっきりの日に

 
 

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ごろ寝たまにはいいよね~♪

 おばちゃんの可愛がっている人形がね、たまに、とっても可愛らしい子どもの声で、こう歌っているの。
「ごろ寝~♪たまにはいいよね~♪あした~♪やればいいよね~♪」
この人形が始めておばちゃんの家に来て、この歌を聴いたときは、思わず、「うんうん、いいこと言ってくれるね」と笑っちゃった。
今日は日曜日。働きに出た人、家にいた人、観光に出た人と様々だったと思うけど、毎日職場で緊張したりなんかしてたら、休みの日には、ごろ寝もしたくなるよね。今日は、どんなふうに過ごしてる?
 おばちゃんは、きょう4時半に起きたんだけど、6時には、朝市でした。色々なキノコが売られていました。だけどおばちゃんが、これこそはキノコの王様だと思っているキノコは残念ながら、売っていませんでした。マツタケじゃありません。マツタケの3千円とか5千円とか2万円とかの値段に、おばちゃんはもうびっくり、ずっこけちゃったけどね。
 おばちゃんの好きなキノコは、どこのお店でも売っていません。デパートにもありません。トリュフかな?いいえ違います。じゃ、世界のグルメかなにか?じゃありません。それはね、
ベニテングタケっていう毒茸なの。だからどこにも売ってません。傘の上はきれいな赤っぽい朱色で、白いぶちぶちが。色も形もとてもきれいです。何だ、あれか。そうです、あれです。食べられるタマゴタケとよく似てるのね。タマゴタケもかわゆ~い、よね。
 ふつうはね、鑑賞用のミニトマトとか観賞用のキューイの鉢とかあるけど、キノコの観賞用の鉢っていうのは、まだ売り出されてないみたい。
 鑑賞用じゃないけど、菌が埋め込まれたシイタケやナメコのほだ木はある
ね。日陰に立てかけて、水やりして、ぽこぽこ出てきたキノコはまた特別に可愛くて美味しかったです。マイタケの菌も枯葉の下に埋め込んだら、立派にあのひらひらの感じに出てきましたっけ。だけど、ひらひらに付いた砕けた枯葉を取るのが大変で、一回きりでやめたの。
 食べられるキノコでは何たってぼりめき、ほんとうはナラタケ、って言うらしい。地方によって色々な呼び方があるってことは、それだけ身近で喜ばれているんだね。美味しいもんね。
 あのね、いつかすっごく高いマツタケがスーパーに出てたの。そしたらね、三日経っても売れなくて、五日目あたりで半額に。それでも売れなくてね、もう、マツタケさんは、すっかりくたびれちゃって、「わたしたちは、待つだけ?」と泣いてました。となりに並んでいた、ぼりめき君とハツタケ君が顔を見合わせながら、「マツタケ君、かわいそうだね」だって。待つだけのマツタケ、ちょっとは笑ってくれたかな。

ベニテングタケを見せたいんだけど、写真もなくて、ごめんなさい。

 ごろ寝~♪たまにはいいよね~♪あした~♪やればいいよね~♪

とはいかないおばちゃんです。いまからまたちょっとお仕事が。        

                   2007年9月23日(日)

 

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イーハトーヴの朝


イーハトーヴの朝はね、一晩中起きていた星たちが、そろそろ眠たくなったころ、まだ藍色に染まったままの遠くの山々の一点に、ぷちっと光が見えると同時にはじまるの。だんだん空が紫色になって、巨大なドームの暗さが、すこしずつ明るみを帯びると、東に、まばゆい光の扇がぴしぴし、ぴしぴしとのびて、そう、それからは、もう一気に眩い光が。いまや遅しと登場した指揮者が、さらりと指揮棒を振り下ろすと、びっしりと露を帯びた豊かな緑の大地に、ホルンやシンバルが高らかに響き、壮大なシンフォニーが鳴り広がるの。バイオリンやピッコロが、もうすっかり眼を醒まし、ビオラやセロやフルートを振るい起こし誘って、明るく爽やかなアンダンテを鳴らせば、もう、きょうの一日が開かれていくの。

おはよう!
イーハトーヴの朝です。
おばちゃんは、きょうは、4時半に起きました。

               
2007年9月23日(日)
                
まだ明けぬ朝の向こうに暁を見ながら 

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イーハトーブの夜

イーハトーヴの夜は静かです。これがほんとうの真夜中。煌々とネオンが煌めき流れ、街に人が溢れているのは、すこしです。こんな真夜中に起きているおばちゃんも、すこし変かな。でも、
            asita  ha  obentouzukuri  ga  arimasen

きょうの仕事は終わりにします。あしたが、もう出たくて、そこで待っているので。

              
 
                  2007年9月22日(土)
                

                       星のない夜に
                   
雲の上のを見ながら
                       

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雨の夕暮れに

kawa   ha  motono  mizu  ni   modorisoudesita 
        demo   mata  amega  futte  kimasita
              ame  desu    mata   ame  desu

きょうは、おばちゃん、買い物もし、ご飯も作り、洗濯もしました。
  いちばん、楽しかったのは、小説を書けたことです。
    ちっちゃなお話だけど、苦しまずに書けました。
      うれしいです。わーっという感じじゃないけど、
        静かな気持ちでうれしいです。

ほんとうは、こんなふうに、また書けるとは思っていませんでした。
  大きな励ましや祈りがあったから、
    それで元気になったから書けたんですよね。
       ほんとうにありがとう!

ame  desu  kawa  no  mizu  ga  mata  afuremasu
    takusanno  tiisana  kawa  no  mizu  wo
         ookina  kawa  ga  gokugoku  to  nomunodesu

                        2007年9月22日(土)
                  雨の夕暮れに

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ほんとうによくやっているね

濡れたかとおもうぐらい
汗びっしょりのシャツと作業服
靴も
汗のにおいがしている

きょうはどこの現場だったの?
危ないことはなかった?

ああ、と一言だけ

入れたばかりの風呂の戸をあけ
まずはシャワーで汚れを落としてから
ざんぶりと湯船に浸かっている

ずいぶん日に焼けたね
筋肉質になった肩から背中が
すっかり真っ黒に
肩にタコもできている

きょうもよく頑張ったね
きょうだって5時おき
あなたはほんとうによくやっている

誰が知らなくたって
お母さんだけは
あなたが立派に働いていることを
ちゃんと知っているからね

 
2007年9月22日(土)  うすぐもりの昼下がり

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小さなことなんかじゃない!

小さなことなんかじゃない!
いまこうして息をしてること、
いまこうしてものを見ていること、
いまこうして考えていること、


小さなことじゃない!
いまこうして話していること
いまこうして寛いでいること
いまこうして黙していること


小さなことじゃない!
工場で精密機械の一部分を組み立てること
魚を捕る網の一カ所をていねいに繕うこと
大根の根元の草を取ってやること



小さなことじゃない!
工事現場で穴を掘ること

デパートのトイレを掃除すること

雑巾で家の廊下をふくこと

小さいことなんかじゃない!
あなたが生まれ
あなたが育ち
あなたがいまこうして生きている


もうそれだけでいいの。
それが一番重大で
それが一番大切なことなの。

                    2007年9月22日(土)

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おっどろいたー!

おっどろいたー! 
おばちゃん、こんな歳になっても、なんとか、近頃はがんばってるなって、思ってたの。ところがね、おばちゃんよりも、もっともっと、もっともっと長~く生きてきたひとが、何歳かって?それは秘密って言いたいところだけど、特別に教えちゃいます。こんどこの月に、90歳になるMさん、女の方なんです。
何とね、「腫瘍があります。手術します」と医者に言われて先ず何したかっていうと、取材にいったの。「そのとき歴史は動いた」。NHKテレビ、沢内の村長さんのはなし。みんなはきっと見てるね。おばちゃんは、Mさんに知らされて、何とか見逃さずに済みました。あの沢内村でね、乳児死亡率ゼロにしようとがんばった村長深沢晟雄、このなまえは、まさおって読むらしい。その人についての取材で沢内村まで行ってきたというから、おっどろき!ジャーナリストじゃないんです。感動して、そう、何歳になっても感動できるなんて、すばらしいよね。感動して、知りたくて、もう、行ってきちゃったわけなの。そしてね、きょう、どさっと郵便物が届いたから、何かなって開けてみたら、Mさんが深沢村長さんを詠んだ短歌が、39首。90のMさんが創った短歌なんだけど、読むと、乳児死亡率ゼロを成し遂げるまでの、あれやこれやが、ぜんぶ、わかるのね。
おばちゃんが感心したのは、この村人思いの村長さんのこともそうだけど、40幾つでご主人に先立たれたときもあきらめず、50になってもあきらめず、そう、60,70,80,そしてあと何日かで90になって、しかも病気を宣告されても、感動し、夢を持ち、行動するMさん。Mさんのこの姿を、つたえたかったの。この短歌の入った郵便は、21日のきょう届きました。
おばちゃんもね、ほんとは、ちょと弱気になってね、もう歳だ、ぐしゅ。なんてなるときもあるの。だけど、きょうは、ほんとに良い気分。だってこんな風にも生きられるんだっていうお手本がきたんですもの。さび付いた小っちゃな郵便受けだけど、もうそろそろというよりは、とっくに取り替えたほうがいいみたいなオンボロな郵便受けなんだけど、入りきらないでっかい希望が届いたんです。

村長さんは、貧しさで、山の奥の村で、大雪で、医者にかかれず死んでいく赤ちゃんを助けようとし、助けたんだね。Mさんはそれに感動したのね。
おばちゃんも、感動しちゃった。びっくりしちゃった。
90のMさん、すっごいね。


07/09/21(金)





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やっとお日様が

おじいちゃんが言ってました。
「雨が降ったあとは、中津川なら2時間、北上川なら6時間経てば、川の水は最高の水になる、と釣り人は言ったもんだ」
おじいちゃんは88歳です。
17日の大雨で、どんどんとダムに流れ込んだ水の量は、ダムが出来てから一番多かったらしい。あんなにあんなに速く押し流されても、きょうも川の水は茶色です。きょうは、もう20日。2時間どころか6時間どころか。マリオスというビルの20階から見たら、ぜんぜん薄まっていない茶色のまま。一回水を被った植物たちは、汚れが付いているから分かります。被った泥が乾いて白くなってるから、川縁の植物を見ると、水位がどこまで上がっていたかがわかります。大変だった植物たちを一本一本きれいにシャワーしてあげようとすれば、どれだけの水が必要になるかを思うと、またまた気が遠くなりそう。大雨でこうなった植物たちだけど、またこの植物たちをすっかりきれいに洗ってくれるのも雨しかないのかな。
この20日は、やっとお日様も顔を出してくれました。家の中でしょげていた洗濯物たちは、外に出して貰えてにっこにこ。いっぱいいっぱい日を浴びて大喜び。不満もおさまり、静かにたたまれて、タンスに戻っていきました。

書いているうちに、もう0時10分に。
あしたの空もこんなふうだといいな。
そろそろ、おばちゃんも。

では、おやすみなさい。

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ゆううつなの?

 9月19日(水)。なんという速さ。去ったはずの8月が、ちょっと陽がさすと、まだここに居るよってたまに戻ってきては、スキップしてると思っていたのに、はっと気づいたら、もう門のところから10月が顔を出していたの。カレンダーから10月が消えてることに気づいて、いそいで出たときには、もう姿はなくて、菊の香りがかすかに。家に戻ってカレンダーを見たら、また10月が数字になって、ちゃんと戻っていました。
 こんなに時が早く移ろうなんて。だけど時が移りゆくことで、いいことも。


            ゆうつになってはいない?

 時は、寂しさや悲しみにあるこの「今」をも、大水のときの川の流れの速さみたいにはいかないけど、準準と淡々と確実に運びさってくれる。心を治す名医らしい。
 憂うつは一枚のベール。いたずらな妖精が、気まぐれに、ちょっと近づいてかぶせてみただけなの。からくりはいたって簡単。そうとわかれば、悲しんでなんかいられない。こうしている間に、おばちゃんも、何かしなくちゃ。今という時を落とさないためにね。

  10月になると、が。

        奥羽の山々も、北上の山々も、

              まるで燃えいるみたいになるね。
 
 

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だいじょうぶだった?

おばちゃんは今日11時ごろ、スクーターで、モリーオの川を見てきました。ダムが放流してるよっという警告が出てました。川べりの草地も遊歩道も、水の底に。岸辺に立っていたはずの木々も、おなかあたりまで水に浸かっちゃっているのやら、すっかり傾いて、もう少しで、頭にまで水を被りそうなのやら、ありました。もう流されて、ただもう荒らあらしい激流にもみくちゃにされながら、下へ下へと流されるばかりの木もありました。だけど、こんなもの凄い流れの中に、頑張って、ほんとうに頑張って立っている木もあったのです。流されてきたゴミが引っかかっても、ひっくり返りひっくり返り流れてきた大きなアイスボックスやら、ずんずん下ってきた丸太んぼうに激突されても、歯をくいしばって、立ち続けていた木があったのです。

motto  kakitai  dakedo  kaimono  atode  mata  kakimasu 

mata  yondekureruto  uresiina  deha  hitomazu

 だいじょうぶだった?

mou  yuusyoku  no  jyunbi  ga  dekimasita  korede  ansin

この滅多にはない大雨で、行方不明になった人や、乗りたい電車が来なかった人、家の床の上にまで水が入り込んじゃった人たちが、たくさんたくさん。

              だいじょうぶだった?

おばちゃんは、家にじっとしてて無事でした。被害にあった人たちに、何だか済まないような気持ちです。それに、オーケストラのことなんか考えてて、悪かったかなって。  

 

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雨のシンフォニー

今日は、とうとう一日中雨が。
だけど、おばちゃんは、ぜんぜん憂鬱にならなかったの。
というのはね、雨の音をよ~く聴いてみたら、色々な響きがあったから。
トタン屋根に落ちた雨は、ぼつぼつぼつ
雨といから流れ出た雨は、チョロチョロチョロ
小石を打つ雨は、ぴしぴしぴし
水たまりに落ちる雨は、ぱちゃぱちゃぱちゃ
葉っぱを打つ雨は、ぴたぴたぴた
道路を打つ雨は、びだびだびだ
川に流れ下る雨は、ざばざばざば


こんな音の一つ一つを、色々な楽器が出している音ってことにして、

さあて、ここで指揮台に立ってくれるのは誰かな?ほんとうは、おばちゃんも振ってみたいんだけど、何しろおなかが出てるし、髪の毛はもじゃもじゃで、ぜんぜんステキじゃないの。

こんな日に一番元気な方に頼んでみましょう。
そこで登場したのが、かたつむり君。

どーぞ、指揮台に。

指揮棒は一にの三で無事振り下ろされて。

オーケストラが鳴りだしたの。何て明るく楽しい音楽でしょう。
高く小さく響いたり、
重く冷たく響いたり、
軽く明るく響いたり
指揮者だって、もう右や左に傾いて
いつまでも
いつまでも鳴るの
どこまでも
どこまでも明るく楽しく響いてゆくの




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雨、雨、雨、雨

雨、雨、雨、雨、雨、雨。

今朝は、4時半に、雨の音で目をさましました。
ずっと、きれいな字の空間づくりをしているうちに、おばちゃんは、とっても絵が描きたくなりました。猫の絵だけじゃなくて、わすれな草たんぽぽつゆくさ。
 

 こんど26日だけれど、雫石のIさんが、おばちゃんの近く

 いまさっき、が鳴ったので、いったんPCを消して、いままた画面をだしました。

で、絵を教えてくれるらしい。何回か行ってみようかな。何だかわくわく。たとえ上手じゃないおばちゃんでも、おばちゃんに描いてほしいと待っている草花がきっといる、ある、じゃなくて、居るんだと思うと、昔、むか~し使った絵筆が小屋で、ずっとおばちゃんを待ってたんだな~といま気づいたの。「もう私たちは用済みなのね」。絵の具や、筆たちが、そうぶつぶつ言ってるのに気づいたの。

 小降りにはなったけど、まだ降っているのに、新聞配達のバイクの音が。毎日まいにち、新聞を届けてくれる。こんなに朝はやくに。毎日まいにち、こんなに朝はやくから働いてくれている。

ごくろうさまです。お世話さまです。こんな雨の中を。

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怖かったー

 夜になっちゃった。さっき、虫が、面倒くさそうに、ちょこっとだけ鳴いてました。

 昨日の夕方、柳沢っていうところに住んでいる友達から電話がかかってきたの。柳沢っていうのは、標高2千とちょっとの高さの岩手山の裾野です。どうやら栗が大きくなったらしい。おばちゃんは、毎年、たっくさん貰って、栗ご飯を作っているの。
 おばちゃんは、子どものとき、このシーズンになると、もう栗拾いに夢中だった。秋の日差しに明るい栗林は、しんとしていて、たまに姿は見えないけど、何かが木の上を駈けていく乾いた音が響くの。風が吹かなくたって、もうすっかり熟した栗が、大きく口を開けた毬を離れて、からんころん、ことっ、って枯葉の上に落ちるの。次からつぎに栗の木を追いかけているうちに、おばちゃんは迷子になっちゃったの。ああどうしよう。もちろんお菓子の家なんかはどこにも無くて、このまま夜もこの深い林の中にひとりぼっち・・・・何だか怖ろしくなってきたそのときでした。ぽー、っと列車の汽笛が。線路だ! おばちゃんは夢中で音のしたほうに駆けていた。草をかき分けて土手を下ると、二本のレールが、遙か向こうにまで曲線を描いてるじゃないの。助かった! この線路が、家の前まで繋がっていることは分かりました。おばちゃんは線路の真ん中に降り立つと、もう一目散に駆け出していました。

 そんなこんなを言ってるうちに、気づいたら、雨がぴしぴしと。一雨ごとに秋が深まるのね。虫たちも木陰で鳴りを潜めているみたい。

 今日の日はこれで良かったのかなあ。
うん、きょうはこれで十分だったことにしようっと。

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ぴっかぴか

おはよう!
 きょうは日曜日。おばちゃんはね、今朝は、6時に起きて、朝市に行ってきました。きょうの字は、「さんさ」というりんごの色です。朝市には、もう3時、4時に起きたおじちゃんや、おばちゃんみたいなおばちゃんたちが、がらーっとお店を出してるの。土間に並べてるから、見る人買う人は見下ろしちゃう恰好になるのが、どこか変、何だか変なんだけどね。だけどおじちゃんおばちゃんは、モリーオの言葉で、たくさん話しかけてくれるから、つい嬉しくなってどんどん買っちゃうの。きょうなんか大根の葉っぱを5把も。これをゆでて、芥子醤油なんかで食べると、シャキシャキしててすっごく美味しいの。
 なす、ピーマン、カボチャそれから、それから、もう、数え切れない! なしやりんごも、みんなみんなぴっかぴか。土からの栄養や光や温度をいっぱいいっぱい吸い込んだからだね。人だってきっとそう。自然の生きた食べ物を摂って、運動をしてお日様にあたって、そうすれば、野菜たちが生き生きしてると同じように、ぴっかぴかに。
 あら、そうね、赤い色は目が疲れるかもしれない。ごめんなさい。
赤や黄色の原色に近い花々や実ほど、持った美しさが美しさとして輝けるのは、緑の中にあってこそ、とおばちゃんは思うけど、どう? 人もそうかもね。
 またまた目が疲れるといけないから、赤のコーナーはこれで終わりま~す。おばちゃんも疲れたから、ログアウトしたら、すぐに緑を見ようっと。

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きょうは良いことあったかな?

 土曜日だね。そりゃあお休みだった人も、お仕事だった人もあるだろうさ。ただね、おばちゃんはね、土、日、祭日と休まずに働いてくれた人たちには、ほんとうに有難う、って頭が下がるの。だって、そのお陰で、スーパーに行ってもレジを打ってくれる人がいるし、お祭りに、交通整理をしてくれるお巡りさんがいてくれたりもする。夜中に壊れた道路を直してくれる人もある。べつに勤労感謝の日じゃないんだけど、おばちゃん、何だかそんな気持ちになったの。
 さあて、おばちゃんにも、きょうはとっても良いことがありました。もりおか童話会っていう、文章の学びをしている会があるの。昔はほんとうに童話を書いていたらしい。でも、いまでは、その人たちがみんな文章がすっごく上手くなっちゃって、何と小説を書くようになったのね。だから名前は童話会だけど、実質は小説家の集まり。凄いでしょ。そこにどういうわけか、昔おばちゃんが入っていたということで、おばちゃんもやっと本を出したというわけで、呼んで貰えたわけなの。ガーベラ、トルコキキョウ、ばら、それにおばちゃんの知らない小さな黄色い風船みたいな花の入った花束を、カードと一緒に頂いちゃた。大事に大事に花瓶に飾りました。
 モリーオの駅の近くの料理屋さんで、こまめに丹念に作られた和食を食べました。最後にデザートに散りばめられた宝石、と一瞬見えたのは、実はざくろの実だったの。きれいなざくろの実が5粒ばかり、果物の飾りに光ってました。出席したのは、女の人4人、男の人が3人でした。
 遅ればせながら、おばちゃんが出した本は「光炎に響く」っていうの。あとでおばちゃんのプロフィールのところを、ピコピコってしてくれる。すると、「アドレス」が出てきます。そこから、おばちゃんの本の説明のページに飛べるからね。きょう開通しました。
 えっ、本を読まないおばちゃんが、どうして本を出せるかって?それはね、ちっちゃなちっちゃな事を一生懸命積み重ねていったからなの。内気だったおばちゃんを知ってる人たちは、「えっ、まさか、あいつが?」ってびっくりしたみたい。完璧じゃないし、直したいところもあるけど、けど、おばちゃんは頑張りました。おばちゃんに出来たからには、必ずみんなにもできる。本じゃなくたって、何かができる。必ずできるはず。
 たったいま、おばちゃんが可愛がっている人形が、あくびをしました。いつも9時前頃にあくびをするの。
 盛岡きょうは八幡宮のお祭りです。帰りは交通渋滞でした。ヤーレ、ヤレ、ヤレーの掛け声に笛の音。そのお祭りの音もいまは止んだみたい。静かだな~と思ってたら、虫の音が。しばらくは聞いていようかな。

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汗流して働いたことある?

今日はすっごくいい天気。カメラを持ってでかけようかな、と思いながら、ぽつぽつと猫の額ほどの庭の草を抜いているうちに、「汗」、そう、汗、これ、これ。一言思い浮かんだら、そこはおばちゃん、カメラのことなんかすっぽりと忘れちゃって、パソコンの前に。

(これも内緒の内緒なんだけど、初めてワープロを覚えるときは大変だったの。初級講座っていうのに出て、もう汗を、そうあのときも汗だらだらだった。それが今から15年ばかり前。それがいまじゃ、すましてパソコンの前に、なんて言ってるわけ。ほんとはね、マスターするまでそこいらじゅう引っ掻きたいくらい大変だったの。誰にも言わないでね)

     ~ちょっと蒸し暑いから扇風機回しちゃった。ちょと涼しい~
        ~  ~  ~ ~   ~   ~   ~   ~
えっ、本題に入るまでが長い?何?忙しい? そろそろ電源切られないうちに。

先日静岡へ行ってきたんだけど、その車中で、斜陽族、おっと失礼、社用族の間違いでした、その社用族4人が、どうも睡眠薬の話をしているの。
「わたしなんか、出張のときは、神経が高ぶって眠れなくなるから、もう9時ごろには飲んじゃいますよ」
マイスリーという薬らしい。
「僕は、時々。常用はしてないけど、二分の一個づつ」
「僕は、まあ11時かな」
「あまり遅く飲むと翌日に残っちゃうでしょう」
思わず聞き耳立てちゃったわけ。そこはほら、おばちゃんがおばちゃんたる所以なのね。
すごいストレス社会なんだなって。睡眠薬をこんなに気軽に持ち歩き飲み歩くなんて、ふつうじゃないと思わない?
人が人らしく生きていない。人が人らしく生きられない。やらなくちゃならないこと、耐えなくちゃならないことが多すぎるのかな。
このイーハトーヴに住んでるおばちゃんは思った。人の本来の仕事って、汗水流して畑で作物を作ったり、広い海へ出て、魚を捕ったり、草原を駆けて狩りをしたりすることなんじゃないかなって。そのところからあんまりかけ離れてしまったから、心の病や不眠になるんじゃないかなって。それと、お互いが、ちょっぴりの優しさを持ったなら、この世の中は随分と生きやすくなって、悲しむこともちょっぴりは、減るんじゃないかなって思うの。
ただね、おばちゃんって、ほら、ぜんぜん本とか読まない人でしょ。だからこれも眉唾かもよ。
このイーハトーブには、耕す畑や、累々と素晴らしい緑がいっぱい。というよりは、広い広い山と山の間に街が、ちょっぴり点在してるっていう感じ。どう、新宿、歌舞伎町、六本木の夜遊びを返上して、思い切ってこのイーハトーブにやってきて、朝はしっかり眼を醒まし、宵の星がうっすらとかかるまで、澄み切った空気を吸いながら、汗水流して働いてみない?
おばちゃんが知ってる牧場もあるよ。牛がもう~、もう~って、緑の草地にゆったりと影を落としながら動いている。しっぽを時々ぴゅんと振って、ぴたんと自分をたたくのは、あれはね、ハエを追っているの。牛も一日中見ると、とっても面白くて可愛いんだよ。

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なぐさめは・・・

 あと15分で9時になっちゃいそう。星は出てないかなって、またまたカーテンを開けて見たんだけど、曇り空だった。だけど、そう、この雲のうえには、いっぱいの星が、白い星、青い星、赤い星がまたたいてるんだっけね。一つ一つがまるで夜の大空に埋め込まれた宝石みたいにね。じゃらじゃら、さらさらと細かくて砂のような宝石は、もう、いちいちつまんで埋め込めないから、きっと天の川にざざーっと流し込んじゃったんだね。雲の上のことはこれぐらいにしてっと。
 おばちゃんは、きのう夜おそく、眠かったんだけど、人が ゙いなくなる"ということを書いたんだけど、どうも慰めは、「千の風」だけじゃなかったみたい。グスタフ・マーラーっていう、何だかおばちゃんの知らない曲を創る人がいるらしいけど、こ、こ、うーんやけにつかえちゃうねぇ、こ、交響曲第2番の破綻調、・・・えっ、何?・・・あっ、ごめんごめん、破綻調じゃなくってハ短調、教えてくれてありがとう。やっぱりみんなの方がよく知ってるね。何しろ、おばちゃんは、近ごろ耳もほんのすこしだけ遠くなったみたいで、(ほんとはね、焼き芋があるよ、は、すぐに聞えるの、これは内緒だけどね)聞き間違えちゃうの。ともかくそのハ短調(こんどは間違ってないよね)の「復活」という音楽の合唱じゃ、「人はまた生まれるために死ぬのだ」と歌っているらしい。おばちゃんもびっくりだった。生まれるために死ぬ。う~ん、こうなれば何としても聴かなくちゃね。
 一生懸命書いてたら、おなかがすいちゃった。焼き芋、おやつは焼き芋にかぎるね。ほっかほっかで香ばしくて。
 おばちゃんも、掃き集めた枯葉にお芋を入れて焼いてみたことがあるの。それが、火力が弱くてなかなか焼けなくてね。やっと焼けたころには、皮から3ミリばかりが、すっかり炭になっちゃうの。それでどうしたと思う?それ以来、焼き芋をするときには、あらかじめ電子レンジで箸が通るくらいに焼いてから、燃えている枯葉に入れたのね。皮がちょっと焼けたぐらいで取り出して、枯葉で焼いた焼き芋だってことにして、近所のわんぱく君たちと一緒に焚き火の周りでワイワイ食べました。どういうわけか、なぐさめ、が、お芋の話になって、きょうはおしまいです。

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いなくなる?

 タイトルにちょっと驚いちゃったかな。いったい誰がいなくなるのか。
おばちゃんは、きょうの午後は、お世話になった方のお母様の火葬に行ってきました。お葬式よりも現実的なお別れをしなければなりません。というのは、会場で和尚様が読経する間も、つい数分前にこの世にお別れした知らない方のご遺体を包む火のゴーッという音が聞えているのです。次つぎにご遺体が火に付されていくのです。つまりは、いつかはおばちゃんも、そうなるのです。みんな次つぎにそうなるのです。遺族にご挨拶申し上げて外に出ると、駐車場の露草の青さが目に染みました。
 
 命があるって奇跡なのだと思いました。おばちゃんが、こうして文字を打ち込んでいる21時43分のこの瞬間の奇跡。人は、生き物は、奇跡の一瞬一瞬を生き連ねていくものなのだと。
 もう誰かがどこかにこんな事を書いてるかもしれない。もうみんなとっくに知ってるかも知れない。だけど、本や雑誌や新聞もあまり読まないし、ほとんどテレビも見ないおばちゃんは、いまやっと気づいたの。だけどね、おばちゃんもね、「千の風になって」は知っている。ほんとうに慰められて心が爽やかになるよね。

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夕べはよく眠れたかな?

おはよう! よく眠れた?おばちゃんは、まあまあでした。何だかね、つらつらと考えているうちにね、あのまーるい目をきっかと開けたふくろうが浮かんだの。木の幹をさりげなく、それでもしっかりと掴んでるのね。はは~ん、こうやって一晩中おばちゃんを見守ってくれる気かもしれないと思ったら、いつのまにか寝ちゃってて。気づいたら朝だった。それでおばちゃんは思った。あのふくろうは、神様の使いだったかもしれないってね。
 きょうのこの字の色はね、いま庭に実ったぶどうと同じ色なの。美味しそうでしょ。3、4房から一個ずつ取って口に放り込んでみて、一番甘い房を切り取っていたの。ところがね、知らないうちに庭のモミジに巣を作って住んでいた蜂はね、どうも一番美味しいのを、最初から知っていたらしい。だって、そっちこっちやたらにつついた証拠はないし、蜂がつついた房は、決まって甘くて美味しいの。以来、おばちゃんは、蜂様の食べ残りを有り難く頂戴している。紅葉の木にひこばえがいっぱい伸びて、刈り取ろうとハサミを入れたとたん、もうぶんぶんいいながら巣から出てきて、それは怖いおもいをした蜂だったけど、この天才的な知恵に免じて、まだ巣は取り払ってはいない。
 この葡萄の実りみたいに、おばちゃんのブログも甘くて、ちょっぴり酸っぱくて、ジューシーな実をいっぱいいっぱいつけられたらいいな。それを食べたひとが、元気になれるような、そんな実がなるといいな。

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樹木

 さあて、きょうはうまく書けるかどうか、おばちゃんは心配。近頃は、たまに字をぽろっとどこかに落としちゃって、あわてて記憶の倉庫をがさがさと探したりしてるからね。それでも出て来ないときも。そんなときはね、誰にも気づかれないうちに、同じ意味の違う言葉を使ってすましてるの。
 この字の青は、きょうのモリーオの空の色です。
 
 おばちゃんが子どもだったときは、滑り台や鉄棒も楽しかったけど、ブランコが一番好きだった。ブランコの傍には合歓(ねむ)の木が立っていて、力いっぱい最大限の高さにこぐと、あのやわらかなピンクの花が、ちょうどカメラのクローズアップみたいに大きく迫ってくれる。もう嬉しかった。
 木ってすばらしいよね。樹って書くと、木の風格や品格まで感じられる。そんな木の幹に太いロープで下げたブランコはまた格別だった。こぐたびに、樹の腕がゆうらりゆうらり。その先に繁ったいっぱいの葉っぱが、すっきりと澄んだ空気をわっさわっさとかき混ぜ、それは賑やかなものだった。
 そんなこんなで、おばちゃんは、いまでも樹が大好なの。ちょっと寂しいときとか、ちょっぴり悲しいときとかは、樹を見に行くの。30メートルの高さのぎんどろの樹上が、真夏の陽を照り返してさわさわと揺れるのを眺めていると、心の中の意地っ張りな部屋の扉や、頑固な部屋の扉、さび付いたちょうつがいの扉までがぜんぶ開いて、ああ風通しがいいなあ、と思ってるうちに、何とこれが、部屋のカビや埃まできれいに運び去ってくれるから驚き!
 ぎんどろって、ヤナギ科だって知ってた?おばちゃんも最近まで知らなかった。あんまり知らないんじゃ樹に失礼だと思って、図鑑を見たらわかったの。
 さびしいなって思うことある?ああ、そう、友だちがいっぱいいるんだね。そうか、ゲームやCD、えっ、次つぎに新作映画も出てるの?テニス?フラワーアレンジメント?うん、いいね、それも。何だかおばちゃんの知らない難しい新兵器まで出てきそう。うーん、ただね、 おばちゃんの書いたこのブログを思い出すことがあったらね、樹のそばに行ってみてほしい。樹はきっと待っていてくれるよ。
 このイーハトーブには、そんな癒しの木々がいっぱい。樹林は巨大な肺なんだ。樹の魂に癒されて、木々の間に満ち満ちた清らかな息で、心も体中を走っている血までもがきれいに洗われるよ。
じゃ、またね。

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濡れなかった?ケガしなかった?

傘の骨は折れなかった?せっかくのステキな靴や服がびしょびしょにならなかった?やっと暴れん坊台風9号がいっちゃったね。これでぐーんと涼しくなるのかとおもったら、きょうも31度はあったらしい。台風が行っちゃったあとの海って凄いよ。17年も前になるかな、三陸海岸の宮古市に住んでいたんだけど、台風が去ったすぐあとに、浄土ヶ浜あたりに出てみたことがある。巨大な皿に溢れかえるような海水が、まるではけるところがなくて苦しんでるみたいだった。それが海岸に押し寄せては、ダーンともの凄いとどろきで岸壁にぶち当たっては砕けるんだ。その波が、岸壁といっしょに、胸の奧をこぶしで突き上げる。
いま住んでる盛岡市、宮沢賢治という詩人は、モリーオって、この市を呼んでくれたけど、このモリーオに住むようになってからは、川の水が、柳なんかを根こそぎ抉り取って、のんのんと川下へ流れ下るのを見たよ。自然の猛威って凄いよね。怖いよね。
だけどいまこうやって、嵐をやり過ごして、昼間の暑さもどっかへ逃げちゃって、やっと涼しくなったこの静かな夜に、信じられるか信じられないかは分からない、いや信じられる、いや私はいないと思うな、うん、色々な考え方はあるんだけれど、ここはひとまず、神様って方に感謝したいね。ほら虫の声なんかも聞えてる。いまパソコンに夢中で、夜空は見上げてないけど、ちょっと待って、いま見てくるから・・・・・・・カーテン開けてみたら、星はなかった。空が雲におおわれていたけど。でもその雲の向こうにはやっぱり、降るような秋の星空が広がってるはずなんだ。きょうも疲れただろうね。ゆっくりやすんでね。それでは。

                                           07/09/09(日)

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