クリスマス

 北朝鮮の「地下キリスト教徒」約50万人。RFAによれば、当局の監視を逃れ、家庭や地下教会で信仰を守り、クリスマスも祝われているという。

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 きょうの一日は。

 あるブログの教会の写真に映っている十字架に見入っていたとき、「汝は我がものなり」という言葉が浮かんだ。昔文語体聖書を読んでいたからだろう、無心になったときには、文語体で思い出されることが多い。

 午前中、某医院で舅の薬を処方して貰い、調剤(1ヶ月分なので時間がかかる)が済むまで、知人がいるところに立ち寄った。話しているうちに、彼女が最近クリスチャンになったことを知った。いきさつも不思議だった。わたしは彼女にそんな話をした記憶はほとんどない。それだけに驚いた。そしてそのことを今日知ったことが嬉しかった。賛美歌が流れていた。

 主人が外で食事をしようというので出かけた。
その帰りに写真を撮ろうと中津川に出る。鷺がいるとは聞いていたが、昨年もなかなか確認できなかった。ところが、立っていた目の前に飛んできて、いかにも、さあ撮ってください、とでもいうようにしばらくポーズを取った。ほんとうにそのような様子だった。

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 写真を20枚ばかり撮って帰る途中、主人を通じて文芸誌「天気図」を差し上げた音楽関係者にばったり。私の書いた小説も読んで下さったらしい。
「奈美さんにブラームスはちょっと早いんじゃないかな。いまは小6でもチゴイネルワイゼンを弾く時代だから、あり得るかもしれないけど」に始まり感想を伺い、主人も居り、面と向かっていることもあって、お褒めをいただいた。
 立ち話ではあるけれども、けっこう音楽の話、バイオリンを教える大変さ等々を聞くことができラッキーだった。

 そしてきょう一日の最後は、バッハのロ短調。ちょうど「サンクトゥス」に入ったところだ。

 足らざる者へのきょう一日の神の慮りに感謝しつつ。


 
 

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ハレルヤ!!

   

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      クリスマス・イブ。

ケーキ?ディナー?彼と、彼女とひと夜を過ごす? 相手がいなくて取り残された気がする? 

ところが、ところが、何もなくても、何がなくても大丈夫!

神の子イエス・キリストの降誕を待ち望むなら、そして信じるなら、あなたは最も幸いなものとなる。う~ん……取り残されるのは、果たしてどっちかな?

      ハレルヤ!!

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ヘンデルのメサイヤの 「ハレルヤ」。夥しい数の音符がこぞって主を誉め称えています。

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蜀火礼拝

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蝋燭に次つぎに灯が点されてゆきます。わたしは前の方から点けていただきました。
 揺らめく炎を見ていたとき、「われは世の光なり」という言葉がうかびました。
 神の家に集うお一人お一人が、蝋燭の火に照らされています。


   きよしこのよる 星はひかり
   すくいのみ子は まぶねの中に
   ねむりたもう いとやすく

 真っ白な雪の中に立つ教会。教会の入り口のモミの木に、イルミネーションが美しく輝いていました。

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雑感

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  きょうも雪だった。寡黙に舞いおりる雪を見ながら、北上山系の岩泉の牧場の真冬の状況が頭を過ぎった。3日ばかりまえに、岩泉町の有芸水掘にあるホルスを飼育する81歳になるある方に電話を入れてみた。奥様と娘さんで従事されている。ここも標高はやはり800㍍はあるだろう。

 この界隈、街ではクリスマス商戦たけなわだが、こんな節季にはどのように過ごしているのか。牧場はどのようであるか、牛舎は……と連想がつづく。

 一番苛酷な季節に訪れて見なければ、ほんとうの苦労は分らないだろう、いや春の牧草づくり、農耕が始まってからのほうが大変か…裸地化はどの程度進んでいるだろう。離農のあとの施設はどんな状況になっているのか…。こんな季節にこそ行ってみたいと思うものの、聴けば幹線から片道25キロ。この幹線も無事通過できるかの自信はない。

 視点をがらりと変えない限りこの懸案に関して書くうえでの突破口がないと分った。以前に葛巻を書いたときには、大変な苦労をした。まったく初めてであったことが最大の理由。飲み込むのに時間がかかった。苦しくもあった。しかしあの時よりも歳はとったが、今のほうが平明に分る(前回よりは、という意味だけれども)

 有言実行派になりたいと願いつつ、有言不実行の看板をいまだ背負ったままでは、何か済まされないという気がする。

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 午後からはバッハのロ短調を聴く。聴きながら、このブログで音楽的知識の提供は厳しいとつくづく思う。聴いて、音楽をこう楽しみました、こう感じました、気づきましたという域を出ることはない。すこし寂しい気もする。
 けれども20日のクリスマス礼拝、祝会でのトーンチャイム、オカリナ、ギターを思い出し、音楽は知識や技術ばかりではないと思い直す。
 そろそろ鳴ることを忘れたバイオリンを取り出して、唯一のレパートリーであるキラキラ星でも弾いてみようか。

書いているうちに、24時をこえてしまった。カレンダーの昨日火曜日、といってもつい数十秒前なのだけれど、穴が開いてしまい残念。マーカーででも塗れるものなら塗りつぶしたい気分だ。 

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ことしのプレゼント ー赦しー

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クリスマス祝会では、楽しいプレゼント交換があります。牧師先生から渡されます。誰かが誰かのプレゼントを準備するのです。

私が名前を呼ばれ、出ていって渡された白い袋には、羊の皮の手袋が入っていました。誰が準備してくださったかはわかりません。しかし、これは、ほんとうに神さまからのプレゼントだと思いました。値段がいくらかなど関係ありません。嬉しかったのは、真冬用の厚い手袋がなかったので丁度良かった事もあります。しかしそれよりも、これが羊の皮製であったこと。羊を屠らなければ皮を得ることはできません。イエス・キリストは神の子羊です。私の罪のために十字架で屠られました。その流した血によって、私は罪を赦されています。そうです。この手袋は、私にとっては神の赦しの証拠品なのです。

   
         恐れるな
      わたしはあなたとともにいる。
           たじろぐな。
      わたしがあなたの神だから。
       わたしはあなたを強め
           あなたを助け
       わたしの義の右の手で
          あなたを守る。

           イザヤ41:10

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

きのうの午前は、説教のほかに聖書の暗記の発表、トーンチャイムの演奏がありました。そして祝会では、オカリナ、ギターの演奏やお話のほかに、子ども達が作ったクイズ、若い姉妹の発案によるゲームをしました。ひろ子牧師夫人と私ではありませんが、二人の姉妹方による手作りのデコレーションケーキを頂きました。

演奏のとき、ゲームのとき、みなさまの心から楽しそうな笑顔を拝見しながら、これが現実であるとは思われませんでした。天国というところは、きっとこんなところに違いないと思いました。いま自分がそこにあることは、自分には過ぎた神の憐れみと赦しによるとしか思われませんでした。

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恵(めぐみ)

 きょうの礼拝の國光牧師のお話はup

spadeマタイ1:23「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
spadeヨハネ1:9「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」
 
 から、永遠の神が有限である私たちの世界に別の次元から介入してくださったのがクリスマスであること。そしてオズワルド・チェンバースが言うように、キリストの降誕は「この世から生まれたのではなく、この世の外から入ってきたのであって、……歴史の中に生まれたのではなく、歴史の外から入ってこられたのである」と説明くださいました。
pencil

それでは、キリストは、何のためにわたしたちの世界に介入してくださったのか。
up

spadeマタイ1:21「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

 から、「その罪」とはいったいどんな罪であるのかが語られました。
罪とは……わたしは真っ先にモーセの十戒の示すところの罪、殺すなかれ、盗むなかれ、姦淫するなかれ等々、そして偶像をつくってはならない等々を思い起こしていました。それもそうなのでしょうが、きょうは、

 「罪」とは「的外れ」のことである。的外れな的を打っている状態が罪にある状態なのだという説明がありました。
 いまの私の的外れは何だろうかと思い巡らしました。的外れな的を打たないようにすること。的外れな的を打ち続ける一生もあるなと思う一方、徒労で終わりたくないなと。しかし、これは的を選ぶ自体が、選球眼がいま一つであることや、的を打とうとして外れてしまうことも幾たび。自分の力だけでは、なかなかに厳しい現実であるなと考えていると、

 「イエスはあなたを的外れな生き方から救うために来られたのです。あなたに介入してくださるのです」
keydoor 

そしてその介入を信じ受け入れるならば

 clubspade
 罪過の中に死んでいたこの私たちを
    キリストとともに生かし
   キリスト・イエスにおいて、
    ともによみがえらせ、
ともに天の所にすわらせてくださいました。

       エペソ2:5.6

                     spadeclub

   というラッキーなことに。

    ☆  ☆  ☆  ☆

午後からの祝会が、どれほどに祝された豊かな素敵な時間であったか、またあした書くことにします。

今日の素晴らしい一日に感謝しつつ

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クリスマス礼拝

      

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     マリヤは男の子を産みます。
    その名をイエスとつけなさい。
        この方こそ、
       ご自分の民を
   その罪から救ってくださる方です。
        マタイ1:21

    今日はクリスマス礼拝です。
        〒020ー0881
      盛岡市大館町12ー26
   インマヌエル盛岡キリスト教会
      電話019ー646ー2924

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雪晴れー高松の池ー

      

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     雪晴れ。高松の池の桜並木です。         

     白鳥が来ています。 

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12日は「天気図」の合評会。そしてきょう19日は、「北の文学」の合評会でした。
真摯に取り組んだ作品の批評に耳を傾け、そこからまた創作を継続するための某かを貰った気がします。文筆ができることの幸いに感謝しつつ。

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ナターシャ・グジー

 あと1時間足らずできょうは去る。けれどもまた新しいときが運ばれてくる。まだ手つかずの真新しいときのエッセンスが。

 ロシアがくれた水晶の歌声、ナターシャ・グジーの「メリー・クリスマス」CDから、Amazing Graceを聴くことに。残念ながら音源はありません。
 
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ナターシャよ
   
硝子がひそやかに奏でるかの歌声に
   白いゆびに鳴るバンドゥーラさえもが      
   弦のすべてを耳にして
   その響きにいこっているではないか

     
noteアメージング・グレース
      何と美しい響きであろうか
      私のような者までも救ってくださる
      道を踏み外しさまよっていた私を
      神は救い上げてくださり
      今まで見えなかった神の恵みを
      今は見出すことができる

 窓には結露。その向こうは暗い空、けれども何か透きとおり、そのまま見知らぬ広く明るい世界につながっているような空から、雪が舞いおりています。

           

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1727年製ストラディバリウス「レカミエ」

 フランス人の好むフランス美人として挙げられるマダム・レカミエ。この名が冠されたストラディバリウスは、はたして何年製なのか。ヴァイオリン履歴では数人の手にわたっていたようだが、ミッシャ・エルマンが比較的長く使ったらしい。

 大正10年にミッシャ・エルマンが帝国劇場に来日したことは、もう3回か4回書いたはず。いつのまにか、このヴァイオリンは、私の中で、ナポレオンの愛した女性のイメージとなり、両者はついに同一となっている。

〝フランス美女〟を追い続けるうちに、日本のどこかで買い取られたことがわかり、しかもそれが、日本人ヴァイオリンニスト山田晃子嬢に奏でられていると知ったときはすっかり仰天してしまった。大正10年に帝国劇場で鳴った妙音が、いま山田晃子嬢の行く先々で鳴っているとおもうと、時代を超え海を超えて感無量だった。

 レカミエの製作年代の1717年は至るところに落ちていたが、前回で1727年だなとほぼ確信していた。そしてそれは間違いなかったようだ。
 日本財団図書館に1727年製ストラディバリウス「マダム・レカミエ」と出ている。

 レカミエ夫人、恋を楽しむことはあっても、恋に落ちることはなかったようだ。そんなエピソードも冠すると、いよいよこのヴァイオリンの輝きが増すようにも思われる。

 因みに、美女という埒外にあり、ヴァイオリンの資質からも遠い筆者(と書けばまるで自分ではないような)が、いまだその音色にあやかることがないのは、これまた実に当を得た〝天の配慮〟? なのか。それでも不服はない。

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