刈屋村にも立ち寄った新渡戸稲造

 新渡戸は大正3年、東北研究のために、盛岡、二戸市、宮古市を含む沿岸各地を4か所と、途中6月23日に刈屋に来村。刈屋尋常小学校で「自治の精神」という題で講演。 内容は大正3年7月の21~23日の岩手日報に掲載されている内容とほぼ同じであったと思われる。

 この帰途、新渡戸は自動車事故に遭っている。果たしてどれぐらいの高さを転落したのか、気になり調べると、大正3年7月26日の岩手日報3面に、「二間余の高さより横ざまに転覆」とあった。この春、東京帝国大学の教授として迎えられたこの国際人のけがに、関係者がどれほど心を痛め、焦慮したかが推測される。詳しくはこの日の新聞に、またけがの程度、経過は続報に詳しく出ている。とにかく治って帰ることができて、本人も、随行、関係者の人々もどんなに安堵したことだろうか。

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10月も半ば

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  ここのところ散歩を怠けている。撮りためた写真ファイルから。
 地域活動日が多いこの10月ももう半ば。日曜午前も防災学習会だった。
 山々の紅葉は見頃らしい。
 800字原稿、読者投稿用メルアドに送信。金曜20日の掲載となるか。

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はじめにことばありき

 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会で、深川教会の川嶋直行先生をお迎えしての集会が開かれました。

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 聖書の中でも有名なルカ伝15:11~32の放蕩息子からのお話で、題は『神のもとに立ち返ろう』でした。

15:11またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。 15:12弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 15:13それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。 15:14何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。 15:15それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。 15:16彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。 15:17しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。 15:18立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 15:19もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 15:20こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。 15:21息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 15:22ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 15:23そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 15:24この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。 15:25ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、 15:26しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、 15:27しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 15:28すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。 15:29しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。 15:30それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』 15:31父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。 15:32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

 
「自分で神の国に帰ることはできないが、十字架をとおって救いにはいることができる」、この一点が心に留まりました。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

翌9日には聖会があり、神谷光一先生が、ルカ19:33,34からお話くださいました。

ルカ
19:33彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」と彼らに言った。 19:34弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。

 

率直で謙遜なメッセージに共感!

 来会者の方々が熱心に耳を傾けてくださったことも、感謝なことでした。

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主の祈り

 目をさますと4時。まだ雨が降っている。病にある方の何と多いことか。身内、友人、知人とお名前をあげると10人にも。こんなもようのよくない日には、気もちを引きあげること自体がたいへんかもしれない。自分の無力さを覚えるときには、やはり祈っている。こう祈りなさいと聖書の中でイエスさまが教えている。祈りは天の、宇宙の力を引き寄せ、それに与り、浴することであるのか。理屈はともかく、こう祈りなさいと書いてある。

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     主の祈り

          天にまします 我らの父よ
       
          願わくば 御名(みな)をあがめさせたまえ

       
          御国(みくに)を来たらせたまえ

       
          御心(みこころ)の天になるごとく 地にもなさせたまえ

       
          我らの日用の糧を 今日も与えたまえ

       
          我らに罪を犯す者を 我らが赦(ゆる)すごとく

       
          我らの罪をも 赦したまえ

       
          我らを試みに会わせず 悪より救いいだしたまえ

       
          国と力と栄とは 限りなく 汝のものなればなり

       
          アーメン

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ひと雨ごとに秋にわけ入って

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いちにちじゅう雨

 朝から小ぬか雨、外に出るのがためらわれ、いちにち家の中に。きのうは地域の14人の方々との研修。やはり降られた。

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 写真の夜明けは、いつだったろう。あすの日の出は5時42分。血圧など健康維持のため、日の出直前は慎重であるほうがいい。6時までは降水確率70。やはり降るのだろう。

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庭づくり

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 花のなまえはわからないけれども、いただいて植えたところが、年ごとに増え、丈も1mと、なかなかの存在感に。きのう、おとといにかけて、株を三つにわけてべつなところに植えかえる。おととい掘りおこした球根も、ヒヤシンスだけをのこしてぜんぶ植えかえた。サクラソウ、これも近所の方にいただいたもの、うすいピンクでやさしい風情をつくってくれる。これも、どこかに移動させようと根をぜんぶ掘りだしたのだけれども、植えるためには新たなスペースが必要であり、ちょっとやりすぎたかなと時間のかけすぎを反省。

 10月は地域のイベントも多く、そればかりではなく、やるべきことが山積み。庭はあまりに放っておきすぎた結果、ひどく雑然と繁っているさまを見かねての作業なのだ。ターシャが、庭づくりは草とりといっていた。ターシャの庭にはほど遠くとも、そのとおりで、草をほうっておくと、花は消えてしまう。草に強い花もあるはあるようだけれども。
 ターシャの暮らしには力んだところがなく自然に溶けこんでいるように見える。広大な庭の手入れを怠らず、自給自足、絵本を描き、子育て中には、夢のある世界を手作りで与えている。疲れるということがないかに見える。体力も並外れた方であったのだろう。懐かしい映像から、いまは、ターシャの強靭なしなやかさが思い出される。 

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きょうは特別企画の会

 先週は地域行事への動員がかかり、教会は欠席。

 けさは、病気とたたかっている教会の方々や、友人、知人の方々が心を過った。八木重吉の詩に、「聖霊がなければいくら聖書を読んでもわからない」とあるけれども、聖霊は信じたときに与えられる。ことばが力となるのはそれから。
 医学も病気退治のために健闘しているけれども、何とかお力にと、「おだいじに」、「祈っています」というけれども、時として、そのことに齟齬を覚える近ごろ、一個人の心のうちに、ほんとうに励まし、力となることばがあったならと思わせられる。

 きょうは特別企画の集会の日です。

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安定生産は年々厳しく?

  きのう掘り起こした球根が、軒下に並べられている。きょうは雨。午後の3時ごろにはあがるかと待っていたが、霧雨とはなったものの晴れなかった。

 きょうは午前中に、「リン」についてのはなしを聞く機会があった。リンは遺伝子の本体DNA、RNAをかたちづくる。光合成などのエネルギー伝達に関与する。リン酸は肥料の三要素の一つ。土壌中のFeやAlと結合して、植物が吸えない。リン鉱石の生産は特定の国に偏っている。日本はリン鉱石は100パーセント輸入。輸入先は主に中国、次いでヨルダン、南アフリカ。野菜畑にはリン酸がたまっている。過剰なリン酸では病気にかかりやすい。

 施用量を減らす方法がいくつかあるようだが、苗の段階でリン酸カリウム溶液に浸漬してから定植すると、初期生育が促進され、圃場へのリン酸施用量を50㌫以上削減できるようだ。大規模なところでは、先ず土壌分析をしておくと対策がしやすいという。

 リンは花や実のつきをよくするので、聞いてみたけれども、そのことよりも、リンが限られた資源であることや、土壌に過剰に残留していること、使用方法を一考し、リン酸使用の削減に努めるべきことなどが、きょうの講義の眼目であった。

 家庭菜園、花壇の場合は相互への影響は軽いかもしれないけれども、プロの農家は長らく農協の指導に従ってやってきても、そこからまた課題を生じ、それと取り組んでいかねばならなくなるようだ。年々変わってきている気候、災害、土壌の問題、放射能などで、作物の安定生産が厳しくなる中、研究者、農家はその対応、対策を迫られている。消費者はそんな現実をもっと知るべきなのだろう。

 それにしても、ここのところ施肥を忘れ、過剰どころか窒素、リン酸、カリ欠乏ぎみのわが家の花たちである。

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渡辺弥蔵という人

【渡辺弥蔵(18791978)の音楽略歴】
明治12年12月5日誕生。福島県白沢村(現・本宮市白岩)出身
明治-昭和時代の教育者。
明治37年東京音楽学校(現・東京芸術大学)甲種師範科卒
同年4月盛岡中学校に赴任
明治39年7月同行退職

ヘンリー・タッピングとは、盛中を辞める年、4か月間だけ、同じ教職員として顔を合わせる。
新藤武が渡辺弥蔵の影響で音楽教師を目指す
音楽家梅村保も授業を受ける
盛岡に
ピアノが入ったのは、
明治41年、宣教師タッピング夫妻がいた内丸教会附属の内丸幼稚園だった。タッピング夫妻は、ドイツの音楽学校でピアノを学んだ人。ピアノの正式なソロは、この婦人の演奏を嚆矢とする。このピアノは、当時、貴重なものだった。(盛岡市史)
渡辺弥蔵が授業で西洋のやさしい音楽を聴かせたというが、渡辺が盛岡市の藤沢座でヴァイオリンを演奏していることから、おそらくは、ヴァイオリンで弾いて聴かせたと思われる。

 

<盛岡の次は新潟にいたと思いましたが調べ中>

 

明治42年広島師範教諭となる
大正9年広島フィルハルモニー合唱団を結成。コンサート、ラ
ジオ放送に出演。合唱の普及に務める。
大正14年、進徳高等女学校
(現・進徳女子高等学校)着任
   教頭だったときに、原爆に遭う。65歳だった。

昭和5313日、広島市南区にて死去。98歳。

 

【作曲した校歌一覧】

 

広島県立広島商業高等学校
広島市立五日市小学校
広島市立船越小学校
廿日市市立廿日市小学校
広島県立広島中央特別支援学校
修道中学校・修道高等学校
山陽女学園 中等部 ・高等部
東広島市立竹仁小学校
進徳女子高等学校
広島市立石内小学校
呉市立横路小学校
東広島市立三津小学校

 

【著書】

 

最近楽典大要 1907
初等楽典釈義 1915
著書 楽器の解説 1917

 

【被爆体験の録音】

 

渡辺弥蔵の原爆体験記←クリックして聞いてください

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