きょうのことばー伝道礼拝『読んでいることが分かりますか』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025年7月6日(日)
説教題 『読んでいることが分かりますか』(←クリック)
聖書朗読 使徒の働き8章26~40節
26 さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。
27 そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためにエルサレムに上り、
28 帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。
30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることがわかりますか」と言った。
31 するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうしてわかるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。
32 彼が読んでいた聖書の個所には、こうあった。「ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている小羊のように、彼は口を開かない。
33 彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。
34 宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
35 ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。
36 道を進んで行くうちに、水にある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
38そして、馬車を止めるよう命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
39二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。
40それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイザリアに行った。
【神谷氏による説教の要約】
ピリポが迫害のために散らされた先のサマリヤの町に「大きな喜び」があったのは、その伝道を通して人々が病気の癒しや奇跡を経験したことをきっかけに、キリストを信じたからである。後にガザへと向かう荒野で出会ったエチオピアの宦官にも宦官が読んでいた聖書を通してキリストが伝えられ、喜びが届けられていった。
聖書の内容が科学や歴史と比較され、そこに矛盾や食い違いを指摘されるのは、その目的が科学や歴史を証明するためのものではなく、神が与えようとしている贈り物であるキリストを受け取るための、宝島の地図のようなものだからである。
私たちがその聖書を伝えるために必要なことは、キリストを信じた時に持つ喜びを心に持っていることだといえる。
―ブログ管理人のひとりごとー
隣の室でMLBの音がしている。いまのところ2点リード。何しろ岩手出身者大谷出場ということで、試合の成り行きをたしかめにイニングごとの頻度でのぞきに。ちょっと不謹慎かなあ、礼拝だったらとてもこんなことはできないけれども、等など思いつつ。故障者が次々に。「故障」ということばに、ほんとうは野球に疎いけれども、物でもあるまいにと何か違和感。こんなことをぬかしている筆者にむしろ違和感という方もあるかも。プロの世界は極限まで自分を酷使。感動もこんなところから。すごい世界だ。
信仰の世界も、ほんとうにそこに生きようとすれば、すごい世界。けれどもイエスさまは、人がそうつよくはないことを知っておられ、そんなあなたのためにわたしは十字架にかかったんだよと。ただ聖書には聖霊に逆らう罪はゆるされないとある。これは厳粛なことだ。
今しがたジャイアンツ満塁。Dodgers、一点取られる。人生にたとえれば、こんな危機はあまた。表に見える勝ち負けはともかく、とにかくこの道を行く。ねじ伏せられても、故障者リストから抜けられなくなろうとも、最期、目を閉じたときに、イエスさまがそこにおわせばそれでいい。
インマヌエル秋田キリスト教会 https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/
⏰7時7分更新
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