3・11

 今朝のクラシック倶楽部、釜石市出身のピアニスト小井土文哉さんがスクリャービンを弾いてくださった。番組視聴の最中に、「小井戸さんがTVに出ている」と教えてくださった方がある。「ついでに今朝の月もいいから見てください」と。半月が美しく磨かれた貝殻の光沢を帯びて、直に明けようとする空にくっきりとかかっている。なかなか。
 公開収録があると知って行きたかったのだがそれは家人にも言わないでおいた。番組に映っていた観客席の方々、これはもう釜石の方々ばかりではなく、遠くから近くから駆け付けた方々もいらっしゃるのだろう。
 釜石新生教会の柳谷雄介牧師、3・11以降、どれほどのご苦労を担って来られたことか。直接に面識はないが、お元気なお姿を拝見できたことは嬉しかった。小井土さんは子どもの頃、どうもこの辺りで遊んでいたものらしい。
 スクリャービン、小井土さんの釜石の3・11の想い出に親和性をもって鳴り響くのがこの曲なのかもしれない。最後の「星めぐりの歌」はスクリャービン風というか、スクリャービン調。小井土さんの編曲だった。
 演奏を聴きながら、15年前のあの凄まじい写真の数々、福島の原発事故を知った時、「日本はもう終わりだ!」と恐怖したことがまざまざとよみがえった。
 
 
 

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2026/03/01 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『わたしがあなたを洗わなければ』 ヨハネの福音書 13章1~15節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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1
さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分のものたちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。
2 夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。
3 イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを知っておられた。
4 イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
5 それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。
6 こうして、イエスがシモン・ペテロのところに来られると、ペテロはイエスに言った。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」
7 イエスは彼に答えられた。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後でわかるようになります。」
8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足を洗わないでください。」イエスは答えられた。「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります。」
9 シモン・ペテロは言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのですが、皆がきよいわけではありません。」
11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「皆がきよいわけではない」と言われたのである。
12 イエスは彼らの足を洗うと、上着を着て再び席に着き、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたのか、わかりますか。
13 あなたがたはわたしを「先生」とか「主」とか呼んでいます。そう言うのは正しいことです。そのとおりなのですから。
14 主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなけでばなりません。
15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。

 

神谷牧師による説教の要約
 十字架を前にした最後の晩餐の席で、キリストが自分たちの足を洗い始めたことが理解できない弟子たちに向かって「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」と語られたことは「この中で誰が一番偉いか」を言い争う弟子たちが、自分が何者であるかを知り、彼らへのキリストの愛を知ることが意味されていた。
 また、キリストがペテロに向かって「わたしがあなたを洗わなければ、あなたは私と関係ない」と言われたのは、どうしようもない自分が主に愛されたことを知っているかが、その関係のカギであることを示している。
 私たちが「互いに足を洗い合い~愛し合うため」に必要なのは、聖霊を通して、キリストによって自分が罪洗われ、愛されたことが分かることである。


<ブログ管理人のひとりごと>
 このメッセージを聞きながら、私はついわらってしまった。この説教を聞くまでもなく、教会の方々がみな自分よりは偉い方々だという納得した思いがある。私の中ではそれはもう至極あたりまえのこと、そんな意識である。やはりそれは、自分は罪人であり、今に至っても欠けがある。けれども、キリストが私に代わって十字架に架かってくださり、そこで流された血を信じることで、自分は赦されて今ここにあるという自覚が基となっている。イエスさまは「確かにお前は不完全であるが、私の十字架の贖いの力を信じているのでお前を赦す」、そう言っておられる、そう思うのだ。私を訴える人々、あげつらう人々は少なからずあるだろう、しかし神は断言してくださる「主文 被告人は無罪!」。悔い改めイエス・キリストを信じる者には「被告人は無罪!」こう言ってくださる。
 今週は現実的に奥歯3本の治療、そしてこれとはまた別に、免疫力が低下したかで、花粉症がけっこう重い。ちょっと対応が遅れてしまったからだ。花粉情報に「多い」と見た時点で即座に対応すればよいものを、あれこれしている間に遅れてしまった。
 そして今朝見た夢もちょっと滑稽だった。クルマでどこかの講演か何かに来ているのだが、それが終わって駐車場を捜したが、どこにもクルマがなかったという夢。自分はいったいどこにクルマを置いたのだろう。今来ているこの場所さえどこなのかわからない。さてどこからどうやって調べ探したらよいものやら、思いあぐねるうちに、私は夢の中で、むむ、これは夢じゃないのか、これが夢ならクルマはある。この家の駐車場に。心配ない。ここで目が覚めたのだった。そして私は思った。必ず身分証明書、そしてクルマの車種、ナンバーぐらいは書いた手帳を持ち歩いた方がいいかな。万一クルマが行方不明になっても、これなら警察に探してもらえるかも、などなど。な~んだ、これは認知症になったときの対策じゃないの。
 そんなこんなの一週間であった。失敗しようと、何が何だかわけがわからなくなっても「主文 被告人は無罪」に感謝しつつ、やがてさしかかるであろう孤独のトンネルをも主と共に潜り、生き抜いていけるならと思う。


 ほんとうは1日に秋田から神谷牧師夫妻がいらっしゃる予定だったのが、事情で8日に変更になった。それで明日が楽しみ! 明日はM兄の信仰の体験談や、礼拝後にはA兄姉が皆様のためにカレーを準備してくださる。
 今日の写真はS姉のフラワーアレンジメントです。

 

 

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⏰21時40分更新

 

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2026/02/22 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『わたしの家は祈りの家』 マタイの福音書 21章12~17節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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12
それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
14 また、宮の中で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。
15 ところが祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立て、
16 イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞いていますか。」イエスは言われた。「聞いています。『幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは誉れを打ち立てられました』とあるのを、あなたがたは読んだことがないのですか。
17 イエスは彼らを後に残し、都を出てベタニアに行き、そこに泊まられた。


 

神谷牧師による説教の要約
 キリストが神殿から商売をしている人たちを追い出したとき「わたしの家は祈りの家」と語ったのは、ユダヤ人からは汚れているとみなされていた異邦人の祈りの場が、不当に占拠されていることへの憤りが背景にあった。
 また商売人を追い出した後、キリストのもとにやって来た、目の見えない人や足の不自由な人、また子どもたちに共通しているのは、当時の社会から何ら顧みられることなく、大切にされていないことであった。
 私たちがキリストのように、謙って下に、下に向かう心を頂くとき、周りで私たちを必要とする、弱さを抱え、困っている人たちのもとに行き、親切にすることで、キリストの願う、神のみこころを行うことができる。

<ブログ管理人のひとりごと>
 17
時に15分前、明るい夕景がまるでこぞり立ち上がったかに活き活きと輝いている。閉め切ったへやの通気口から花粉が侵入しているらしく、鼻水が出る。私の自宅のこの辺りは杉が多い。今しがた光がトーンダウン。夕暮れの気配が幾分濃くなって、気分の反転を企てているようでもある。
 ほんとうは先週のことは先週に書かなければ、記憶のモザイクのいくつかが欠け落ちるか剥げ落ちるかしてしまっている。惜しいことだ。余生幾許かを数える身にはどれかが欠け落ちてしまうのは悔しい。
 三日間は孫たちと過ごす時間があったことは至福だった。自分もまだ何かの役に立つことができるという満足感。教会の牧師夫人は、自分が今後どの程度の事ができるかの不安を述べたときに、「何が出来なくてもいてくれるだけでいい」と仰ってくださったのは有難かった。しかしできないよりは何かができる方がやはり自分自身の張り合いが違うというものだ。そして今日も一通りの家事、買い物、またこのように書きとめることができている。余力があれば、もうちょっと書き物というほどのものかどうか、少しは書いて、何かを書けたという満足が欲しいところだ。
 そして書きとめておきたいのはさまざまあるが、ここは、教会のこと。これは兼牧の牧者に支えられているともいえるのだが、信徒の方々が、だからできない、ではなく、しかし何かができるはず、という視点に立っておられるということ。誰かがこうした方がいいと提案すると、もう誰かがそれを製作してくるという具合。この日、教会の礼拝を知らせるポスターか何かを掲示した方が良いという意見に応じ、早速お若い方のS兄が写真のような立て看板を作って持ってきてくださった。ポスティングのチラシは遠慮していただきたいねとの意見には、M兄がすでにテプラを作ってくださった。
 何とか讃美歌のピアノ伴奏をしたいとM姉が、朝教会に行くと、練習をしておられた。もっとも学校時代にある時期ピアノを習っておられたようでもある。ほんとうはこの方、ギターが得意、近頃はサキソフォンもなさっている。教会で音楽練習をと。平日にも教会に讃美歌が流れていたならどんなにすばらしいだろう。
 レジェンドというにはまだまだお若いS姉、冬のお花を私に代わって続けてくださっている。そして今朝も朝いちばんに会堂を温め、水道を開栓し皆を迎えてくれたT兄姉。帰りは火の始末、施錠までを引き受けて下さっている。そして休日出勤でもいつも教会を忘れず、注意を払ってくださっているY姉。夫妻で目立たない奉仕を陰でやってくださるK兄姉。いつもリモートで集会に参加くださっている方々。健康上の理由ですこしの間お休み、しかし教会の管理のことではこれまで十分にご奉仕くださったお若いI姉。昔はオルガンの塗装をしてくださったり多くの貢献をくださったそれこそレジェンドT兄。来週にはご活躍くださる予定のA兄姉。「そして何ができなくてもいるだけ」となりつつある私の良きアドバイザーK姉、A姉。そして何かに心配して教会に駆け付けてくださるT姉。挙げればきりもない感謝、感謝のオンパレード。教会は生きている。
 朝起きる事ができた感謝、こうして一日を締めくくることができる感謝と、ほんとうに神さまありがとうございます。
そろそろ夕食の支度をしなければならない。こうして予め書いておけば、遅くとも21時前にはブログ更新できるだろう。


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 写真はS姉のお花、そしてお若い方のS兄製作の立て看板。

 

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⏰19時45分更新

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2026/02/15 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

『王があなたのところに』 マタイの福音書 21章1~11節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1
さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
2「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」
4 このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。
5 「娘シオンに言え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』
6 そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
7 ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。
8 すると非常に多くの群集が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。
9 群集は、イエスの前を行く者たちも、後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」
10 こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。
11 群集は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。

 

神谷牧師による説教の要約
 キリストがエルサレムの町にやってくるのを見て人々が「ホサナ」(お救いください)と叫んだのは、死人をよみがえらせる力を、持った方が、当時自分たちを支配していたローマから解放することを期待したからである。しかし、そのキリストが子ろばに乗って進むことは柔和と謙りを表しており、それは十字架での最期へと向かう行進であった。
 十字架のキリストが、ののしられてもののしり返さず、苦しめられても脅すことをせず、死後三日目に復活されたことは、究極の絶望である死を打ち破り、それまでに受けたすべての悪に対する静かな勝利を示す。
 このお方を受け入れ、心の王座に迎えるとき、私たちの歩みもまた、それに倣うものとなる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は、説教の前に、インマヌエル秋田教会のI姉の信仰の体験談をお聞きできました。
I姉は東京出身。インマヌエル深川教会に所属するクリスチャンホームの三女として育たれた方。小学校1年のとき、姉妹から「(あなたは)救われてないから天国へは行けない」と言われ、教会に行き、Y先生に個人伝道により救いに導かれる。その後、人生の分岐点に差し掛かるたびに助言者が与えられ、聖書のおことばに立ち返りながら、信仰の道を真実に歩み続けておられます。
 クリスチャンの若者たちの集いが必要であることを重荷とされ、その後にユースステーションが立ち上げられています。
 米農家の嫁として信仰によって幾多を乗り越えられ良き証しをたてておられます。どうぞお聞きください。

 礼拝が始まる前も、礼拝を終えてからも、それぞれの方々が準備、そしてあと片付けを淡々とこなしていてくださる。A姉が御手洗いの掃除をなさっていたが、これなら自分もできるなと思い拝見。眼に見える奉仕、見えない奉仕と常に陰に回ってもこなしていてくださる方々。まだ受洗していない方もが会員以上に動いてくださる。感謝は尽きない。


「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても脅すことをせず」このようなキリストのお姿に倣うことができるかどうか、これが深刻な人権がらみのことである場合にも忍従と寡黙であるべきなのか、神さまの前に、 これもまた一生の課題であるように思う。
 

 

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⏰21時14分更新

 

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2026/02/08 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

『天の神ご自身が私たちを成功させ』 ネヘミヤ記 2章17~20節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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17
私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見ての通りだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」
18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この長い仕事に着手した。
19 ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」
20 私は彼らのことばを返して言った。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたにはエルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」

 

神谷牧師による説教の要約
 ネヘミヤが皆に城壁の再建を告げ、その働きを始めようとする際に「主に反逆するのか」と反対された時「天の神ご自身が~成功させてくださる」と答えたのは、この件が、王権をも動かす神から出たものだと信じていたからである。
城壁の再建後も、ネヘミヤが神殿礼拝や奉仕する祭司、レビ人、民が律法を守ることにまで力を尽くしたのは、かつてイスラエルが持っていた、神との親しい関係を回復し、且つそれを失うまいとする願いからであった。
 そうした諸々の課程の中でネヘミヤの祈りが「天の神」から「私たちの神」「私の神」へと変わっていったのは、問題の渦中で共にあり、そこに働く神を信じたからである。
 神を計算に入れて取り組む現実の課題は、いよいよ私たちを神に近づかせる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 教団発行の2月の「イムマヌエル教報」に、50年もの間この盛岡教会を牧会してくださった國光勝美先生の「老いに生きる自分を」が掲載されている。國光ご夫妻は引退して今広島の呉におられる。今は広島教会の講壇でご奉仕を分け持っておられる。
50年といえば、一生を盛岡教会に捧げてくださったともいえる。50年前、盛岡教会の信徒はたった3人だった。たったという言葉は不適切だろう。信じたものには神の靈が与えられている。そのことを思えば〝たった〟などというべきではない。それをわかっておられたのは國光先生方で、よくわかっておらず、自覚に乏しかったのは私であった。理屈では分かっていても、決して神さまに捧げ切ってはいなかったのだ。この3人のために先生方が心を合わせてどんなに祈ってくださっていたことか。2000年前の十字架の贖罪が現実に自らのためとまことに知るまで、私はとにかく祈られた信徒であったのだ。感謝の思いを新たにする。
 その後信徒の數は増えてゆき、会堂が手狭となり、近くの家屋を借りて移転、そこも手狭となり、いよいよ会堂が新たに建てられたのだった。この時にも不思議な逸話が残っている。50年目に近づいた時、國光ひろ子先生の病気に伴うやむを得ない事情から引退を決意され呉へ。呉に着くまで命がもつかどうかという際どい状況下であった。「次にお会いするのは天国で」がひろ子牧師の思いであられたようだ。私自身、見送りで新幹線のデッキに立たれたひろ子牧師に手を振りながら、お葬儀にはいけるだろうかと、これが今生の別れになると覚悟していたのだ。それが盛岡を離れ呉に移られてからひろ子牧師の癌が消えるという実に不思議な成り行きがあった。
 國光牧師夫妻が去って後、無牧となったわけではなく、秋田から神谷牧師夫妻が月一回いらしてくださり、他の週には説教の配信がある。ただ礼拝の準備など信徒たちが担うことも出てきた。そうなってから、何か緊張感があり、自分に何ができるだろうかと考えるようになった。そしてそのことが信仰者としての自立、自らの建て上げにつながったように思う。そしてたとえ無牧になったとしても、神はおわします、この確信を持つに至った。
 我が家の近くにカトリック教会がある。たまに会堂を、これは興味本位ではなく、扉のところからイエスさまの十字架が見えるので、開堂の時間帯にちょっと覗いて祈ることがある。先日は閉まる4時ぎりぎりであったけれど、ちょっと覗いたら、私よりも先輩とお見受けする女性が出てらした。「またどうぞ」と言ってくださった。勿論私には転会しようとかそのような思いはないのだけれども、この方はほんとうに神さまを知っていると直感。またいつか行って、たとえ教会があろうとなかろうと、そこに牧者がいようといまいと、神はおられる。この驚き。このことについてあの方と話してみたいと思っている。
 明日は日曜日。説教題は毎週土曜日には全会員にラインで届く。この土の器に持ち帰ってきたい。
教会に着く頃にはまた恐らくT兄姉が早くにいらして、会堂を温めてくれているだろう。先だっては凍ったトイレの水道管を解凍してくださっていた。こうして書きながらも愛兄姉のお一人おひとりに感謝の思いが湧いてくる。神さまへの感謝が満ちる。

 

 

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⏰20時55分更新

 

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2026/02/01 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

『聞いたとき~泣き~悲しみ~祈った』 ネヘミヤ記 1章1節~2章8節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1
ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がスサの城にいたときであった。
2 私の兄弟の一人ハナニが、ユダから来た数人の者と一緒にやって来た。私は、捕囚されずに残された逃れの者であるユダヤ人たちについて、またエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。
3 彼らは私に答えた。「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです。」
4 このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。
5 「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。
6 どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
7 私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。
8どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。
9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る』
10 これらの者たちこそ、あなたがその偉大な力と力強い御手をもって贖い出された、あなたのしもべ、あなたの民です。
11 ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった。


1 アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に、王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった。
2 すると、王は私に言った。「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私は非常に恐れて、
3 王に言った。「王よ。永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」
4 王は私に言った。「では、何を望んでいるのか。」私は天の神に祈ってから、
5 王に答えた。「もし王が良しとされ、このしもベにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。」
6 王は私に言った。王妃もそばに座っていた。「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」王はこれを良しとして、私を遣わしてくださることになり、私は予定を伝えた。
7また私は王にこう言った。「もしも王様がよろしければ、ユダに着くまで私が通行できるように、ユーフラテス川西方の総督たちへの手紙をいただけるでしょうか。
8 そして、宮の城門の梁を置くため、また、あの都の城壁と私が入る家のために木材をもらえるように、王家の園の管理人アサフへの手紙もお願いします。」わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。


 

神谷牧師による説教の要約
 ネヘミヤが城壁の崩されたエルサレムの都のことを聞いて泣き、悲しみ、そして祈る中で、自分たちに与えられている、神の約束による罪のさばきと回復へと思いが至り、心には城壁再建への具体的な思いが与えられた。
そうしたネヘミヤの祈りは、単なる心の思いに留まることなく、献酌官として王の前にその願いを申し述べる機会が与えられたことで、形を取って進み始める。
 私たちの心の悲しみや痛みを神に祈ることは、その状況を神が見ておられるように見、心を通わせることにつながり、それは具体的な行動となり、見える形となって実現してゆく。
 時に心を揺り動かす思いを、祈りの中で申し述べてゆきたい。


<ブログ管理人のひとりごと>
教会でお花の係がある。S姉が「冬の間は私がやるから」と私の分を担ってくださった。感謝して安心して代わっていただいている。25日の朝の雪かきのときも二、三人の方が言ってくださった「無理しなくていいからもう休んでて」。そしてきょうひさしぶりに川柳が一句できた「労わられいたわられて知るおのが齢」。みなさまの温かさに、じ~ん、だけどちょっと待って、わたしそこまで弱っちゃってる?とはいうものの齢を認めざるを得ない自分を発見。
スマホから何とか画像を取り込もうとしたが設定がうまくいかない。そんな操作も昔は速やかだった主人もしばし戸惑い「M兄に電話しよう」。パソコントラブルのお助けマンだ。この道路状況だし悪いかな~といいつつ連絡。「いいですよ」。ボランティアで来てくださった。感謝、感謝。こうして日々の感謝が尽きない。
 こんな時にわたしがやるべきことは、ここは大丈夫?こっちの部屋は散らかってない?奥の隅っこに埃はないかしらん。心の中にある幾つもの部屋の扉をあけては、チェック、チェック。ちゃんと十字架のイエスさまに心が向いてるかしらん。向かせないようにする何かが散らかっていないかをチェック、チェック。崩れかけた、壊れかけた城壁がないかをチェック。
 今晩は昼間に孫と遊び楽しく過ごしたけれど、夕方4時から昼寝?でぐっすり。気づけばいつもの夕食時も過ぎて7時に目覚め、電気炊飯器では時間がかかると急遽圧力釜で炊飯。何とか7時半には夕餉に着く。まずまずのスピード感。そしてこのページに取り掛かり、ふとPC右下を見るとすでに22時13分。昼寝はしてもやっぱり眠い。
 雪道は歩きにくい。疲れる。けれどもこの雪の白さ、美しさは!

 そうそう、2月1日には、月一回盛岡に来てくださる神谷牧師夫妻がいらっしゃった。朝早く秋田からクルマでいらしたのだ。この日いらっしゃった新しい来会者の方が、美津子先生と来会者の友人の3人で談笑している姿に心が揺れ涙がにじんだ。わけはわからないけれども、心が動かされたのだ。
 この日はA兄姉が皆様のためにカレーを作ってくださった。ホアグラ、キャビア、トリュフがあるわけではない。しかしこの美味しさ楽しさはなんだろう。何々がなければ、何々がなければ、と思わずともキリストここにあれば、何がなくても、カレーも、M姉、K姉が添えてくださった野菜料理は極上のグルメとなるのです。

 

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⏰22時32分更新

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2026/01/25 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『その夜、王は眠れなかったので』 エステル記 6章1~11節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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1
その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。
2 その中に、入口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけた。
3 そこで王は尋ねた。「このことで、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイに与えたか。」王に仕える侍従たちは答えた。「彼には何もしていません。」
4 王は言った。「庭にだれがいるのか。」ちょうどハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。
5 王に仕える侍従たちは王に言った。「庭のあそこにハマンがいます。」王は言った。「ここに通せ。」
6 ハマンが入って来ると、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう。」
7 そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、
8 王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。
9 その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」
10 すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」
11 ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて都の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。


神谷牧師による説教の要約
 大臣であるハマンが翌朝、自分にひれ伏すことを拒むモルデカイの処刑を実行しようとしていた夜、王が眠れずに読んだ年代記に、かつてモルデカイが王の暗殺を阻止した事を見つけたのは、見えないところで私たちを見通す神の働きがあったからである。
 私たちの思いを、災いをもたらすサタンや悪霊と戦うことではなく、むしろ神の支配に目を留めて信頼する必要があるのは、神がこれからどうなるかをすべて知っておられるからである。
 そのように、今置かれた状況を、神から与えられたものとして受け取る時、その態度は、見えないところで働かれる神を証しすることになる。
 このお方に信頼して歩みたい。


<ブログ管理人のひとりごと>
 今朝、雪道の運転にも若干慣れ、積雪はありましたが勇んで礼拝に出かけました。教会で、いつも説教のズーム配信の接続をして下さっている3人の兄姉が仕事などの止む終えない事情で教会に来ることができないと連絡がありました。
 さて教会に着きますとS姉が雪かきをしているのが見えました。私はびっくり。S姉が雪かきする姿を初めて見たからです。有難いことです。ところが、雪は1週間の間に深々と積もっており、私は状況をよく確認しないまま、これは視力の問題もあるのですが、バックで乗り入れようとしましたところ、クルマが玄関前の雪に嵌ってしまったのです。現れたA夫妻が私に代わって脱出を試みてくださいました。タイヤは空回り。しかし私にはあと5分でクルマは脱出するという安心がありました。そのとき、この冬は自宅でズーム参加しますと仰っていたT姉が、駆け付けてきました。「もう、この雪が、教会が心配で」。有難いことでした。私は運転席でギアをドライブに。A兄がクルマの後ろを押してくださって、クルマは無事に踏み固められた道へと移動。翌日になってA兄が腰痛であったことを思い出しA姉にどうですか?と聞くと「大丈夫だそう」というお返事ではありましたが。全く、このような時に雪に嵌るというとんだ失敗をしでかすところは全くもって私らしい、いやはやトシをとった、いや、もともとこうだったな、などと事故歴(物損のみ)を思い返したことでしたが。あとは皆さんで除雪、除雪、除雪。私はぐしゅーと萎んで、とにかく雪かきのポーズをとっておりましたが、それも長くは続きませんでした。そこに我が教会のオーソリティー最高齢のT兄が見事なハンドルさばきで駐車場に難なく乗り入れて来られ、私は細い目を丸くした次第です。そして変わらずにKご夫妻が来てくださったことの感謝。そればかりではなく久方ぶりにM夫妻が来てくださったことも大感謝でした。この間、何と、K姉は教会に着くや否やすぐさまズーム接続を試みて下さっていたのでした。これまで一度もやったことはないところ、マニュアルを開き、いつも接続をやって下さっていたS兄にラインで連絡を取りながら、礼拝開始時には接続を完了してくださったのでした。ハレルヤ!
 しかしこの日大変だったのは、むしろこのような日にも出勤だったY姉でしたでしょう。Y姉もどんなに教会を気に掛けて下さっていたことでしょうか。しかしY姉は仕事でも職場で頼りとされ、クリスチャンとしてのよい証しを立てておられます。日々聖書を読みデボーションに勤しんでおられることは、すこし忙しいと聖書購読をお休みしてしまう私とはかなり違っているわけです。このような方こそ無言で教会を支えてくださっている力であると思っています。若い時分、私の叔父が言ったことがあります「神さま神さまっていうけどもさ、そういう人に限って会社の仕事はさっぱりだよ」。実は当時は私もこのような分類に入る一人だったのです。しかしその後、歯に衣を着せぬ恐ろしく厳しい上司に恵まれたおかげで、東京に本社がある小さな会社の支店ではありましたが、盛岡の事務はいちばんミスが少ないと言われるようになりました。それはともかく、兄弟姉妹として温かい言葉の掛け合いのみにあれば、往々にして「そういう人に限って会社の仕事はさっぱり」という厳しい上司の目にさらされることになるのでしょう。Y姉の場合、仕事、仕事で確かに教会出席が阻まれているけれども、会社にあって、社会にあって、きちんと仕事を成し遂げられ、職場で頼りにされ信頼されています。これはクリスチャンとしての大切な証しであると思われます。いざという時に、出向いて来て教会の力となって下さる方々は眼には見えやすい、しかし、今この眼には見えていなくとも、厳しい社会的な仕事をしっかりと担いながら、果たしながら、祈りで、奉仕で教会を支えてくださっている愛兄姉方がいらっしゃる。自分に力が無くなれば無くなるほど、ほんとうにみなさまへの感謝は尽きません。
 この25日の大雪は、私がクルマを嵌めてしまうという失敗、除雪という大変さはありましたが、やはり生涯に残る主の大いなる恵みの日、ある意味恵みの一大イベントでありました。

 

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2026/01/18 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『もしかすると、このような時のため』 エステル記 4章7~17節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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7
モルデカイは自分の身に起こったことをすべて彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために王の宝物子庫に納めると約束した、正確な金額も告げた。
8また、ユダヤ人を根絶やしにするためにスサで発布された法令の文書の写しを彼に渡した。それは、エステルに見せて事情を知らせ、そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。
9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに告げた。
10 エステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えた。
11 「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」
12 彼がエステルのことばをモルデカイに告げると、
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。
14 もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
17 モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。

【神谷牧師による説教の要約】
 エステル書の中で神や祈りについて書かれていないのは、目に見える現実の中に働かれる神を示すためである。
王妃となったエステルが、危機の中にあるユダヤ人が滅ぼされないよう、王に願って欲しいと頼まれた時、王の所に勝手に行けば死刑になるからと言ったのは、彼女が王宮の暮らしの中で、宮外にいる市井の人たちの気持ちがわからなくなっていたからである。エステルが「あなたがこの王国に来たのは~このような時のため」と言われて、王のもとに行く気になったのは、これまで自分の身に起きたことのすべてが神の導きであったことを理解したからである。
 神は私たちそれぞれに賜物と機会を与え、目的と計画を持っていることをも心に留めるとき、置かれた状況に相応しい行動を、平静に行うことができる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 この日はすっぽりと雪に覆われた。果たして教会はどうなってるかしらん。教会一帯は住宅地であり、例年、除雪車が入るのがちょっと遅い。クルマが空回りしないか、入れるかどうか危ぶみながら進むと、何と、教会のT夫妻が1時間以上も早く教会に来て、ご主人は駐車場を車が入れるように整備し、奥様は雪の降る中、玄関前の除雪をなさっていたのだ。口先ほど体力のない私は、ひたすら申し訳ないと。そしてこうした方々、誰に言われなくとも進んで非常事態となると淡々と動いてくださる方の存在のゆえに神さまに感謝したのでした。ならされた一角にしずしずとクルマを乗り入れ「おはようございます」。ご一緒した姉妹方もすぐに礼拝準備のために心をくだいてくださった。花を活けて持ってきてくださった姉妹。みなさまが積極的に礼拝をまもろうという姿勢に心打たれた。書くなら人の行いよりもイエスさまを書くべき、これも順当ではあるが、どうもすこしへそが曲がっているクリスチャン私は、やはりこんなことは書きたくなる。あなたやってごらんともし言われたら今の自分にはできそうもない。他の方々も、状況に応じて動いてくださる。オーケストラで言うなら指揮者がいなくとも、こんな局面ではこのように、こんな事態にはこうだと、能動的に奏するかのごとく。不思議だなと思う。やはり指揮者はいるのだ。それは神さま。申し合わせたわけでもないのにかち合うことなくそれぞれの歯車が動いている。時に適って動けるように油を注しておこうか。聖霊という油を仰ぎ求めておきたい。



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2026/01/11 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『おまえがいつも仕えている神は』 ダニエル書 6章1~28節
(説教題をクリックしてお聞きください。)
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1
ダレイオスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。
2 彼はまた、彼らの上にダニエルを含む三人の大臣を置いた。これは、太守たちがこの三人に報告を行い、王が損害を被らないようにするためであった。
3 さて、このダニエルは、他の大臣や太守よりも、際立って秀でていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからであった。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。
4 大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようとしたが、何の口実も欠点も見つけられなかった。彼は忠実で、何の怠慢も欠点も見つからなかったのである。
5 そこでこの人たちは言った。「われわれはこのダニエルを訴えるための、いかなる口実も見つけられない。彼の神の律法のことで見つけるしかない。」
6 それでこの大臣と太守たちは、王のもとに押しかけて来て、こう言った。「ダレイオス王よ、永遠に生きられますように。
7 王よ。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、断固たる禁令を出していただくことに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる、と。
8 王よ、今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディアとペルシアの律法としてください。」
9 そこで、ダレイオス王はその禁令の文書に署名した。
10 ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
11 すると、この者たちが押しかけてきて、ダニエルが神に祈り求め、哀願しているのを見つけた。
12 そこで、彼らは王の前に進み出て、王の禁令について言った。「王よ。王は今から三十日間、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれるという禁令に、署名されたのではありませんか。」王は答えた。「取り消しのできないメディアとペルシアの法律がそうであるように、そのことは確かである。」
13 そこで、彼らは王に告げた。「王よ。ユダからの捕虜の一人ダニエルは、あなたと、御署名になった禁令とを無視して、日に三度、自分勝手な祈願をしております。」
14 このことを聞いて王は非常に憂い、ダニエルを救おうと気遣った。そして彼を助け出そうと、日没まで手を尽くした。
15 そのとき、あの者たちが王のもとに押しかけて来て、王に言った。「王よ。王が制定したどんな禁令や法令も、決して変更されることはないということが、メディアやペルシアの法律であることをご承知ください。」
16 それで王は命令を出し、ダニエルは連れて来られて、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、おまえをお救いになるように。」
17 一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴族たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。
18 こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食した。側女も召し寄せず、眠ることもしなかった。
19 王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
20 その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」
21 するとダニエルは王に語った。「王よ、永遠に生きられますように。
22 私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは、神の前に私が潔白であることが認められたからです。王よ、あなたに対しても、私は何も悪いことはしていません。」
23 王は大いに喜び、ダニエルをその穴から引き上げるように命じた。ダニエルは穴から引き上げられたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。
24 王が命じたので、ダニエルを中傷した者たちが連れて来られて、その妻子とともに獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に達しないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。
25 それから、ダレイオス王は、全土に住むすべての民族、国民、言語の者たちに次のように書き送った。「あなたがたに平安が豊かにあるように。
26 私はここに命じる。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震えおののけ。この方こそ生ける神、永遠におられる方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。
27 この方は人を救い、助け出し、天においても、地においても、しるしと奇跡を行われる。実に、獅子の手からダニエルを救い出された。」
28 このダニエルは、ダレイオスの治世とペルシア人キュロスの治世に栄えた。

 

神谷牧師による説教の要約
 一国の責任者に任じられようとしていたダニエルを失脚させるため、画策する者たちが用意した、王以外のどんなものにも祈った者は獅子の穴に投げ込まれるという法律に、ダレイオス王が同意したとき、王は神を信じ祈ることよりも、目に見える知恵や力の方が大事だと思っていたと考えられる。
 一方、ダニエルがその法律を知った時、家でいつものように祈ったのは、人が作った法律よりも神との関係の方が大切だったからである。
しかし、獅子の穴に落とされたダニエルが救われたことにより、王はダニエルの神を理解し、この神の主権のもとに自らの王としての立場があることを認めることができた。
 信仰者の普段の営みや、その身に起きる不意なできごとは、この世界を支配される神を証しする機会であることを覚えたい。


<ブログ管理人のひとりごと>
 雪・雪・雪。午後にクルマの雪おろしを。これは主人がやると言ったのだけれども私が代わった。主人は昨日行った検査の後、重い物は持たないように注意されている。老々介護というほどでもないが、お互い無理はできない。補い合って日々、大ごとを回避しながら暮らしをこなしている。
 ブログ更新でこの欄に何を書こうかと思いつつ考えがまとまらずにいたところ、2件のラインが入った。一件は息子から。一件はクリスチャンフレンドから。どちらもいわば〝しあわせだより〟。神さまはこの一日を締めくくるにあたって、この二つで私をしあわせにし、すっきりとした気分にしてくださった。
 ダニエルのような祈りを為させていただきたい。
  


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2026/01/04 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

『しもべたちを~試して』 ダニエル書 1章1~21節

(説教題をクリックしてお聞きください)
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             礼拝が始まる前のようす。機器のチェック、調整

1ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムに来て、これを包囲した。

2 主はユダの王エホヤキムと、神の宮の器の一部を彼の手に渡された。彼は、それをシンアルの地にある自分の神の神殿に持ち帰り、その器を自分の神の宝物倉に納めた。

3 王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエルの人々の中から、王族や貴族を数人選んで連れて来させた。

4 それは、その身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富み、王の宮廷に仕えるにふさわしく、また、カルデア人に文学とことばを教えるにふさわしい少年たちであった。

5 王は、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当てた。三年間、彼らを養育して、その後で王に仕えさせることにした。

6 彼らのうちには、ユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。

7 宦官の長は彼らに別の名前をつけた。すなわち、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナンヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。

8 ダニエルは、王が食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願うことにした。

9 神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。

10 宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物を定めた王を恐れている。あなたがたの顔色が同年輩の少年たちよりもすぐれないのを、王がご覧になるのはよいことだろうか。あなたがたのせいで、私は王に首をさしださなければならなくなる。」

11 そこでダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

12 「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。

13 そのようにして、私たちの顔色と、王が食べているごちそうを食べている少年たちの顔色を見比べて、あなたの見るところにしたがってこのしもべたちを扱ってください。」

14 世話役は彼らのこの申し出を聞き入れ、十日間、彼らをためした。

15 十日が終わると、彼らは、王が食べるごちそうを食べているどの少年よりも顔色が良く、からだつきも良かった。

16 そこで世話役は、彼らが食べるはずだったごちそうと飲むはずだったぶどう酒を取り下げ、彼らに野菜を与えることにした。

17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を理解する力と、知恵を授けられた。ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができた。

18 少年たちを召し入れるために王が命じておいた日数が終わったので、宦官の長は彼らをネブカドネツァルの前に連れて行った。

19 王が彼らと話してみると、すべての者の中でだれもダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はいなかった。そこで四人は王に仕えることになった。

20 王は、知恵と悟りに関わる事柄を彼らに尋ねたが、彼らがそのすべてにおいて、国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていることが明らかになった。

21 ダニエルはキュロス王の元年までそこにいた。

 

神谷牧師による説教の要約
 王に仕えるために呼ばれたダニエルたちが、王が食べるごちそうや王が飲む葡萄酒を与えられていることは、彼らが異教の王と同じようになることが意図されていた。
 ダニエルの世話を命じられた宦官の長が恐れていたものは、自分を見て、その命をにぎっている王であった。
 ダニエルたちが王の食べるごちそうをやめて野菜と水を求めたことは、自分たちの命を握っている本当の主人は、王ではなく神であることを確認し、選択したことを意味している。それは異教の地にあっての少数派として、犠牲を伴う狭い道を辿ることを意味し、それゆえ、彼らの歩みを通して神の栄光が現わされたのである

<ブログ管理人のひとりごと>
「少数派として、犠牲を伴う狭い道を辿る」、傍から見れば、難儀なことよ!と見えるかもしれない。私もかつてはそう見えていたときがあった。しかし今自分がこの道に立ってみると、朝明けの雲が不気味に垂れこめていても、内側にはどうも明かりがついているらしく、外にある暗雲も重たくはない。喧しく荒れる波も、自分の足元を浸してはいるが、冷たく鋭く斬りかかってくることがない。:防護壁が目に見えているわけでもないのに、何者かにガードされているようなのだ。心が何者かに浸透し安心と和らぎが来る。これこそ神の惠、恩寵であると。

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