東北聖会 合同礼拝 説教 インマヌエル別府キリスト教会 小川宣嗣牧師
説教題『愛によって引き受ける人へ』聖書箇所 使徒の働き9章26~31
(説教題をクリックしてお聞きください)
26エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。
27しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。
28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。
29 また、ギリシア語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていたが、彼らはサウロを殺そうと狙っていた。
30 それを知った兄弟たちは、彼をカイサリアに連れて下り、タルソへ送り出した。
31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、かしこみ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。
【説教の要約・神谷光一牧師】
エルサレム教会の人々は、かつての迫害者サウロを恐れていた。しかし、バルナバは彼を恐れずに引き受けた。ここに「全き愛」にとどまったクリスチャンの姿がある。「全き愛は恐れを締め出す」のである。
バルナバは神様の視点でサウロを見た。私たちの視点で見れば、サウロは迫害者であった。しかしバルナバは「主が彼に語られたこと」に目をとめた。主がサウロを引き受けており、バルナバは愛によってその主に従った。バルナバはサウロに自由と大胆さを与えた。聖霊と信仰に満たされたクリスチャンは、孤立することなく、兄弟姉妹と共に仕える自由さと大胆さをいただいている。「主の御霊がおられるところには自由があります」。私たちも御霊と信仰、そして愛に満たされることを祈り求めよう。
<ブログ管理人のひとりごと>
10~12日、宮城県栗原市で、東北ブロックの牧師先生方、参加可能な信徒の方々が一堂に会し、メッセンジャーに別府教会牧師小川宣嗣先生ををお招きして、大きな聖会が開かれました。私は、聖会会場に行きかねる盛岡教会の方々とともに、ズーム配信で礼拝説教に与りました。
クリスチャン迫害の急先鋒であったサウロがイエス様との出会いによって、模範的なキリスト教徒になるも、その迫害の凄まじさを見聞きしているクリスチャンたちは容易にはサウロを受け入れられない中で、「バルナバは神様の視点でサウロを見た」。バルナバはサウロの回心前の恐ろしさを知り、彼への人々の恐れ、讒言を聞くも、神が回心後のサウロを福音のために用いたく願っていると知り、サウロの受け入れに全力を尽くす。ふつうなら受け入れながらも疑念を払拭しきることはできず、あまり近づかないようにするか、体よく繕ってできるだけ関係を持たないようにするだろう。しかしこのような壁、隔たりを溶かし去るのがキリストの愛。「全き愛は恐れを締め出す」。深く心に響いたことであった。
また、いま、聖書がいうところの福音が誤解、曲解されてしまっている現実にも言及があった。安易に聖書、聖句が持ち出され、まことの福音が歪められている現実を残念に思った。牧師先生方が説教を準備するときには、ほんとうに祈り深く注意深く聖書から聖句を取り上げていることを私は知っている。だから政治的に、政治的な立場を擁護するために聖書を振りかざしてはならないことが容易にわかる。しかしここで自分自身をも反省することになった。自己弁護の為に聖書のみことばを利用したことはなかったろうか。それが、あるのだ。ある。思慮が足りず、祈りが足りず、謙遜が足りず、己の弁えが足りぬままに、聖なることばを振りかざしたことはある。今になって忸怩たる思いがする。
インマヌエル秋田キリスト教会 https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/
⏰17時56分更新














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