きょうのことば『どうぞ披露宴においでください』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025年5月11日(日)伝道礼拝
説教題 『どうぞ披露宴においでください』(←クリック)
聖書朗読 マタイの福音書 22章1~14節
1 イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。
2 「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
3 王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。
4 それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください』と。」
5ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、
6 残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。
7 王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。
8 それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。
9 だから大通りに行って、出会った人をみな宴会に招きなさい。』
10しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。
11 王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。
12 王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。
13 そこで、王は召使たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』
14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」
【神谷師による説教の要約】
キリストは天国についてたとえで語られた。最初に披露宴(結婚式のお祝い)に招かれた人々が来なかったことは、イスラエルの人々が救い主として来られたキリストを拒むことを指しており、そのために神の招きは全人類に広げられ、さらに「悪い人でも良い人でも」披露宴に来ることができたのは、受付で渡される「礼服」を着ることがその条件だからである。
また、その礼服が意味するキリストを「着る」とはキリストが私たちのために十字架にかかってくださったことを信じることで披露宴である、天国に入るための資格を得ることを意味している。
―ブログ管理人のひとりごとー
この日は伝道礼拝ということで、K姉の信仰の体験談をお聴きしました。K姉は教会に行くときには毎週ご一緒させていただいている方です。クリスチャンだから人生の困難を特別に免れられるのかというと、そうではない場合、そうである場合があり、それはひととおりではない。しかしその根底にイエスさまの存在があるかないか、その違いである、お聞きしてそう思われました。
この日の説教、キリストを「着る」。どのような礼服にも勝って威儀をただせる着衣であると思いました。
5月に上京したとき、上野の奏楽堂へ行きました。この日まる一日付き合ってくれた息子が、主人と私を豊洲から上野に連れていってくれました。案内人がいると、どこをどう歩いたか確かめもしません。ただついて歩くだけ。小雨が降っていました。傘をさしました。帽子でしのぐには雨量があります。道端の縁石に、じっと地面に目を落として座っている人がいました。くたびれた身なり。この雨に帽子もかぶっていません。なぜか今鮮やかに思い出しました。ホームレスの方です。誰も気にとめていないかのように、いつもそこに人が流れているかに人が通り過ぎていきます。よし心が痛んだとしても、通り過ぎては忘れています。あの光景を思い起し、ああ、キリストのくださる着物があるものを、そう思いました。キリストの披露宴に招かれることができる〝礼服〟が備えられてあるものを。
インマヌエル秋田キリスト教会 https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/ x
⏰6時31分更新
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