東北聖会 合同礼拝 説教 インマヌエル別府キリスト教会 小川宣嗣牧師  

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説教題『愛によって引き受ける人へ』聖書箇所 使徒の働き9章26~31
(説教題をクリックしてお聞きください)

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26エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。
27しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。
28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。
29 また、ギリシア語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていたが、彼らはサウロを殺そうと狙っていた。
30 それを知った兄弟たちは、彼をカイサリアに連れて下り、タルソへ送り出した。
31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、かしこみ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。

 

【説教の要約・神谷光一牧師】
 エルサレム教会の人々は、かつての迫害者サウロを恐れていた。しかし、バルナバは彼を恐れずに引き受けた。ここに「全き愛」にとどまったクリスチャンの姿がある。「全き愛は恐れを締め出す」のである。
 バルナバは神様の視点でサウロを見た。私たちの視点で見れば、サウロは迫害者であった。しかしバルナバは「主が彼に語られたこと」に目をとめた。主がサウロを引き受けており、バルナバは愛によってその主に従った。バルナバはサウロに自由と大胆さを与えた。聖霊と信仰に満たされたクリスチャンは、孤立することなく、兄弟姉妹と共に仕える自由さと大胆さをいただいている。「主の御霊がおられるところには自由があります」。私たちも御霊と信仰、そして愛に満たされることを祈り求めよう。


<ブログ管理人のひとりごと>
 10~12日、宮城県栗原市で、東北ブロックの牧師先生方、参加可能な信徒の方々が一堂に会し、メッセンジャーに別府教会牧師小川宣嗣先生ををお招きして、大きな聖会が開かれました。私は、聖会会場に行きかねる盛岡教会の方々とともに、ズーム配信で礼拝説教に与りました。
 クリスチャン迫害の急先鋒であったサウロがイエス様との出会いによって、模範的なキリスト教徒になるも、その迫害の凄まじさを見聞きしているクリスチャンたちは容易にはサウロを受け入れられない中で、「バルナバは神様の視点でサウロを見た」。バルナバはサウロの回心前の恐ろしさを知り、彼への人々の恐れ、讒言を聞くも、神が回心後のサウロを福音のために用いたく願っていると知り、サウロの受け入れに全力を尽くす。ふつうなら受け入れながらも疑念を払拭しきることはできず、あまり近づかないようにするか、体よく繕ってできるだけ関係を持たないようにするだろう。しかしこのような壁、隔たりを溶かし去るのがキリストの愛。「全き愛は恐れを締め出す」。深く心に響いたことであった。
 また、いま、聖書がいうところの福音が誤解、曲解されてしまっている現実にも言及があった。安易に聖書、聖句が持ち出され、まことの福音が歪められている現実を残念に思った。牧師先生方が説教を準備するときには、ほんとうに祈り深く注意深く聖書から聖句を取り上げていることを私は知っている。だから政治的に、政治的な立場を擁護するために聖書を振りかざしてはならないことが容易にわかる。しかしここで自分自身をも反省することになった。自己弁護の為に聖書のみことばを利用したことはなかったろうか。それが、あるのだ。ある。思慮が足りず、祈りが足りず、謙遜が足りず、己の弁えが足りぬままに、聖なることばを振りかざしたことはある。今になって忸怩たる思いがする。

 

 

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2026/10/04 聖日礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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説教題『わたしが示す地へ行き』 創世記12章1~8節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1 主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
3わたしは、 あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
4 アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラハムは七十五歳であった。
5 アブラムは、妻のサライと甥のロト、また自分たちが貯えたすべての財産と、ハランで得た人たちを伴って、カナンの地に向かって出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。
6 アブラムはその地を通って、シェケムの場所、モレの樫の木のところまで行った。当時、その地にはカナン人がいた。
7 主はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
8 彼は、そこからベテルの東にある山の方に移動して、天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は、そこに主のための祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。

 

 

【神谷牧師による説教の要約】
 月の神を拝む神殿の町、ウルの出身であったアブラムに向かって「あなたの親族、あなたの父の家を離れて~」と、神が語りかけたのは、アブラムと神との関係に、何も妨げを置かないためである。
 また「わたしが示す地へ行きなさい」とは、どこに行くにも神がアブラムとともにおられ、導かれることを意味している。
 私たちもまた、聖書を通して、その神の招きに従う時、どんな時にも、導きと祝福をその後の歩みに経験することができる。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 この日の集会の動画はFacebookインマヌエル盛岡キリスト教会の方にアップされています。
 仙台から6人の若者たち、この6人の中には、現在神学校在学中の方がいらっしゃいました。6人が盛岡に応援に来てくださった。それはもう元気が出るわけです。信仰の体験談やギター伴奏での賛美。これには現在盛岡に遣わされている杉田神学生も加わってくださいました。
 観客席も映ってますが、いちいち自分が、と書く必要も覚えませんが、私は映っている最後列のその後ろあたりに座っております。
 メッセージは超有名な箇所。主がアブラムにどう告げられたのか。神様はご自分と信仰者との間にある妨げを決してお喜びにはならない。信仰者の側に何か執着しているもの、どうしても捨てられないものがあったりすると、おまえはそれとわたしとのどちらを選ぶのかね? そう問われるお方なのだ。そして経験からいっても、どんなに人がすったもんだしても、神様は信仰者がご自分に向かう道を示され、信仰者がどちらを選ぶかをじっとみておられ、そして信仰者の側はついに自分の向かうべき道を悟り、十字架への道を歩みはじめている自分を発見し、十字架を見上げ仰ぐ自分を見出すことになる。今回、説教が短く要約されているけれども、この中にある深遠な内容、多くの信仰者としての戦いの在りようが思い出され、私は厳粛な思いがしたのです。そしてこの日応援に来てくださったお一人お一人のそれぞれに神様の期待がかかっていることを思い、よき戦いを戦い抜けるよう、間断の無い神様のご愛が注がれ続けられますように祈らせられたことでした。

 礼拝の後に教会では愛餐会と呼ばれている食事会がありました。今回あまり協力できなかったので、内心心配していたのですが、な、なんと、いつも第一日曜日にカレーを作ってくださっているI夫妻が、芋の子汁と炊飯器2台を使って炊き込みご飯をど~んと作ってくださり、姉妹方がお一人数種類のお料理を持参。季節の料理、果物、菓子でテーブルは溢れ、イエス様とともに豊かな秋の食卓をみなさまと満喫したのでした。
 じゃ、あなたは何をやったの? と問われると、はい、とここできゅーっと身が縮み、はい、お菓子をすこし……と、やけに声がちいさくなる。しかしそれにしては、次から次へと自分のお皿に料理をせっせと取り分けては、許容量以上にお腹を満たした私でありました。ハイ。

 

 

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2026/09/27 聖日礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団 盛岡キリスト教会 杉田流司 神学生

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説教題『主は降りて来られた』 創世記11章1~9節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
2 人々が東のほうへ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにレンガを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが地の前面に散らされるといけないから。」
5 そのとき主は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
6 主は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
8 主が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。

 

【杉田神学生による説教の要約】
 バベルの塔を建てた人々は、「一つのことば」しか話さなかった。これは自分のことしか頭になかったということではないか。「自分のことば」で頭がいっぱいのとき、私たちは「神のことば」を聴く機会を失っている。
 そのようなとき、私たちは「頼れるのは自分だけだとさえ考えてしまう。それは悪いことというよりも、辛いことである。神様を自分の心から追い出したその姿は、神のようになることを望んだバベルの人々に似ている。
 そんな私たちのために「主は降りて来られた」。イエス様が降りてこられたとき、そこでは豊かに「神のことば」が語られた。それはアダムにとっての「いのちの息」、私たちにとっての「いのちのことば」である。私たちは、それぞれにみ言葉を握って、今週の歩みを始めよう。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 この2週間は咳の沈静化ばかりを願っていた。なかなか治らない、今はそういう咳が流行ってもいるようなのだが、所用などもあり表面上は冷静でも内心ではどこか安定を欠いている。その苛立ちは、神さま御心のままにと言いつつも、ある意味まな板の上にあってもじたばたする鯉のように自分が見えて来もした。焦りが、自分自身への慮りばかりが募ったときがこうだ。内在の聖霊様を探りイエス様を仰ぎ直したところ、微調整が与えられて平安が戻った。薬効のお陰もあり、明日は教会にも行けそうだ。
 明日は仙台から青年たちがやってきてお証しや賛美をしてくださる。これも主の僥倖、愛の表れ、感謝なことである。


 

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2026/09/20 聖日礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団盛岡キリスト教会 杉田流司神学生

 インマヌエル盛岡キリスト教会に、9~2月までの半年間、杉田流司神学生がインターンとして来てくださいました。この半年間にも、第一聖日には秋田教会の神谷光一牧師が兼牧者としていらっしゃいますが、第一聖日以外には、杉田流司神学生が説教をしてくださいます。このブログでは、自分が直接に聞き、養われた説教をお分かちしております。

 

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説教題『わたしの虹を立てる』 創世記9章8~17節


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   杉田流司 神学生

8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。
9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。
10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。
11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべて肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」
12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。
13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。
14 わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。
15 そのとき、わたしは、わたしとあなたがたとの間、すべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い起こす。大水は、再び、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水となることはない。
16 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い起こそう。」
17神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」

【杉田神学生による説教の要約】
 神様は箱舟の中の生き物すべてを覚えておられた。そうであるならば、イエス・キリストによって神の子とされた私たちを、神様が忘れるはずがない。課題の中にいる私たちを神様は必ず覚えていてくださる。
 当の本人である私たちは神様を忘れやすい存在である。しかし、神様はそんな私たちを憐れんでくださる。これが洪水を経て、私たちに新しく約束されたことである。神様は罪のゆえに私たちを滅ぼすお方ではない。
 神様は、私たちの罪の問題を解決するために、御自分のひとり子を十字架にかけられた。「虹を立てる」とは「弓を置く」と訳される言葉であり、それは神様が私たちへの裁きと責めをやめられ、それらすべてを天にいる御子イエス・キリストに負わせたことを指し示している。



<ブログ管理人のひとりごと>
 この週は、時間の使い方を試行錯誤した。半徹夜も三日間。すこしは成果があがったかと思いきや、今日になって咳が。自分がもろい土の器であることが思い出された。神様はこの有様もご覧になっているだろう。行動は、やはりゆるめでいいのかもしれない。それでも「我が惠汝に足れり」とのおことばが変わらずに胸中に通っている。せき込んで苦しいわけではない、臥せっているわけでもない。食事の支度も後片付けもでき、ふつうに食事し、こうしてblog書きも。神様は虹を立てられ、弓を置かれた。だから多少の寿命の伸び縮みはそう問題ではない気もするが、身辺のようすを見廻すに、もうしばらくはこの世に息をしていなければ。というわけでイエス様、きょうはもう休むといたします。午前はかつて教会に来てくださった方とお話しする機会をお与えくださってありがとうございます。午後には、教会員の方が所属するギターの発表会も聴くことができました。有難うございます。産直にはすすき、リンドウ、菊が。昨日は十五夜でしたが。キノコ、芋の子、葡萄が旬。路には白い萩の花がのびておりました。これら一つ一つを目にできることが感謝です。感謝を挙げればきりがないので、きょうはこのぐらいにいたします。


 

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インマヌエル盛岡キリスト教会 伝道礼拝のご案内 2026/10 /4(日)10:30~

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2026/09/13 聖日礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

説教題『主は彼のうしろの戸を閉ざされ』 創世記7章1~16節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1 主はノアに言われた。「あなたとあなたの全家は、箱舟に入りなさい。この世代の中にあって、あなたがわたしの前に正しいことが分かったからである。
2 あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌を七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌を一つがいづつ、
3 また空の鳥の中からも雄と雌を七つがいずつ取りなさい。それらの種類が全地の面で生き残るためである。
4 あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生けるものを大地の面から消し去る。」
5 ノアは、すべて主が彼に命じられたとおりにした。
6ノアは六百歳であったが、そのときに 大洪水が起こり、大水は地の上にあった。
7 ノアは息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻とともに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。
8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地面を這うすべてのものの中から、
9 雄と雌がつがいになって箱舟の中のノアのところにやって来た。神がノアに命じられたとおりであった。
10 七日たつと、大洪水の大水が地の上に生じた。11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、淵の源がことごとく裂け、天の水門が開かれた。
12 大雨は四十日四十夜、地に降り続いた。
13 ちょうどその日に、ノアは、ノアの息子たちのセム、ハム、ヤフェテ、またノアの妻と、息子たちの三人の妻とともに、箱舟に入った。
14 彼らとともに、種類ごとにあらゆる獣、種類ごとにあらゆる家畜、種類ごとにあらゆる地の上を這うものと、種類ごとにあらゆる飛ぶもの、鳥や翼のあるものすべてが箱舟に入った。
15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつノアのいる箱舟の中に入った。
16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 夕べのうちに更新しておこうとしたけれども、きのう午前中は孫が熱を出したことでそちらに他出。主人が一緒に行ってくれるので世話のぜんぶが自分に委ねられているわけではない。それでもやはりそれなりの疲労感は疲労感でも楽しい疲労感ではあるが、それはある。無理をせずにやすむことを優先。で、今頃に起き出して書いている。
 13日のことを、Facebookに書いておいてよかった。この日、2026年9月13日はなにかに忘れられない日となった。それをFacebookからこちらに転載しておく。

2026年9月13日(日)、この日を私は生涯忘れないだろう。まだその感動が冷めやらない。冷めやらぬうちに書きのこそうと思った。ある思いがあって教会をやすむと仰った方がいる。それが聖書のおことばに諭されたと仰って、休まずに先週に引き続き礼拝に出席くださったのだ。聖書にはよく通じておられるこの方に、みことばを通して神さまが直接この方を促してくださったのだ。
 ここのところ「わが惠汝に足れり」というおことばが心の中に繰り返されていたが、まさしくきょうの感動は大いなる恵みであった。
 神谷牧師の説教が殊更心に沁み、司会者の感動と感謝の思いには心が震えた。
 加えて、きょうは関東圏に住む弟夫婦が、私よりも先に教会に来ており、何と誕生日でも何でもないというのに、お金では決して買うことの出来ないプレゼントを教会の庭の片隅で手渡してくれたのだった。それもあり、いよいよこの日が忘れがたく印象深いものとなった。
 「わが惠汝に足れり」!

 ところで、近頃教会のお花の写真が載ってないけど教会に行ってないの? と仰った方があった。教会を休んではいないけれども、教会でけっこう忙しかったり、またS姉が生けたお花は鑑賞に堪えるのだが、私が生けた場合には、これではちょっと、と思うことがあり、カメラを向けにくくなってしまっている、とこんな事情です。何れ日曜日には教会で礼拝する、よくよくの事情がない限りはそうしています。ただ今後体力がなくなって、或いは運転免許返上となれば事情は違ってくるでしょうけれども。オンラインではまだまだ先も参加できるかと思います。教会は信仰をまもっていく上で大切ですが、肝心なのは自分がどこにあってもイエスさまと自分との関係です。それを手助けしてくれる、聖書をわかるように説き明かしてくれるのが教会、そして励まし合える兄弟姉妹がいるところが教会です。時として人間どうしですから性格の違いなどから摩擦を生じることはなきにしもあらず、しかしそれも神さまがよきに導いてくださると私は信じています。

 この9月から、神学生が半年間、この教会にインターンとして来てくださっています。13日はその歓迎会でもありました。

 

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2026/09/06 聖日礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

 

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説教題『罪はあなたを恋い慕うが』 創世記4章1~16節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。
2 彼女はまた、それからまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは大地を耕す者となった。
3 しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た。
4 アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た、主はアベルとそのささげ物に目を留められた。
5しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた。
6 主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。
7 もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」
8カインは弟アベルを誘い出した。二人が野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかって殺した。
9 主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」
10 主は言われた。「いったいあなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。
11 今や、あなたはのろわれている。そして、口を開けてあなたの手から弟の血を受けた大地から、あなたは追い出される。
12あなたが耕しても、土地はもはや、あなたのために作物を生じさせない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」
13 カインは主に言った。「私の咎は大きすぎて、負いきれません。
14 あなたが今日、私を大地の面から追い出されたので、私はあなたの御顔を避けて隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人となります。私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」
15 主は彼に言われた。「それゆえ、わたしは言う。だれであれ、カインを殺す者は七倍の復讐を受ける。」主は、彼を見つけた人が、だれも彼を打ち殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけられた。
16 それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。

 

【神谷牧師による説教の要約】
  神に対するアベルとカインの献げものが一方には目を留められても、他方はそうでなかったときカインが怒ったのは、一生懸命に準備した物を献げたからであり、そのあとカインがアベルを殺してしまったのは、その自分の問題に向き合わず、それを明らかにしているアベルの正しさをなくそうとしたからである。
 生まれながらにそのカインの持つ心を受け継いでしまった私たちのために、キリストがされたのは、ご自分が正しい者でありながら十字架につけられることで、罪を解決し、御霊を私たちの心に送ることであった。
 時に、私たちには制御できない性質を治めるのは、この御霊によってである。
 

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 昨日今日とけっこう用事が立て込み、ちょっと疲れたな~。ところがこんなときに、こんなときにこそなのか、心の中に繰り返されているおことばがある。「わが惠汝に足れり」(わたしの恵みはあなたに十分である)第二コリント12-9。「疲れてます」と心の中でつぶやくと「わが惠汝に足れり」と心の中に聞こえ、「疲れちゃってますから」というと、また「わが惠汝に足れり」。疲れるは疲れてるんだけど、このおことばで、すぐにでも寝ころびたい、もう眠気で意識は靄の中だったはずが、眠気は眠気のまま、靄はやはり靄がかってるんだけど、秩序がかった見透しの利いてくるような意識がぱさっと落ちて来る。「わが惠汝に足れり」。ああそうか、神さまの恵みは十分。疲れてはいるけど、神さまの恵みは損なわれることなく今満ちてこの内にある。なんだ、そうか。そして悲観(ちょっと大袈裟だけれど)は楽観に変容。な~んだ、そうか~。 


 

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2026/08/30 聖日礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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説教題『こうして、ふたりの目は開かれ』 創世記3章1~24節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せになりました。」
4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
9 神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
10 彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」
11 主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」
12 人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
13 神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」
14 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生ちりを食べることになる。
15 わたしは敵意を、おまえと女と間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」

17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
18 土地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
20人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
22 神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
23 神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。



【神谷牧師による説教の要約】
 ヘビがエバに向かって、食べてはならない木の実を取るようにと語った「目が開かれて、あなた方が神のようになって善悪を知る~」との誘いは、ある部分は本当のことを話しながら、偽りが含まれていた。
 そのようなヘビのことばを正しく判断するために必要なのは、神が語られたことばであり、それによってその偽りを見破ることができる。
 キリストは、目が開かれ、裸であることを知ったアダムとエバに着せられた皮の衣のように、かつて人がエデンの園で持っていた神の栄光を取り戻すために、十字架でいのちを与えることで、私たちを覆う義の衣となってくださった。それゆえに私たちは主のみ前に恐れなく出ることができる。 

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は人の出入りもあり、多忙であったので、オンラインで参加した。ズームの窓から久しぶりに教会の皆さまを拝見。いつも自分が座っている席が空いている。カメラの位置関係で、自分の部屋から会堂を見下ろしているような感じなのだが。それにしても、礼拝開始前に、教会のグループラインで運営上のやり取りを見ながら、私は感動したのだ。どなたかが仕事などの都合でやむなくできない場合には、他の方が間髪入れずにそれを補い礼拝の扉を開ける。私もこの日は花の係だったのだが、他の姉妹にお願いすると快く引き受けてくださった。このようなときには、通常の世の中との付き合いとはまた違う感謝の思いがあふれてくるのだ。やはりこのことには神の共感があるのだろうと思う。
 写真は大曲の大会提供花火。これもまたTVから。これまで2回は現地で見ているので、この凄さ美しさがわかる。個人的には新しく家族が増えたこともあり、火薬が兵器に使われずに済むことを切に願い祈りつつ。そしてネパール。日本各地の尋常ならぬ降雨。尽きない。これでもか、これでもか。こんなでも祈ります。それでもか。そんなでも祈ります。神はいるのかと問われても、それでも神に祈ります。祈ります。

 

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⏰20時55分更新

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2026/08/23 伝道礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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説教題『人は生きるものとなった』 創世記2章4~17節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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4 これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である主が、地と天を造られたときのこと。
5 地にはまだ、野の潅木もなく、一本の野の草も生えていなかった。神である主が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す人もまだいなかった。
6 ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。
7 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
8 神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。
9 神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。
10 一つの川がエデンから湧き出て、薗を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。
11 第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。
12 その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。
13 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。
14 第三の川の名はティグリス。それはアアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。
15 神である主は人を連れてきて、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
16 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」



【神谷牧師による説教の要約】
 天地創造の折、神がその鼻からいのちの息を吹き込まれて人が生きるものとなったのは、人は神さまの下さるいのちで生きているからである。
 エデンの東にある「善悪の知識の木」の実を食べると必ず死ぬ、とは、この体がすぐ死ぬのでなく、その原因として、神との信頼が損なわれ、神のことばとは関係なく生きる人となることを意味していた。
 この解決のためにキリストは人となり、悪魔の誘惑を受けた時「人はパンだけで生きるのではない」と語られたのは、人は聖書を通して語られる、神のことばを信じることで、最初に造られた時の心を取り戻すことができることを示唆している。
 聖書を通して示された、神と人との関係の回復のため、神のことばに信頼して歩みたい。 

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 写真、ひどく不鮮明ですが、今TV放送されている大曲の花火。息子たちが見にいっているのですが、「甚だよかりき」という聖書のことばが浮かび、ついTV画面をスマホで撮って載せようとしています。アメージング・グレイスにのせた「~輪でつなごう~世界の平和を祈り」。とてもまずい撮り方で、福島の菅野煙火店やら大会主催者からはお叱りを受けるのではとさえ思われるのですが、ことしは格別に思い入れをもってこの花火を見ています。といっても全部ではなく、あとは大会提供花火だけは見ておこうと思っているのですが。いずれ何やかやと胸に沁みる感慨深いものがあります。
 この日の説教のYouTubeには、秋田のクリスチャンホーム出身のK兄の救いのお証しも入っています。
 説教、人が生まれながらに持つ原罪。そこから派生する諸々の罪。これを贖えるのはイエスさまの十字架のみ。イエスさまが十字架で人の罪の身代わりに罰せられ流された血を、まことに自分の罪を自分に代わって背負って血を流し贖いをなし、この自分を罪から救い、神との和解、神との平和を成し遂げてくださったこと。キリストによる神との平和を追い求めることが世の平和を地に具現することとなる。世の中には千差万別の生き方、生きざまがある。毎週の説教で聖書を説き明かしていただき、ほんとうに自分は、すくなくともこの自分はそれを知らされた者として、この道を選び取って生きなければならない。無様な失敗で、やっぱり無理なんだと落胆し、そこで道を閉ざすなら、もはやそれまで。しかし、けれども、イエスさま、あなたはそれもこれもすべてご存じです。しかし今一度、今二度と主に悔い改め赦しを求め、この道を止めることをしないこと。それでも、それでも主を仰ぎ、きよき明るみを望みながら進み行きたい。

 

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2026/08/016 聖日礼拝説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『神は彼らを祝福され』 創世記1章26~2章3節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿を造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の前面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。
30 また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。
31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
1 こうして天と地とその万象が完成した。
2 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日目に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
3 神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。



【神谷牧師による説教の要約】
 神がこの世界を造られ、人間を「われわれの似姿を造ろう」と言われた時に意味されていたことは、人は神の方を向いて生きるようにできているということである。
 神が造られた生き物を祝福し、そのことを終えられた7日間を祝福したことは、この時から、創造されたこの世界とその中にあるいのちあるものを尊く、大切に思っているということである。
 現代の私たちにとって日曜日に教会で造り主である神を礼拝することが忘れられると、自分の力で自分の大切さを示そうとしたり、周囲との比較によって自分の価値を考えることが起きて来る。
 なぜなら、この世界と人の尊厳は創造者によって確定済みだからである。 

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 ちょっと仮眠を取ろうとしたところが、気づくと夜中0時はとっくに過ぎ、午前1時半起き。こんなこともあるはる、で留めて。
 一瞬、先週も無為に過ごしてしまったような気がしてメモを取り出してみると。
 月曜日の朝、今日は神谷夫妻が諸々の準備の為に明日までの2日間、盛岡に来ておられるなと。何か手伝いたいと思うものの、そうそう家を空けるわけにもいかず、これは私の意識がそう思わせるのだが、それと美津子牧師が、私が何のお手伝いもできずにというと、「先ずご主人をだいじにしてください。お祈りという大事な役目があります」とこう仰ってくださるので、それに安んじ、ほんとうにただの顔出しをしたのみだった。火曜日は、またPCで分からないことがあり、都合の付く時にはいつも来て教えてくださる教会のM兄を、主人が迎えに行ってくれた。私は二つ解決。主人はスマホのことを教わっていた。私たちの場合、人生の先輩として若い方々に教訓を垂れるというカッコいい図はなく、専ら若い方にお願いして、教えていただいて何とか次が続けられるという図式になっている。水曜日は、今度青森で新生活をスタートされる方が挨拶に立ち寄ってくださった。私とほぼ同年代。さまざまおはなしを伺い、これまでも人生を選び取って歩まれ、こんどまた新たな人生を選び取ってのスタート。これもまたおもしろいと思わせられたのだった。そして水曜日はいつも孫たちに何かこしらえて(夕食のため)いるので、午後はそれに取り掛かる。嫁は「おやすみください」ともいうのだが、嫁が仕事から帰ってきてすこしでも楽な日があればいいかなと続けている。この日の朝のうちにコンサートチケットを取るためにマリオスにも行ってきている。これは孫のため。木曜日は? はたと、何してたっけ?スマホを取り出し確かめる。こんど横浜に転居した友達に「この頃、半日は掃除に明け暮れています」と書き送っている。ドアの外側、部屋の外側のガラスを拭いていたときに、これまでに経験したことのないような雷鳴がしたのもこの日だった。鳴り出した時は、もうちょっと拭いて終わらせてからと続けたのだが、恐怖を煽る炸裂で身の危険も感じ、中に逃げ込んだのだった。後日に横浜の友だちから、東京の姉から、雷が怖かったとラインが。困難な時代はもはや幕が上がっているけれども、自らの安全はさることながら、次の世代のためにこれが加速しなければよいがと危惧されたのだった。書き出してみないとこんなことも忘れている始末。そしてこの日は掃除で終わった。金曜日は?おいおい一昨日のことだよ、しっかりしてよと心のどこかで声がする。そうそう、この日は薬をもらいにかかりつけに。齢と共に医療関係もみな近場。自転車で5分ですべての診療科目が網羅されてある有難さ。80歳になっても徒歩で行ける距離。だけど80になったら徒歩で30分はかかるかも。土曜日は姑の命日。朝8時半に花を買いに行って9時半にはお墓へ。主人がどこか回っていく?というので産直経由で帰宅。夕方、あまり歩いていないことに気づき「ちょっと歩いてくる」、主人同行。通常なら30分で帰れるその辺を一周だったが、帰りにこれが線状降水帯かと思われる雨に見舞われ、カトリック教会の小屋の庇に一時避難。濡れるは濡れたがこれも涼しく悪い気分はしない。しかしこの雨の降り方が異常であることは確か。まだ去らぬ黒雲を頭上に見上げ雨粒を顔面にまともに受けながら自宅の建物に帰還。
 1週間を通して原稿書きは、午前2時ごろに起き出しての一回だけだったような。

 動かざる黒雲なれどわがうちに「心やすかれ」と主イエスの御声す
 


 

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⏰3時35分更新

確かに3時35分に書き終えたものの一つキーを押し忘れ、更新になっていないのに気付き、8時28分にアップ。

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