「思い煩ってはならない」

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                      Michal Mojzykiewicz

 雨が降っている。5月22日の地区担当員の総会の後の講演で文部科学省の航空機モニタリング調査による「空間放射線量の状況」でその範囲を見て恐ろしくなった。青森の一部を除き東日本全域に及んでいる。これはある一定時間の範囲ということはできるが、何れこれほどまでに拡大されている。雨音も、もはやシューベルトの「涙の雨」のようには響かない。もっと重くて深刻だ。それがいま雨とともに地上に落下し、土に染みこみ川に海に下ってゆく。
 放射性物質を中和できるフルボ酸、フミン酸の存在も発表されてはいるらしい。しかしこれも汚染された全区域を“解毒”できるほどにあるとは思えない。
 しかし、「あすのことを思い煩ってはならない」。これは、「おばかさんだねあなたが心配したってどうにもなるもんじゃないよ、もっと有能な科学者達が必死に方策をいま研究中なんだからね」という意味ではなさそうだ。放射能からまもられるように手を尽くしたなら、これ以上思い煩うのは今という時間を失ってしまうだけだよ、そう諭してくれているような気がする。
 何やらこの夜の闇のどこかが幾分明るみを帯びてきたようだ。
 

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片付け

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 自分の部屋が雑然として容易には片付きそうにない。先頃帰省した息子が言った。「ずいぶん小屋の中に物があるようだけど、あれ、できるものなら処分できるものは処分しておいて欲しいな」。あるものは所謂お宝ではない。LPレコードだの火鉢だの冠婚葬祭の引き出物、捨てるには惜しいかといって部屋に置くには手狭すぎるといった書籍などである。
 そんなことばに触発されて、自分の部屋にあるものも思い切って捨ててしまおうと片付けにかかった。ふつうの方々に比べると、わたしは物を買い込むということはしない。だから飾り物だとか、装身具だとかいったものはほとんど無く、あるのは謂わば紙くずの山である。これには何が書いてある。あれは何々のメモ書きだ。あれはこれにに参考になる等々、紙くず類が山積している。そこで思い切ってゴミ袋を準備し、大々的に捨てる作業に取りかかった。捨てる作業というのは今後の自分の行動の範囲を取捨選択することでもある。衣類なども同じく着ないものはどんどん袋に詰め込む。ものを捨てる作業は自分の人生を片付ける作業だとも感じられた。これを次の代に遺したとして喜ばれるだろうか。そんな疑問が湧くときには処分の袋行きとなる。自分の人生をすこしでも自分の手で片付けておく、そんな感じがした。

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勝て! 輝け!!

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  ブルーベリーの花

  きのうアクセス数がこのブログとしては急激に増えていた。滅多にテレビを見ることはないのだが、昨夜は舘野泉さんがNHKのクローズアップ現代に出演。舘野さんのピアノ演奏を私はまだ聴いたことがなかった。片手だけで果たして音楽たりうる音楽を奏することができるのか。わからなかった。しかしこの番組で演奏を聴き、芯のとおった説得力があると思った。片手で弾き始めて長いあいだ、これは音楽ではないという大変な葛藤があったようだ。しかしついに舘野さんは、音楽といえる音楽を演奏できる境地に至る。何とかみなの前で弾きたい、コンサートをしたいという一念を実現させたのだ。

 私はここでTVを消すつもりだった。ところが次ぎに映し出されたのが「パラリンピックへの挑戦」で水泳の鈴木孝幸選手だった。北京パラリンピックで金メダル獲得。このとき私はこのブログに鈴木選手を書いている。アクセス数上昇は鈴木選手に検索が入ったからだった。すごい選手だなと思った記憶が戻った。あれから4年。光陰矢のごとし。北京以降自己記録が伸び悩んだようだ。トレーナーと一緒になって使っていない筋肉の猛トレーニングの今だ。彼ははっきりと言った。「勝ちたい」「輝きたい」。

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 みなが「勝ちたい、輝きたい」、誰もの胸のうちにあるこの熾烈な願望を思うときに涙さえ滲む。ここのところ久しく忘れていたが、自分にしても、そうあろうともがいた一時期もあった。もがいた時にはさしたる成果もなく、淡々と歩めそうな今は体力の限界を感じる事が多い。今は「勝とう」というよりも「無理をせずに何か一つをのこしたい」というささやかな望みに変わってしまっている。

 どこまでも勝とうとするならば、どんなに歯がゆかろう、苦しかろう、辛かろう。

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 凄まじいまでの努力だ。その万分の一の努力もできなかった自分だ。何としても勝って欲しい、輝いて欲しい。 

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雅声会「心のふるさと 日本のうた をたずねて その三十五年」 2012/5/26(土)14時開演 岩手県民会館中ホール

雅声会のコンサートがあります♪♪
収益金の一部は東日本大震災の義援金となります。

    「美しい海と山、そして里の復活を願いながら」

          2012年5月26日(土)
         岩手県民開館中ホール

【曲目】
(唱歌)故郷の空、桜井の決別、ポプラ、四季の雨、他
(歌曲)荒城の月、時計台の鐘、朝、椰子の実
(歌謡曲)丘を越えて、あざみの歌、ニコライの鐘 他


【出演】
(歌)阿部佳代、奥崎由樹子、工藤和子、駒木美和子、駒木恵、長鈴晴香、新田順子、平野紅子、穂積佳穂子、丸岡千奈美、横山由希子、大畑孝夫、小坂博、澤村憲照、松田晃
(ピアノ)小笠原宜子、鈴木牧子、森明美
(ナレーション)松田晃
(編曲)加藤學


※当日、私は、同窓会総会があるため残念ながら行くことができませんが、ご案内だけでもさせていただきます。

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日食

 金環日食ということで日本中が大騒ぎ。土曜日、コンサートの行き帰りに日食メガネを買おうとしたところどこのメガネ店、薬店、雑貨店でも売り切れ。関心の高さには驚いた。結局夕べのうちに主人が偏光板を使って製作した日食“メガネ”の登場となった。

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  一緒に観ようと来てくださったSさんご夫妻(上の写真)ともども庭のテーブルでコーヒーを飲みながら代る代るのぞく。たしかに二つの点のあいだの湾曲する二本の曲線に囲まれた部分を見たときは感無量でした。そしてSさんのポロシャツの一面に木漏れ日が届けたその形が幾つも映っているのに気づいたときのみなの歓声。さっそく主人が自分のカメラに納めました。

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 それともう一つ気づいたことは、この木漏れ日をくれたアオキから4匹の青虫が糸で垂れ下がっていたことです。Sさん方が不快かと思い私はこれを払い落としたのですが、もしかすれば、これも日食と何らかの関係があったかもしれません。青虫が何という虫の幼虫であるかはまだ調べておりません。図鑑に青虫の形状を照らし合わせるよりも、一旦アオキを食樹とする虫を絞り込む方が近道かもしれない。日食のときの生物の行動だけを研究している方もいるらしい。自分のカメラでは撮らないでしまったのが残念と思っていたら今し方写真がパソコンから送られてきました。
 それにしてもメディアが「金環食だぞ~」とラッパを鳴らせば日本中がこぞって見上げる。けれども虫たちは「金環食だぞ~」とどこからも言われなくとも何か知っている気配。

      ☆    ☆    ☆    

 昼近くになってまたまた嬉しいことが一つ。裏庭に一匹のクロアゲハが舞っていたのです。昨年T子さんに飼育してみないかと3頭もらった幼虫がみな成虫になり旅だっていった日のことを思い出しました。そのクロアゲハと関係があるかどうかはわからないが、あのときの蝶が戻ってきてくれたかのような嬉しさがあった。

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 私がもらい受けた幼虫はグレープフルーツに産み付けられたものだった。サンショウもたしかに食べた。しかし秋でもありサンショウの葉はすっかり硬くなっていた。それと若芽を探すのが難しいサンショウの葉だけではとても賄えず、グレープフルーツの葉をもらいに走ったりもした。そんなこともありアゲハの食樹であるサンショウは、このサンショウは庭のいたるところに生えているのだが、どれも抜かないで生かしてある。

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きょうのことば『聖霊とともに歩むこと 聖霊と私たち-2』 その2

※前ページの続きとなっています。

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  【説教】

今週はガラテヤ書5章からメッセージをと導かれております。ガラテヤ書の手紙は論争の手紙、お叱りのお手紙といったらいいでしょうか。パウロがせっかく福音をのべ伝えたのにも拘わらずガラテヤの人たちがいとも容易く異なった教えに惑わされて、私たちが伝えもしなかったような教えに流れてしまっている。いったいこれはどういうことなのか。もし私が伝えた福音と異なるものをあなた方に伝え惑わしたものがいるなら、よしそれが御使いであったとしても、それは決して赦されるべきことではないとパウロは非常に激しく、私たちは信仰によって救われるものなのだ、律法によって救われるのではないということをはっきりと宣言したものでございます。きょうはその中から御霊に導かれて進もうではないかというこのところに焦点を合わせて、ペンテコステ、聖書との関わりにおいて私たちの在り方を留めていただきたいと願っていることでございます。

 最近横浜の幾代子先生からおもしろいことを聞きました。或る方のお葬儀で故人の思い出を語っていただきたいと依頼があったそうです。しかし幾代子先生はその方が病床にあられたときに3回しかも短い時間お会いしただけでした。これには背景があるのですが、故人の娘さんが神学院の教会におられる方だった。夫以外の親族はクリスチャンではなかった。お父さんの在世中に何とかイエスさまの救いに与ってもらいたいという切なる祈りがありました。娘さんは病床のお父さんに向かって「お父さんは戦争に行ってきたでしょう。悪い事もいっぱいしたでしょう。このままでは天国に行けないからはやくイエスさまを信じてちょうだい」と言ったらしい。お父さんは「お前は自分の亭主をクリスチャンにしただけでは気がすまなくて俺までクリスチャンにするつもりか」と立腹。娘さんは諦めずに「じゃ、私がお連れする方のお話を聞いてちょうだい」と幾代子先生を呼んだのです。初めてお会いしたのは今年であったと聞いています。こども讃美歌「まことの神さまただひとり」を歌ったところが教会学校に行っていた頃を思い出され心を開いてくださった。2回目でも讃美歌で心が整えられていった。お父さんが「お前の話は聞きたくないがこの人の話なら聞いてもいい」と仰ってついに罪を悔い改めイエスさまを信じ救われたそうです。そして「俺の葬式は神学院教会でやってくれ」と言ったときに、お父さんの頑固さをよく知る娘さんの親族はみな、「ほんとうにそうお願いするのか」と驚いたそうです。実際ついこの前そのようにお葬儀が執り行われました。

 幾代子先生はお葬儀でこの3回面会したときのようすを語りました。参列した親族のぞくん方々が、なぜ父がこのようなことを言ったのかわかりましたと深く頷かれたそうです。たった3回の面会でも心を開いていただきお救いに与っていただくことができる。

 磁石や電流の磁場には磁力が発生します。私たちが神さまと交わりを持つとき、この交わりを電流にたとえるなら、そこには霊的な感化力を生じる。そういう存在に私たちは成りうる。面会がたった3回だったとしても、その人が神さまと交わって生き続けているとき、その周りには霊的な感化力が及んでお救いに与る方々が与えられる。聖書には「人は新しく生まれなければ神の国を見ることができません」とございます。私たちは新しく生まれることにより聖霊というお方のお力による影響力をもって、周囲の方々に思わない祝福を与えていくことができます。このような先達として旧約聖書の創世記に出てくるエノクがおります。彼は死を見ずして天に帰っていった人物です。

22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
23
エノクの一生は三百六十五年であった。
24
エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

 このように創世記5章に、エノクという人物が神と共に歩んだ器であったことが書かれております。

 またノアがいます。創世記69

9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

 それからアブラハムという人物も。創世記17章1節

1 アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。

 エノクにしてもノアにしてもアブラハムにしても、御霊によって歩むということをその生涯をかけて自分のものとしていった。

第一テモテ47~8節には

7 俗悪で愚にもつかぬ空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛錬しなさい。
8
肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。

 このようにあります。御霊によって歩むということがどれほど重要であるかはロマ書8章にもあります。

6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

 さあ、では私たちがどのようにしたらエノクやノア、アブラハムのように御霊によって歩むことができるのでしょうか。具体的にどうすれば可能なのでしょう。

 きょうは「うちにいたもうお方にきく」ということに焦点を合わせてみたいと思っています。御霊によって生きる、つまり神の声を聞く技術、スキル、これを挙げてみたいと思います。

 先ず神さまの声を聞くための防音壁を持っているでしょうか。もう一つ、私たちは神さまの声を聞く集中力を持っているでしょうか。そして私たちは神さまの声を聞く習性を持っているでしょうか。これらのことが適切に為されているときに、私たちには御霊の実というものが結実されていきます。きょうの残るときをこの三つのことに心を向けてみましょう。

 先ず、エノクにしてもノアにしてもアブラハムにしても、彼らは防音壁を持っていました。つまり、世の中の声に煩わされない神の声を聞く自分自身の場所、これを持っていた。イエスさま自身「イエスは朝はやくまだ暗いうちに起きてさびしいところへ出ていき、そこで祈っておられた」。世の中の慌ただしさ喧噪な社会から離れて謂わば防音壁に囲まれたその場所を持っておられた。世の中の価値観のざわめきが大きいときに、どうか神さまのお声を聞くために、防音壁のある場所に身を置くこと、これは一つの提案であります。

 またそれとともに、御霊によって歩んだ人々は、神の声を聞く集中力を持っていた。よし防音壁のある場所ではないとしても、世の中に身を置きながら神さまのお声を聞き分けることができる。マイクは音の全部を拾ってしまいますが、人間の耳は音を選択的に拾うことができる。人間の耳は関心のあることに集中することによって、他の雑音にそれほど煩わされなくても聞くことができる能力があります。「わたしの羊はわたしの声を聞く」、この能力が与えられているのが私たちです。

 世の中の価値観は、AがよいBではない、というでしょう。しかし神に従おうとする私たちの道の選択の仕方は、AではないBという道を、誰も選ばない狭い道、細い狭い道だけれどもBを選ぶようにという命に至る道を選び取っていくことです。エノクもノアもアブラハムもそのそうな耳を持っていたはずです。

 ノアは山のてっぺんで箱舟を造りました。みなが彼をあざけった。しかし洪水から救われている。

 アブラハムは神の声を措いて周囲の声に負け、女奴隷のハガルを通してイシマエルという子どもを得ました。イシマエルが生まれてからアブラハムへの神の声は途絶えたともいわれています。しかしアブラハムが99歳のときに神があらわれて「汝わがまえに歩みて全かれ」とお声をくださった。「我が羊は我が声をきく」。

 もし私たちがアブラハムのように誤った選択をし、神の声が遠くなったとき、悔い改めて御前に出ていくならば、「これが道なりこれを歩むべしと後ろべにて語る声を聞かん」とイザヤ書の中にありますが、それを聞く耳を私たちは持つことができるのではないでしょうか。そしてこのことが、信仰の先達たちにとっても習性となっていたはずです。

 私は特に皆さまがたに提案したいと思います。御霊とともに歩みましょう。もしそう願うなら第一テサロニケ51618

16 いつも喜んでいなさい。
17
絶えず祈りなさい。
18
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 ものごとに当たるとき、いつでもこのおことばに立ち戻って、人と会ったり、或いは行動の選択をしてみてはいかがでしょうか。

 いつも祈っていることは難しいと仰るでしょうか。密室に籠もりきりでは仕事が何もできないと。でもそうではない。磁石が北を向いているように、私たちの心を神さまに向けているならそれは祈りになる。いつも喜び絶えず祈りすべてのことに感謝して生きてゆくなら、神との交わりが強くなります。そして周囲にも良い感化力をもって臨むことができる。周りも何らかを感じ取ってくださるのではないでしょうか。御霊の実は「愛、喜び、親切、善意、柔和、自制、誠実、寛容、平安」です。

私たちは御霊によって生かされたものです。神の命が与えられたものです。ですから、どうぞ神さまのお声をしっかりと、神さまとの交わりを豊かにし、そこに生じる磁力線が周囲の祝福となり、また自らも実をたわわに実らせることができるような生き方をさせていただきたいとこのように思っていることでございます。

 

文責:中ぶんな

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きょうのことば『聖霊とともに歩むこと 聖霊と私たち-2』 その1

 2012513日(日)インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお送りします。

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説教題 『聖霊とともに歩むこと』―聖霊と私たち-2―

聖書引証 ガラテヤ書51626

16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
17
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
18
しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
19
肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
20
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21
ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
22
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
24
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架にけてしまったのです。

26 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

※説教は次ページとなります。
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第41回盛岡芸術祭管弦楽部門「春のコンサート」 ーシンフォニエッタ・盛岡ーを聴く

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【プログラム】

1 WAモーツァルト オペラ「皇帝ティヌートの慈悲」序曲 2 WAモーツァルト 交響曲弟5番変ロ長調K22 3 Gフォーレ 劇付随音楽「マスクとベルガマスク」より抜粋 4 ~Growing of Koji~佐藤宏治編曲集 ウィーンの森の物語/シバの女王/涙のトッカータ/小雨降る径/岩手の歌メドレー(星めぐりの歌/南部牛追い歌/外山節/チャグチャグ馬コ/北上夜曲/岩手県民の歌)

きょうはシンフォニエッタ・盛岡の『第6回春のコンサート』でした。賢治のまねをしたつもりはありませんが、最近はもっぱら裏の畑の土おこしに明け暮れ、たまに空気がどこか物足りなく感じられるときにCDを聴くといった暮しをしていたために、主人とともにでんでん虫バスでマリオスに駆け付け、小ホールに入ったときには齟齬を感じたほどでした。どこか感覚が鈍っているような感じがしながら、弟1部の出だしの管楽器がこれでいいのかなと迷ううちに曲は進み次第に会場に慣れるうちにプログラム2番のWAモーツァルトの交響曲第5番第2楽章アンダンテ。張り巡らされた樹木のような神経系を感じながら聴いておりました。畑村代表の挨拶の中に、「モーツァルトに関しては、弦パートはビブラートを用いない“ピリオド奏法”を採用してきました」と知り、これまでこの違いを意識しないでこの曲を聴いてきたことに気づきました。ある意味、指揮者によって、演奏される時代によって如何様にも独自の解釈を散りばめることができるところを、当時の演奏様式にならっての演奏を心がけているという。
 3番のGフォーレは初挑戦だという。劇付随音楽『マスクとベルガマスク』からの抜粋。2のパストラールの特徴的な音色、4のガボットでの管の響き、5のパヴァーヌには共鳴するものがあった。解説によると一応フォーレが74歳のときに作曲したとされているが、その大部分は過去に作曲されたものの改作だという。74歳で芸術の創造、夢のような話である。

 第2部、プログラムの4番『岩手の歌メドレー』、これは佐藤公治さんの今年の書き下ろし新譜であった。

 今回は成田浩先生が佐藤公治さんにインタヴューといったちょっとした対談があった。成田先生は佐藤さんの大学の恩師で佐藤さんは英語を教わっていた。佐藤さんの専攻は作曲。そこで成田先生が佐藤さんにシュトラウスの「ウィーンの森の物語」の録音から楽譜を起こして欲しいと頼みこんだという。これが1992年、付き合いの始めだったようだ。きょうはこれがピアノトリオで演奏された。演奏を聴きながら、私は、大正の昔にあった仁王トリオを重ねていた。下総晥一(ピアノ)、梅村保(セロ)、原彬(ヴァイオリン)だった。また、この成田先生は、やはり大正にあった盛岡の弦楽四重奏団太田カルテットのメンバーの一人である赤沢長五郎(ヴァイオリン)の弟子である。太田カルテットのメンバーから直接に学んだのはもう成田先生お一人となってしまった。
 話は逸れたが、佐藤さんが『岩手の歌メドレー』を編曲するにあたっては、できるだけ原曲には遠い仕上がりを目指したという。演奏時間は15分くらいだが編曲には2、300時間をかけ、3ヶ月に亘って取り組まれている。

 盛んな拍手と会場からの「アンコール!」の声に応えて1曲目はシュトラウスの『ピチカート・ポルカ』、2曲目は『ラデッキー行進曲』。大いに手拍子をし楽しんで第6回春のコンサートは終演となった。

【演奏メンバー】

指揮:櫻和幸  ヴァイオリン:相川直子/及川由香利/大森久仁/北川貞之/熊谷友見子/鈴木道子/高橋文二/武田浩/中村邦子/姫野千世子/宮野ゆかり☆/及川靖子♪/佐藤敦子♪  ヴィオラ:小原学/佐藤俊樹/橋本剛行/中安貴子♪  セロ:安保尊/佐々木松子/畑村保裕/松尾真理/民部田里美  コントラバス:高橋友佳子/寺山貫大  フルート:佐々木宏/細川佳代子  オーボエ:今野朋恵/佐藤光彦  クラリネット:堀江淳/森亜矢子  ファゴット:佐藤雅宏/西舘ゆかり  ホルン:畑澤巧/小林杜子♪  トランペット:中台雅之♪渡辺則之♪  パーカッション:袴田万里奈♪

☆コンサートミストレス♪エキストラ

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花が咲き友だちがいて私も

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写真一枚目、三枚目は友だちM子さんの庭で
写真二枚目はきのうわが家に立ち寄ってくださったmさん。

 

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第41回盛岡芸術祭管弦楽部門「春のコンサート」 ーシンフォニエッタ・盛岡ー2012年5月19日(土)18時開演 マリオス小ホール

 開花をあれほど待ちわびた桜もいまは葉桜。しかし緑のグラデーションが美しいこのとき、コンサートは如何でしょうか。

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        ♪プログラム♪

モーツァルト   :交響曲第5番変ロ長調K22
           オペラ「皇帝ティートの慈悲」序曲
フォーレ     :劇音楽「マスクとベルガマスク」抜粋
佐藤公治編曲集:「岩手の歌メドレー(仮)」
           「涙のトッカータ」ほか

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«木島由美子作曲「Lumiere~彩り~」for Bass Trombone & Piano が 東京国際芸術協会主催のTIAA全日本作曲家コンクールソロ部門に於いて二位(一位無し)を受賞