2026/02/01 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

『聞いたとき~泣き~悲しみ~祈った』 ネヘミヤ記 1章1節~2章8節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1
ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がスサの城にいたときであった。
2 私の兄弟の一人ハナニが、ユダから来た数人の者と一緒にやって来た。私は、捕囚されずに残された逃れの者であるユダヤ人たちについて、またエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。
3 彼らは私に答えた。「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです。」
4 このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。
5 「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。
6 どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
7 私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。
8どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。
9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る』
10 これらの者たちこそ、あなたがその偉大な力と力強い御手をもって贖い出された、あなたのしもべ、あなたの民です。
11 ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった。


1 アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に、王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった。
2 すると、王は私に言った。「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私は非常に恐れて、
3 王に言った。「王よ。永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」
4 王は私に言った。「では、何を望んでいるのか。」私は天の神に祈ってから、
5 王に答えた。「もし王が良しとされ、このしもベにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。」
6 王は私に言った。王妃もそばに座っていた。「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」王はこれを良しとして、私を遣わしてくださることになり、私は予定を伝えた。
7また私は王にこう言った。「もしも王様がよろしければ、ユダに着くまで私が通行できるように、ユーフラテス川西方の総督たちへの手紙をいただけるでしょうか。
8 そして、宮の城門の梁を置くため、また、あの都の城壁と私が入る家のために木材をもらえるように、王家の園の管理人アサフへの手紙もお願いします。」わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。


 

神谷牧師による説教の要約
 ネヘミヤが城壁の崩されたエルサレムの都のことを聞いて泣き、悲しみ、そして祈る中で、自分たちに与えられている、神の約束による罪のさばきと回復へと思いが至り、心には城壁再建への具体的な思いが与えられた。
そうしたネヘミヤの祈りは、単なる心の思いに留まることなく、献酌官として王の前にその願いを申し述べる機会が与えられたことで、形を取って進み始める。
 私たちの心の悲しみや痛みを神に祈ることは、その状況を神が見ておられるように見、心を通わせることにつながり、それは具体的な行動となり、見える形となって実現してゆく。
 時に心を揺り動かす思いを、祈りの中で申し述べてゆきたい。


<ブログ管理人のひとりごと>
教会でお花の係がある。S姉が「冬の間は私がやるから」と私の分を担ってくださった。感謝して安心して代わっていただいている。25日の朝の雪かきのときも二、三人の方が言ってくださった「無理しなくていいからもう休んでて」。そしてきょうひさしぶりに川柳が一句できた「労わられいたわられて知るおのが齢」。みなさまの温かさに、じ~ん、だけどちょっと待って、わたしそこまで弱っちゃってる?とはいうものの齢を認めざるを得ない自分を発見。
スマホから何とか画像を取り込もうとしたが設定がうまくいかない。そんな操作も昔は速やかだった主人もしばし戸惑い「M兄に電話しよう」。パソコントラブルのお助けマンだ。この道路状況だし悪いかな~といいつつ連絡。「いいですよ」。ボランティアで来てくださった。感謝、感謝。こうして日々の感謝が尽きない。
 こんな時にわたしがやるべきことは、ここは大丈夫?こっちの部屋は散らかってない?奥の隅っこに埃はないかしらん。心の中にある幾つもの部屋の扉をあけては、チェック、チェック。ちゃんと十字架のイエスさまに心が向いてるかしらん。向かせないようにする何かが散らかっていないかをチェック、チェック。崩れかけた、壊れかけた城壁がないかをチェック。
 今晩は昼間に孫と遊び楽しく過ごしたけれど、夕方4時から昼寝?でぐっすり。気づけばいつもの夕食時も過ぎて7時に目覚め、電気炊飯器では時間がかかると急遽圧力釜で炊飯。何とか7時半には夕餉に着く。まずまずのスピード感。そしてこのページに取り掛かり、ふとPC右下を見るとすでに22時13分。昼寝はしてもやっぱり眠い。
 雪道は歩きにくい。疲れる。けれどもこの雪の白さ、美しさは!

 そうそう、2月1日には、月一回盛岡に来てくださる神谷牧師夫妻がいらっしゃった。朝早く秋田からクルマでいらしたのだ。この日いらっしゃった新しい来会者の方が、美津子先生と来会者の友人の3人で談笑している姿に心が揺れ涙がにじんだ。わけはわからないけれども、心が動かされたのだ。
 この日はA兄姉が皆様のためにカレーを作ってくださった。ホアグラ、キャビア、トリュフがあるわけではない。しかしこの美味しさ楽しさはなんだろう。何々がなければ、何々がなければ、と思わずともキリストここにあれば、何がなくても、カレーも、M姉、K姉が添えてくださった野菜料理は極上のグルメとなるのです。

 

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2026/01/25 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『その夜、王は眠れなかったので』 エステル記 6章1~11節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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1
その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。
2 その中に、入口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけた。
3 そこで王は尋ねた。「このことで、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイに与えたか。」王に仕える侍従たちは答えた。「彼には何もしていません。」
4 王は言った。「庭にだれがいるのか。」ちょうどハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。
5 王に仕える侍従たちは王に言った。「庭のあそこにハマンがいます。」王は言った。「ここに通せ。」
6 ハマンが入って来ると、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう。」
7 そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、
8 王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。
9 その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」
10 すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」
11 ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて都の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。


神谷牧師による説教の要約
 大臣であるハマンが翌朝、自分にひれ伏すことを拒むモルデカイの処刑を実行しようとしていた夜、王が眠れずに読んだ年代記に、かつてモルデカイが王の暗殺を阻止した事を見つけたのは、見えないところで私たちを見通す神の働きがあったからである。
 私たちの思いを、災いをもたらすサタンや悪霊と戦うことではなく、むしろ神の支配に目を留めて信頼する必要があるのは、神がこれからどうなるかをすべて知っておられるからである。
 そのように、今置かれた状況を、神から与えられたものとして受け取る時、その態度は、見えないところで働かれる神を証しすることになる。
 このお方に信頼して歩みたい。


<ブログ管理人のひとりごと>
 今朝、雪道の運転にも若干慣れ、積雪はありましたが勇んで礼拝に出かけました。教会で、いつも説教のズーム配信の接続をして下さっている3人の兄姉が仕事などの止む終えない事情で教会に来ることができないと連絡がありました。
 さて教会に着きますとS姉が雪かきをしているのが見えました。私はびっくり。S姉が雪かきする姿を初めて見たからです。有難いことです。ところが、雪は1週間の間に深々と積もっており、私は状況をよく確認しないまま、これは視力の問題もあるのですが、バックで乗り入れようとしましたところ、クルマが玄関前の雪に嵌ってしまったのです。現れたA夫妻が私に代わって脱出を試みてくださいました。タイヤは空回り。しかし私にはあと5分でクルマは脱出するという安心がありました。そのとき、この冬は自宅でズーム参加しますと仰っていたT姉が、駆け付けてきました。「もう、この雪が、教会が心配で」。有難いことでした。私は運転席でギアをドライブに。A兄がクルマの後ろを押してくださって、クルマは無事に踏み固められた道へと移動。翌日になってA兄が腰痛であったことを思い出しA姉にどうですか?と聞くと「大丈夫だそう」というお返事ではありましたが。全く、このような時に雪に嵌るというとんだ失敗をしでかすところは全くもって私らしい、いやはやトシをとった、いや、もともとこうだったな、などと事故歴(物損のみ)を思い返したことでしたが。あとは皆さんで除雪、除雪、除雪。私はぐしゅーと萎んで、とにかく雪かきのポーズをとっておりましたが、それも長くは続きませんでした。そこに我が教会のオーソリティー最高齢のT兄が見事なハンドルさばきで駐車場に難なく乗り入れて来られ、私は細い目を丸くした次第です。そして変わらずにKご夫妻が来てくださったことの感謝。そればかりではなく久方ぶりにM夫妻が来てくださったことも大感謝でした。この間、何と、K姉は教会に着くや否やすぐさまズーム接続を試みて下さっていたのでした。これまで一度もやったことはないところ、マニュアルを開き、いつも接続をやって下さっていたS兄にラインで連絡を取りながら、礼拝開始時には接続を完了してくださったのでした。ハレルヤ!
 しかしこの日大変だったのは、むしろこのような日にも出勤だったY姉でしたでしょう。Y姉もどんなに教会を気に掛けて下さっていたことでしょうか。しかしY姉は仕事でも職場で頼りとされ、クリスチャンとしてのよい証しを立てておられます。日々聖書を読みデボーションに勤しんでおられることは、すこし忙しいと聖書購読をお休みしてしまう私とはかなり違っているわけです。このような方こそ無言で教会を支えてくださっている力であると思っています。若い時分、私の叔父が言ったことがあります「神さま神さまっていうけどもさ、そういう人に限って会社の仕事はさっぱりだよ」。実は当時は私もこのような分類に入る一人だったのです。しかしその後、歯に衣を着せぬ恐ろしく厳しい上司に恵まれたおかげで、東京に本社がある小さな会社の支店ではありましたが、盛岡の事務はいちばんミスが少ないと言われるようになりました。それはともかく、兄弟姉妹として温かい言葉の掛け合いのみにあれば、往々にして「そういう人に限って会社の仕事はさっぱり」という厳しい上司の目にさらされることになるのでしょう。Y姉の場合、仕事、仕事で確かに教会出席が阻まれているけれども、会社にあって、社会にあって、きちんと仕事を成し遂げられ、職場で頼りにされ信頼されています。これはクリスチャンとしての大切な証しであると思われます。いざという時に、出向いて来て教会の力となって下さる方々は眼には見えやすい、しかし、今この眼には見えていなくとも、厳しい社会的な仕事をしっかりと担いながら、果たしながら、祈りで、奉仕で教会を支えてくださっている愛兄姉方がいらっしゃる。自分に力が無くなれば無くなるほど、ほんとうにみなさまへの感謝は尽きません。
 この25日の大雪は、私がクルマを嵌めてしまうという失敗、除雪という大変さはありましたが、やはり生涯に残る主の大いなる恵みの日、ある意味恵みの一大イベントでありました。

 

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2026/01/18 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『もしかすると、このような時のため』 エステル記 4章7~17節
(説教題をクリックしてお聞きください)
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7
モルデカイは自分の身に起こったことをすべて彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために王の宝物子庫に納めると約束した、正確な金額も告げた。
8また、ユダヤ人を根絶やしにするためにスサで発布された法令の文書の写しを彼に渡した。それは、エステルに見せて事情を知らせ、そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。
9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに告げた。
10 エステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えた。
11 「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」
12 彼がエステルのことばをモルデカイに告げると、
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。
14 もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
17 モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。

【神谷牧師による説教の要約】
 エステル書の中で神や祈りについて書かれていないのは、目に見える現実の中に働かれる神を示すためである。
王妃となったエステルが、危機の中にあるユダヤ人が滅ぼされないよう、王に願って欲しいと頼まれた時、王の所に勝手に行けば死刑になるからと言ったのは、彼女が王宮の暮らしの中で、宮外にいる市井の人たちの気持ちがわからなくなっていたからである。エステルが「あなたがこの王国に来たのは~このような時のため」と言われて、王のもとに行く気になったのは、これまで自分の身に起きたことのすべてが神の導きであったことを理解したからである。
 神は私たちそれぞれに賜物と機会を与え、目的と計画を持っていることをも心に留めるとき、置かれた状況に相応しい行動を、平静に行うことができる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 この日はすっぽりと雪に覆われた。果たして教会はどうなってるかしらん。教会一帯は住宅地であり、例年、除雪車が入るのがちょっと遅い。クルマが空回りしないか、入れるかどうか危ぶみながら進むと、何と、教会のT夫妻が1時間以上も早く教会に来て、ご主人は駐車場を車が入れるように整備し、奥様は雪の降る中、玄関前の除雪をなさっていたのだ。口先ほど体力のない私は、ひたすら申し訳ないと。そしてこうした方々、誰に言われなくとも進んで非常事態となると淡々と動いてくださる方の存在のゆえに神さまに感謝したのでした。ならされた一角にしずしずとクルマを乗り入れ「おはようございます」。ご一緒した姉妹方もすぐに礼拝準備のために心をくだいてくださった。花を活けて持ってきてくださった姉妹。みなさまが積極的に礼拝をまもろうという姿勢に心打たれた。書くなら人の行いよりもイエスさまを書くべき、これも順当ではあるが、どうもすこしへそが曲がっているクリスチャン私は、やはりこんなことは書きたくなる。あなたやってごらんともし言われたら今の自分にはできそうもない。他の方々も、状況に応じて動いてくださる。オーケストラで言うなら指揮者がいなくとも、こんな局面ではこのように、こんな事態にはこうだと、能動的に奏するかのごとく。不思議だなと思う。やはり指揮者はいるのだ。それは神さま。申し合わせたわけでもないのにかち合うことなくそれぞれの歯車が動いている。時に適って動けるように油を注しておこうか。聖霊という油を仰ぎ求めておきたい。



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2026/01/11 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『おまえがいつも仕えている神は』 ダニエル書 6章1~28節
(説教題をクリックしてお聞きください。)
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1
ダレイオスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。
2 彼はまた、彼らの上にダニエルを含む三人の大臣を置いた。これは、太守たちがこの三人に報告を行い、王が損害を被らないようにするためであった。
3 さて、このダニエルは、他の大臣や太守よりも、際立って秀でていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからであった。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。
4 大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようとしたが、何の口実も欠点も見つけられなかった。彼は忠実で、何の怠慢も欠点も見つからなかったのである。
5 そこでこの人たちは言った。「われわれはこのダニエルを訴えるための、いかなる口実も見つけられない。彼の神の律法のことで見つけるしかない。」
6 それでこの大臣と太守たちは、王のもとに押しかけて来て、こう言った。「ダレイオス王よ、永遠に生きられますように。
7 王よ。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、断固たる禁令を出していただくことに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる、と。
8 王よ、今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディアとペルシアの律法としてください。」
9 そこで、ダレイオス王はその禁令の文書に署名した。
10 ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
11 すると、この者たちが押しかけてきて、ダニエルが神に祈り求め、哀願しているのを見つけた。
12 そこで、彼らは王の前に進み出て、王の禁令について言った。「王よ。王は今から三十日間、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれるという禁令に、署名されたのではありませんか。」王は答えた。「取り消しのできないメディアとペルシアの法律がそうであるように、そのことは確かである。」
13 そこで、彼らは王に告げた。「王よ。ユダからの捕虜の一人ダニエルは、あなたと、御署名になった禁令とを無視して、日に三度、自分勝手な祈願をしております。」
14 このことを聞いて王は非常に憂い、ダニエルを救おうと気遣った。そして彼を助け出そうと、日没まで手を尽くした。
15 そのとき、あの者たちが王のもとに押しかけて来て、王に言った。「王よ。王が制定したどんな禁令や法令も、決して変更されることはないということが、メディアやペルシアの法律であることをご承知ください。」
16 それで王は命令を出し、ダニエルは連れて来られて、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、おまえをお救いになるように。」
17 一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴族たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。
18 こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食した。側女も召し寄せず、眠ることもしなかった。
19 王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
20 その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」
21 するとダニエルは王に語った。「王よ、永遠に生きられますように。
22 私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは、神の前に私が潔白であることが認められたからです。王よ、あなたに対しても、私は何も悪いことはしていません。」
23 王は大いに喜び、ダニエルをその穴から引き上げるように命じた。ダニエルは穴から引き上げられたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。
24 王が命じたので、ダニエルを中傷した者たちが連れて来られて、その妻子とともに獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に達しないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。
25 それから、ダレイオス王は、全土に住むすべての民族、国民、言語の者たちに次のように書き送った。「あなたがたに平安が豊かにあるように。
26 私はここに命じる。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震えおののけ。この方こそ生ける神、永遠におられる方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。
27 この方は人を救い、助け出し、天においても、地においても、しるしと奇跡を行われる。実に、獅子の手からダニエルを救い出された。」
28 このダニエルは、ダレイオスの治世とペルシア人キュロスの治世に栄えた。

 

神谷牧師による説教の要約
 一国の責任者に任じられようとしていたダニエルを失脚させるため、画策する者たちが用意した、王以外のどんなものにも祈った者は獅子の穴に投げ込まれるという法律に、ダレイオス王が同意したとき、王は神を信じ祈ることよりも、目に見える知恵や力の方が大事だと思っていたと考えられる。
 一方、ダニエルがその法律を知った時、家でいつものように祈ったのは、人が作った法律よりも神との関係の方が大切だったからである。
しかし、獅子の穴に落とされたダニエルが救われたことにより、王はダニエルの神を理解し、この神の主権のもとに自らの王としての立場があることを認めることができた。
 信仰者の普段の営みや、その身に起きる不意なできごとは、この世界を支配される神を証しする機会であることを覚えたい。


<ブログ管理人のひとりごと>
 雪・雪・雪。午後にクルマの雪おろしを。これは主人がやると言ったのだけれども私が代わった。主人は昨日行った検査の後、重い物は持たないように注意されている。老々介護というほどでもないが、お互い無理はできない。補い合って日々、大ごとを回避しながら暮らしをこなしている。
 ブログ更新でこの欄に何を書こうかと思いつつ考えがまとまらずにいたところ、2件のラインが入った。一件は息子から。一件はクリスチャンフレンドから。どちらもいわば〝しあわせだより〟。神さまはこの一日を締めくくるにあたって、この二つで私をしあわせにし、すっきりとした気分にしてくださった。
 ダニエルのような祈りを為させていただきたい。
  


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2026/01/04 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

『しもべたちを~試して』 ダニエル書 1章1~21節

(説教題をクリックしてお聞きください)
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             礼拝が始まる前のようす。機器のチェック、調整

1ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムに来て、これを包囲した。

2 主はユダの王エホヤキムと、神の宮の器の一部を彼の手に渡された。彼は、それをシンアルの地にある自分の神の神殿に持ち帰り、その器を自分の神の宝物倉に納めた。

3 王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエルの人々の中から、王族や貴族を数人選んで連れて来させた。

4 それは、その身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富み、王の宮廷に仕えるにふさわしく、また、カルデア人に文学とことばを教えるにふさわしい少年たちであった。

5 王は、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当てた。三年間、彼らを養育して、その後で王に仕えさせることにした。

6 彼らのうちには、ユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。

7 宦官の長は彼らに別の名前をつけた。すなわち、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナンヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。

8 ダニエルは、王が食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願うことにした。

9 神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。

10 宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物を定めた王を恐れている。あなたがたの顔色が同年輩の少年たちよりもすぐれないのを、王がご覧になるのはよいことだろうか。あなたがたのせいで、私は王に首をさしださなければならなくなる。」

11 そこでダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

12 「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。

13 そのようにして、私たちの顔色と、王が食べているごちそうを食べている少年たちの顔色を見比べて、あなたの見るところにしたがってこのしもべたちを扱ってください。」

14 世話役は彼らのこの申し出を聞き入れ、十日間、彼らをためした。

15 十日が終わると、彼らは、王が食べるごちそうを食べているどの少年よりも顔色が良く、からだつきも良かった。

16 そこで世話役は、彼らが食べるはずだったごちそうと飲むはずだったぶどう酒を取り下げ、彼らに野菜を与えることにした。

17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を理解する力と、知恵を授けられた。ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができた。

18 少年たちを召し入れるために王が命じておいた日数が終わったので、宦官の長は彼らをネブカドネツァルの前に連れて行った。

19 王が彼らと話してみると、すべての者の中でだれもダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はいなかった。そこで四人は王に仕えることになった。

20 王は、知恵と悟りに関わる事柄を彼らに尋ねたが、彼らがそのすべてにおいて、国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていることが明らかになった。

21 ダニエルはキュロス王の元年までそこにいた。

 

神谷牧師による説教の要約
 王に仕えるために呼ばれたダニエルたちが、王が食べるごちそうや王が飲む葡萄酒を与えられていることは、彼らが異教の王と同じようになることが意図されていた。
 ダニエルの世話を命じられた宦官の長が恐れていたものは、自分を見て、その命をにぎっている王であった。
 ダニエルたちが王の食べるごちそうをやめて野菜と水を求めたことは、自分たちの命を握っている本当の主人は、王ではなく神であることを確認し、選択したことを意味している。それは異教の地にあっての少数派として、犠牲を伴う狭い道を辿ることを意味し、それゆえ、彼らの歩みを通して神の栄光が現わされたのである

<ブログ管理人のひとりごと>
「少数派として、犠牲を伴う狭い道を辿る」、傍から見れば、難儀なことよ!と見えるかもしれない。私もかつてはそう見えていたときがあった。しかし今自分がこの道に立ってみると、朝明けの雲が不気味に垂れこめていても、内側にはどうも明かりがついているらしく、外にある暗雲も重たくはない。喧しく荒れる波も、自分の足元を浸してはいるが、冷たく鋭く斬りかかってくることがない。:防護壁が目に見えているわけでもないのに、何者かにガードされているようなのだ。心が何者かに浸透し安心と和らぎが来る。これこそ神の惠、恩寵であると。

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2026/元旦礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

『秘密を明らかにするひとりの神』 ダニエル書 2章20~30節
説教題をクリックしてお聞きください。

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20
ダニエルはこう言った。「神の御名はほむべきかな。とこしえからとこしえまで。知恵と力は神のもの。

21 神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。知恵を授けて賢者とし、知識を授けて悟りのある者とされる。

22 神は、深遠なこと、隠されていることを明らかにし、闇の中に何があるかを知り、ご自身の内に光を宿される。

23 私の父祖の神よ。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。あなたは私に知恵と力とを授け、今、私たちが尋ねたことを私に明かし、王の心の内を私たちに明かしてくださいました。」

24 それでダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすために任じたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に夢の意味をお明かしします。」

25 そこで、アルヨクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った。「ユダからの捕虜の中に、王に夢の意味を告げることができる男を見つけました。」

26 それで王は、ベルテシャツァルという名のダニエルに言った。「私が見た夢とその意味を、本当に私に告げることができるのか。」

27 ダニエルは王に答えた。「王が求めておられる秘密を王にお示しすることは、知者や、呪文師、呪法師、占星術師などにはできません。

28 しかし天に秘密を明らかにするひとりの神がおられます。この方が終わりの日に起こることをネブカドネツァル王に示されたのです。あなたの夢、寝床であなたの頭に浮かんだ幻は次の通りです。

29 王よ。あなたが寝床で思い浮かべていたのは、これから起こることです。秘密を明らかにされる方が、これから起こることをお示しになったのです。

30 この秘密が私に明らかにされたのは、すべての生きる者にまさって私に知恵があるからではなく、その意味が王に告げられることによって、あなたの心の思いをご自身がお知りになるためです。

神谷牧師による説教の要約
 当時の世界帝国であったバビロンのネブカドネツァル王の見た夢は、王自身の心の願望ではなく、神から与えられたメッセージであった。
その意味する所は、説き明かしを告げたダニエルが述べた通り、どんなに絶大な権力を持ち、力や知恵を手にしていたとしても、それらすべてを支配し、人に与えられるのは、天におられるひとりの神であり、その後、彼が仕えることになる歴代の王たちも、ダニエルを通してその事実を悟に至った。
 年頭、私たちもまた、たとえ先のことは分からなくても、すべての秘密を明らかにする神に祈る時、自ら願うことだけでなく、神の計画の中に置かれている自分自身である事を覚え、安堵することができる。
 聖書にしばしば登場する夢は、人の願望の表れではなく、実現すべく備えられた神のみこころである。ダニエルがそば近く仕えた王にその夢がもたらされたように、私たちに関わる人に、年齢を問わず働かれ、預言をもたらし、幻を見せる上よりの靈に期待しつつ、この年の歩みを進めたい。

<ブログ管理人のひとりごと>
 この年末年始ほどに忙しかったことはなかった。しかしその中にも悩みや喜びは多くあり、ことしは特に喜びの多い年頭となっている。悩みの方は体力的な減退などあるけれども、聖書には「汝ら悩みあり、されど」とあり、信仰者の人生にも悩みはあって当たり前。けれども、これらにいちいち引きずられないようにするコツがわかった。すでに言われ続けてきたことを得心したといった方がいいだろう。それは祈ること。特に他者のために、というよりも、困難な人たちのために、身近な順番に祈ること。これもあった、それもあった。「たえず祈りなさい」とはこういうことなのか、自分のための祈りはもう神さまは聞き飽きていらっしゃるかどうかは分からないけれども、より困難な方々のための祈り、これはイエスさまの願っておられる祈りではないのか、そんなふうに思った。
 何れ神さまのご計画の中にある自らを覚え、信仰上のコツを捉えながら一年のかじ取りをしてゆきたい。


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2025/12/28 年 末感謝礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

『主は私の羊飼い』 詩篇23章1~6節
説教題をクリックしてお聞きください。

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ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4 たとえ、死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。あなたが ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに あなたは私の前に食事を整え 頭に香油をそそいでくださいます。私の杯は あふれています。
6 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。

神谷牧師による説教の要約
 詩篇作者のダビデが「主は私の羊飼い」と言うことができたのは、かつて羊飼いであった自分が、それと重なるように神に導かれてきたとの思いからである。
 その羊飼いに導かれる場所が、必ずしも良い所ばかりでなく、恐れや不安の中を通るのは、羊飼いである神が私たちを守り、その度に必要な備えを経験することで、神への信頼が深められるためである。
 そうした歩みの連続は、目前の心配も、振り返れば神はそれを良きに変えられることを確信させ「いのちの日の限り、いつくしみと惠みが私を追って」との思いから、困難を前に、御前での安堵に至る。

<ブログ管理人のひとりごと>
 2025年最後の日曜礼拝。一年を顧みて、ある一人の姉妹の誰も予測できなかった身の振り方の展開、
これは私の信仰上の意識をまた深くした出来事でした。節目、節目に神が顕されたわざをわすれないこと。これを改めて自らに刻んだ礼拝のひとときでした。

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2025/12/21 第四アドベント クリスマス礼拝説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『その方の星を見たので
 マタイの福音書2章1~15節
(説教題をクリックしてお聞きください。盛岡教会有志によるトーンチャイムの演奏も入っています。

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1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。

6 『ユダの地、ベツレヘムよ。

あなたはユダを治める者たちの中で

決して一番小さくはない。

あなたから治める者が出て、

わたしの民イスラエルを牧するからである。』」

7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
8 そして、「行って幼子のことを詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」と言って彼らをベツレヘムに送り出した。
9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のおられる所まで来て、その上にとどまった。
10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12 彼らは夢で、ヘロデのところに戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。
13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
 15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した。」と語られたことが成就するためであった。

 

神谷牧師による説教の要約
 救い主誕生のしるしである星に導かれて、博士たちがエルサレムにやって来た時、新たな王の誕生の知らせに、ヘロデ王のみならずエルサレム中の人が動揺したのは、王家の血筋を持たず、猜疑に満ちた王が保身のために、恐ろしいことをすると予感したからである。
 新たな王である救い主の誕生がベツレヘムだと知っていた祭司長や律法学者たちがキリストに会おうとしなかったのも、ヘロデ王の報復への恐れからといえる。
 現代の私たちがキリストに会うこともまた、人の事情や都合には左右されない星々のごとく、変わることのない聖書の約束の導きに従うときに実現する。

<ブログ管理人のひとりごと>
 冬至の前日、明日は冬至か思うだけでも、どこかメランコリックに。ところが 22日早朝、朝日がさした。網戸越しの写真ですが上に掲載。「ほらご覧、眩しいだろう。クリスマスが来ている。これでまた少しずつ少しずつ日は長くなる。光の主は来られた。闇はこの光に打ち勝つことはない」、そして心の内に光が満ちた。心の内にこの光があれば、外が、世の中がどんなに暗くとも、冷たかろうとも、だいじょうぶ。心の内にこの光主イエス・キリストがおられるなら、そう思った。
 この日はクリスマス礼拝、トーンチャイム演奏がありました。小さな礼拝堂に、祈りと神さまの恵みにある兄弟姉妹たちの澄んだ賛美の音が響きました。
メリー・クリスマス!

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2025/12/14 第三アドベント 礼拝説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『さあ、ベツレヘムまで行って
 ルカの福音書2章1~20節
説教題をクリックしてお聞きください。
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1
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。

2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。

3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。

4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、

7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。

9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。

11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」

13 すると突然、その御使いと一緒に、おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。

14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」

16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。

17 それを目にして、羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。

18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちの話したことに驚いた。

19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

神谷牧師による説教の要約
 救い主キリストがベツレヘムで牛や羊のいる家畜小屋で生まれ、その餌を入れる飼葉桶に寝かされたことは、羊飼いたちにとって、救い主が自分たちのいるところに来たことを意味する。
 彼らが主の使いの知らせを受けてベツレヘムへ行ったとき、素晴らしい知らせを知らされているという、誇らしい気持ちのゆえに、見聞きしたことを人々に話したといえる。
 キリストが羊飼いたちの知る飼葉桶の中におられたことは、今も私がいるその場所にキリストは来て、私たちを招いておられることを示している。
 その声は特別な場所でなく、普段の営みの中で聞くことができ、誰もがその招きに応えて心開くとき、このお方にお会いし、親しい関係を持つことができる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は本格的な雪となり、それでも何とか教会に行きたいとクルマの雪落としをし出発したものの、止まぬ積雪に断念。ズーム参加に切り替えた。天気予報では雨に変わるはずだったが、昼以降も降り続いた。運転に自信がある方々、責任を持っている方々は教会に集い礼拝を捧げていらっしゃった。久方ぶりのズーム参加。それでも神さまの恵みを蓄積できたことは感謝だった。

 一時期、純粋な人間は不幸になる。そう思っていたことがある。信条、信念を全うするにはそれ相応の逆境、犠牲を伴う。イエスさまご自身が讃美歌に「死のほか何も報いられで♪」と謳われている。そこまではできかねるな、ほどほどのところで歩調を世の中に合わせておこうとしていた。しかし、そんな意識があるうちは何もうまくは、本当の意味でうまくはいかなかった。そしてある時点で、もはや自分はキリストの血によって買い取られたものであることを自覚するに至った。好き勝手に生きる事は自分には許されてはいないなと。不自由なようではある。しかし、その時から、神さまのご愛が、見上げるときにくだされ神さまの慮りが胸に沁みこんでくるようになった。それこそ、きょうの説教にあった「特別な場所でなく、普段の営みの中で聞くことができ」という実感を伴う体験である。
 私自身はまだまだの信仰者であるわけだが、気づけば多くの献身者、牧者の方々がうしろ姿をのこしてくださっている。これまで教団に寄せる意識は低かったのだが、この教団だけでも使命を全うされ天国に帰られた先生方、そして高齢、病で引退された先生方82人が現在余生を過ごしておられる。そして現役で牧会しておられる先生方。贅沢、潤沢、飽食とは無縁。キリストに倣い従った多くのうしろ姿がある。
 たとえ一銭にならなくとも、何の見返りがなくとも、自らが真理と思うことに殉じる人間はいなければならない。そのような人たちがいなくなったときにこそ、世の中は漆黒の暗闇となると思われます。

 また、きょうの説教のユーチューブには、インマヌエル秋田教会の姉妹が、「あなたを捨てて孤児とはしない」(ヨハネ14:18)というイエスさまのおことばを信じ救われ、また第一ペテロ2:24「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」を信じ受け入れておられるお話しが入っています。説教と共に是非お聴きください。

 

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2025/12/07 第二アドベント説教 インマヌエル秋田・盛岡教会 神谷光一牧師

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『ご自分の民をその罪からお救いに
 マタイの福音書1章18~25節
説教題をクリックしてお聞きください。
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18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることがわかった。

19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。

20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。

21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。

23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

24 ヨセフが眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、

25 子を生むまでは彼女を知ることがなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。


神谷牧師による説教の要約
 ヨセフの目に、婚約者マリアの懐妊は、彼らの結婚の妨げと映った。しかしその後、夢の中で主の使いが、その胎に宿る子は聖霊によることであり、さらにはその子が「ご自分の民をその罪からお救いになる」とは、神と人とを隔てる罪を解決し「神が私たちとともにおられる」ことが理解することができるようにしてくださるということを意味する。それは、私たちが「これさえなければ~」と思うようなことや、そういう人との関わりを通して、そこに神の計画があることを示している。
 不都合な現実の中に働く神のわざに期待しつつ歩みたい。

<ブログ管理人のひとりごと>
この日は第二アドベント。秋田から神谷牧師夫妻が来てくださり、いつも第一日曜日盛岡教会に来てくださっているのだけれども。そして教会の皆様の温かさに、この一週間が温められた、そんな一週間を過ごすことができた。神さまの惠である。月曜日の真夜中にあった地震にも心理的にも直撃を受けずに済んだ感じだったけれども、八戸の震度6強を知って、またしても! 心が痛んだ。

 今一度十字架のもとに身をおいて、自分がいったいどういうものであったのか、どういうものであるのかを自らに問い直し、インマヌエルの血に浴しながら、厳しい世相にある実情のためにも微力ながら祈り、このクリスマス節季をしずかに歩みたいと願っている。

 

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