きょうのことば『すべてを新しく』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025年6月1日(日)
説教題 『すべてを新しく』聖餐式礼拝説教(←クリック)
聖書朗読 ヨハネの黙示録 21章1~8節
1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
4 神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが、過ぎ去ったからである。」
5 すると、御座に座っておられる方が言われた。
「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
6 また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。
7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
8 しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」
【神谷師による説教の要約】
黙示録は高齢となったヨハネが幻のうちに、キリストを信じているため迫害の中にある人を励まそうと、終末に訪れる新たなエルサレムの都についての預言を示すことで、直面する苦しみが必ず過ぎ去ることが語られている。
また、勝利を得る者とは、迫害の中でも、終わりまでキリストへの信仰を失わないことである。
そのためにキリストは、その妨げとなる生まれつきの性質を変えるために十字架でいのちを捨て、私たちに与えてくださり、やがて訪れる新しい天地の中で新たなエルサレムの都に入れるようにされた。
―ブログ管理人のひとりごとー
イエスの愛しておられた弟子「ヨハネ」は、殉教とならず、ほかの弟子たちよりも長く生きることをゆるされ、一時期はパトモス島に流される。パトモス島ってどんなところ?とネット上で飛んでみると、今は美しい観光地。景色の美しさはそのまま。ここでヨハネは主の幻、新しいエルサレムを見せていただいている。いざというときには必ずある神さまからの励まし。それがヨハネのように幻の提示ではないとしても、神さまは日常的なほんの小さなことをとおして、またご聖霊さまを通して、聖書のおことばを通して、ご自分の存在をあらわし励ましてくださる。この頃はイエスさまのご最期がよく心に通うけれども、最大限の苦痛をご自分の飲むべき杯として受けられた、敢えて、諄々とこの杯を干された主。人の声はさまざま。しかし今主は言われる「これが道なり、これを歩むべし」。
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