2026/04/12聖日礼拝 説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師
『これらの出来事すべてについて話し合って』 ルカの福音書 24章13~35節
(説教題をクリックしてお聞きください)
13ところで、 ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エオマという村に向かっていた。
14 彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。
15 話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。
16 しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることがわからなかった。
17 イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。
18 そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけがご存じないのですか。」
19 イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
20 それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。
21 私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、
22 仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
23 イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、と言うのです。
24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。
26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずではなかったのではありませんか。」
27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに解き明かされた。
28 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。
29 彼らが、「一緒にお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いております」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。
30 そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。
31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
32 二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
33二人はただちに立ち上がり、エルサレムに戻った。すると、十一人とその仲間が集まって、
34 「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。
35そこで二人も、道中で起こったことや、パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した。
【神谷牧師による説教の要約】
キリストの墓に来た女の人たちに、まばゆい衣を着た二人の人が語った「主がお話しになったこと」とは、キリストが十字架につけられて三日目によみがえることである。
よみがえったキリストは、どこでも自由に出入りできるのに、わざわざその墓の入り口の石が転がされていたのは、そのよみがえりの証拠を誰もが確かめられるようにされたからである。
また、よみがえったキリストが、以前のように弟子たちといつも一緒にいるようにしないのは、これからは見えるかたちではなく、キリストの語った約束の言葉により頼むためであった。
聖書を通して語られる約束に心を留めるとき、よみがえりの主は、時空を超えて、今もなお信ずる者のうちに働かれるのである。
<ブログ管理人のひとりごと>
復活のエネルギー、それは靈に届く、靈を強めるエネルギーであると後で分かったところがある。確かにそのエネルギーを知覚して元気になってどんどん動きすぎた結果、やはり肉体的な疲労が来てしまい、先週などは意識的に休息をしなければならなかった。張り切ることはいいけれど、自らの今の年代の体力に相応しい働きを注意深くこなすことの方を、神さまは安心して見ておられるのでは。霊的な共感、感動はこの土の器に溜め満ちたところで、臨機応変に注意深く慎重にその力に与るのが良いと思われる。
道々に咲いているスイセンやアネモネ。よく咲いてくれたね、ありがとう、よく咲いてくれたね、ありがとうと言いながらのぞきこむ。コンクリートの隙間に覗くハコベに目がとまった。よくよく見ると小粒のマーガレットのような花が笑っていると書くのはあまりに稚拙で単純かもしれない。にんまりとしているようでもあり、微笑んでいるようでもある。のほほんとしているようでもありしっかりと緻密な視線を送って来るようでもある。ああ、そうだね、おおきな色鮮やかな花よりも、人に踏まれたこともあるだろう、蔑まれたこともあるだろう。価値ないもののようにあっさりと引き抜かれた打ち捨てられたこともあるだろう。だけど、だからこそ、たぶん、おまえには、おまえにこそ、虐げられているものの気持ちがわかるだろう。力で踏みにじられ、締め付けられるってどんなことかを知っている。一人が踏めば二人目が踏む。そして踏みなれた足が幾度も蹴散らす。何人もがあたりまえのように蹴散らす。弱いと見れば蹴散らす。強い者にはその強さにあやかりたいものが加担する。
ハコベがいいな。高慢ちきじゃない。人の痛みを知っている。力に屈することもない。権威に追随することもない。ハコベはハコベのまま。ほら、神さまの目がおまえに注がれている。
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⏰20時26分更新


















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